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第38話

「もうお腹ぺこぺこよ〜」


「長居しちゃったな、もうランチやってないんじゃないか」


 ウィーンと開く自動ドアから外へ出る。

 時刻は15時過ぎ。風の冷たさに季節を感じてしまう。


 思いのほか話が弾んでしまって、昼前に来たのにもう西陽が顔をのぞかせていた。


 打ち合わせ自体は好調。予定していた企画が実行に移せそうだ。

 まぁ俺たち二人が現場に行くのはちょっとだけだが。


「店調べるか〜」


 気持ち自体は楽なものだ。

 緊張していたのも最初だけ、先方の担当さんが物腰柔らかかったのもあり、すぐに打ち解けて企画の話ができた。


 やっぱり仕事で一番大切なのはスキルでも経験年数でもなく性格だ。


 というかやっぱり鳴宮がいてよかった。俺なら詰まるような質問にも、彼女はスラスラと答えていく。

 企画の始まりから終わりまで、すべて天上から見えているかのよう。

 普通なら気にしない細かいところまで想定しているのは、歴戦の猛者だからだろう。


 少しだけ嫉妬してしまったのはここだけの話。


「駅の近くとか探そうかし……あっ!」


 スマホを見ていた鳴宮が声を上げる。


「どうした」


「なんかね、うちの課から電話入ってるわ……折り返ししてもいい?」


 頷いて俺も自分自身のスマホを見る。あれ、こっちにも経理課からの着信が。


 二人して口元を手で覆って折り返す。いや、周りの音……というか鳴宮の声が入ると気まずいじゃん。


『お疲れ様です、藍野です』


『お、藍野か〜出張お疲れさん』


『ありがとうございます。さっきこのスマホに着信入ってたんですが……』


『あー、なんか課長が掛けてた気がするわ。電話振るからちょっと待ってな』


 そう聞こえてすぐに、先輩の声が保留音に置き換わる。

 いつもは自分が保留にする側だから、外線から掛けてこの音を聞くのはなんだかむず痒い。


 やがて延々とリピートされていた曲が終わりを告げる。


『お、藍野お疲れ〜打ち合わせは順調にいったか?』


『お疲れ様です、課長。なんとか……って感じです。鳴宮もいましたし』


『すぐ惚気けるじゃねぇか』


『いや今のは……というか周りに人いないですよね!?』


 電話の奥の経理課は静かなものだ。

 これが企画課だったらいつもガヤガヤしているのに。


 そういえばと鳴宮の方を見ると、彼女は大きく目を見開いていた。

 そしてもにょもにょと口を動かすと視線をこちらへ向けて勢いよく親指を立てた。


 なんのハンドサインなんだ……?


『まぁまぁ大丈夫だって、心配しすぎ』


『バレてないならいいんですけど』


『あぁそう、それでさっき着信入れた件だけど』


 ゴホン、と咳払い一つして課長は話し始める。


『残念ながら、君たちの出張先からうちの会社まで帰ってくる新幹線が運休らしい』


 ……は?まじ?

 じゃあどうするんだ、駅でずっと待つのか?


「あーそれでだな、藍野さえよければ明日有給使って一泊というのはどうだろう?もちろん宿泊代は経費で落とすし……奥さんとゆっくりしてこいよ」


 再び鳴宮を見ると既に電話を終えていて、こちらへと近付いてきた。

 あ、さっきのサムズアップはこれか!


(泊まっちゃいましょうよ)


(うーん、でもなぁ)


(だってホテル代会社持ちよ?)


 それを言われると弱い。

 トラブルが旅行に変わるんだから、圧倒的にプラスなんだが……。


『あ、ちなみに宿泊先は既に花巻が押さえてくれてるから心配しなくていいぞ』


 あいつの名前、どこにでも出てくるな。

 待てよ、花巻ってことは。


 頭に浮かぶのは彼女の悪戯っぽい笑み。


「もう焦れったいわね、電話貸して!」


「あ、企画の鳴宮です、こっちで一泊承知です。宿泊費が経費持ちなの恐れ入ります!では失礼します!」


 むふーっと満足気な顔と共に差し出されるスマホ。

 まったく、いつも強引なんだから……そこに救われている部分もあるが。


「しかし、どうしてよりにもよって花巻なんだ……」


「いいじゃないしずくちゃん!私たちが結婚してることも知ってるから」


「だから怖いんだよ」


「……まぁ一部屋でしょうね。経費削減とかなんとか適当な理由をつけて。私的には都合いいからなんでもいいけど」


 後半不穏な理由が聞こえたな。


「いいけどさ」


 別に同じ部屋でも普段家で寝る時と変わらん。


「やっぱりあなた、最近デレが多いわね〜よきかなよきかな!」


 そう言って彼女は俺の腕をとる、いつものように。


 会社での俺たちはロールプレイだ。

 みんなまともな社会人を演じているだけに過ぎない。

 一度家に帰れば怠惰の極み。服や鞄はその辺に放り出して、めんどくささを何とか振り切ってシャワーを浴びるのが人間だ。


 夫婦関係にしてもそうだろう。鳴宮は「俺の妻」を演じてくれている。


 でも結婚が仮面を一つ増やすだけの行為だなんて、あまりにも夢がないじゃないか。

 だからせめて、だからせめて二人でいる時は「素の鳴宮」にできるだけ近付いて欲しいのだ。


「これって実質新婚旅行じゃない!?」


 そんなおれの気持ちなんて知らずに……いや、いくら俺の頭の中を覗ける鳴宮でも知られては困るんだが……彼女はまた突拍子もないことを口走る。


「こんな仕事のトラブルが新婚旅行でたまるかよ。だから、」


 そんなことを彼女に言わせてしまった自分が少し嫌になる。

 ちゃんとプロポーズして、ちゃんと結婚式やって、それでどかんと休みをとって、ちゃんと新婚旅行に行けばいいのだ。


 好きな人には遠慮して欲しくないってのが、男の性だろ?

 だから。


「本当に新婚旅行に行く時は、二人で話し合って決めようぜ」


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