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第18話

「やっほ〜藍野!」


 総務に提出する書類を抱えて廊下を歩いていると、後ろから声をかけられる。

 聞き覚えのある、からかうタイミングを常に窺っているような声。


「花巻か」


 振り返れば、少し背を屈めてこちらを上目遣いで見ている同期がいた。

 この前食堂で会ったぶりだろうか。


「なんだその『今日はこいつか』みたいな投げやりな感じ〜!悪かったね、愛しの奥様じゃなくて」


 彼女はツーンとわざとらしく顔を背ける。


「大声出すな……どこで誰が聞いてるかわからないんだぞ」


「おっと失礼。思わずあの我が社のアイドル鳴宮ひなちゃんと経理課の社畜、藍野が実は夫婦だってこと、口が滑るところだった!えへ」


「おーーい!言ってる言ってる!全部漏れてんだよ」


「冗談冗談!周り誰もいないから安心して」


 めがねをくいっと持ち上げて笑う花巻。小悪魔どころの話じゃないだろこいつ。


「それでどうしたの、藍野。このフロアに来るの珍しくない?」


「あぁ、総務に書類出しに行こうと思って」


 ひらひらと手元の紙を見せる。


「もらっとこうか?どうせうち総務の隣だし」


「まじ?助かるわ。さっさと戻らないと帰れなくなる」


 こうしている間にもシステムに経費申請が溜まっていることを思い出してげんなりする。

 あ〜今日の深夜、誰もいない時間にでも会社が爆発しねぇかな。


「……最近やっぱり帰れてないんだ?」


「まぁな、この前役員も事業拡大とか言ってたしな」


「人事課の私が言うことじゃないけど、今いる人数で回せてしまってると人員補充ないから……」


 ほんと、人事課の人間から出る言葉じゃねぇな。

 毎年補充の要請はしてるって課長は言っていたが……。お上からすると、人を増やせば増やすほど利益は会社としての利益は下がるからなぁ。


「でも仕事を終わらせないわけにもいかないだろ?」


「特に経理はね……監査も報告もあるから。バックオフィスも楽じゃないよね」


 どこかのエースみたいにメインウェポンとなる人がいれば、この戦場も幾ばくか歩きやすくなるんだがな。


「営業や企画が『裏方は楽でいいよな』って嫌味言う度に一人こっちに貰おうかな」


「名案かも」


 そんなどうせ実現しない愚痴もたまには必要なのだ。

 花巻は俺の手から紙を抜き取ると、前を歩く。


「あ!でもそんなことしたら、すぐにでも経理に異動しそうな人いるんだけど」


 営業か企画からうちに来たい人間なんて……一人いるわ。しかもにやにやしながら「あーあ、藍野くんと同じ課になっちゃった」とか言いそうなやつが。


「言うなよ」


「ふーん、その様子だと私の考えてる人と同じだね。たとえば今後ろの角を曲がって早歩きでこちらに向かってる人とかかな?」


 振り向くと何やら険しい顔をしてこちらへ歩いてくる鳴宮が。

 花巻のやつ、後頭部に目でも付いてるのか。


「んじゃ、私は馬に蹴られたくないしさっさと退散しよっかな〜〜!あ、」


 不自然に言葉を区切った花巻が、とんっとこちらに一歩踏み出した。


「な、なんだよ」


「今度のコンペ、ひなちゃんと出るらしいじゃん。久々に表舞台に立つんでしょ?楽しみにしてるから」


 肩をコン、と小突かれる。


「じゃ、私は怒られたくないからさっさと退散するね〜!」


 そう言い残して花巻はてくてくと人事部屋やと姿を消した。まったく、嵐みたいなやつだ……。


「ね ぇ あ い の く ん」


 地獄の底から喋っているのかと錯覚するほど低い声が俺の脳を揺らす。

 こちら藍野、もし俺からの通信が途切れたら会社の廊下を探してくれ……。


 なんて茶番が頭の中では1秒に満たない間に繰り広げられる。


「よ、よぉ鳴宮。奇遇だな?こんなところで」


 どうしてこのフロアに企画課の鳴宮がいるんたよ。


「なーんかね、旦那様が他の女の人と話してる雰囲気を感じたのよね〜下の階で」


 恐ろしいセンサーなことで。迂闊なことできないな……いや、別にする気もないしできる気もしないけれども。


「それだけの為にわざわざ?」


「……というのは冗談で、人事課に用事があったのよね。しずくちゃん居なくなっちゃったけど」


「あいつ、お前が廊下の奥曲がる時からにやにやしながら見てたぞ」


「あの子昔からあんな感じだからな〜〜!」


 別に彼女からからかわれている、もとい遊ばれているのは何も俺だけじゃないのだ……最も、仕事に関しては手は抜かないし優秀だから誰も文句は言わないんだが。


「藍野くん、しずくちゃんに何か言われたかもしれないけど……私あなたと出るコンペを楽しみにしてるの」


 甘くて、そして爽やかな香りが隣を通り抜ける。


「だから」


 こんな冷房の効いた、灼熱のコンクリートジャングルなんて知らないと言わんばかりの涼しい廊下で、しかしにっこり笑った鳴宮の顔はひまわりが咲いたかのようで。


「だからね、どうせやるなら本気でやりましょうよ。その方が楽しいでしょ?」


 挑発的な視線と、俺を慈しむ声。

 二律背反な彼女にぼぅっと心に火が灯る。


 きっと今年の夏は、まだまだ暑くなる。

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