第46話
「え?……マジ?」
仕事の時には冷静な先輩も、流石に焦りを隠せずにいるらしい。
それだけで一杯食わせたという満足感が……ないない、ないだろ!
バレてるんだって。
俺の数ヶ月の努力が海辺に建てた砂城のように沈んでいく。
「はい、マジなんですよこれが!ほら旦那様〜!」
身動きが取れない俺の手を鳴宮が高く持ち上げる。
絡められた指に光るのは、今や違和感を微塵も覚えない結婚指輪。
そんな拍車をかけるようなことをしなくても……。
「いや〜、前に企画課で同じだったのは知ってるけど、まさかそこ二人が結婚してたとは思わなかったなぁ。会社では隠してるの?」
「そうなんです、うちの夫が中々強情で」
「藍野ってそういうところあるよな」
「ほんっっっとに!わかりますか!」
はっはっはっはっ!と笑い声を上げる俺以外の二人。
置いていかれてる、しかも不名誉な合意が形成されている気がする。
というか会社で隣の席に座ってる人に、妻とデートしていることがバレるって相当恥ずかしいことなのでは?
「あんまり驚かないんですね」
ようやく絞り出せたのは、頭に浮かんだ純粋な疑問だった。
この結婚がセンセーショナルだと言うほど自意識過剰でもないが、まぁそんなもんか。偽装だし。
確かに自分が同僚の結婚を聞いた時も、心から祝いはすれど詮索したりはしない。
ともすれば触れづらい話題だったりするしな。
社会という名の水槽においては、それが逆に優しさだったりする。
「まぁまぁ、かわいい後輩が幸せならそれでいいってことよ」
この緩い感じ、やっぱり社内とプライベートじゃ雰囲気違いすぎるだろ、この先輩。
なんてことを考えていると、彼は手に持ったスマホに視線を滑らせる。
「俺も黙っとくから安心してくれ。んじゃ、友達待たせてるから!また月曜日な、藍野。鳴宮さんもうちの後輩を頼んだ!」
「あ、はい。お疲れ様です」
「任せてください……!でも藍野くんは私のです!」
おい、会社の人に何言ってんだ。
鳴宮の言葉を訂正する暇もなく、手を振りながら人混みの中に消えていく先輩。
プライベートな時間に職場の、それも経理課の人に会うのが初めてだから、なんだか変な感じだ。
職場の自分とプライベートな自分がごちゃごちゃになるような。
鳴宮と顔を見合わせる。
先輩に会うまでのしっとりとした雰囲気はどこかへ消えていた。
それでも唇が彼女の熱を覚えている。
きっと秋だから。乾いた空気に、冷たい風に体温を奪われたから。
「藍野くん……バレちゃったね!?」
嬉しそうに彼女は言い放つ。
「いやほんとだよ。というかお前知ってたな?先輩がいること」
「なんのことかしら〜!まさかそんな!フェスの入口で見たことある人がいるなぁなんて、それとなくいいタイミングで手を繋いだとか、ここで会社の人にバラしたらうちの旦那様はどんな顔するだろとか思ってないわよ、ないない!」
「全部計算通りじゃねぇか!」
バレたんじゃなくてバラしたって言ってるしな。
「でも大丈夫だったでしょ?」
悪びれる様子もない鳴宮。結果論で殴るのはやめろ。
「まぁ、よく知ってる人だったから」
俺たちは再び歩き始める。
「じゃあ仲良い人にはちょっとずつ言っていきましょうよ」
「俺の会社での地位が……」
「さらに強固になるだけよ!」
相当な自信だな。
「でもお前もめんどくさいことになるだろ?」
「めんどくさいことって……どうして藍野くんなのかって聞かれたりすること?」
そうそう、容易に想像できる。
これで美男美女カップルが遂に入籍!とかならまだわかるんだが、片や大人気の企画課エース、片や経理課でねちねちと請求書を突き返す陰の者。
必然的に疑問は鳴宮に向くことになる。
「むしろ大歓迎ね。私がどうして藍野くんの妻になったのかとことん聞いてもらうわよ」
やめてくれ、顔から火が出てしまう。
そんなことされたら、どこの課にいくにしてもこそこそと噂話されるだろ。
廊下もおちおち歩けなくなる。
というか、むしろそれはこっちが聞きたいんだが。
どうして鳴宮は俺を選んでしまったんだ。
「んー、それはまた今度ね」
「……今のは俺の頭の声への返事か?」
「さぁ、でも心配そうな顔してたから」
これは本格的に経理顔の練習をする必要がありそうだ。
そもそもどうやって俺の思考をジャックしてるんだ……世が世なら重宝されただろうに。
いや、今でも企画課で重宝されてるのか。
「まぁまぁ、今日は腹ごしらえに来たのよ!食べましょ!」
言うが早いか、鳴宮は先の人混みを指さす。
目に映るのは様々なメニューで彩られた屋台たち。
美味しいものをちょっとだけ、というよりは全部ガッツリ食え!スタイルなのは好感が持てる。
先輩にバレた腹いせだ、とことんまで食べてやろう。
そう思った瞬間、自分のお腹からぐぅと低い音が鳴る。
脳と身体が直結してるのか俺は。
「お、やる気ね?」
「どこかの計算高い嫁のせいでな」
「嫁……いい響きね。もっと言って」
「無敵かよ」
一歩踏み出すと、繋いでいた手を解いて彼女は振り返った。
もう消えたはずの熱が再び唇に灯る。
気付くのに時間がかかった、鳴宮の細い指が再び添えられたのだと。
「無敵よ、だってあなたと二人だから」




