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第29話

「あ、おかえり〜!」


 声をかけられて振り向くと、鳴宮が手を振っていた。

 ここは家の最寄り駅。


 決して早いとは言えない時間だが、改札の周りではスーツを着たサラリーマンたちが疲れを顔に滲ませながら歩いている。


 どうやら仕事帰りの電車が鳴宮と同じだったようだ。毎日示し合わせて一緒に帰ったりしないから、たまにこういうことが起きる。


「おう、ただいま。鳴宮もおかえり」


「んふ〜ただいま!」


 早足で俺に追いつくと、とん、と肩をぶつけてくる。

 彼女に触れた場所が熱い。


「ぶつかりおじさんじゃん、最近話題の」


「誰がぶつかりおじさんよ、『ぶつかり』でも『おじさん』でもないわ」


「いや少なくとも『ぶつかり』」ではあるだろ」


「へへっ」


 こんな平凡な返しですら、妻フィルターにかかれば笑うに値するらしい。ありがたい話だ。


 ゆっくりだった俺の歩く速度と、追いつくために早歩きだった彼女の速度が段々と同じ歩幅へと均されていく。

 価値観の違う人間が一緒にいるということはつまり、そういうことなのだろう。


 起きる時間も食べるものも、歩く速度も体温ですら二人で分け合う。


「ね〜藍野くん、今日のご飯何にする?」


 視界の奥に映るのは夜の街を煌々と照らすスーパーマーケット。


「もうこんな時間だし、半額お惣菜で晩酌でもするか?」


「〜〜っ!とってもいいアイディアじゃない。企画会議通過!採用!」


「テンション高いなぁ」


「そりゃ愛しの旦那様と家でゆっくりお酒飲めるからね……あなたもでしょう?」


 にんまりと口角を上げた彼女は、俺の心を見透かしたような口ぶりでそう嘯いた。


◆ ◇ ◆ ◇


 晩ご飯とお酒でお腹と心を満たし、洗い物を終わらせてソファに座り込むと根が生えたように立てなくなってしまった。

 こうなることなら、先にシャワーを浴びるべきだったな……。


「あ〜〜〜もう動けないわ藍野くん」


「鳴宮、お前もか」


「何そのブルータスみたいな。私は裏切らないわよ〜」


 軽い口調で絶対的な信頼感が返ってくる。

 そりゃ二人で地獄に行こうなんて言うくらいだもんな。


 しかし、いつから鳴宮はこうなってしまったんだ……入社したての頃は同じ課なのにほとんど話さなかったはず……。


 昔を思い出そうにも、記憶に霧がかかっている。

 もやはそのまま広がって……やがて意識すら連れ去ろうとする。


「あら少し寝る?藍野くん」


 うとうとと首を揺らす俺の身体は、鳴宮の手によって横たえられる。


「あぁ、ちょっとだけ……シャワー浴びなきゃだから……また起こしてくれるか……」


「ふふっ任せてよ、おやすみなさい旦那様」


 髪を撫でるやわらかい手。


「欲を言うなら、夢の中でも会いましょう?」


 そんなまさに夢物語みたいな言葉が聞こえたのを最後に、俺は意識を手放した。


◆ ◇ ◆ ◇


 懐かしい光景だ。

 どこか遠くから、背中合わせでPCに向き合う俺と鳴宮を見ている。


 二人の間に会話はなく、キーボードを指で弾く音だけがオフィスにそれぞれの存在を主張していた。


 ブゥンと音が鳴る。

 あぁ、冷房が止まったのか。


 ネクタイを外してシャツを扇ぐと夢の中の俺は立ち上がる。

 あぁ、この後か。やっと思い出した。


 意を決したように表情を固めると、彼女は口を開いた。


『あ、あの、コーヒーってブラック派?』


 今では考えられないような狼狽えっぷりに笑ってしまう。

 そうか、この時の鳴宮はまだ小動物みたいにぷるぷる震えていたんだった。


 それが今はどうだ。

 困難なんてかかってこい、私がぶっ飛ばしてやるわってな具合に強気だ。

 何が彼女をそうさせたのか、まだわからない。わからないが、毎日楽しそうな鳴宮を見ていると、決して悪い変化ではないのだろう。


 一人空想に耽っていると、夢の中の俺たちは顔を突合せていた。

 確か企画が通りそうで通らない鳴宮に、失礼を承知で俺の思う改善点を話したんだっけ。


 ほとんど話したことなかった……というか美人で気後れしてしまう彼女に、残業のテンションで行ったのは中々馬鹿だったなと思う。


 あの後確か鳴宮は初めて企画が通ったんだっけ。


 どうして忘れていたんだろう、あの無邪気な嬉しそうな顔を。


◆ ◇ ◆ ◇


 目を開けると目の前にはすぅすぅと寝息を立てる鳴宮の顔があった。

 頭に柔らかい感触。


 いつの間に俺は膝枕されたんだ……。

 アラサーだし、偽装夫婦だし、なんてここから起き上がるための言い訳が頭の中に浮かんでくる。


 でも今は、今だけはもう少し楽しませてもらおう。


「ありがとな、ひな。あの時のことずっと覚えててくれたんだな」


 だからいつも彼女はブラックコーヒーを淹れてくれるのだ。

 聞こえていないとわかっていながらも小さく呟く。


 こくっと彼女の頭が下がり、垂れた髪が頬をくすぐる。

 間近で見る鳴宮の顔は、あのころと変わらずずっと綺麗で。


「よいしょっと」


 彼女を起こさないようゆっくり起き上がると、キッチンへと向かった。

 たまには俺が淹れようじゃないか。鳴宮がいつも飲んでいるカフェオレを。

c.f.23話

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