第二章~邂逅・二~
春先 リーン・スナー
少し高台から眼下を見下ろせば、灰色に広がる町がある。たしかマスカヴっていう、この周辺を牛耳っている自称領主が住んでいる。その領主の依頼で、昨日から私たち家族は遠征している。依頼の内容は、周辺に集まっているやたら強い動物を狩ることだ。脅威を排除するという目的なので、食肉などは自由にしていいらしい。うん、太っ腹。
私たちの住んでいる村も、数年前にこの領主が率いる軍に占領された。表面的には協力的に事を進めたおかげで、ひどい扱いは全く行われなかった。狩猟に最低限必要な武器以外は没収されてしまったけど、それ以上の問題は私たちの村では起きていない。
他の町や村ではそうでもないそうだ。領主と争い戦争となって負けてしまった町では、住民はかなり虐げられているという話を聞く。両親からは詳しく語られていないけれど、風の噂では、私ぐらいの年齢の女の人は、かなりひどい扱いを受けた人もいるらしい。
そうした事もあって、一部では地下に潜り、レジスタンスとして活動しているとか何とか。私たちも、表面的には協力していても、ちゃんと一線を引いている。
この依頼に、私はきな臭さは感じるかな。『やたら強い動物』が、そのレジスタンスの事を指している可能性も否定できない。そうなれば、私たちの対応は今後どうするか。考えなくちゃだけなわけで。
町の様子を見がてら、私は父と町を目指して歩いている。どこかピリピリとした空気を感じ、春を迎えていているにも関わらず、肌寒さすら覚えた。
第二章~邂逅・二~
「そうそう、今日で一〇年目だよね」
リーンは、唐突にそんなことを父に話した。一瞬彼は何のことだか解らなかったようだが、しばし考えを巡らせ思い出した様子だ。
リーンが森の中で保護され、メルガノフ家に引き取られた日である。そしてこの日をリーンの誕生日と定めたのだ。
「……そうだったな。悪いな、大切な日なのにこんなところに引っ張り出して」
リーンは首を振る。
北から吹き抜ける風に身震いして、リーンは父の腕に抱きつき、ぶら下がった。
「こーら」
ヴァルスはひょいっと腕を上げれば、小柄で軽いリーンはそのまま持ち上がってしまった。
「あははっ」
リーンは、その体格や幼さの残す顔立ちゆえに、一〇代前半に見えがちだが、一応今日が暫定一七歳の誕生日だ。村の女性は、一七歳ともなれば浮いた話も出てくるが、しかし村の男衆はリーンには声をかけられないでいるのだ。彼女が村でも一~二位を争うほどの実力者になっているため、声をかけづらいというのが言い訳ではあるが。そんなことは関係無しに、是非うちの自慢の娘に声をかけて貰いたいものだ、とヴァルスは心の中でそう思うのである。
二人は借りている宿へと戻ると、ヴァルスの妻にしてリーンの母が溜息交じりに一言。
「親バカ?」
と詰ってきた。
「言うなって。今日は……」
ヴァルスは苦笑し、リーンは腕から体を離す。
部屋の中は、そこはかとなく甘いような、香ばしいような香りが漂ってきた。ヴァルスは言葉につまり、リーンは口元を緩ませて食卓を見る。
「リーンもヴァルスも、ちゃんと手を洗いなさいよー?」
「はーい」
リーンはたたっと駆け抜け、共同の井戸の方へと走っていった。それを両親は見送って、食事を見て、言いかけた言葉を口にした。
「フレイス、今日はご馳走だな。わざわざ準備してくれたのか?」
「勿論よ。今日はリーンの誕生日でしょ」
フレイスも顔をほころばせ、どうだい、と胸を張るのだった。
長期滞在型の宿は、こうして手料理を作ることができるキッチンが備え付けられている部屋もある。家族は一体どれだけの期間この町にいるのかが分からないため、最初からこちらの部屋に泊まっている。
リーンと入れ替わりにヴァルスが手を洗いに行き、しばらくして三人着席する。リーンの誕生日を祝うささやかなパーティーが開かれるのだった。
そして宴もたけなわ、という頃合いに母は一つの包みを彼女に手渡した。
「誕生日プレゼント。開けてみて?」
「うん……あ、これ……」
包みを開くと、そこにはこぶし大の、陶器製で卵形をしたもの入っていた。内側は空洞で、表面には幾つか空洞に達する穴が空いていた。
「オカリナ? え、どうして?」
どうして欲しいのが解ったの、とリーンは母を見上げる。リーンの言いたいことは、母は目を見ただけで解る。
「そりゃ、私たちの娘ですもの」
養女とはいえ、一〇年も一緒に暮らしてきた最愛の娘だ。彼女の欲しいものなんて、解って当然だった。
母はリーンの頭を撫でる。
「いっぱい練習して、聞かせてあげるねっ」
リーンは、とびっきりの笑顔で母に答えるのだった。
灰色の町に、一組のペアが到着した。
「……どこも似たようなもの、だな」
見慣れた、というよりは感じ慣れた雰囲気の廃れた町だった。大通りはさすがにないが、少し裏に入れば、あちらこちらで寝転がっているのは、おそらく宿無しの面々だろう。旅人が宿に泊まれなかったではなく、家を失った者たちである。彼らは無気力に二人を見上げるが、二人はその視線を無視し、歩く。
町外れに、少し広い場所を見つけた。今晩はここで夜を明かすことにした。近くの瓦礫にもたれ、体を寄せ合って暖を取るだけの、本当に夜を明かすだけのものだ。女の子の方は、少し頬を赤らめているが、寒さのせいではないだろう。彼女―――サティーは彼に恋をしている。しかしその気持ちを悟られないように、その気持ちはひた隠しにしている。そのせいなのか彼が鈍感なのかは解らないが、彼―――カースはその恋心には全く気がついていない。
サティーは背中から下ろしたズダ袋を紐解き、その中から携帯食糧と数種類の薬草を取り出した。それらを適量ちぎり、簡単に混ぜ合わせる。どこでも採取できるような薬草ではなく、サティーの実家から持ってきたものだ。薬草店で購入することはできるが、それなりに値が張る物でもある。
比較的標高の高い場所でも自生しているが、野生のものはちゃんと熱処理しないと、大変な副作用がある。群生地に立ち入ると、その匂いに惑わされ簡単に理性を失うほどに危険なため、おいそれと採取にもいけない、そこそこ危険な草花でもある。ゆえに高価なのだ。
因みに、花言葉は恋の成就(物理)、夫婦円満(物理)、子孫繁栄(物理)。いずれも接尾語に物理とついていること、採取するなら恋人同士か夫婦が望ましいとされていることから、どんな副作用があるのかは推して知るべしだろう。
そうした理由があり、ここぞの場合にしか使わないことにしていた。
「……これは?」
「夢見用の薬草。香りにリラックス効果があるだけのものよ。これをお香で焚くなり、適量煎じてお茶にして飲めば、夢見の精度を高められるの」
サティーは携帯食糧の半分をカースに渡し、更にその半分と、欠片ほどに千切った薬草を口に放り込む。煎じてお茶にする行程を完全に無視した。
「多分二時間ぐらいぐっすり眠るけど、その間の見張りはお願いするわね」
「ああ、大丈夫だ」
サティーは食事を終えると、間もなく目を瞑る。
サティーがあの村から旅に出て、もう一月程経過している。その間、これらの薬草は使わずにいたが、今が使い時かと、サティーは決断した。
この町を目指すことになったのは、旅に出てから一週間目の頃である。目覚めた直後は、ただの夢と思われたが、普通の夢とは明らかに違う部分があることから、それが夢見で見たものだと気がついた。その時の内容は割と曖昧なのだが、サティーが知らないはずの町の名前だったことから、カースがこの町を目指すことにしたのだ。
その時見た『彼女』の姿を、サティーは今だカースにしか話していない。
後ろ姿だった。だが、その背にはコウモリのそれに似た翼を持っている、空想の中に出てくる悪魔のような出で立ちだった。だが、そこにある雰囲気はまったく違う。どう説明すれば良いか解らないが、間違いなく悪人ではない、というものだった。
そんなことを考えながら、サティーは眠りに落ちた。
カースは一度彼女の顔を覗き込む。あどけなさを残す顔が、小さな寝息を立てていた。
彼女と旅を共にするようになって一月ほど。最初こそ、見た目はともかく、年上の女性という事で緊張はしていたが、それも今はなくなり、良い意味で打ち解けている。多少の冗談の飛ばしあいもするようになっているし、戦い方の癖などもお互いに把握している。
彼女と旅をするようになって、幾つか解ったことがある。
まず、『魔法』という技術の存在だ。これについては実際に彼女が使ったことで、疑うことはない。怪我をしたときに治療して貰ったり、森の中でやたら強い動物と出会ったとき、身を守るための戦いで助力して貰ったりと、その魔法というものの有用性を嫌というほど見せつけられた。それと同時に、自分が習得している剣技にもまた、この『魔法』と同じ技法が使われていることに、とても驚いたことを覚えている。
これまで無意識のうちに力を集中させ、全身をみなぎらせていたのは、身体強化の魔法と呼べるもので、知らず、彼も魔法を使っていたことになるのだ。
その後、改めて魔法の存在を意識しながら、剣を振るうようになった。すると、これまでよりも明らかに体の動きが良くなり、飛躍的に強くなったと自覚できるぐらいだった。
道中、野盗に襲われたこともある。これまで単独で旅をしてきたカースは、たびたび襲撃を受け、多少なりとも苦戦を強いられてきた。が、カースはそんな野盗をあっという間に撃退することに成功した。勿論サティーの魔法によるサポートもあったが、それでもあっという間だったことに、本人すら驚きだった。
二人は進路を北に取り、町を、森を抜け、そしてこの町へと到達したのである。
カースは、ふと空を見上げた。
結構物思いにふけっていたようだった。灰色の雲は全て風で流され、満天の星空となっていた。吹き抜ける風が冷たく、体を震わせる。すると、隣のサティーがマントを外し、二人でくるまるように羽織った。
「……起こしたか?」
「ううん。……カース兄こそ少し寝てたよ? 私の護衛サボってね?」
「……悪かった」
寝たつもりはなかったが、とカースは思ってしまう。が、サティーが起きていたことにも気づけなかったのだから、そうなのだろう。カースが空を見上げていたので、サティーも見上げた。
