60話 過去の記憶
更にハルトマンの動きが早くなる。
先程とは全く別の人格が宿ったかの様に、突然ハルトマンは暴れ出した。
スイッチが入ったと言うべきか、その暴れっぷりは人間とは思えないほど。悪魔が降臨したと言われたら、誰もが信じてしまうレベルだった。
まず初めにハルトマンは、目の前の甲殻アリに襲い掛かり、前脚を1本を叩き折る。
そして声を上げて笑い出す。
そこへ4匹の甲殻アリが、笑うハルトマンへ殺到。
なおも笑いながらハルトマンは、近くの甲殻アリの触角を1本切り落とした。
触角を斬られたアリは、苦しそうに辺りを逃げ回る。
さらに別の甲殻アリの脚を斬り飛ばす。
そこで狂ったように笑い出すハルトマン。
初めは大盛り上がりだった観客も、こうなるとざわつき始める。多種族から見てもやはり、今のハルトマンは異常に見えるのである。
バンブロックも、思わず動きを止めてしまう程だった。
ーー何だ、これは。ハルトマン……だよな?
気が付けば甲殻アリの殆んどが、脚か触角が欠損している状態となっていた。
バンブロックは、殆んど手を出していないにも関わらずである。
凄まじい戦闘力であった。
それでも甲殻アリが1匹も倒されていないのは、如何に防御力が高いかを示している。脚を無くしたくらいでは、しばらくすると戦闘に復帰して来る。
だが触角を斬られた個体2匹だけは、闘技場内をグルグルと動き回るだけで戦闘に復帰しない様に見える。もはや戦闘不能だろう。
そうなると、事実上の残りの甲殻アリは3匹となる。
その3匹の個体が、ハルトマンに向かって同時に飛び掛かる。
ハルトマンが、目で追えない位に早い連撃を放つ。
甲殻アリ2匹の首が舞う。
残るは1匹。
そこで初めてハルトマンがミスを犯した。
甲殻アリの攻撃を躱し、側面に回り込んでサーベルを打ち下ろす。
するとそれは甲殻アリの首では無く、少しズレて硬い部分に命中。
甲高い音と共に、サーベルが跳ね返される。
それでもハルトマンは、すかさず左手のダガーで首を何度も早い動きで刺す。
すると甲殻アリは横倒しになり、動かなくなった。
多少のミスなど、いくらでも自分でカバーしてしまう技量さえ持っているのである。
遂に3匹目も、ハルトマン1人で倒してしまったのである。
残るは甲殻アリは、触角を失ってただ動き回る2体だけとなった。
このタイミングで、試合終了のドラムが鳴った。バンブロックとハルトマン組の勝利である。
バンブロックにしたら、殆んど何もしない内に試合は終わり、しかも勝利したのである。
バンブロックがひと息ついたのも束の間で、試合終了のドラムの音が聞こえなかったのか、ハルトマンが触角を無くして動き回る甲殻アリを追っていた。
バンブロックが試合が終わった事を、ハルトマンに知らせようとしたところで、衛兵オーク達が一気になだれ込んで来た。
甲殻アリが嫌いな液体を、周囲の壁に塗って客席は安全だが、このままでは次の試合が遅れてしまう。生き残った甲殻アリの処分の為である。
それで衛兵オークの出動であった。
しかしである。衛兵オークが闘技場に入って来たのは、ハルトマンにも見えているはず。
それなのにハルトマンは、戦いを止めようとしない。甲殻アリを追い続けている。
バンブロックもハルトマンを止めようと走り寄ろうとするのだが、動き回る甲殻アリの1匹に遮られる。
やむを得ず、甲殻アリに輝くグラディウスを叩き込む。
それがお尻に命中すると、体液を流しながら逃げ出す様に闘技場の隅へ行ってしまった。
そしてバンブロックは、再びハルトマンの姿を捉えた。
「なんで衛兵オークと戦ってるんだよ……」
ハルトマンは甲殻アリを倒した後、何故か衛兵オークと戦い始めていたのである。それも先程の甲殻アリとの戦い以上に、異様な雰囲気を漂わせていた。
その姿はまさに、「狂気」と言う言葉が当てはまった。
衛兵オークらは、必死にハルトマンに斬り掛かる。最早ハルトマンを止めるには、数人の衛兵では無理になってきた。
そのため衛兵用の出入り口からは、次々に衛兵が出て来る。
そして全ての衛兵は、ハルトマンに向かった。
ーーこのままだとハルトマンは殺される!
