第12話「ゲージが初めて動いた」
お読みいただきありがとうございます。廃坑の奥で、状況が変わりました。何かを決めなければならない瞬間の話です。
廃坑の三層目は、空気が違った。
一層目は通路が広く、出てきた魔物は二体だった。カインが前に出て、ナオが横から補助した。エラの矢が急所を捉えた。クルトの魔力補助が動きを安定させた。問題なかった。カインは戦いながら笑っていた。楽しそうだった。
二層目は少し複雑だった。分岐が多く、暗い。三体が連携して動く群れがいた。ナオが囮になって引き付けている間に各個撃破する形で片づけた。エラの矢が二体に当たり、クルトが残りの一体に魔力で牽制した。カインが飛び込んで押さえ込んでいる間、ナオが仕留めた。動き方が少しずつ噛み合ってきていた。
三層目に降りたとき、カインが「なんか静かすぎないか」と言った。
ナオも感じていた。臭いが違う。個体数の問題ではなく、種類が違う何かがいる。床の足跡の大きさが、上の層のものと違った。
「慎重に行く。俺の後ろから離れるな」
「了解」とカインが珍しく真剣な顔で答えた。
奥の広間に入ったとき、それがいた。
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オーガ種の亜種だった。
体高が人間の倍以上ある。腕が異常に長い。石の床を踏む足音が重い。目が光っていた。地図には記載がなかった。上位体でないと思われると言っていたレスの情報が外れた。
エラが矢を放った。首に当たった。刺さらなかった。皮膚が厚い。
「効かない」とエラが言った。声が平静を保っていたが、手が震えているのがナオには見えた。
「カイン、下がれ」とナオが言った。
カインが「でも俺が前に——」と言いかけた瞬間、オーガ種の腕が横に薙いだ。
カインがすっ飛んだ。壁に当たった。
「カイン!」
エラが叫んだ。カインが壁際で起き上がろうとしている。足を押さえている。表情を歪めながらも「大丈夫」と言った。大丈夫ではない、とナオは判断した。立てていない。
「クルト、魔力は」
「もう半分切った。あと一回か二回が限界だ」
「エラは矢が効かない。クルトの魔力を温存する。カインは動けない」
ナオは状況を整理した。頭が速く動いていた。
逃げられる。
俺一人なら。
三層目の出口は後ろにある。走れば逃げられる。カインは足を負傷しているが、クルトとエラが抱えれば引っ張ることはできる。ナオが囮になれば——いや、それも難しい。このオーガ種の速さなら、援護なしに一人で引き付けたまま全員を逃がすことはできない。誰かが残らなければならない。
残るとすれば、ナオだ。
一人でこいつを相手にするのか。
ナオは自分の手を見た。短剣を持っている。これでオーガ種に勝てるかどうか、計算が出なかった。出ない以上、判断はできない。
前の世界なら、ここで「判断できないから動かない」を選んでいた。理由がないから動かない。計算が出ないから動かない。動かないことが最も安全だという感覚。それが自分の長年の習慣だった。
足が動かなかった。
逃げる方向には動かなかった。
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「……俺が何とかするしかない」
声に出した。誰かに言ったわけではなかった。自分に確認した言葉だった。論理で出した答えではなかった。体がそう決めていた。
脳裏に言葉が浮かぶ前に、体が動いていた。
オーガ種の注意を自分に向けた。正面から声を上げた。こちらを向いた。腕が来た。しゃがんで避けた。足元に入った。脚に短剣を当てた。硬い。深くは入らなかった。
もう一度腕が来た。今度は速かった。当たった。吹っ飛んだ。腕と脇腹に衝撃が来た。起き上がった。
「ナオ!」とカインが叫んだ。
「動くな」とナオは言った。「今考えてる」
オーガ種が近づいてくる。踏み込む前に必ず右に体重を乗せる。それを三回見た。体の揺れ方、重心の移動。魔力強化がない分、動きに人間らしいクセが残っている。
四回目が来た。
右に体重が乗った瞬間、ナオは左に回り込んだ。オーガ種の死角に入った。首の付け根——皮膚が薄い部分に短剣を叩き込んだ。