サティーにとってはいつもの星空であり、カースにとっては故郷とは大分違う星空だ。そこに思うものは何もない。ただただ、無事に明日を迎えられることだけを望む。それだけだった。
朝。
携帯食糧を食べながら、サティーは夢見で見た内容を話す。
「まずは、こっちから少し町の中心の方に歩くの。そこには物乞いがいてね」
「……まあ、この町の様子だとどこでもいそうだが、サティーが話すのだから、ただの物乞いじゃない、だろ?」
カースがごく一部を除き、色々聡いことに、サティーは説明いらずで助かっている。
彼が旅を始めたのは、それこそ八歳ぐらいの頃からであり、ざっと計算して約一〇年もこのような生活を送っている。旅慣れているし、剣の腕も立つ。そして様々な部分で気がつきやすい。
……私の恋心に関しては鈍感なのが逆に助かっているが、とサティーは思うが。
余計な考えを振り払い、サティーは話を進める。
「その物乞いが、実はこの町のレジスタンスなの」
「レジスタンス、か」
この町に入った瞬間、貧困の差が激しいことは一目で解った。裕福な者たちは贅を尽くしているし、貧しい人たちは明日どうやって生きて行けば良いのか途方に暮れている、という具合である。ただそれだけなら、レジスタンスなんて物騒なものは組織されない。圧政が敷かれ、一部ではとても言葉に出来ないようなことも横行しているのだろう。
「その人に取り入って、まずはレジスタンス入りをすれば、まず第一段階」
彼にとって、圧政自体は許しがたいものである。だが、だからといって安易にレジスタンスに協力するつもりはなかった。
「……なあサティー、俺に何をさせたい?」
「英雄になって貰いたいの。あなたの今後のことを考えるとね」
サティーは、夢見で一体何を見たのか。
この時になってはじめて、カースはサティーに得体の知れないものを感じた。ただ、この一月近い間に、サティーは信用も信頼もできる人物だと、カースは理解している。突然裏切るようなことはしないと、そこは信じていた。
「何故?」
「……まだ解らない」
カースがサティーに尋ねるが、しかし彼女は首を横に振る。
彼女自身、それが分かっていない様子だ。ただ、そうしないと今後良くない状況となる、という暗示しか見えておらず、詳しくは解らないと話す。
「良くない状況、か」
「……ごめんね、私もそれを探しているようなものなの」
「いや、謝る必要はない」
カースはしばし考える。
八歳は、本来ならまだ親がいないと生きていけないような年齢だ。にも関わらず、カースは避難先の村を飛び出し、旅に出た。無計画に飛び出したため、すぐに路頭に迷うこととなったが、幸いにも善良な旅人の世話になった。その人からは一人で旅をするための知恵を学び、一年後には本格的に一人で旅をするようになった。
ただ、その当時の彼は復讐心が心の大半を支配しており、人を襲うような野生動物、彼の故郷の言葉で魔獣と称されるものを、無差別に屠るような旅路だった。
旅の道中、野盗に襲われたこともある。野盗は彼が子供だったことから油断もあったのだろう。その頃の彼はあっさりと返り討ちに成功した。その野盗から被害を受けていた近隣の町や村からは大層喜ばれたことで、カースは自分のやるべきことはこれじゃないか、力の無い人のために力ある自分が代わりに腕を振るえばよいのではと、そう考えたのだ。
手始めに、近くの森で暴力的な支配をしている村長を叩きのめした。住民からは圧政から解放され感謝された。とある町では、自分の立場を利用して暴力を振るう人物を粛正した。住民からは喜ばれ、支配者層からは疎まれた。その報復のため彼を襲った者たちを、彼は返り討ちにした。追っ手を退けてから、彼は考えた。これは違う、と。
悪いことは許せない。だが、無理にそれを解決しようとしても軋轢が生じては駄目だと。
それ以来、圧政などに手を出すことはなくなり、魔獣を相手に戦う旅路へと戻った。
それから数年経ち、サティーと出会い、今に至る。
サティーは、今後のためにレジスタンスに加わった方が良いという提案をした。彼女すら理由は分かっていない。しかし、その切羽詰まった表情に、頷いたのだった。
少し歩いたところで、問題となる人物を見つけた。物乞いは二人を見上げた。
「……この卑しいものに、どうか欠片でも食料を分けてください」
掠れる声で、彼は二人にそう声をかける。カースは一歩前に出て、彼の前にしゃがみ込んだ。そして。
「演技はいらない。単刀直入に話すけど、レジスタンスに協力したい」
小声で話しかけた。物乞いはしばらく固まっていたが、苦笑し始めた。
「ダンナ、何をからかっておいでで。何もくれないならどっか行け」
面倒くさそうに手を挙げ、追い払う仕草を見せる。その動作に、カースは感じたことをそのまま告げた。
「隙がないな。歴戦の戦士のそれだぞ。隠すなもう少し隙を見せた方が良い」
物乞いの手が止まり、カースを睨んだ。その眼光は、無気力な物乞いが見せるものではない。鋭く鋭利に、カースの隙を伺う、臨戦状態の戦士のそれだった。
「……誰から聞いた?」
もう隠すつもりは無さそうだった。
「いや? あんたの姿が他の物乞いとは明らかに違って見えたんだが」
「……ちっ」
彼は舌打ちをし、ゆっくりと立ち上がる。カース達にはもうバレてしまったが、周りにいる者たちには、あくまでも物乞いだと思わせ続けなくてはならないのだ。
立ち上がると、彼はゆっくりと、足がおぼつかない、という演技を入れながら歩き始めた。二歩歩いたところで軽く振り返り、顎をくいっと僅かに動かした。そのまま前へと向き直り、ゆっくりと歩き出した。
「……ついてこい、ってことだな」
「うん。……気を抜かないでね。この先罠張ってる」
カースにだけ聞こえるよう、サティーはごく小さな声で返答した。夢見でお見通しかと、カースは心の中で呟いた。
やがて、三人は細い路地へと入っていく。この狭い路地にも、宿なしの物達が大勢いた。皆無気力な目で、三人を視界に捕らえても意識はそちらに向けるものはいなかった。三人は更に裏道へと入っていき、奥へ奥へと進んでいく。
この辺りまで進むと、様相は一変した。おそらくはスラム街と呼ばれるような、本当に貧しく、そして荒れた者たちが住まう地域だ。足下には何人かの人が倒れている。
「っ……!」
サティーはそれに気がつき、声が出そうになったのを手で押さえた。
「見ない方が良い」
カースは、サティーの目を覆うようにして自身に抱き寄せた。
それは骸だった。だが、普通の者たちではない事は、その服装で気がついた。
皆、一様のローブに身を纏っている、ボロボロに見えるローブだが、そう見えるようにわざと引き裂いたようで、生地自体はしっかりとしたものである。ローブの下には簡素だが革の鎧を身につけており、おそらくは政府側が雇った『刺客』と呼ばれる者たちなのだろう。
カースも、風の噂では聞いたことがある。金さえ貰えば何でもする連中の中でも、主に暗殺などを受ける連中が、『刺客』と呼ばれている者たちなのだ。そんな彼らだからこそ、それなりの腕が立つはずだった。が、スラム街の入り口で、彼らは返り討ちにされたのだろう。
「なるほど。……サティーは後ろに下がってて」
カースは、不意に感じた悪寒に従い、腰に携えた剣に手を伸ばす。
「いやサティー、離れないで」
カースはすぐに指示を覆した。
「……カース兄?」
突然の変更にも、サティーは疑問こそあれど、素直に従う。
「すっかり囲まれている。そうだな、大体一〇人程度かな。狙いは俺のようだ」
サティーはカースの背中にもたれるように、背中合わせとなって構えた。
「……よく気がついたな?」
にやり、と先行していた物乞いが振り返って嗤った。
「そのまま離れていれば、その子を人質にも取れたんだけどなぁ」
「そんな卑怯なことはしないだろ?」
カースは不敵に笑いながら、最高のタイミングで抜刀できるよう、タイミングを推し量る。そのまましばらく睨み合いが続く。
「……なるほど、大した技量だ」
物乞いは右手をかざした。すると、周りからの圧力が途端に止まった。サティーはどっと汗を流して額を拭うが、カースはまだ警戒を緩めていない。
「風のカース、か。……良いだろう。リーダーに話を付けてやる。お前ら、もう良いぞ」
周りに何となく佇んでいるように見えた物乞い達、総勢二〇人ほど。そんな彼ら全員が、ゆっくりと歩き始めた。チラリチラリとカース達を盗み見ていくが、その全員が鋭い眼光を持っていた。
カースは、気配は一〇人程度を把握していた。だが、実際にはその倍となる二〇人がこの場にいたのだ。読めなかった気配が一〇人。彼らは相当な手練であることは明白だった。逆に、一〇人がわざと気配を殺さずに集中させ、他一〇人の隠れ蓑になっていた、とも考えられた。それを意図していたのであれば、集団戦に長けていると、カースは肝を冷やす。
立ち去っていく物乞い達全員、隙がないようにも見えた。もしかしたら、彼らすべてがレジスタンスのメンバーだったのかもしれない。
危ない橋を渡った、いや渡らされたな、とサティーに文句を言おうと視線を送ると、サティーは涙目だった。さすがに何も言えず、溜息を吐くのだった。
改めて、物乞いのフリをしていた男は背筋を伸ばし、案内を続けた。もうここまで来れば隠す必要もないとばかりに、スタスタと歩く。そして案内された先にあったのは、今にも崩れそうなボロボロの建物だった。壁も、扉も、窓も何もかもが、触れた瞬間に崩れてしまいそうな見た目だった。そう、見た目だけは。
男はその扉を押し開け、中へと入る。うっすらと埃がたまったように見える床も、そう見えるように描かれているものだった。角には蜘蛛の巣もあるようだが、目の良いサティーはそれすら作り物だと話す。
男は構わず奥へと進み、扉を開けた。その先は窓のない、薄暗い部屋となっていた。おそらく納屋のようである。屋根の隙間から僅かに差し込む光があるから、何となく相手の姿が見えるかな、という具合だ。
男は備え付けの松明と小瓶を手に持ち、小瓶の蓋を開けた。すると獣油特有の匂いが広がった。その膩を松明にかけようとしたところで、サティーが止めさせた。
「この先は明かりがないと進めないのだが?」
