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第42話

「う〜〜ん!出張の帰り道ってどうしてこんなに一瞬なのかしら」


 身体をぐいっと伸ばしながら、最寄り駅のホームに降り立つ鳴宮。

 昨日着ていたスーツと同じなのはご愛嬌。


 結局下着類はコンビニで買ったが、外行きの服を買う余裕はなかった。主に荷物の関係で。

 日帰り出張なんて、資料とノートPCの入った小さな鞄で十分だからな。


 時刻は14時。


「今頭の中で私のこと『鳴宮』って言った?」


 エスパーかよ。

 一緒にいる時は発言だけじゃなくて思考にまで気を配らないといけないのか。


「……言ってない」


「いーや、その顔は言ってたわね」


 伸びてきた手が俺の頬を掴んで、むにっと摘まれる。

 そのまま弄ぶようにもちもちもちもち。


「痛い痛い、暴力反対」


「一種の愛情表現よ」


 トンデモ理論でねじ伏せられた。DVだろこれもう。

 というか「一種の」って……これが普通じゃないことをわかっててやってるじゃねぇか。

 事業企画書を書く時はあんなに論理的なのに……。


 頬に張り付いた手を剥がしてそのまま絡め取る。この旅行で変わったことの一つ。

 きゅっと握りしめれば、同じだけの力が返ってくる。


 ふむ、なるほど。

 安心とはこういうことか。求めたものが与えられる、言葉にすれば簡単だけど、言葉なしでは難しい。


 駅から出ると、太陽はもう西に傾き始めていた。

 夏に比べて秋の訪れはきっとなだらかだ。暦だけではわかりづらいし、海開きがあるわけでも冷やし中華が始まるわけでもない。


 どこか街ゆく人の服が暖色になって、満月が大きく見えて、頬を撫でる風が冷たくなったりして初めてわかるんだろう。


 往路より復路の鞄が重たいのは旅行あるあるだ。

 同僚たちへのお土産はもちろん、家で食べるものも買いすぎてしまう。


 あの「せっかく来たんだからビジネス」って強いよな。滞在中の思い出がいいものであればあるほど、必要のないものまで買ってしまう。

 まるで今日という日をそのお土産に閉じ込めるかのように。


「それにしてもたくさん買っちゃったね」


 同じことを考えているのか、ひなはそう言って鞄を掲げた。

 中でひしめくお菓子たち……あれ、待てよ。行きも鞄の中がお菓子でいっぱいだった気が……。


「普段行かないとこだと尚更な……今の時代ここでしか買えないってことは中々ないのにな」


「でも偶然の出会いってあるし」


「それには全面的に同意する」


 最寄りのスーパーなら絶対買わないものも、あの陳列棚に並んでたら手を伸ばしてしまうんだよな。


「私たちの結婚にも?」


 にやにやした顔で彼女は聞く。意地が悪い。

 最近よく言わせたがるんだよなぁ。


「……同意したからこうなってるんだろ」


 なんとかやり返せないものかと思考を巡らせるも、いい案は浮かばない。


 不意に細い指が俺の薬指を撫でる。

 そこにそれがあることを確認するかのように、何度も。


 この指輪に違和感がなくなったのはいつからだろう。

 初めは異物感というか、何をするにも気にかかっていたが、最近はめっきり気にしなくなった。


「ん〜、藍野くん。こうやって一緒に帰るのって幸せだと思わない?」


 指輪の確認に満足したのか、ひなは再び手に力を込める。


「家に帰るまでが出張だぞ」


 口にするには照れくさくて誤魔化してしまう。


「いいえ、昨日打ち合わせが終わった時点で私たちの出張は終わったのよ!」


「まぁ労働時間的にはそうかもしれんが」


「だからこれはただの夫婦の散歩。仕事じゃないからこうやって手も繋いでいいし、名前で呼んでもいいし!あ、別に会社でもひなって呼んでいいからね?」


 早口でまくし立てたかと思うと、最後はゆっくりと言い聞かせるように呟くひな。


「俺の平穏な社畜生活が終わっちまう」


「社畜って自覚はあるのね」


 さすがにこれだけ働いてりゃな。

 なんなら今は二つの課にまたがって仕事してるんだから給料も二倍欲しいところだが。


「どうする?また異動で企画課になったら」


「……ないだろ……え、ないよな?」


「どうかしらね〜!そういうこと言ってるとね、現実になるわよ」


 急に真面目な表情になるひな。

 細い眉毛もキリッと上がっている。


 やめてくれ……俺の平穏な経理課ライフが……。毎日請求書を見て予算編成して決算監査対応して……。

 あれ、平穏か?むしろ怒涛では?


 結局社畜はどこに行っても社畜なのだ。


「まーた仕事のこと考えてるわね?終わり終わり!隣にこんなにかわいい奥さんがいるんだから構え〜!」


 繋いでいた手をぐっと引っ張られて半歩、ほんの半歩だけ彼女に近付く。

 この距離でも緊張しないのは俺の努力の……いや、彼女の努力の賜物なんだろう。


「確かに。家の最寄りまで来て仕事のこと考えるのも癪だな」


「でしょでしょ〜!だから今日の晩ご飯のこととか考えましょ」


 やがて俺たちの住む部屋が見えてくる。

 こうやって非日常を経て少しずつ、日常が変わっていくのだろう。


「私的にはピザをとるのが濃厚ね」


「ふむ……たまにはいいだろう」


「ありがたき幸せ!ん〜たくさんチーズが乗ってるやつにしましょ!」


 彼女とお見合いするまでの自分と今の自分、大きく違うのは変化を好意的に受け入れられるかどうかだ。


 今までは毎日同じことの繰り返しに満足していた。

 そんな俺が、彼女の隣に並ぶために一歩を踏み出そうとしている。

 全部全部ひなのおかげだ。


 だからそのうち、勇気の一つくらい絞り出してみせよう。

 鍵を取り出す前に一度だけ、俺は少しだけ強めにひなの手を握った。


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