第四章 声にしない約束
返事を待つ十日間は、長かった。
毎日、放課後になると放送室の郵便受けを見に行った。何も入っていない日には、少しだけ安心して、少しだけがっかりした。
真弓さんから連絡が来なければ、梢さんはもう一度傷つかずに済むかもしれない。けれど、何も届かなければ、あの手紙もまた、誰にも届かなかったことになる。
どちらを願っているのか、自分でも分からなかった。
待っているあいだ、私たちは最後の放送を作り続けた。
沙月先輩は古い校内チャイムを何度も聞き比べ、少しだけ音程が低くなっている方を選んだ。
「こっちのほうが、昔から聞いてた感じがする」
「古いほうですか」
「古いほう」
「ノイズ、入ってますけど」
「ノイズもいる」
「先輩、昔なら切ってたでしょう」
「渚のせいで、少し変わった」
「私のせいですか」
「いい意味で」
先輩は口元をほころばせた。
私は、パソコンの画面から目を離さなかった。
いい意味で、と言われると嬉しいのに、そこから先を期待してしまう自分が嫌だった。
ある日の帰り、二人で体育館の後ろに設置された古いスピーカーを確認した。
踏み台に乗った先輩が、ケーブルを引き抜こうとして届かず、私は下から踏み台の脚を両手で押さえた。
「先輩、足元」
「見えてる」
「見えてないから揺れるんです」
先輩の靴が、少しだけぐらついた。
私は踏み台をさらに押さえ込んだ。
ケーブルが外れると、先輩はゆっくり降りてきた。
「助かりました」
先輩は、私がまだ踏み台を押さえている手を見てから、小さく言った。
「ありがとう」
私は手を離し、何でもないふりでケーブルを受け取った。
土曜日には、梢さんから短い電話があった。
真弓さんへ渡した同級生から、話は伝わったらしい、とだけ聞いた。
「返事が来るといいですね」
私が言うと、梢さんは少し考えてから答えた。
「来なくても、大丈夫だと思えるようになりたいわ」
それは強がりではなく、静かな願いのように聞こえた。
電話を切ったあと、私は放送室の机に頬杖をついた。
沙月先輩は、窓際で原稿を読んでいる。
「先輩」
「うん」
「待つのって、難しいですね」
「うん」
「何もしないことと、待つことって、違うんでしょうか」
先輩は原稿を閉じた。
「違うと思う」
「どう違いますか」
「待つのは、相手が来られる場所にいること。何もしないのは、最初から来ないものだと思って背を向けること」
私は、先輩の言葉を繰り返した。
相手が来られる場所にいること。
それなら、私は今、どこにいるのだろう。
沙月先輩が東京へ行ったあとも、私は先輩が来られる場所にいられるのだろうか。
真弓さんからの返事は、十日後に届いた。
宛名は桜森女子高等学校放送部、沙月先輩宛てだった。白い封筒は、何度も書き直したような筆跡で、差出人の名前だけが小さく書かれている。
昼休み、私は放送室でその封筒を見つけた。
机の上には、閉校式典の番組構成表と、使い終わった乾電池と、食べかけのビスケットが散らばっている。その真ん中に置かれた封筒だけが、妙にきれいだった。
「先輩、これ」
職員室から戻ってきた沙月先輩が、すぐに気づいた。
封筒を手に取ると、しばらく何も言わない。
「開けますか」
「うん。でも、渚もいて」
「私がいていいんですか」
「手紙は梢さん宛てだと思う。私たちは読まない。渡しに行く前に、返事が来たって分かればいい」
私は頷いた。
先輩が丁寧に封を切る。
中に入っていたのは、梢さん宛ての封筒と、私たち宛ての短い便箋だった。
便箋には、こう書かれていた。
『桜森女子高放送部のお二人へ。
突然の連絡に驚きました。それでも、あの手紙が残っていたことを教えてくださって、ありがとうございます。
梢さんにお渡しください。もし梢さんが望むなら、三月の閉校式典の日、学校へ伺います。会いたくないと思われるなら、それでもかまいません。