「匂いがでる獣油なんかよりも、もっと良い方法があるの」
サティーは呪文を唱え、指先に明かりを発生させた。
「っ! ……なんだそれは!?」
男は驚き、一歩後ずさった。
「これは魔法というもの。明かりの魔法よ」
しばらくそのまま睨んでいた男は、サティーに質問した。
「その魔法っていうものは、誰だって使えるものなのか?」
サティーは首を捻り、考える。
カースは、剣の技という感覚でその実魔法を使っていたから、素質はあった。道中簡単な魔法を教えてみたところ、そのほとんどを難無く覚えることができたのである。
「素質さえあれば、誰でも使える、と思う。カース以外の人には教えた事がないから解らないけど」
「……そうか」
そう呟く男だった。
サティーの魔法で、部屋は明るくなった。この部屋への入り口は、先ほど入ってきた場所以外にはなく、行き止まりのようにも見えた。足下には大きな箱が隅の方に置いてある。農耕具などを入れるためのものだ。男はそれを開いた。箱の中には何も入っておらず、埃のたまった底が見えるだけだった。
その底の一部を押し込むと、箱の置いてある側の壁で、ことんっと物音がした。男は箱の蓋を閉じ、壁に手を添え、ゆっくり押す。すると、その壁が音もなく開いていくのだ。
「……隠し扉か」
「ああ。この先階段になっている。気を付けて降りてきてくれ。ああ、扉を閉めるのを忘れずにな」
「ああ、解った」
階段を降りた先には、短い廊下が続く。松明が等間隔に掲げられ、いずれも揺れていることから、風がどこからか流れているのであろう。廊下の両側には扉のない部屋があり、それらは農家が一時的に穀物を収納するための場所のようだった。尤も今は使われている形跡は無さそうだが。隠し扉を作ってまで、穀物を隠していたということだろうか。もしそうであれば、この町は古い時代から圧政が敷かれていたということになるのだろう。
廊下の突き当たりには、ちゃんとした扉が備え付けられている部屋があった。男はその扉をノックし、中から返事が返ってきた。
「そろそろ来る頃合いだと思っていました。どうぞお入りください」
男が扉を開くと、狭いながらも立派な執務室となっていた。かすかに獣油の焼ける匂いと、蝋の匂いが入り交じっているようだった。
「君があの、風のカース殿かい?」
「そうだ」
カースは簡単に答えた。
「ああ、申しくれた。私はこのレジスタンスを統括している、テイラー・メルガノフという者です。よろしくお願いします」
自己紹介をしながら、彼は右手を差し出してきた。カースは一瞬逡巡したが、その右手を取った。
「改めて、カースだ。風のカースだなんて言われているよ」
握手の上に、小さな両手が重ねられた。
「サティー・ヴィリアスよ。一応占い師兼魔法使い、って所かな?」
「いつ占い師になったんだよ?」
カースがサティーに、冷静にツッコミを入れる。
「たった今」
「たった今って……」
皆手を放したところで、クスッとテイラーが微笑んだ。
「おもしろいね、君たち」
彼はそのままサティーの頭の上に手を置いた。すると、サティーは俄に不機嫌な表情となった。
「子供扱いしないで。これでも一応」
「自称二十歳だそうだ」
「じ、自称って、……私は正真正銘二十歳よっ!?」
「まあそんなことは良しとして」
「良くないわよ!?」
サティーは噛みつく勢いだったが、カースがまあまあ、という表情となったため、そこで一度落ち着かせるため、深呼吸をした。
「彼女が言ったとおり、魔法が使える」
テイラーは、驚きの表情となる。
「魔法、ですか? あの、物語などでよくある、火を熾したり竜巻を発生させたりとか、あの魔法ですか?」
「はい」
テイラーはサティーの顔を覗き見るが、その心の中では既に別のことを考えていた。どういった魔法が使えるのか、その魔法で敵を倒せるものなのだろうか、等である。
「念のため聞きますが、……その魔法で人を、……殺すことは、できますか?」
カースはこれまで、そんな質問を彼女に投げかけたことはない。彼女の魔法の幾つかは、野生動物なら簡単に仕留められるほどの威力があることを、これまで見てきている。だから人に対する殺傷能力もあると、そう判断している。だがカースは、彼女が殺人を許容するかについては、敢えて聞かないようにしてきたのである。旅の仲間として、或いは友人としてそれを聞くのを憚られたのだ。そんな微妙な問題を、テイラーは、他人であるからこそ質問できたともいえる。
「殺せるよ?」
サティーは、にべもなくそう答えた。その答え方に、テイラーは質問の仕方が悪かったかな、と考えた。魔法の威力のことではないのだ。それを踏まえ、もう一度質問しようとしたが、サティーは続きを話し始めた。
「本当に必要とあれば。私が、私の正義を貫き通すのであれば、私は多分躊躇うことはないと思うわよ」
その言葉を聞いて、テイラーは頷く。そしてカースもまた、はっとなった。
カースもまた、これまでの人生の中で、人を殺めたことはある。例えば盗賊に苦しめられている村を救うためなどだ。サティーの考え方は、もしかしたら少し違うかもしれない。だが、それでも一種の共感のようなものを感じた。
「……サティー」
「?」
名を呼ばれたサティーは、カースに振り返る。彼が何を考えていたのか、サティーはその目を見てすぐに理解した。
「私はどんな事があっても、カース兄を裏切ることはないわよ、絶対に」
そんな力ある宣言に、カースは頷き返す。
「ああ、俺も」
そして、目と目で通じ合う二人に、テイラーが軽く咳払いをした。
「ひゃうっ」
「……と、悪い」
サティーが驚き、カースもどこかばつが悪そうにした。
「いえいえ、仲のよろしいことで。……彼も紹介しておきましょう」
テイラーは、先ほど案内してきた男に手を向けた。
「カイロスだ」
「ああ、よろしく」
地方都市マスカヴ。
かつては大きな国に所属していた、ごく普通の平和な町だった。しかし、その国が様々な問題で崩壊してしまうと、大きな町を中心とした小さな独立国が乱立していった。その後の政治手腕の善し悪しで成功した国もあれば、独裁に走って失敗して壊滅した国もある。或いは軍事に力を入れて周りの国を吸収して大きくしている国もあり、まさに戦乱の様相を呈している地域もある。その一部のごく小さな村が、カースによって開放されたところもある。
この町は独裁に走って崩壊しつつある。既に国の中枢はまともに機能はしておらず、それでも独裁を続けようともがき続けている、というのが現状だ。
今の市長、というよりはこの小さな国の独裁者は、武力を持ってこの町を支配していた。
以前、何かしらのことがあり、それに対して住民達が抗議集会を開いたことがある。しかし、それを良しとしなかった市長は、この抗議集会に集まった住民達を『処刑』という名のもとに全員を虐殺したという、痛ましい過去があった。また、その家族達もまた、見せしめのためにほぼ全員を処罰したのだ。また、これをきっかけに税率も一気に跳ね上げられた。それが支払えない人たちは家を失い、路頭に迷うことになる。町を捨て出て行った者たちの安否も不明だ。
独裁者の悪行は、こればかりでは無かった。
あろうことか、この独裁者は決して手を出してはならない事を始めたのだ。
それは、『人狩り』だ。暴挙以外の何物でもない。
狩られるのは、町の住民だ。以前の騒ぎで捕らえられた『罪人』や、無作為に選ばれた何人かが無実の罪で捕らえられ、森に放たれて狩られるというものである。
兵士達の訓練という明目でもあるが、主に弓を放っていたのはこの独裁者、らしい。時間まで逃げおおせたものはそれなりの賞金が贈られるというが、結局これは住民を油断させるためだけの口実に過ぎなかった。森の中であれば、時間まで隠れ通せるものだっているだろう。時間を過ぎて戻ってきたところで、時間延長だと言って独裁者が弓を何本も放つ。ここまで来れば、単なる快楽殺人だ。
それが真相のようである。
結局、生きて帰ってきた人物は誰一人いない。
「………(ギリ)……」
そこまでの話を聞いて、サティーは拳を握り、歯ぎしりを立てていた。彼女自身、ここまで腹を立てたのは生まれて初めてのことかもしれなかった。カースが、そっとその拳を握る。サティーは、その不意な優しさに彼を見上げる。それで心が幾分落ち着くが、彼も彼とてかなり腹を立てていることは明白だった。
既に、ここの独裁者は人間として越えてはならないものを軽く飛び越している。そしてカースにとっても、ここまでひどい独裁者は、初めてだった。
「……当然、そんな独裁者を打倒しようとして、立ち上がった者たちがいました」
しかし、今の現状を考えれば、失敗したことは明白だった。立ち上がった者たちが少なかったのか、それとも独裁者側に何かしら秘策があったのか。前者はあり得ないだろう。これほどの悪政を強いているのであれば、住民のほとんどが立ち上がっていてもおかしくはない。
「あの男は、とんでもないものを飼い慣らしていました」
答えは、後者の方だった。それも、圧倒的な何か、である。多くの住民が逆らっても無駄だと諦めさせるのに十分な存在だ。
「……何がいたの?」
「ドラゴンです。ブラック・ドラゴン。……まさか伝記などで伝えられているような、空想の生き物がいるだなんて。それも、あろうことかあの男が飼い慣らしているだなんて、誰が予想できたでしょうか」
テイラーは、悔しそうに呟いた。
「あの戦いのとき、私は両親、カイロスは愛娘を失いました。そして私たちは追われる身となりました。一度は郊外まで落ち延びた後、再びこのスラム街に集結し、機会をうかがっているのが現状となります。……有志たちは、現在一〇〇を越えていますが、それでもあのドラゴンには到底敵わないでしょう」
これで二人は、この町から人が離れられない理由も察した。
町を離れてどこかに移り住み、ちょっとした集落を作ったとしてもだ。そこをドラゴンが襲撃すれば一巻の終わりである。町を逃げるときも、兵士や独裁者による『人狩り』に遭遇する可能性もある。兵士はともかく、人を人と見ていない独裁者が逃すはずがないだろう。逃げるなら真夜中、足を止めず近隣の町まで走って逃げるほか無いのだ。ただ、その近隣の町もまたこのドラゴンを恐れており、言いなりになっているところもある。そこで捕らえられたら終わりだ。
