51話 夢
バンブロックの表情が、急に危惧するものへと変貌していく。
そして再びハルトマンに声を掛ける。
その口調は上官に対してのものだ。
「もしかして、自分の名前が分からないのですか」
するとハルトマンは、周囲を見回す動きをしながら返答した。
「名前だけじゃないみたいだ。何も覚えていない。ここは何処なんだ。私は何故ここにいる」
一同は沈黙してしまう。
そんな静寂の中、皆の一番後ろにいたアルティアが小声で告げた。
「記憶喪失と言う症状でございます」
皆の視線がアルティアに集中する。
そしてバンブロックは、アルティアに質問した。
「記憶喪失って、記憶を全て無くすって事であってるか?」
「いいえ、それだけではありません。過去には色々なパターンがあった様です。例えばある一日の記憶だけが喪失していたり、1ヶ月間だけ喪失していたりと、パターンは様々でございます」
そこでモナ。
「それって治るのか?」
「私が知る限りでは、自然に治る場合もありまが、記憶喪失に効く薬草もあるらしいです。しかしながら、私はその薬草の種類を存じておりません」
再び全員が沈黙する。
そこへ、獣車の整備を命令されていたリザードマン3人が、宿舎に戻って来た。
『〈ご主人様からの慰労品だぜ〉』
そう言ってリザードマンの一人が、片腕を持ち上げた。
その手が掴んでいた物は、何とワインが入った壺だった。
一同は大喜びだ。
そこでガンプが、バンブロックへ声を掛けた。
「悩んでも今はどうにもならないだろ。それなら隊長、飲もうぜ。その方が気が紛れるだろ」
ガンプの言葉にバンブロックは、反論が出来なかった。まさにその通りだと思ったからだ。
その夜はバンブロック達で、ワイン壺を空にしたのだった。
決して美味いワインではないのだが、酔いがそれも忘れさせた。
そして久しぶりに全員が、解放された気分になった夜だった。
酒の力も相まって、その夜バンブロックは夢を見た。
草原で妻と一緒に、はしゃぎ回る娘を宥めようとする夢だ。
あの頃に戻った様な、幸せな気持ちにさせてくれる夢。
多少の違いはあるが、何度も見た夢でもある。
しかしバンブロックは、その幸せな時間が長くは続かない事も知っている。
そして突然場面は変わり、グリーンスキンの襲撃シーンへ突入する。
村のあちこちから、悲鳴や叫び声が聞こえる。
その時のバンブロックは、グリーンスキンに抵抗する術を知らない、兵士になる前の一般人であった。
バンブロックは自分の家へと必死で走る。
村の中には既にグリーンスキン共が入り込んでいて、殺戮と略奪をしている。
家の手前まで来た所でバンブロックは、肩を槍で刺されて地面に倒れ伏す。
いつもならここで一旦は気絶するのだが、今回の夢は違った。
薄れゆく意識の中でも、バンブロックの視線は家の方を向いていた。
石を積み上げた壁に藁の屋根。懐かしくもある、バンブロックの家である。
その家の玄関口には、オークとゴブリンが集まっているのが見える。入り口に立て掛けた防御板を、壊しているのである。
助けに行きたいが、声も出ないし身動きひとつ出来ない。
そこへ兵士の姿をした、1人の人間が現れる。
全身が血だらけで一振りの剣を握り、両手はダラリと下げている。
不気味なのは、薄笑いを浮かべているところだ。
そいつがバンブロックの家へと近付き、グリーンスキン共をあっという間に斬り捨てる。
しかし何故かバンブロックは安心出来ない。
そこで場面は、バンブロックが目覚める所に飛ぶ。
気が付くと妻と娘の亡き骸が視界に入った。
バンブロックは、血だらけの2人を抱きしめて泣き叫ぶ。
絶望と悲しみがバンブロックを埋め尽くす。
それが次第に怒りへと変わり、最終的にはグリーンスキンへの復讐心へと移行していく。
そこで夢から覚めた。
「またあの夢か……」
ーーしかし、いつも見る夢とは違ったな
そしてバンブロックは、茫然としたまま朝を迎えた。
陽が昇る前に一行は宿舎を出た。
もう少しこの街に居ても良かったのだが、ウマッハは魔草を大量に売り捌いたので、足がつかないようにと、街を早々に出る事にしたのである。
既にここまで来た甲斐があり、ウマッハは大金を手に入れた。後はしばらくこの街に来なければ良いだけだ。
何はともあれ、さっさと家に帰りたいのだろう。
ウマッハは終始ご機嫌で帰路についた。
□ □ □
途中、魔物に襲われたりもしたが、無事にバドの街に来た。
バドの街周辺の雪もすっかり溶けていて、いつもの見慣れた光景に戻っていた。
そしてウマッハ養成所に到着。
獣車にはまだ大量に戦利品の荷物が残っており、奴隷を総動員して荷物を降ろしていった。
バンブロックはププの顔を見られ、自然と笑みが浮かんでいた。
獣車に積まれている大量の荷物、その殆んどは食料品である。
ワインや芋類に穀物、それに大量のパンだ。
これで次の収穫期まで乗り越えられると、ウマッハはご機嫌だ。
奴隷たちにも恩恵がありそうな、そんな良い雰囲気が漂う。
現に遠征帰りには、ワインをひと壺許されたくらいだ。そうなると、留守番の奴隷達にも恩恵があるものと、誰もが期待していた。
結果、留守番していた奴隷達は絶望した。
何も与えられなかったのである。
ただしププだけは、少ないながらも恩恵を受けていた。
バンブロックのお土産だ。
荷物からくすねた胡桃パンを、こっそりププに渡したのである。
「ププ、お土産だ。内緒だからな」
バンブロックはパンの入った包みを、ププにこっそり渡した。
するとププの表情がパッと明るくなる。
「あ、ありがとうございます。大切にします」
「アホ、大切にって。食べなきゃ意味ないだろ」
「確かに……」
そう言って2人でこっそり笑い合った。
オーク兵に隠れての短い会話であったが、それを渡した時のププの笑顔が娘の笑顔と重なり、バンブロックにとっては感慨深いものがあった。
その翌日からは、またウマッハ養成所での日常が始まる。
ランクCへとランクアップしたバンブロックは、やる気満々と言ったところだろうか。
早く試合がしたくて仕方無かった。
バンブロックの目的はハッキリとしていた。
剣闘士でチャンピオンになり、自由民の資格を手に入れること。
自由民になればある程度、街中を自由に移動できる。ここまでが当初の目標である。
しかし自由民が最終目的ではなく、それは第一段階でしかない。
そして第二段階として、奴隷達による蜂起を考えていた。
街の複数箇所での奴隷達による、武装蜂起である。一箇所ではなく複数箇所だ。
そして街を制圧、もしくは街としての機能を破壊する。
ここまで進めば、後は最終目的へ真っしぐらである。
その最終目的とは、グリーンスキン領内からの脱出である。
バンブロックはこの大計画を、頭の中で組み立ててながら日々を過ごしていた。
だがバンブロックに近しい奴隷達でさえ、そんな事を考えているとは思わない。