水城真弓』
私は読み終えてから、何度も一番最後の行を見た。
会いたくないと思われるなら、それでもかまいません。
会いたい、とは書いていない。
でも、来ることができる、と書いてある。
「行きましょう」
沙月先輩が言った。
「今から?」
「図書館、昼休みならまだ開いてる」
私たちは廊下を急いだ。
教室へ戻れば、五時間目の授業に間に合わない。けれど、沙月先輩は途中で立ち止まらなかった。私も止まらなかった。
図書館の資料室で、梢さんは机に向かっていた。
私たちを見ると、すぐに何かを察したようだった。
「返事が来たんですか」
「はい」
沙月先輩が、梢さん宛ての封筒を差し出す。
梢さんは両手で受け取った。
開けるまで、やはり時間がかかった。
私は窓の外を見た。図書館の庭の雪はほとんど解けていて、枯れ枝の先に、小さな水滴が光っている。
「帰って、読みます」
梢さんは言った。
「今は、まだ」
「分かりました」
私たちはすぐに立ち上がった。
そのとき、梢さんが呼び止めた。
「渚さん。沙月さん」
「はい」
「あなたたちは、閉校式典で何をするの?」
「最後の校内放送を流します」
沙月先輩が答えた。
「昔の校歌とか、今の生徒の声とか」
「そう」
梢さんは封筒を胸元へ寄せた。
「いい放送になるといいわね」
その言葉は、応援にも、さよならにも聞こえた。
学校へ戻る途中、チャイムが鳴った。
私たちは門の前で立ち止まり、遅刻を覚悟した。
「先輩」
「うん」
「会えるんでしょうか」
「二人が?」
「はい」
「分からない」
先輩は校舎を見上げた。
「でも、会うかどうかを決められるところまで来た。それは、昨日までよりずっといいと思う」
私は返事をしなかった。
決められるところまで来る。
それだけでも、きっと大きなことだ。
けれど、決めるのは怖い。会わないと決めることも、会うと決めることも。どちらにしても、今までのままではいられなくなる。
その日の放課後、篠田先生に番組の構成案を見せた。
校歌。生徒会長の挨拶。卒業生からの手紙。放送部の歴代部員の名前。校内各所で録った音。最後に、在校生の声を重ねた短いメッセージ。
沙月先輩が作った案の二枚目に、『声の手紙』という見出しがあった。
その下には、鉛筆でこう書かれている。
『伝え損ねたことがあっても、言葉はなくならない。誰かに届くまで、声は残る。』
私は文字を読んだあと、手が止まった。
「これ」
沙月先輩を見る。
「うん」
「梢さんと真弓さんのことですか」
篠田先生が一度、私たちの顔を見た。
沙月先輩は、誤魔化さなかった。
「きっかけは、そうです。でも名前は出しません。昔の録音も使わない」
「それでも、二人の話でしょう」
「誰にでもある話にする」
「それがだめなんです」
自分でも、声が強くなったのが分かった。
篠田先生は何も言わず、机の端に置かれたCDを整えている。
沙月先輩の眉が少しだけ寄った。
「どうして」
「あの人たちは、私たちに話を作ってほしいわけじゃない」
「作るつもりはないよ」
「でも、先輩は使おうとしてる」
「使うって言い方は、違う」
「違いません」
放送室の空気が冷えた。
私は、これ以上言うべきではないと思った。けれど、止められなかった。
「自分たちが見つけたからって、二人の声を、みんなの感動する話にしないでください」
沙月先輩は、しばらく黙っていた。
「私は、二人の話を見世物にしたいわけじゃない」
先輩は、ゆっくり言った。
「手紙を見つけて、梢さんが泣いて、真弓さんから返事が来て。それを見ていたら、言えなかったことがある人に、言葉はまだ届くかもしれないって思った」
「だからって」
「だから、誰かに話したかった。名前も、詳しいことも出さない。昔の二人を借りて、私たちが思ったことを話したかった」
「私たち、ですか」
「うん」