「……兵士達の練度はどのぐらいなの?」
「兵士達、ですか。実は大したことはないです。あのときも対人戦だけでいえばこちら側が優勢でした。ほとんどあのドラゴン一匹に圧倒されたようなものです」
なるほどな、とカースは呟いた。
革命軍の天敵は、ブラック・ドラゴンただ一体だけである。これさえ排除ができれば、革命自体は彼らが進めていくだろう。そこまで考えれば、カース達の仕事は決まったようなものだった。
「俺たちが、そのドラゴンを何とかしよう」
「……助かります、ええ、感謝します」
≪風のカース≫と呼ばれる人物がレジスタンスに協力を申し出たという噂は、翌日には一気に広まっていた。そして彼が、以前の町でドラゴンをいとも容易く倒したという話もついてまわり、今度こそ革命が成功するのではないかと、スラムの一部で俄に活気づいていた。ただそれと同じくして、ただ一人有名人が来たからといって、何か変わるわけでもないと悲観する者たちも多い。
当然ながら、その噂話は独裁者側にも流れており、当人は憤慨している。その者を引っ捕らえよ、と叫ぶ独裁者に、側近達は慌てて部下に命令を下す。そして≪風のカース≫に賞金がかけられ、その話もまた町に広がった。
「……賞金首、か」
「はじめて?」
「うん、まあ」
ボロボロのローブに身を包み、フードを深々とかぶる二人は、町の様子を探るべく様々な場所をうろついていた。ただし、この辺りの住民に溶け込むよう、歩幅は狭くしてゆっくりとである。
兵士達数人が、彼らには目もくれずに走り抜けていった。その表情はどこか暗く、面倒ごとに巻き込まれたと言わんばかりだった。どこかで、何かしらの騒ぎが起こっている。その鎮圧に向かったのだろう。例えば賞金首が現れた、という偽の通報を受けて、だろうか。
「……ご苦労なことで」
「ま、まんまと作戦に乗ってくれているわけだけど」
そう、これは兵士達を他の場所へと分散誘導させることで、現在の領主邸の守りを手薄にするため、レジスタンス達が行動を起こしている。どの程度の騒ぎを起こせば、どの程度まで手薄に出来るか。双翅体力偵察なのだ。
実際の作戦は、まだまだ先のこととなる。この時どれほどの兵士達が領主邸に残っているかは解らないが、突入時にはその兵士達全員をレジスタンス側が受け持ち、カース達二人はドラゴンを担当する、そんな計画だ。
領主邸の近くまでさしかかったとき、サティーはフードの隙間から空を見上げた。
真っ青な、うろこ雲の混じる空模様だ。
「……空だけ見上げていると、平和なんだがな」
サティーの様子に、カースがそう呟く。
「その平和のために、カース兄は戦っているんでしょ?」
ただ、その言葉には返答はできなかった。
彼自身、今は一体何のために戦っているのかは解らない。
魔獣を斃すため、彼は各地を転戦した。
その折りにどこかの小さな町立ち寄った。ここの領主は、故郷の大陸から魔獣を捕らえ連れてきており、その力を誇示して悪政に身を染めていた。だからその魔獣共々、その領主を亡き者にしたのである。当時、僅か一〇歳だ。そんな少年が一人で革命を起こし、一人で成し遂げた。これが≪風のカース≫の始まりでもある。
ただ、世間が噂するほどの美談ではない。
ただ故郷の大陸から魔獣を連れてきたことが許せなかった。その魔獣を利用して圧政を敷く領主が憎かった、ただそれだけの、一方的な憎しみでしかなかった。だからこの時、彼は魔獣ともども、領主も殺した。そして彼は、何も感じなかった。人を殺めた罪悪感も、人々を救った英雄的活動への喜びも。ただただ、魔獣を殺した。それだけだった。
しかし、彼の功績だけは一人歩きしてしまい、いつしか≪風のカース≫と呼ばれる英雄譚が、この大陸に広まっていくことに繋がっていた。
彼自身、名を売りたかったわけでもない。ただ魔獣とそれを統括する連中が憎くて、戦ったに過ぎない。それは、ただの復讐の延長に過ぎない。魔獣によって故郷が奪われ、両親が殺され。時々記憶に現れる赤毛の女の子との離別があって。おそらく彼女も殺されたかもしれない。
ただただ、魔獣に復讐がしたい。それだけなのだ。
逡巡するカースに、サティーは軽くもたれる。
「……悪い、考え込んでいた。俺のやっていることは、ただの復讐の延長に過ぎない」
こんなことをしても、死んだ両親が浮かばれるはずはない、とカースは解っている。が、サティーは首を振って、彼の前へと歩みでて、その手を取った。
「それでも。……それでも、カース兄が戦って、平和になって喜ぶ人がいるのは確かなことだからね」
そんなサティーの笑顔が、彼の胸に突き刺さる。どうしてそこまで、全幅の信頼を寄せてくれるのだろうか、と。
「……さて、そろそろ戻ろう?」
「ああ、そうだな」
サティーの手は自然に離れる。それを追うように、カースの手が一瞬伸びかけたが、しかしそこから伸ばすことはしなかった。彼自身、どうしてそこで手を伸ばしたのか、分からなかったからだ。
何も掴まなかった手は、そのまま垂れ下がる。そしてカースは、サティーに並ぶため、少し足を急ぐのだった。
この日の行動は、喧伝も兼ねていた。
レジスタンスは、この統治下では連絡を取ることが出来ずなりを潜めているグループもいる。そうしたグループに対し、いよいよ立ち上がるときが迫ってきたと、そうした事を知らせる目的もあった。後は、彼らが分かるような方法で日時を指定すれば良い。
作戦実行は次の安息日と決まった。
作戦実行日まで数日。それまでは同規模の陽動を各地で行い、兵士達を悪い意味で慣れさせ、備えるのだ。
そしてサティーは、『夢見』を行った。
すでに各地でのレジスタンス活動は恒例となっていた。いつもの事かと、兵士達はやる気をを出さず、ただ現場へと直行する。到着したところでレジスタンスは撤収を終えており、戦闘になることはないのだ。
そうして領主邸の守りが手薄になっていくのもいつもの事だった。が、この日に限っては、違っていた。
領主邸の前に、数十人の武装した者たちが集まっていたのだ。
「な、何者だっ!?」
「何者だって言われても、兵士の皆さん知っての通り、この町に革命をもたらすものですよ。ああ、申し遅れました。テイラー・メルガノフって申します」
彼はわざとらしくニコッと微笑み、自己紹介をする。
「れ、レジスタンスのリーダー、だと!? くそっ!」
兵士達が敷地内て整列し、抜刀する。しかしその人数は、レジスタンスの思惑通り、いや予想していたよりも少なかった。レジスタンス側も抜刀し、突撃に備える。
「領主ガドレイ! 出てこい!!」
テイラーは、打って変わって怒鳴り声を上げた。
兵士のうち一人が踵を返し、領主邸へと駆け込んでいった。おそらく中に詰めている者たちに、状況を伝えるためだろう。しばらく待っていると、領主の姿はなく、代わりに兵士達が領主邸から飛び出してきた。徹底抗戦の構えであると、誰もがそう理解した。
「それがあなた方の答えと言う事ですね!!」
屋敷から飛び出してきた兵士達は、前後で二列の隊形を組み、迎撃態勢を整えた。そして前側に並んだ兵士達は、先に並んでいた兵士達へと合流し、全員が抜刀する。それを見届けてから、テイラーは手を振り上げる。
抜刀の合図だ。レジスタンスは全員銘々の武器を抜刀し、或いは構えた。
「風の解放戦線!」
カースが入ってきてから新たに名付けた、レジスタンスの名称だ。
そして手を振り下げると同時に、叫んだ。
「突撃!!」
一斉に駆け出すレジスタンス達。それを迎撃せんと、兵士達も強く足を踏みしめた。
が。
レジスタンス達は、一斉に踵を返し、蜘蛛の子を散らす勢いでバラバラに逃走を始めたのだ。
「……はぁっ!?」
突然の行動に、兵士達は一気に混乱した。
「くそっ舐めた真似を!! 追え! 追うんだ!!」
兵士達が飛び出し、逃げ出したレジスタンスを追いかけ始めた。すると、それまであっけにとられていた兵士達も、各々近くにいたレジスタンスに目を付け、追いかけ始めた。
その一方で、テイラー達は一度路地裏へと駆け込み、兵士達の目をかいくぐりながら、迂回する。そして領主邸へと突入を果たした。すると、領主邸の入り口前に、兵士達がずらりと並んでいた。
「っ……!?」
カースは振り返り、驚きの表情を見せるが。
「後ろは任せておいてくれ。連中は通さない」
「あ、ああっ」
「では手はず通りに、幸運を!」
「幸運を、リーダー!!」
先ほど前後に別れた兵士達、その後ろに並んだ者たちは、すでにレジスタンスに協力する側の者たちだったのだ。タイミング良く独裁者側を見限り、レジスタンスに協力するという手はずで、これまで敵対するフリをしていたのだという。
これで後ろを気にする必要もなくなった一行は、いよいよ領主、独裁者ガドレイの元へと走る。
玄関から廊下が少し延び、両脇に扉が一つずつ。その先に、天井まである大きな扉が一つ。一行は、迷わず正面の扉へとかけより、そしてその扉を開け放った。
「……レジスタンス共目、性懲りもなくっ! それに何やら怪しい人物を仲間に引き入れたらしいなっ!?」
そう偉そうに声をかけてきたのは、この町の独裁者、ガドレイだった。正直なところ、この男も標的ではあるのだが、こんな男よりも後ろに控えている大物の方が危険であると判断している。
佇むのは、黒い鱗に身を包んだ、ブラック・ドラゴンだった。ただ、先日戦ったドラゴンよりも遙かに小柄で、人間の身長の二倍程度しかない。子供だろうか。細身で、トカゲをそのまま立たせたような姿だ。それでも、以前レジスタンスを一度壊滅させたほどの力を有しているのだ。油断は出来ない。
「行け、ドラゴン。奴らを皆殺しにしてこい!」
ガドレイが叫ぶと、ドラゴンは渋々、という体で前へと歩む。仕草が、どちらかと言えば人間に近い。
「……カース兄」
「どうした?」
「魔法の動きがあった。あのオッサン、何かしら魔法のアイテムを所持しているっぽい」
「……魔法のアイテム?」
こくり、とサティーが頷いたのを、カースは気配で察した。
「危険なものである可能性はあるが、今は目の前の敵に集中しよう。サティー、行けるか?」
