第28話
カラカラカラ、と軽い音を響かせて引戸を開けると芳醇な香りに包まれる。
「いらっしゃいませ〜!なんめいさ……あ、三名様ですね」
ここは会社から少し離れた定食屋さん。
三人でランチとなれば、基本的にここに来ている。
ただ一時期あまりにも来すぎたせいで、店員さんに顔と名前を覚えられているから、ちょっと恥ずかしい。
案内された席に座ってメニューを手に取ると、鳴宮が当然のように隣に座った。
「おい、いつもあっちだろ鳴宮」
「まぁまぁ落ち着いてよ藍野くん。今日はこっちの気分なの」
そう言って身体を寄せると、彼女はメニュー表を覗き込む。
途端に広がる甘い香り。同じシャンプーを使ってるのに、どうして俺からはいい匂いがしないんだ。
いやでも逆に嫌か、アラサー男性社会人からフローラルな香りがしたら。
「私は寂しいよひなちゃん……藍野!私の友達を奪いやがって!」
「濡れ衣過ぎるだろ!全部の責任はこいつにあるんだって!」
「まぁそうね〜何年経っても勇気を出せずにうじうじしてたひなちゃんが悪い」
「ちょっとちょっとしずくちゃん!ここでそっちに付くのは裏切りじゃない!?」
しょげた鳴宮に花巻は声を上げて笑う。
そしてメニューを一瞥すると、コップに手を伸ばした。
「二人はメニュー決めた?」
「俺は茄子の肉味噌炒めかな」
外に看板が出ていた時から、それ以外考えられなくなってしまったのだ。
自分では中々作らない料理をこういうところで食べなければ。
「うーん……私もそれいいと思ったけど、藍野くんが頼むならもらえばいいか」
「あげないからな」
「えぇ!?こんなに妻が欲しいって言ってるのに?」
「はいはいストップ〜〜お二人さん、会社で溜まった鬱憤を私で晴らそうとしてない?もはや嫌がらせ?」
勢いよく手刀が俺たちの間に差し込まれる。
そうだそうだ!昼休みの時間は有限なんだぞ!
心の中で花巻にエールを送る。
「ん〜〜私はエビフライにしようかしら。しずくちゃんは?」
「私はアジフライにしようかな、家であんまりお魚食べないし」
昼から揚げ物か……二人とも胃袋が強いな。
この歳になるとってほどの歳でもないが、少なくとも学生時代よりは絶対胃が小さくなった。
こうやって焼肉は食べ放題からランチ定食に、回転寿司からカウンターのお寿司になるんだろうな。
一人黄昏ていると、店員さんがすぐに料理を持ってきてくれる。
そう、ここの定食屋は料理の提供がとんでもなく早い。もはや俺たちの会話を聞いてるのかとすら思ってしまうほどに。
「相変わらず早いな」
「ほんと、どうやって作ってるのかしら。もしかして注文が入る前から作り始めてたり」
周りを見れば次第に混んできた店内。
確かにこれだけお客さんがいれば、たとえ予想を一つ外したとしても誰かが注文しそうだけどな。
まぁ真実は店員さんのみぞ知るってことで。
「じゃあ」
誰からともなく手を合わせる。
「「「いただきます」」」
◆ ◇ ◆ ◇
「んで、何か用があって俺たちを呼んだんだろ?花巻」
彼女はアジフライを綺麗に四等分して口へ運ぶ。
対して鳴宮は「え、そうなの?」みたいな顔してエビフライを頬張っていた。
おい、口からしっぽが出てるぞ。
どうして普段はできるバリキャリ風なのに、たまにアホの子っぽくなるんだ。
「そこは『久しぶりに三人でご飯に行きたくなったから』みたいな可愛い理由を信じて欲しいんだけど」
「いや、お前『おもしろそうな話聞きつけたから』とか不穏なこと言ってただろ」
「チッ」
「おい」
いい性格してやがる。
「いや〜まぁ藍野が兼務するかもって情報が入ってきてですね〜その真偽のほどを」
「するわよ」
鳴宮が即答する。
どうして俺に答えさせてくれないんだ。
「ほえ〜やっぱり!じゃあコンペの件は……今日の朝課長が……」
ぶつぶつと呟きながら自分の世界に入ってしまった花巻。
あれ、俺たちのこと空気だと思ってる?
今ならアジフライを一切れ貰ってもバレなさそうだな……よし、行け鳴宮!君に決めた!
アイコンタクトですべてを察したのか、彼女は目にも止まらぬ速さで花巻のお皿からアジフライを強奪してくる。
まじでやるんかい。あとアイコンタクトで伝わるのかよ……さすが妻(仮)。
「おーいしずくちゃーん帰ってきて〜!」
「はっ!」
ようやく現実世界に意識を戻した花巻は、ごくんと水を一口。
鳴宮のお皿と自分のお皿を交互に見るとにんまりと笑って、鳴宮のエビフライを一尾奪い取る。
「あー!」
「ふっふっふっ、甘いねひなちゃん……この世は無常なのよ」
なんだかんだと話しながらも食べ進める。
会社に戻る時間も考えると、そこまで余裕があるわけじゃない。
「あ、そうだ。今日お願いがあってさ」
各々ぺろりと平らげて一息ついたところで、花巻が口を開く。
あいつが俺たちにお願い……?怪しいな。
「そんな二人とも身構えないでよ」
「どうしてもな、前科ありだからな」
昔はこいつの「お願い」という名の無茶ぶりに振り回されてきてるのだ、我々同期は。
俺たちのことを使い勝手のいい駒とさえ思ってるんじゃないだろうな。
「ごほん……実はね、今度来年採用試験受ける人向けに説明会があるんだけど」
「「却下!」」
重なる俺と鳴宮の声。
どう考えても面倒なやつだ。先輩社員の声とか言って、あることないこと美談ばかり話さなきゃいけないんだろう。
「でもひなちゃん、出張だから藍野と直行直帰できるよ?」
「じゃあ行く!」
まずい、鳴宮を手懐けられた!これで二対一だ。
「藍野もさ、ここのお代は私が持つから!そこをなんとか!最近人事課も人が少なくて大変なのよ」
どこも人手不足なのはわかっているが……。コンペで通った案の打ち合わせやら資料作りやら調整やらに加えて、通常の経理業務もあるしなぁ。
うーんうーんと悩んでいると、机の下で膝に手を置かれる。
もちろん手の主は鳴宮。言いたいことはわかるが……いや、仕方ない。ここは折れよう。
「まぁ、困ってるみたいだし……」
「ひゃっほう!やっぱ持つべきものは同期ね〜〜」
花巻はだんっと立ち上がる。
さっきまでの助けてくださいオーラはどこへ行ったんだ。
「んじゃ、詳細はまたメールかチャットで送るね〜!ありがと!」
そう言って伝票をひらひらとさせながら出口へ向かう彼女を見て、揃って俺たちはため息をついた。