「私は、そんなこと思ってません」
沙月先輩の目が揺れた。
私は、それを見ても止まれなかった。
「先輩は、言えなかったことを大事にしてるって言うのに、自分のことは何も言わないでしょう」
「渚」
「東京へ行くことも。私がどう思うかも。先輩は、放送ならきれいに言葉にできるのに」
篠田先生が、机の上のペンを置いた。
「渚さん」
「ごめんなさい」
謝った。でも、遅かった。
沙月先輩は、私を見ていた。
怒っているようにも、傷ついているようにも見えた。
「私は、何も言っていないわけじゃない」
先輩の声は小さかった。
「渚が、分からないって言ったとき、私はそれ以上聞かなかった」
「それだけです」
「それ以上を、今ここで言えばいいの?」
放送室の時計が、やけに大きく秒を刻んでいた。
私は答えられなかった。
何を言ってほしいのか、分かっていた。
でも、それを私から言ってしまえば、先輩を困らせる気がした。
沙月先輩は、紙を一枚だけ抜き取った。
「分かった」
『声の手紙』と書かれた紙を、半分に折る。
それだけだった。
なのに、私は何かを壊した気がした。
「渚さんの言うことも分かるわ」
篠田先生が静かに言った。
「でも、言葉そのものを怖がらなくていい。誰かの話を借りるときは、借りたことを忘れなければいいのよ」
「先生」
「今は、二人とも少し落ち着いてから話しなさい」
私たちは返事をしなかった。
それから二日間、沙月先輩とは必要なことしか話さなかった。
録音の開始時刻。原稿の修正箇所。今日使ったマイクが少しノイズを拾うこと。そういうことだけ。
「三番目の音源、長すぎる」
「切ります」
会話はきれいに終わる。
終わりすぎて、苦しかった。
一日目の帰り、私は沙月先輩より先に放送室を出た。
廊下の窓に映る自分の顔が、思ったよりひどかった。泣いたわけではないのに、ずっと泣くのを我慢していた人みたいに見える。
昇降口で靴を履き替えていると、美里が後ろから声をかけてきた。
「渚、今日早い」
「そう?」
「いつも、放送室で先輩と残ってるじゃん」
「先輩も忙しいから」
「けんかした?」
「してない」
早く答えすぎた。
美里は何も言わず、靴紐を結び直した。
「あのさ」
校門へ向かう途中で、美里が言った。
「私、卒業したら、今のクラスの人とあんまり会わなくなる気がする」
「美里は二年生でしょう」
「新しい高校に行ったら、クラス変わるし。みんな、部活とか受験とかで忙しくなるし」
「会いたければ会えるよ」
「渚、そういうの信じる?」
私はすぐに答えられなかった。
会いたければ会える。
言葉としては正しい。でも、それには、会いたいと言うことも、日を決めることも、返事を待つことも必要だ。
「会う努力をすれば、会えると思う」
私は言った。
美里は少し笑った。
「なんか、大人っぽい」
「急にどうしたの」
「先輩とけんかすると、大人っぽくなるんだね」
「けんかしてない」
「はいはい」
二日目は、午前中から雪が降った。
放課後、私は一人で番組の最後に使う生徒の声を並べ替えた。短い声をつなげると、誰かの言葉のあとに、別の誰かの言葉が思いがけず答えになる。
机の上には、付箋が一枚置かれていた。
『昨日の編集、よかった。三番目の声のあと、二秒空けよう。沙月』
それだけだった。
私は付箋を、しばらく指で押さえていた。
仲直りしたわけではない。何も解決していない。
けれど、先輩は私の編集を聞いていた。
私も、先輩の字を見ただけで、少しだけ呼吸が楽になった。
夕方、機材を片づけていると、沙月先輩がドアの前に立った。
「渚。『声の手紙』は、勝手に終わりにしない。私も、ちゃんと話したい」
「はい」
それだけで、さっきまでより少しだけ、先輩のほうを見られる気がした。
放課後の校舎には、梱包用の段ボールが増えていった。廊下の掲示板からは、生徒会選挙のポスターも、文化祭の写真も外されている。空いた画鋲の穴だけが残る。