「ええ、まかせて」
二人が会話しているところで、ブラック・ドラゴンが領主の前へとようやく歩み出た。その後ろで、ガドレイは後方にある階段を駆け上って行くのが見えた。
「俺は、カース。風のカースなんて呼ばれているさ」
「私はサティー、エルフよ」
二人が悠長に自己紹介をする傍ら、テイラー達は脇へ脇へと移動をしていた。ブラック・ドラゴンはそれに対し意を介することなく、目の前の二人を睨む。
「……我は、アレシス・サンディー=ブラック・ドラゴン。貴殿が噂に高きドラゴンスレイヤー、風のカース殿、か?」
二人の自己紹介に答えるように、ドラゴンも名乗りを上げた。中性的な声だが、少し歪んでいる。
「殿付けはやめてくれ。それに、俺が倒したドラゴンはそんなに強くはない個体だった」
カースは剣の切っ先をアレシスに向ける。
「一つだけ聞いておきたい。上に向かう階段は、あんたの後ろのものだけか?」
「ああ、そうだ。我の後ろにある階段のみだ」
アレシスは、レジスタンスの面々をチラリと見て、すぐにカースへと視線を戻した。アレシスは既に気がついている。自分にこの二人をぶつけ、その間にレジスタンスの面々が脇をすり抜けて階段を目指すつもりなのだろうことを。だが、どうでも良かった。
「……征くぞ!」
「来い!」
最初に仕掛けたのは、アレシスの方だった。鋭く羽ばたき、突風を生み出す。突風は二人を翻弄させ、出鼻をくじかれた。その隙に、アレシスはカースの目の前へと踏み込んでおり、右足を軸に大きく体を回転させた。二人は思わず後方へと跳躍し、蹴りを躱した。目の前では既に態勢を整えたアレシスが、軽く体をジャンプさせる。そのフットワークの軽さを見せつけるかのごとくだった。
こんな戦い方があるのか、とカースは内心の焦りを感じる。これまで戦ってきた野盗や、サティーと出会った村でのドラゴンなど比べるべくもなく、強い。ただこの二手だけで、カースはそう評価する。
少し離れた位置まで下がっていたサティーは、何かを呟いていた。そして意を決したかのように口をつぐみ、両手を前方へとかざした。
「サンダー!!」
叫んだ瞬間、その掌から雷光が迸り、アレシスを包み込んだ。
「っ! ぬんっ!!」
アレシスはその直撃を受けながらも、気合いを入れてその雷光を弾き飛ばした。
「っ!!」
サティーは驚愕、という表情をするが、アレシスの表情は読めない。
「……驚いたな。魔法の存在を知る者がいるとは」
サティーは、自分ができる上で最大の魔法を使ったつもりだったのだろう。だが、多少のダメージは入ったものの、本当に多少でしかなかったことに、ただただ驚くほかなかった。
サティーは額に浮かんだ汗を腕で拭う。それと同時に、何か打開策がないかと思考を巡らせた。
カースもまた、このアレシスの体の動かし方と、不意打ち気味に放たれたサティーの、本来なら必殺と言えるような魔法ですら、大したダメージが入らなかったことに内心驚いている。これは長期戦は不利かもしれない、と悟る。
「魔法はまだまだだが、筋は良い。もっと練習すれば一級の魔法使いになれるだろう。カース殿も、初手で倒れなかったことを賞賛しよう。これまでほとんど者たちがあれで倒れ伏していたのだがな」
アレシスは、どこか嬉しそうに話していた。
「……さて、レジスタンスの皆は階段を上っていったようだが」
アレシスの言うとおり、既に彼らの姿はなく、二人と一体のみがこの場に残されていた。
「アンタ、まさか?」
「さて、どうだろう?」
カースの問いかけに、アレシスはとぼけた風に答えた。
「ま、我が戦闘狂であることに間違いはない。我が倒れるか、そなた等が倒れるか。邪魔者がいなくなった今、ようやく本気というものが試せるというものだろ?」
そして真剣な表情、いや気配となって。
「来い、二人とも」
「……ああ」
改めて、仕切り直しである。
これまでカースは、レジスタンスが近くにいたからこそ、無意識に力をセーブしていたのかもしれない。何せ、広いホールとはいえ屋内だ。自分が使う剣技は、広範囲に効果が及ぶ場合もある。
サティー曰く、もしかしたら魔法という技術が、剣技に編み込まれている可能性が高いそうだ。この剣技を教えてくれた両親ももういないし、詳しく調べられる時間もなかった。どこかのタイミングで、調べてみたい。カースは、そんなことをぼんやりと考えてから、剣を構え直す。それと同時に、刀身から異様な気配が漏れ始めた。最初こそこれがなんなのかは解らなかった。だが、サティー曰く、これが魔力だそうだ。この魔力が剣の切れ味を格段に上げ、ドラゴンの鱗であろうが切り裂くことができた理由だそうだ。だが、これではただ漏れているだけに過ぎない。
サティーは、魔力をもっと効率よく運用できる様、カースのために魔法を一つ考案した。漏れ出ているだけの魔力を、剣の周りに固定させるのだ。
「……スレイヴ!」
剣が、青白く輝いた。魔力が刀身を包み込んだ状態となったのだ。そして構え。
「おおおおっ!!」
叫び声と共に、一気にドラゴンへと駆ける。懐に一気に飛び込み、その剣を薙いだ。
「シディーユ!」
アレシスの口から漏れたのは、魔法の言葉だった。一瞬のうちに魔法の盾を形成し、カースのその一撃を受け止めたのだ。その衝撃はすさまじく、アレシスもカースも双方後ろへと弾き飛ばされる。アレシスが先に着地、それと同時に体を大きく捻り、風を唸らせて尻尾を繰り出した。しかしさすがに無理な体勢だったか狙いが甘い。カースも着地と同時に更に後方へと飛び、その一撃をやり過ごした。目標を失った尻尾はそのまま床にたたきつけられる。床が抉れ、大理石の破片をまき散らす。アレシスはその衝撃すら利用して、体勢を整えながら、先ほど召喚した魔法の盾をカースめがけて投げ飛ばした。
「っ!!」
「シールド!!」
その射線上に、サティーが魔法の盾を生み出しながら駆け込んだ。サティーの魔法は、アレシスの盾を弾き飛ばし、霧散したのはアレシスのものだ。カースの攻撃を受け止めていたことで脆くなっていたのだろう。
「シディーユ!」
矢継ぎ早に、アレシスは魔法を生み出し、投げつける。それもまたサティーの魔法の盾が弾いた。だが、今度はサティーの盾の方が先に破壊され、アレシスの魔法を逸らすだけとなってしまった。アレシスの魔法は、二人の後方の壁に突き刺さり、そこで弾け消えた。
「サティー殿は防御魔法の方が得意と思われるな。ならば、これを受けてみるが良い!」
すっと、アレシスは息を吸う動作を見せた。サティーは、次の攻撃を直感し、魔法の盾を更に生み出した。そして更に、更に。合計四枚の魔法の盾が、自分とアレシスの間に割って入った、その直後。
すさまじいほどの熱量を伴った光が、アレシスの口から放たれていた。
光は、一枚目、二枚目の盾の魔法を難なく打ち抜き、三枚目が僅かに角度を持っていたか、その光はあらぬ方向へと反射された。光はそのまま屋敷の柱を貫通させ、壁を竅って爆発を起こした。
「……なるほど、素晴らしい。今の我ができうる最大攻撃をしのげたことは賞賛に値する」
アレシスは視線をカースに向ける。
「だが、まだまだだ」
アレシスは身を低く前傾姿勢をとり、床を蹴る。衝撃で床が抉れ、大理石の破片が飛び散った。
カースは、ほとんど条件反射だったかも知れない。どうやって避けたかなんて解らないが、しかしアレシスの放ってきた鋭い突撃を、ギリギリのところで躱していた。しかし、反撃まではできなかった。
今の一撃は、平たく言えば単なる体当たりである。だが、ドラゴンの全身を包む鱗の堅さ、アレシスの爆発的な瞬発力を乗せての一撃は、人間なら簡単に粉々にされるほどの威力を持っていた。
アレシスはやや離れたところで踵を返し、再び突入の姿勢を取っていた。その瞬間、カースは何かを感じとった。ただ真っ直ぐ跳んでくるだけなら、軽く体を捻って避ければ良い。が、今度は何かが違う、と。
アレシスが、カースめがけ真っ直ぐ、体を若干捻りながら突入を開始した。瞬間、カースは大きく横っ飛びに回避し、その直後後頭部すれすれを、太い尻尾が行き過ぎた。さすがに無理な体勢だったのだろうか、アレシスは思ったよりも遠くまで跳んでいき、そのまま壁に激突した。壁は崩れていき、屋敷の庭がそこから覗き見えるようになってしまった。
相当な破壊力を持っての一撃だったことは、それで解る。その破壊力がアレシスにダメージとなっていれば良いのだが、とカース達は考えるが、しかしその希望通りにはならなかった。アレシスは壁の穴の向こう、庭の中に立っていた。
「勘が鋭いのか、目が良いのか。悉く避けられてしまうな。我自身、まだうまくこの体を使いこなせていないこともあるが……」
アレシスが動かないため、カースとサティーは穴を抜け、庭へと飛び出した。
「……この体? どういう意味?」
「ああ、変化の技を色々試している。まだまだ完全にはほど遠いが、人間に見えなくもないだろ?」
人間のように背筋を伸ばした綺麗な立ち姿だが、ひょろ長い胴体にドラゴンの翼がくっついたトカゲでしかない。誰がどう見ても人間になんて見えない。
「いや無理」
「……そうか、無理か」
サティーの即答に、残念そうにするアレシスだった。
「カース殿を相手にするのであれば、この偽りの姿では申し訳ないだろう。龍族本来の姿となってお相手しよう」
そう言うなり、アレシスは魔法だろうか、黒く輝く光球を生み出して真上へと放り投げた。すぐにそれは落下軌道を取り、アレシスへと落ちた。その瞬間アレシスは闇に包まれ、その姿が一気に膨らむ。闇の固まりは先ほどの二倍程度の大きさにまで広がると、ひび割れるように粉々に砕け散った。そして現れたのは、アレシス本来のブラック・ドラゴンの姿だった。
身の丈おおよそ人の三倍、頭から尻尾までは六倍程度だろうか。以前戦ったドラゴンよりも遙かに小柄だ。身体も細身で尻尾が長く、そして翼が比べて大きい。おそらくは空を飛ぶことに特化した姿なのかもしれない。
「では、ゆくぞ!」
声は打って変わり、澄んだ女性、いや年齢層の低い女の子のようにも聞こえた。しかしそれは油断を誘うためのものかもしれないと、カースは睨みをきかせ。
「……ああ、来い!」
そして、三人の戦いが再び始まった。
