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第10話

 鳴宮は朝が弱い。

 結婚して一緒に住むようになり、最初に驚いたのは彼女の寝起きの悪さだった。


 天下無双のあの鳴宮ひなにも弱点があったなんて、会社の人間に言ったらみんな信じないだろうな。


「うにゅうにゅ」


 今だって訳のわからない鳴き声を出しながら俺の腕をホールドしている。

 いや、言い訳させて欲しい。


 寝室は別にしようと、偽装なんだからそんなところまで一緒にいなくていいと言ったんだが、頑固な妻に「私と二人で寝るのが嫌なわけ?」と押し切られたのだ。


 こうなるなら多少喧嘩してでも寝室は分けておくべきだった。


「ほら、起きるぞ」


 今日は土曜日、本当は昼過ぎまで寝ていても問題ないが、こういうのは後を引いて、月曜朝の寝不足に繋がるのだ。


「あと3時間……」


「ガチ寝じゃねぇか!」


 昼間でもそれだけ寝たら夜寝られなくなるのに。

 放置して家事をしようにも、腕に巻き付かれたせいで起き上がれない。


「鳴宮さんや、せめて放してくれないか」


「んん……いや」


「明確な意志を感じる……」


 普段は綺麗に纏められてる髪が、今は縦横無尽に枕の上を駆け巡っている。そりゃあ寝癖もつくわな。

 寝起きの彼女を思い出して、唇の隙間から息が漏れる。


 寝ているならちょっとくらいイタズラしても覚えてないだろうか。


「鳴宮、俺は土曜日でも午前中に起きてくれる奥さんが好きだな〜」


 言ってて恥ずかしくなる。あまりにも自分が言わなそうな台詞。


「んふふ、あいのくんが私のこと奥さんって……えへへ」


「……やっぱり今のなしで」


「そりゃ無理よ、聞いちゃったから」


 スンっといつもの落ち着いた声で返される。


「お前起きてるだろ」


 ぎゅうっと巻きついた腕に力が込められる。

 アラサー手前の社畜といっても、男であることには変わらない。

 まぁ何が言いたいかというと、色々当たってて辛いです。


「私は妻がお寝坊さんでお昼までベッドでだらだらしてても許してくれる旦那様が好きだな〜〜……むにゃむにゃ」


 むにゃむにゃとか口で言ってるし、こんなはっきりした寝言を喋るやつがいるか。


 確かに昨日はたくさん飲んだから、ベッドで昼まで寝たい気持ちもあるけれども。

 堕落しすぎじゃないだろうか。


「いいのよ、昨日頑張ったんだから」


「ナチュラルに頭の中を読まれてる……」


「そんなことより、土曜日の朝しかできない贅沢を満喫しましょ、ほらもっと頭こっちに寄せて」


 言われるがまま顔を動かすとすぐ目の前に彼女の寝顔。

 もにょもにょ唇を動かして、幸せそうに微笑んでいる。


 バサッと布団が掛けられる。部屋に広がる甘い匂いは、俺のものじゃなくて。


 腕から伝わる体温にやがて、頭に霧がかかり始める。だめだ、洗濯もまだしてないのに……。


「ふふ、夢の中でも会えたらいいわね……それじゃあおやすみなさい」


 安心する声が聞こえたのを最後に、俺は意識を手放した。


◆ ◇ ◆ ◇


 鼻腔を刺激するのはパンの焼けたような香ばしい匂い……いや、これパンが焼けた匂いだな。

 どうやら寝てしまったみたいだ。


 じっとりと重かったはずの腕にはもう何も巻きついていない。

 徐々に覚醒していく自分の意識が、鳴宮の姿を探す。


 あれ、パンが焼けてるってことは……。

 そこまで考えて飛び起きる。あいつ、俺がしようとしていた家事を。


「んふ、起きたのね。おはよう、藍野くん」


 エプロンをしたままの鳴宮が寝室に入ってくる。


「……おはよう、すまんな。ご飯俺が作ろうと思ってたのに」


「んーん、いいの!気持ちよさそうに私に抱きついてきた藍野くんを見れただけでお釣りがくるわ」


 寝ている俺、終わってるな。セクハラだろ……いや待てよ、良く考えればこいつも同罪か。

 やっぱり寝室は別々にした方がよかったのでは?


「離婚届書くか……警察だけは許してくれ」


「いやいや、私も愛しの旦那様を抱き枕にできるから、このままでいいのよ」


「おい」


「だって夫婦だから〜〜!」


 謎理論を提唱した彼女は、鼻歌を歌いながらくるくる回ってキッチンへと消えていった。

 会社とキャラ違いすぎるだろ。


 彼女の後を追うようにリビングへ。

 テーブルの上にはパンにスープ、オムレツにサラダとまるでホテルの朝ごはんのようなメニューがずらりと並んでいる。


「鳴宮、一人暮らしの時からこんな豪勢な朝ごはん食べてたのか……?」


 ありえない、朝の5分と夜の5分は価値が違うんだぞ。


「まさか!休日でもここまでしないわよ」


 最後に、カップに注がれたブラックコーヒーがコト、と置かれる。


「誰かと一緒に朝ごはんを食べられるのって特別だと思ったの、あなたの腕に抱きつきながら」


「言ってることはわかるが」

 

「抱きついてもいいってこと!?」


 鳴宮ははっと顔を上げる。


「いい話っぽく終わるところだったのに台無しだ」


「そんな見せかけのいい話より、私が最高の抱き枕を手に入れる方が大事よ」


 誰が最高の抱き枕だ。抱き枕側の事情は考慮されてないじゃねぇか。


 わーわーと騒ぎながらも朝食の準備は整っていく。

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、彼女の対面に座る。


「……ありがとな、美味しそうだ」


「あなた、最近デレが多くなってきたよね?」


 目をぱちくりと瞬かせて、鳴宮は手を止める。


「うるさいわい。仮にも夫婦だからな」


「夫婦だから、ね」


 焼けたパンの上でバターが溶けるように、普段はキリッとしている顔が柔らかく微笑んだ。

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