私は放送室で一人、校庭の音を録った。
風。遠くの車。体育館の扉が閉まる音。部活帰りの後輩たちの笑い声。
ヘッドホンを外すと、音は急に遠くなる。
録音機の小さな画面には、細い波が並んでいる。
それを見ていると、声は残せても、そのとき何を思っていたかまでは残らないのだと思った。
だから、梢さんは何十年も分からなかった。
真弓さんは、急に町を出た。
沙月先輩は、東京へ行く。
私だけが何も言わずにいれば、何も壊さずに済む。
そう思っていた。
けれど、何も壊さないことと、何も残らないことは、たぶん近い。
金曜日の夕方、守谷さんが放送室のドアを叩いた。
学校の用務員で、いつも作業着の胸ポケットに飴を入れている人だ。
「渚さん」
「はい」
「屋上、見に行くって話、まだ生きてるか」
私は立ち上がった。
先輩と約束したまま、行けていなかった。
「行きたいです」
「なら、今なら行ける。閉校前に設備の確認するんだ」
「一人でもいいですか」
「本当はだめ」
守谷さんは笑った。
「だが、五分だけ。鍵は俺が開ける」
私は一度、机の上の時計を見た。
沙月先輩は、今日はもう帰ったと思った。
でも、屋上へ続く階段の前にいた。
手すりにもたれ、私を待っていた。
「先輩」
「守谷さんに聞いた」
「どうしているんですか」
「渚が一人で行くと思ったから」
「一人でも平気です」
「知ってる。でも、今日は一緒に行きたい」
私は返事をする前に、守谷さんが鍵を回した。
重い扉が、軋みながら開く。
外の空気が一気に流れ込んできた。
屋上は、思ったより狭かった。
四角いコンクリートの上に、古い貯水槽と、低いフェンスがある。夕方の町は薄紫色で、山の影が家々の屋根へ伸びていた。
風が強い。
髪が顔に張りつき、制服のスカートが揺れた。
「梢さん、本当にここで待ってたんですね」
私は言った。
「うん」
「寒かったでしょうね」
「うん」
沙月先輩はフェンスの向こうを見ていた。
何十年も前の誰かを、今も見ようとしているようだった。
「先輩」
「なに」
「『声の手紙』のこと、ごめんなさい」
先輩は振り返らなかった。
「私も、ごめん」
「私、先輩が梢さんたちを利用するみたいに言いました」
「少し、そうだったのかもしれない」
「違います」
「渚」
先輩が、初めてこちらを見た。
夕方の光で、目の色がいつもより薄く見える。
「私は、二人の話をきれいなものにしたかった。そうすれば、会えなかったことにも意味があるみたいに思えるから」
「意味は、なくてもいいです」
「うん」
「会えなかったことは、会えなかったことで、悲しいままでいいです」
言いながら、自分に言っているのだと分かった。
沙月先輩が東京へ行くことも、悲しいままでいい。
無理に、平気なふりをしなくていい。
「でも」
先輩が一歩近づいた。
「悲しいままで、言うことはできると思う」
風の音が、フェンスを鳴らした。
声が、喉のあたりで止まった。
「渚は、私が東京へ行くこと、寂しくない?」
まっすぐ聞かれた。
逃げ道のない声だった。
私は、足元のコンクリートを見た。小さな石が靴の先に当たっている。
「寂しいです」
やっと言った。
「すごく」
言った途端、涙が出そうになった。泣くほどのことではないと思ったのに、言葉にすると、急に本当になった。
沙月先輩は、すぐには何も言わなかった。
ただ、私の制服の袖を指先でつまんだ。
「私も、寂しい」
小さな声だった。
「渚を置いていくみたいで、嫌だった」
「置いていくんじゃないです」
「そうだね」
「先輩が、やりたいことをやるだけです」
「それでも」
先輩は、袖から手を離した。
「渚の来年に、私はいない」
その言葉に、胸が痛んだ。
いない。