カース達にドラゴンの相手を任せた後、レジスタンス達は程なくして本館の制圧が完了した。後方で何度か破壊的な音が響くのは、後ろ髪引かれる思いはあるが。
本館は、主に市政や防衛に関する施設であり、独裁者ガドレイの住まいではない。また、普通の屋敷ということもあって、迷路的な構造でもなかった。防衛していた兵士達だが、同僚だった者たちがレジスタンスに寝返ったこともあって士気は非常に低く、大した戦闘も起こらずあっという間に降伏した。そのため想定よりも早く、本館の制圧が完了したのである。
そしてテイラー達が別館への突入を準備しているとき、本館の防衛を任されていた兵士の代表が彼に忠告した。
「ガドレイの甘い蜜を啜っている連中は、最後まで奴と共にするであろう。その先廊下が狭い場所がある。弓に気を付けろ」
すでに領主を呼び捨てだ。彼はこれまで寝返らずとも、圧政に関しては思うところがあったのだろう。
「……忠告、感謝するよ」
そして、テイラー達は別館へと突入を開始した。
二階の渡り廊下を走り、しかしその先の扉が少しだけ開いた。
「っ! 防御を!」
テイラーの呼びかけに、カイロスが先頭に躍り出て大きな盾をづがんっと音を立てながら床に突き立てた。それとほぼ同時に、扉の隙間から弓矢が何本も放たれた。カイロスの大きな盾は、その程度の弓矢にはびくともしない。すぐさまカイロスの両脇に別のレジスタンス達が盾を構え、並ぶ。狭い廊下である。三人の盾が横並びになれば、もう隙間すらない。
「よし、吶喊!!」
「応!!」
カイロスの呼びかけに、皆一斉に答えた。三人を先頭に、皆が一斉に扉へと駆け込む。そしてカイロスは、そのままの勢いで盾ごと扉に体当たりした。衝撃で扉が壊され、内側へと倒れ込んでいく。レジスタンスはそのままの勢いで部屋へと突入した。
突入と同時に、正面、左右真横から矢が襲いかかった。だが、相手が弓矢を使うことを事前に聞いていたことが功を奏した。先頭三人以外のレジスタンス達は、突入と同時に盾を構え、周りからの攻撃に備えていたのだ。
矢は盾に刺さったり弾かれるなどして、ほとんどが防御された。それに次の矢をつがうまでの僅かな隙に、レジスタンス達はあっという間に兵士達の懐へと飛び込んでいく。慌てて短剣を引き抜くも、レジスタンス達の前にあえなく倒れていく。
正面の兵士達には、カイロス達が盾を構えたまま体当たりを食らわしていた。そのまま突き飛ばされた兵士達は、他のレジスタンス達に剣を突き立てられ、あえなく無力化されていった。
突入して僅か十数秒の間に、この部屋で待ち構えていた弓兵全員が無力化され、もうガドレイを守るものはいなくなっていた。
「……マスカヴ領主、いや独裁者ガドレイ。降伏してください。もうあなたを守る人はいません」
テイラーが一歩前に出て、剣を彼に向けた。
「おいそれと降伏してたまるかっ!!」
しかし、ガドレイは剣を上段に構え、テイラーに振り下ろした。テイラーはそれを剣で受け止め、火花を散らした。と次の瞬間には剣の向きを変え、刀身の上を滑らせた。
「っ!?」
ガドレイは大きく体勢を崩し、テイラーはその隙を見逃さなかった。
カースとアレシスは、最初に一度だけ斬り結んだ。そして間合いを開けて、それから互いに一歩も動けないでいた。
広い庭に出て、黒龍本来の姿となったアレシスだ。遮蔽物も無くなり、有利に戦いを運べると考えたがそうでもなかったことに、驚嘆しているのだ。体が大きくなった分、破壊力は数倍にも膨れ上がっている。だが、その分素早さが落ちている。そこをカースに狙われたのだ。
アレシスは、自らを戦闘狂だと話しただけのことはある。僅かその一手だけで、互いの有利な点と不利な点を見抜き、力が拮抗していることに気付かされたのだ。ブレスを放つにしても、テイルアタックを行うにしても、体当たりに出るにしても、直前に隙を見せることになる。カースがそれを突いて、致命的な攻撃を入れてくる可能性が高いと、そう考えた。
カースは、今までただ一体のドラゴンを倒したに過ぎない。しかし、生命力が極端に高いドラゴンを倒すには、それこそ首をはねるか心臓を一撃の下貫くほかない。そうするにしても、防御に秀でる鱗を切り裂く必要がある。こればかりは偶然や、たまたまという言葉でできるようなものではない。
しかし、彼は確実に、ドラゴンを葬ることのできる技を習得している。それが純然たる事実なのだ。だがその技には、欠点があった。
カースは思考を巡らせる。このドラゴンは、これまで戦ってきたどんな敵よりも強い。大きくなって隙が大きくなったとはいえ、切れ味を鋭くする技、いや魔法を使う直前、少しの間だけ無防備になってしまう瞬間がある。アレシス程のものであれば、その隙を見抜いて攻撃を入れてくるだろう。危険を冒してでもその技に頼るか、それとも魔法に頼らず、技術で鱗を剥がす戦法に切り替えるか、である。技術の方が隙は小さいが、鱗の隙間に剣を突き刺して捻って、という事を何度もしなくてはならない。それに、一度それを行えば狙いを見抜かれ、次からはうまくいかなくなることも明白だった。
さて、どうしたものか、と二人にらみ合っていた。
「……っ! カース兄!!」
サティーが唐突に叫んだ。
彼女に呼びかけられるまで、二人してそれに気がつくことができなかった。
カースは後ろへと大きく跳び、アレシスは真上を見て、魔法を行使した。
「シディーユ!」
魔法の盾が生まれるのと、上空から真っ赤な炎が叩き付けられるのは同時だった。たちまちアレシスはその炎に包まれてしまった。
「っ!」
カースは炎の熱に顔をゆがめながら、上空を見上げた。そこには。
「……てめぇ人間かぁ?!」
そこには、アレシスより一回り大きな、真っ赤なドラゴン、レッド・ドラゴンが羽ばたいていたのだ。それはゆっくりと降下し、地響きを挙げて庭へと降りたった。
「けっけっけっ!」
ダミ声で、炎を振り払ったアレシスを見て嗤うと。
「……頭の悪そうなしゃべり方だな、おい」
「違うぞカース殿。頭の悪そうなじゃなく、頭が悪いしゃべり方だ。貴殿もそう思うだろ?」
カースとアレシスが、サティーにそう声をかけた。
「え? ええ、そうね?」
唐突のレッド・ドラゴンの襲撃に驚きのサティーは、ただ反射的にそう返事を返したに過ぎない。
「……おい、誰が頭悪いって?」
レッド・ドラゴンは、カースに向き直り、睨んだ。
「返事するのかよ。頭の悪いこと認めたようなもんだな?」
それは、明らかな挑発だった。サティーもすぐに気がつき、レッド・ドラゴンに効きそうな魔法はなんだろうかと思考を巡らせ始めた。炎のブレスを使ったのだから、水や氷などが有効だろうか、等と。様々な魔法の言葉を思い浮かべ組み立て、魔法を練っていく。その間にも、カースとレッド・ドラゴンの会話、いや罵り合いが続いた。
「んだとコラぁ!! 上等じゃねェか! 今すぐ殺して」
どがんっ!!
唐突に、大きな衝撃音と共に、レッド・ドラゴンの姿が消えた。直後、玄関ホールの建物がまるで爆発したかのように大きな音を立て、崩れていった。
直前までレッド・ドラゴンがいた場所、そのすぐ近くにはアレシスが尻尾を振り抜いた姿で立っていた。どうやらアレシスがレッド・ドラゴンを、しゃべっている途中で吹っ飛ばしたようである。
「……全く、とんだ邪魔が入ったものだ」
建物は完全に瓦礫となってしまったが、その瓦礫はすぐに崩れ、そこから真っ赤な巨体が身を起こしていた。よろよろとしている当たり脳しんとうでも起こしたかのようだが。それを見ながらアレシスは、大きな溜息を吐いた。
「其方の申したとおり、赤龍はアホでバカでマヌケでそれでいて卑怯極まりない、一度死んで来いってマジクソ野郎だが、炎のブレスだけはなかなかに熱いぞ。まあ我ら黒龍には大した効果は無いがな」
そして唐突にこれでもかと言わんばかりの罵倒に、カースとサティーは一瞬呆けた。
「……あぁあっ!?」
レッド・ドラゴンは正気を取り戻し、その罵倒に怒りの咆哮を上げた。
アレシスはそれを完全に無視し、もう一度溜息を吐いた。
「興が冷めた」
言いながら、翼を広げる。
体の大きさに対し、翼は大きかった。その姿から、やはり空を飛ぶことに特化したようなドラゴンでは、とカースは改めてそう思った。
アレシスはこりを解すように、強く羽ばたいた。
「……どうするんだ?」
「故郷へ帰る」
そしてもう一度強く羽ばたき、体を浮かせた。
「領主を守るためにいたんじゃないのか?」
律儀にも地面へと降り立ち、カースの言葉に応えた。
「あれが死んだ以上、くだらない盟約も潰えたしその束縛もない。ここに居る理由は無くなったのでな。……風のカースよ、機会があればまた相まみえよう」
今度こそ、アレシスは強く羽ばたき、一気に上空へと舞い上がっていった。
「おい黒いの! テメェ!!」
レッド・ドラゴンが叫ぶが、アレシスは一気に速度を上げ、その場から飛び去っていった。あっという間に姿が小さくなっていき、レッド・ドラゴンが今から飛び立って追いかけても、もう追いつけないだろう。
レッド・ドラゴンは、怒りの目をカースに向けた。
「オラァ!!」
力任せに瓦礫を蹴り飛ばし、レッド・ドラゴンがカース達の前まで地響きをあげながら歩いてきた。
「憂さ晴らしにテメェらを血祭りに上げてやろう。この俺様直々にだぞ、光栄に思えやコラァ!」
カースは、溜息を吐きたい気分だった。
先ほどまで対峙していたアレシスは、自分を戦闘狂と言いながらも、それなりに礼儀があった。興が冷めたと言ってこのレッド・ドラゴンを押しつけた形となってしまったが、カースたちならこのレッド・ドラゴンは屠れると判断してのことなのだろう。
そして、当のレッド・ドラゴンだが、これはただのごろつきと変わらない。明らかな敵意をむき出しにしてカース達に恫喝を入れていた。人間にも色々いるが、ドラゴンにも色々いるもんだな、とそう思えた。
人生、三体目のドラゴン、しかもこの一月の間に相次いでの出会いである。伝説の生き物のはずが、急によく出会うようになってしまったが、まさかこんなゴロツキみたいな者までいるとは、とどこか残念に思えるカースだった。とはいえ、ドラゴンはドラゴンだ。油断すれば大怪我ではすまない相手だ。