オーガ種が止まった。
ナオは短剣を深く押し込んだ。腕に力を込めた。これ以上奥には入らない、というところまで押し込んだ。
動かなくなった。
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オーガ種が倒れた。床が揺れた。土煙が上がった。
ナオは膝をついた。腕が上がらない。肩と脇腹が痛い。吹っ飛んだときに壁か柱にぶつかったらしかった。息を整えた。頭の中が静かだった。戦っている間は余計なことを考えていなかった。終わってから、全部後からついてきた。手が震えている。今更だった。
「ナオ、お前すげえな」
カインの声がした。
振り向くと、カインが壁にもたれたまま笑っていた。足を押さえているのに、笑っていた。歯を見せて、目を細めて、心から嬉しそうな顔だった。痛みで顔を歪めながら、それでも笑っていた。
「お前、本当すげえよ。あんなの一人で。俺さあ、正直あのとき諦めかけてたんだよ。でもお前が動くのが見えて——ああ、こいつ本当にやるなと思って」
ナオは何も言わなかった。
その笑顔を見た瞬間、何かが動いた。
視界の右上を見た。
数字が動いていた。
【満足度ゲージ:0.00% → 15.00%】
ナオは一瞬、動けなかった。十五パーセント。初めて動いた。今まで何も変わらなかった数字が、初めて変わっていた。
なぜこのタイミングか、と考えた。オーガ種を倒したときではなかった。カインが笑った瞬間だった。「俺にしかできない」という実感は、戦いそのものからではなく、その結果として誰かが笑っている、というところから来たのかもしれなかった。それは前の世界では一度も感じたことのない感覚だった。
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脳内で声がした。
「……及第点ね」
ルキアの声だった。珍しく、素直な声だった。いつもの辛口とは、ほんの少し違う。
「及第点か」とナオは心の中で返した。
「命令じゃなかった。義務でもなかった。逃げられたのに、逃げなかった。後ろにいる三人のために、俺が選んで残った——そういう実感がついた瞬間よ。大したことじゃない」
「大したことじゃないなら、もう少し素直に言えばいい」
「うるさい。調子に乗らないように」
声が消えた。
ナオはもう一度視界の右上を見た。15.00%。消えていない。本物だった。
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クルトが隣に来た。
「お前、大丈夫か」と低い声で言った。クルトは怒鳴らないとき、こういう声になる。
「痛みはあるが、動ける」
「動けりゃいいわけじゃないだろ。折れてないか確認しろ」
「折れてたら今頃もっと痛い」
「それが確認か」
クルトが溜め息をついて、ナオの腕を取った。肩を貸した。
エラがカインの下に来て、肩を入れた。カインが「重くして悪い」と言った。エラが「重くない」と短く言った。カインが「エラ、力あるな!」と言った。エラが「うるさい」と言った。
四人で廃坑の出口に向かって歩き始めた。
一層目に戻る頃には、外の光が見えてきた。坑道の出口から差し込む光が、思ったより明るかった。
カインがまだ笑っていた。足を引きずりながら、それでも笑っていた。「いやー、強かったな。お前どこで習ったんだよ、そういう戦い方」とカインが言った。ナオは「見よう見まねです」と答えた。「見よう見まねであれか!」とカインが笑った。
エラがナオを見た。何か言いたそうな顔だったが、言葉は出なかった。少し間があって、「……ありがとう」と言った。短い言葉だった。
「怪我が治ったら、また行きましょう」とナオは言った。
エラが少し目を丸くした。それから小さく頷いた。
クルトが「またって、お前懲りてないのか」と言った。ナオは「懲りてはいない」と答えた。クルトが「まったく」と言いながら、また肩を貸してくれた。
次話:第13話「魔力ゼロの冒険者、という評判」
廃坑の一件で評判が広まり始めます。良い評判だけではありませんでした。