卒業すれば、先輩はもうこの放送室にいない。昼休みに廊下ですれ違うこともない。帰りのバス停で、たまたま同じ便になることもない。
「私は、先輩の来年にもいたいです」
声は震えていた。
言ったあとで、しまったと思った。でも、もう引っ込められない。
沙月先輩の目が揺れた。
「渚」
先輩は、私の名前を呼んでから、しばらく続きを言えなかった。
風のせいで聞こえないふりをしたかった。でも、先輩が真剣に考えているのが分かるから、逃げられなかった。
「私は、東京へ行く前に、何かを始めるのが怖い」
「何かって」
「渚とのこと」
心臓が一度、大きく鳴った。
先輩はフェンスのほうを見たまま続ける。
「私が卒業したら、渚はここに残る。新しい学校で、また友達ができて、部活もあって。私は離れた場所から、渚に会いたいって言うだけになる」
「それでも」
「渚が困るかもしれない」
「困りません」
「私が困るの」
先輩は、少しだけ笑った。
悲しい笑い方だった。
「渚がいないところで、渚のことを好きになるのが怖い。会いたいって思っても、すぐ会えない。渚が泣いてても、帰ってこられない日がある」
私は、その言葉を聞いた。
先輩も、同じように怖がっていた。
私だけが置いていかれるわけではない。
「私は、先輩に、何があっても帰ってきてほしいわけじゃないです」
「うん」
「東京に行くのも、音のことを勉強するのも、先輩がやりたいことなら、行ってほしいです」
「渚」
「でも、いなくならないでほしい」
言葉は、思ったより静かに出た。
泣きそうなのに、声は震えなかった。
「先輩のやりたいことを止めたくない。でも、私のことを、最初から終わったことみたいにしないでほしいです」
先輩の目に、涙が溜まった。
私は見てはいけないと思った。でも、目をそらせなかった。
「そんなこと、しない」
先輩は言った。
「渚を、終わったことにできない」
その言葉の意味を、私はすぐには聞き返せなかった。
聞けば、何かが変わる。
変わってほしいのに、まだ怖い。
それでも、もう胸の中の言葉から目をそらせなかった。
沙月先輩が好きだ。先輩が東京で新しい日々を過ごすことがうれしくて、同じくらい苦しい。
それでも、好きでいたいと思った。
先輩が何かを言いかけたとき、下から守谷さんの声がした。
「五分過ぎたぞー」
沙月先輩は、ほんの少し笑った。
私も笑った。ひどいタイミングなのに、笑うしかなかった。
扉へ向かう前、先輩が言った。
「明日、梢さんのところへ行こう」
「はい」
「梢さんが、手紙を読めたか聞こう」
「はい」
「それから、最後の放送は、二人の話を使わない形で作ろう」
「『声の手紙』じゃなくて」
「うん。私たちだけの話にしないもの」
私は頷いた。
次の日、梢さんは手紙を読んだあと、真弓さんへ返事を書いたと教えてくれた。
真弓さんも、三月の閉校式典の日に学校へ来るという。
「二人で会います」
梢さんは言った。
「放送にはしないでくださいね」
「しません」
私はすぐに答えた。
梢さんは、短く息をこぼした。
「でも、屋上を借りてもいいかしら」
沙月先輩と私は顔を見合わせた。
同じことを考えていたらしい。
「守谷さんに頼んでみます」
沙月先輩が言った。
帰り際、梢さんは私たちの連絡先を小さな手帳に書き留めた。
「春になってからも、連絡していいかしら」
「もちろんです」
図書館を出たあと、先輩は私に新しい構成案を見せた。
タイトルは『この学校で聞いた音』。
名前も、昔の恋も、手紙も出てこない。チャイム、運動靴の音、図書室のページをめくる音、校歌を歌う息、そして生徒たちがそれぞれ残した一言だけをつなぐ放送だった。
「どうですか」
「いいと思います」
「ほんと?」
「はい。先輩らしいです」
「それ、褒めてる?」
「褒めてます」
先輩の表情がほどけた。
その笑い方は、前より少しだけ近く聞こえた。
閉校まで、あと二十三日だった。