カースは気合いを入れ直し、剣の切っ先を向けた。
リーンは、町外れの高台から町を見下ろしていた。町の周りには、何故か人間を襲ってくる強い野生動物が増えており、その撃退が彼女らの家族に対しての依頼だった。最初頃は、『強い野生動物』はレジスタンスのことではないかと危惧していたのだが、そこは依頼通りの内容で内心ほっとしていた。自分たちはあくまでも猟師であり人殺しではないのだから。
その仕事も一通り終え、安全が確保されている丘の上、ここから町の様子をうかがっている。最近は、この場所がお気に入りとなっており、家族が先に宿へと戻っていった後、ここでオカリナの練習をしながら町を眺めるのが日課になっていた。
「……?」
彼女は、目も良い。
北の方角、その上空に何かが飛んでいるのを発見したのだ。リーンは練習を中断し、その何かを注視した。これがただの鳥であれば気にしなかったであろう。だが、距離を考えると人間よりも遙かに巨大なものであると認識し、リーンは立ち上がる。
「あれも町を襲う野生動物、かな? おっきなトカゲみたいだけど……」
リーンはスカートの裾を払う。オカリナを懐にしまって軽く伸びをして、背中側にぶら下げている武器に軽く触れた。
飛んでいた野生動物は高度を落としていく。真っ赤な巨体は、炎のようなものを吐き散らし、そのまま町の中心部へと降り立っていった。
リーンが町に戻ったときには、結構騒ぎになっていた。先ほどの野生動物の目撃でパニックになっているのだろう。早く仕留めなくては、とリーンは走る。小柄ゆえ、身のこなしは軽く素早い。道をオロオロと行き交う人たちを一々避けるのが面倒になった彼女は、近場の樽に足をかけ、一気に跳躍した。狭い路地の反対側にあった家の壁を蹴り、更に上へ。そして二階建ての家の屋根の上に跳び上がり、そのまま駆け抜ける。屋根から屋根へ軽く飛び越え、真っ赤な野生動物への最短距離を駆け抜けていく。
そして。リーンはひときわ高い塀を跳び越えるのだった。
レッド・ドラゴンが、カースたちめがけて炎のブレスを吐きかけた。二人は別々の方向へと走り、サティーは組み立てたばかりの魔法を解き放った。
「コールド!」
青白い光が放物線上に飛び、レッド・ドラゴンの翼に命中した。その周辺がたちまち凍り、レッド・ドラゴンはその痛みに顔をしかめてサティーを睨む。そして口を開いた。
サティーは、その口の中に生じた僅かな光を見逃さなかった。それは、光り輝く文様、魔法陣だった。少なくとも、相対するドラゴンのブレスは物理的に炎を吐き出しているのではなく、魔法であるとサティーは認識した。
吐く仕草は、魔法を行使するための意思を強く持つため、つまりは自分たちが呪文を唱えてその意思を示す行為と同じだと、サティーは分析した。魔法陣が輝き、炎が噴出される。
避けるのは容易かった。視線の先が吐く向きだったからだ。炎は広がる分大きく回避する必要はあるが、十分な距離と時間があった。レッド・ドラゴンはサティーから視線を外し、カースを睨み、迎撃する。
ドラゴンは共通してこの技を使うのだろうか。一歩踏み出した足を軸に、体をよじる。太い尻尾がカースを横薙ぎに襲うが、しかし先ほど戦っていたアレシスと比べれば、動作は遅いし切れもない。カースは寸前で軽く避け、一気にレッド・ドラゴンに肉薄する。そして剣を一閃させた。
「ぐおっ!?」
その一撃で、足を覆う数枚の鱗が弾け飛んだ。魔法も何も使わない、彼の純然たる技量のみでの一撃だった。そして返す刃で更に鱗を弾き飛ばし、そして後ろへと大きく跳んでレッド・ドラゴンの蹴りを躱した。
レッド・ドラゴンは口を開き、息を吸う。魔法陣が生まれ、息を吐くと同時に炎をまき散らした。アレシスのそれと比べると、予備動作が無駄に大きい。こうして考えると、アレシスはどこか別格のようなものを感じさせた。
カースは来ると解っていた炎をかいくぐるように駆け抜け、距離を離す。それを狙い、レッド・ドラゴンはまた息を吸う。
ぱしい、とサティーの魔法がその横顔に直撃し、口元を凍らせた。レッド・ドラゴンは力任せにそれを砕き、サティーに顔を向けながら大きく息を吐く。結果扇状に炎が広がる。炎自体は密度が少ないが、広範囲への攻撃となった。レッド・ドラゴン自身意図していなかったものだが、これで二人を遠ざけることに成功した。
そして息を吸い、サティーめがけて炎を吐く。今度はより密度を上げて、太く拡散しないように。
サティーはそれを避けながら、魔法を放つ。慌てていたのか、凍らず水となってしまった。炎に触れた水は一瞬のうちに蒸発し、水蒸気をまき散らす。そのためレッド・ドラゴンからもサティーからも、相手を視認することができなくなった。
ブレスを吐いた瞬間に、カースが仕掛けた。一気に懐へと飛び込み、一閃する。レッド・ドラゴンは溜まらず足を振り上げ、その一撃を躱した。だがカースの方が動きが素早く、回り込んで反対側の足へと斬撃を繰り出した。
「がっ!!」
レッド・ドラゴンが短く呻いた。その直後、水蒸気を突っ切って、青白い光がレッド・ドラゴンの首を直撃した。たちまち首回りが凍り付き、レッド・ドラゴンは蹈鞴を踏んだ。
そして。
「せいっ」
かわいらしい声と、ドスッと言う鈍い音が響いた。
「……え?」
カースは、突然現れたその姿に、あっけにとられた。
「うーん、やっぱり短かったかな」
その少女は、余り力を入れずという様子で、ドラゴンに突き立てた武器を引き抜きながら、首筋から飛び降りた。
「やっ」
そして彼女は武器を握る手を軽く挙げ、短く挨拶をした。
「おっきなトカゲだよね。お兄さんが相手してたんだね。……あ、お兄さんの獲物だったのかな、だったら横入りしてごめんね」
レッド・ドラゴンは、彼女の背後で何とか踏みとどまり、睨み付けていた。
「て、テメエ! 一体どこから、何をしやがった!?」
「……あ、しゃべるんだ? ちょっとやりにくいかなぁ」
彼女はレッド・ドラゴンに振り返って、さも面倒そうに呟いた。
水蒸気が晴れたところで、サティーもその闖入者に気がついた。だが、その姿に、どこかで見覚えがある、と感じる。どこでだろうか、等と考えたいが、しかし今はこのドラゴンを相手にしている。これを切り抜けた後、ゆっくりと考えよう、そう思いながら次の魔法を考え始めた。
「……君は?」
「私はリーンって言うの。あなたは?」
「おいっ!! テメエ!! さっきから無視してるんじゃねえっ!」
レッド・ドラゴンが、リーンに向け叫んだ。
「ともかく、こいつを何とかしなくちゃな。手伝ってくれるか?」
「いいの?」
良いも何もないのだが、とカースは首を捻る。どこか認識がずれているのでは、とそう思わせる発言だった。そして隣に立って気付くことがあった。彼女の手に持つ武器が、かなり珍しいものであるのだ。この地方からずっと南にある、本当に極狭い範囲でしか扱われていない武器だ。名を、ジャマダハルという。刺突専門のもので、扱いがかなり難しいものだ。それを一対、両手に持っている。
小柄で華奢。だが実年齢は敢えて解らないことにした。子供に見えて自分より年上だった人物が身近にいるのだ。人は見た目で判断できないと既に知っているからだ。
「取りあえずこいつ町の中で暴れている。倒さなくても追い払えれば良いと思う。……そうだった、俺のことはカースって呼んでくれ」
「うん、解ったわ」
リーンはにっこりと、本当にこの場に似つかわしくないほどの笑顔で頷いた。
それを叩き潰さんと言わんばかりに、レッド・ドラゴンが身を反転させ、尻尾を叩き付けてきた。カースが大きく後ろへと避けたのと対照的に、リーンはまるでそれが来るのが解っていたかのように、体を回転させながら躱しきる。そして反撃とばかりに、体を更に回転させてジャマダハルを繰り出した。
普通の剣だったら、その固い鱗に阻まれ、傷つけることすら叶わないだろう。だが、リーンのそれは違っていた。何の抵抗もなく深々と突き刺さり、リーンが回転を止めないためそのまま引き抜かれる。そして反対の手のジャマダハルが鋭く突き込まれ、傷を大きくする。
「ぐおぁっ!?」
思わぬ反撃に、レッド・ドラゴンが吠えた。
近くで見ていたカースは、いとも容易くドラゴンの鱗を切り裂いたことに、驚愕していた。隙間に刃を差し込んで無理矢理剥がす方法は、これまで何度かやってきたし、有効な手段でもある。が、鱗自体を切り裂くことは、できないという認識だったのだ。
レッド・ドラゴンは、鱗を容易く斬ることができるリーンを、一番の脅威と察したようだ。尻尾を無造作に振り回し、リーンを遠くへと追い払うようにして。そして口を開いて息を吸った。その僅かな瞬間、魔法陣がその口の中に現れる。
「……分析終わりっ」
リーンは魔法陣を見て一瞬だけ考え、そう呟いた。その直後、大きく振りかぶったレッド・ドラゴンは、リーンめがけて炎のブレスを放つ。殺気が満ちたその炎は、これまでで一番の温度と密度を誇っていた。
リーンは、直撃する寸前にジャマダハルを前へと突き出した。ただそれだけだった。
炎が彼女の姿を飲み込み、サティーも、カースも声をかけることすらできなかった。が、すぐに異変を感じた。炎が渦巻き、揺蕩い始めたのだ。既に炎を掃き終えたレッド・ドラゴンも、その状況が全く理解できないでいた。揺蕩っていた炎が徐々に消えて行き、そこには無傷のリーンが立っていたのだ。
「ば、……バカなっ!?」
「バカとはひどいわね」
周りから見れば、リーンが何をやったかなんて解らない。だが、レッド・ドラゴンだけは理解していた。
自分が吐いた炎のブレスは、実のところ魔法攻撃である。それを目の前にいる女の子は、完全に無効化してしまったのである。それも僅かな魔力、それこそこのブレスにつぎ込んだ魔力の数百分の一にも満たない程度の魔力で、だ。
「じゃあ、反撃開始っ」
そう宣言して、リーンは前へと駆けだした。レッド・ドラゴンは再び口を開くが、しかしブレスは放たなかった。代わりに大きく叫びながら体をよじり、尻尾を繰り出した。
リーンの姿を、カースは目で追う。尻尾を避けるため大きく左に跳躍したため、それを追うため視線を動かす。その瞬間、彼女の姿を見失った。
「え?」
どすっ!!