バンブロックはハルトマンに走り寄り、後ろから声を掛けようとした。しかし声を掛けるよりも早く、ハルトマンは振り返るやサーベルを振るった。
バンブロックは、咄嗟にカイトシールドで防ぐ。
ハルトマンはさらにサーベルを振り下ろす。
バンブロックは防御に徹しながらも、声を掛け続ける。今のハルトマンは興奮していて、味方と認識していないのかもしれないからだ。
「剣聖殿、バンブロックです。敵じゃないです!」
何度か言葉を繰り返すが、全く耳に入っていないのか、ハルトマンの攻撃は緩まない。
そこでバンブロックは、ハルトマンの片目が赤いのに気が付いた。
目は赤いというのが、この世界での魔物である。つまり魔物かどうかの判別方法は、目の色が赤いかどうかであった。
だがハルトマンは片目だけが赤い。
これにはバンブロックも迷う。
「剣聖殿、人間の意識は残ってますか!」
バンブロックの必死の訴えにも、全く返答がない。
野生動物と同様に人間も魔物化する。ライカンスロープやヴァンパイヤなどが有名である。もしかしたらハルトマンも、魔物に成りかけているのかもしれない。
遂に衛兵オークがハルトマンを取り囲んだ。20人はいるだろう。
その囲みの中にはバンブロックもいた。
それはまるで、「お前がハルトマンを何とかしろ」とでも言っている様だ。
気が付けばハルトマンは完全に、バンブロックに視線を集中していた。
いつの間にかに、観客は大盛り上がりとなっている。血に飢えた観客らにとっては、相手が誰だろうと関係無いらしい。
ハルトマンの口元が、再びニヤリと笑う。
その刹那、バンブロックの目の前に、サーベルの刃があった。
ーー盾は間に合わない!
バンブロックは強引に身体ごと捻る様に避ける。
サーベルの切っ先が、ドクロヘルムの頬を掠める。
さらに連撃がバンブロックを襲う。
ーー剣撃が重い!
バンブロックはカイトシールドに身を隠しながら、後ろへと下がる。
凄まじい攻撃の圧に耐えられなくて、後ろへ下がるしかなかったのである。
何とか攻撃を凌いでいるバンブロックだが、防御ばかりで攻撃を一切出せなかった。一見狂ったように見えるハルトマンだが、さすが剣聖と言うべきか、隙を見せないのである。
そこでバンブロックは地面の砂を剣先で、ハルトマンの顔目掛けて弾き飛ばす。目潰しである。
ハルトマンは直ぐに反応する。
飛ばされた砂をサーベルで、打ち放ったのである。無論、全ての砂を剣で打ち払うのは無理だ。
ハルトマンは苛立つように顔を拭う。
意外と効果はあったようだ。
『グラァアァァ!』
ハルトマンが、人ならざる雄叫びを上げた。
そして砂を拭いながら、悪魔ヘルムを脱ぎ捨てる。
そこには左目が燃えるように赤く、右目も少し赤く成りつつある、ハルトマンとは思えない顔があった。
そこでバンブロックは、過去の嫌な経験を思い出す。
それはバンブロックが、妻と娘を亡くした村の出来事であった。
バンブロックが気を失って、気が付くと妻と娘が血だらけで倒れていた。これがバンブロックがよく見る夢であり、思い出したくない記憶でもある。
しかし思い出した記憶は大分違った。
バンブロックは肩を負傷して倒れたのだが、しばらくは微かに記憶があったのである。
気を失っていると思った僅かの間、バンブロックは地面に伏したまま、薄っすらと視界を巡らしていた。
そこで見たもの。それはバンブロックの家に、グリーンスキンが侵入しようとしている場面。
そこへ現れたのが、剣聖ハルトマンだった。
ハルトマンは家に侵入しようとしていたグリーンスキンを、片っ端から斬り伏せた。
バンブロックは、これで妻と娘は助かると安堵する。
だが結果は違った。
ハルトマンはその場で、バンブロックの妻を斬り捨てたのである。
余りの衝撃に、バンブロックは目を疑った。