鈍い音は、カースの意識していない方向から聞こえた。リーンは右からレッド・ドラゴンの懐へと飛び込んでおり、その脇腹にジャマダハルを突き立てていたのだ。そのまま勢いを殺さず、リーンはジャマダハルを支点に回転運動に変えていく。ジャマダハルはそのまま深くレッド・ドラゴンの体を抉り、途端に鮮血を吹き出させた。
リーンは空中で器用に体を捻り、軽い身のこなしで着地しながら向きを変え、右に強くステップをふんで左へと飛ぶ。今度はカースの目が追いつけた。まるで固い壁を蹴るような、極端な切り返しをするのだ。
負けじと、カースもレッド・ドラゴンの懐へと飛び込む。既に技に関わる力は十分ため込んでいる。後はタイミングを見計らい、解放するだけだ。
「リーン離れて!」
「うんっ」
リーンは素直に従う。
彼女は、カースの体の中にとある流れを感じていた。それは先ほどレッド・ドラゴンがブレスを吐いたときにもあり、自身がそれを再現したときにも感じたものである。小さな頃からその流れを掴んだり見たりすることは得意だったが、この力の流れを具体的にどんな物なのかという名称は知らない。ただ、その流れが複雑な形状になったとき、集まった力が共振して莫大な力を生み出すことまで理解していた。その流れが、今、彼の中に感じられていた。きっと、この大きな野生動物を両断できるほどのものを。
「スレイヴ!!」
カースは、すくい上げるような斬撃を繰り出す。力がそれに呼応するように、刃からあふれ、もう一つの大きく鋭い剣と化していく。力で構成された剣は、レッド・ドラゴンの体にめり込み、切り裂き、そのまま肩口へと突き抜けた。
「…がっ…、あ……?」
そしてレッド・ドラゴンは、短く何かを呻いて、地響きを立てて倒れ伏した。
「……おお、すごい」
リーンは呟く。力の流れは瞬時に理解した。どの様に力を練り込み、形にすれば良いのかまではもう考えついている。しかし、リーンには再現はできそうになかった。彼が扱っている剣に特化されているためだ。もしリーンがその剣を借り受けても、剣技が追いつかないため相手には届かないだろう。彼だけができる、必殺技といえよう。なら、これを参考にした自分なりの技を作り出してみようかな、とただ漠然と考えるリーンであった。
リーンとカースの元に、サティーが走ってきた。
「やったねカース兄」
「ああ。この娘のおかげで相手に大きな隙を生むことができた」
「リーン・スナーよ」
「……私はサティー・ヴィリアス。よろしくね、リーン姉」
「姉って、あなたの方が年上でしょ?」
一目見て、リーンはサティーが年上であることに気がついたようである。普通であれば、サティーの見た目から一〇代前半の子供だと言われて良しなのだが。
「え? ……よく分かったわね?」
「え? 解らない方がおかしいでしょ?」
リーンはカースに視線を送るが、彼はそっぽを向いてしまった。この反応で、カースも最初解らなかったんだ、と悟ってしまった。
「……このオオトカゲは消えないタイプなのかな?」
リーンは、レッド・ドラゴンの骸を見ながらそんなことを呟いた。
「トカゲって……。いや、これ、ドラゴンだぞ」
「ドラゴン? あのお伽噺とかに出てくるあのドラゴン?」
「そうよ」
カースとサティーは、二人してどこかずれている女の子だな、とそう思ってしまった。
「あ、消えないってどういうこと?」
「うん、私猟師をやっているのだけど、それでね。仕留めると粉々に砕けちゃう動物と、そのまま残って食べられる動物がいるの。食べられる動物も、何というのかな、ごく普通の動物と明らかに流れがおかしい動物がいて、その流れがもっとおかしくなった動物が、仕留めたら砕けちゃうって感じなの」
リーンは首を捻って。
「えっと、さっきこのトカ…じゃなくてドラゴンが火を噴いたときとか、カースが大技を使ったときに感じた力がね、そのおかしな動物に溜まっている力によく似ているの」
カースとサティーは顔を見合わせた。特にサティーは何か気付いたような表情となった。
「リーン姉、ちょっと試してほし」
「おーい!!」
サティーの声を遮るように、別館の方から大勢歩いてくるのが見えた。
「さすがはドラゴン・スレイヤーでもある風のカース殿だ、よくあのブラック・ドラゴンを……、あれ、赤いぞ? 死ぬと赤くなるのか?」
カースは首を振る。
「ブラック・ドラゴンと交戦中、レッド・ドラゴンが乱入。色々あってブラック・ドラゴンが戦意喪失して逃亡、代わりにこいつ襲ってきたから皆で倒したって言うのが経緯よ」
面倒そうに、サティーが説明した。
「……なるほど?」
テイラーは首を捻るが、取りあえず二人が無事であることを喜んだ。
「して、この女の子は君たちの仲間なのかい?」
リーンは首を振って。
「私は領主様に、この辺りにやたら強い動物がいるから駆除してくれって頼まれているの。で、このトカゲ…じゃなくてドラゴンがそうなのかなって、二人の手伝いをしただけ」
まさにその通りではあるのだが。レジスタンス達は、ブラック・ドラゴンに苦汁をなめさせられているからその脅威を知っているし、カースも以前別のドラゴンと戦ったことがあるので、その脅威を解っている。が、この女の子は狩りの対象程度にしか捉えていなさそうだった。いや、戦闘中の彼女の様子から、殺し合いをしているという緊張感がなかったことから、実際にそう思っていた可能性はある。恐ろしくて聞きたくはないが、とサティーは冷や汗を流す。
それ以前に、ここは雇い主の領主の館だ。そこに現れたこのドラゴンが領主の手のもので、これと戦うことが領主に刃向かっているという発想が無いのかなど、リーンに対して様々な考えが浮かぶが、彼女の次の一言で、何もかもが吹っ飛ばされた。
「このトカゲは美味しいわよ」
一瞬、静寂に包まれた。
「……ついにトカゲって言い切っちゃったよ」
「あ、ドラゴンね?」
サティーのつぶやきに、リーンは慌てて修正するのだった。
いや、余りの衝撃の発言だったことで、思考が停止してしまい、思わず場違いな質問が飛びだしたに過ぎなかった。
このドラゴンが何って、皆にとっては想像を絶する言葉だったのだ。サティーははっとなって、リーンに聞き直した。
「……美味しい、……って食べるの!?」
美味しいと断言した時点で、おそらくリーン達はトカゲと称してドラゴンを倒し食べたことがあるのでは、と末恐ろしくなる一同だった。
屋敷を出てから、リーンは皆と別れるつもりでいた。が、テイラーが彼女を呼び止めた。
彼らレジスタンスは、この町を解放したということもあり、それを喧伝するためのパーティを開くこととなった。またカースとサティーの二人はレジスタンスに協力したメンバーであり、そのパーティに出席するように要請された。その流れで、一緒にドラゴンを倒したリーンも誘われたのである。
「でも私たち、一家でこっちに来ているし。私だけ誘われて抜け出すのもちょっと申し訳ないかなって」
「じゃあ、家族の方も呼べば良いよ」
テイラーは快く承諾した。というよりは、リーンの逃げ道を塞いだ、が正しい。
「……うん、解りました。一度宿には戻るわね。きっと心配させてるし。父にも母にも知らせないといけないし」
そう言って、リーンはその場を後にしようとする。
「なら、その荷物を預かっておこう。重いだろ?」
カイロスがリーンにそう告げた。リーンは軽いから大丈夫だと断りを入れるが、しかし有無を言わさない無言で、リーンは渋々ジャマダハルを彼に預けた。
こうして、リーンは荷物という人質を取られ、両親と一緒に郷へ逃げ帰るという目論見は阻止されてしまうのだった。
それから一時間後。
占領した領主邸で、ささやかながらの立食パーティが開かれることとなった。
「……パーティーと聞いて、格式張ったものをイメージしてたのだけど」
「逃げたかったのは、それでなの?」
「……うん」
サティーの質問に、リーンは素直に頷いた。
「うむ」
少し離れた場所で、ヴァルスとテイラーが話をしていた。
リーンが両親を連れてきて、改めて自己紹介をしたときだった。テイラーもヴァルスも、おなじメルガノフ姓だったのだ。二人は特に知り合いというわけでもなく、近い親戚というわけでも無さそうだった。ただ、そんな些細なことで何となしに気があったようだった。
「ちゃんと来たんだね」
「……う、うん」
リーンを見つけたカースが、彼女の元を訪れ、声をかけた。
「えっと、その……」
リーンは、先ほどまでのごく自然な態度ではなく、どこかよそよそしくなっていた。何かあったのだろうかとカースは感じるも、余計な詮索も憚られた。
「やあやあ楽しんでるかい?」
そこに、サティーが陽気を気取ってリーンに声をかけた。
「えっと、うん。まあまあ楽しんでるわよ」
サティーは串焼きにした肉を頬張り、もぐもぐと咀嚼する。こうしてみれば小さな女の子らしく見えるのだが、とカースが考えると、途端にサティーがむっとした表情となった。彼の考えが手に取るように解るらしい。そんな関係、良いなとリーンも感じていた。
サティーは手にしていたものを食べ終わり、それらを近場のテーブルに置いて戻ってきた。
「ちょっと真面目な話するけど、良いかしら?」
「うん? 良いわよ?」
サティーはカースに目配せすると、彼も頷いていた。
「私、『夢見』という力が使えるの。……夢見って解るかしら?」
リーンは首を振った。
「簡単に言えば、夢を媒介して、過去や未来の事を見る能力ね」
夢見は、二つの種類がある。一つはサティーのように未来を見通すもの、『未来視』だ。そしてこちらはサティーはあまりできないが、過去をみる、そのまま『過去視』と呼ばれるものがある。こちらはどんなに隠蔽しようが、真実の過去を見ることができる、というものだ。
一度咳払いをして、サティーは続けた。
「この町に来るまでに、いろいろな夢を見たの。私たち三人で旅をしている、そんな夢よ。私と、カース兄。そして……リーン姉。リーン姉に会って、あなただって確信したの。……ああもう、回りくどく言うのは好きじゃないわね」
サティーはリーンを見上げて続ける。
「私たちと一緒に、旅に出ない?」
「え?」
唐突な言葉に、リーンは一瞬呆けてしまった。
「……サティー、それはさすがに。リーンだって家族がいるんだ。そう簡単に旅に出られるものでもないだろう」
「まあね。もちろん断ってくれても問題無いわよ」
苦笑したサティーに、リーンは少し考え、小さく頷く。
「ちょっと両親と相談してくる」
「お父さん、お母さん」
「どうした?」
リーンは、サティーに旅に誘われたことを両親に相談した。そして、かねてからずっと思っていたことも打ち明けてみた。
思春期を迎えた頃から、リーンはある種の流れを感じられる事に気付いた。言葉にするのは難しいが、例えるならおぼろげの光のような、水の流れのような。その流れは、あらゆる生物の身体の中に蓄積されているのだ。狩猟に出るようになってから、その濃淡における違いもはっきりと分かるようになった。
薄い動物はそれほど強くもないし、普通の肉だ。濃くなればなるほど強くなり、肉も美味しくなる。だがある程度を越えてしまうと、やたら強い敵となり、そして絶命すると身体が崩壊してしまう事に気付いた。一体どんな理屈なのだろうかと、リーンは子供ながらにそう思っていた。何せ、大人達は自分が感じているこの流れを見ることができないのだから。
そして彼女がもう少し成長してから、また別の悩みを抱えるようになった。それは、自分の身体的特徴である。
全体的に出るとこ出ず引っ込むところそれほどでも無い幼児体型なのは百歩譲るとしても、エルフのようにすこし尖った耳と、瞳の形だ。今日初めてドラゴンと対峙して気付いたのが、ドラゴンの瞳に近い形状だったことだ。
両親は過去に、村人たちと数人がかりでレッド・ドラゴンを、赤くて大きなトカゲとして討伐したことがある。その場にいた者たちは、その時にリーンの瞳とドラゴンの瞳の形が酷似していたことに気付いていた可能性は高い。ただ、余計な心配はさせまいという気遣いで、このことは伝えなかった可能性もあった。結局はリーン自身がドラゴンと戦い、気付いてしまったわけだが、これが一つの大きな切っ掛けだった。
自分が何を望むか。どうして不思議な流れを感じとることができるのだろうか、この流れとは一体何だろうか、そして、自分が一体どうやって生まれてきたのか。それらを知りたかった。
回りくどく考えてみて、そして最終的には一言に集約できた。だからリーンは、思い切って両親に打ち明ける。
「二人と旅をして、私は自分を知りたいの」
両親は顔を見合わせるも、そこにあるのは柔らかで優しい、いつもの笑顔だった。
「ああ、行ってこい」
「自分が納得できるまで、旅をして。でも最後はちゃんと帰ってくるのよ?」
それはもうあっさりと、リーンが旅立つことを了承した。多少はごねるだろうかと覚悟していたリーンだが、逆にあっけにとられるぐらいだった。ぽかんとしているリーンに、母が微笑む。
「いつかこうなる日が来るって解っていたからね。覚悟って程のことじゃないけど、あなたが旅に出たいと願ったら、私たちは止めないことに決めていたの」
「ああ。そのために必要なことは一通り教えたつもりだ。だから、心ゆくまで旅を楽しめ」
両親の言葉が、ひたすら温かく感じられたリーンは、俯く。
「……お父さんも、お母さんも、ありがとう」
リーンは、にじみ出る涙を拭い、笑顔で頷くのだった。




