第7話 英雄ではなく規則違反者
「その針から手を離せ、シオン」
ヴァイス教授ではなく、ガルド教官の声だった。
湖岸まで来た教官は俺と教授の間へ入り、片手で革袋を開く。
「未知の術具なら、素手で渡すのも危険だ。ここへ落とせ」
「待ちたまえ。結界に関係する術具なら、私の研究室で――」
「なら、なおさら記録が先だ」
ガルド教官はヴァイス教授を見ず、近くの教師へ声をかけた。
「発見者はシオン・レイス。鉄翼竜の首から抜去。立会人は俺とカルダン教授、それから湖岸にいる全員だ。記録したな?」
「は、はい」
「封を」
俺は言われたとおり、黒い針を革袋へ落とした。
教師が袋の口へ封印術をかける。青い線が結び目を一周し、学院の紋章になった。
ヴァイス教授は差し出していた手をゆっくり下ろした。
「慎重なのは結構だ。保管庫へ運んだあとで、私が調査しよう」
穏やかな声だった。
けれど、俺にはなぜか、黒い針より冷たく聞こえた。
◇
竜を落とした者が最初に入れられたのは、表彰台ではなかった。
治療室の奥にある、小さな待機室だった。
扉には外から封印がかけられ、窓にも銀色の格子がある。
寝台と机が一つずつ。
俺が座ると、硬い椅子が短く鳴った。
「これ、治療ですか?」
「治療を兼ねた事情聴取待ちだ」
扉の前に立つ教師は、気まずそうに答えた。
右肩には包帯、腰には湿布、手の甲には治癒水の膜。
確かに治療はされている。
ただし、廊下へ出ることは許されていない。
理由は四つあった。
避難命令に従わなかったこと。
許可なく武器へ複数の術式を込めたこと。
他の生徒を危険な空中戦へ参加させたこと。
討伐命令が出る前に竜へ近づき、殺さず残したこと。
並べられると、俺はずいぶん危険なことをしたらしい。
いや、実際にした。
剣は砕けた。リゼの風が少しずれていたら焼かれていた。救命索が外れていたら、今ごろは治療室ではなく別の場所に寝かされている。
それでも、あそこで全員が退いていたら、西門前の生徒たちは無事では済まなかった。
その事実まで、規則の外へ追い出されるのだろうか。
やがて扉の封印が消えた。
「審問室へ来なさい」
連れていかれた先には、長い机があった。
中央に学院長。両脇に三人の教員。少し離れた席にヴァイス教授が座っている。
ガルド教官は壁際に立っていた。
「シオン・レイス」
学院長が重い声で告げる。
「鉄翼竜の撃墜により、多数の生徒が救われた。それは疑いようのない功績だ」
「はい」
「だが、結果がよければ過程を問わないわけにはいかない。君の行動を英雄的だったという一言で済ませれば、次から誰も退避命令を聞かなくなる」
それも分かる。
俺が下級生なら、今日の出来事を見て、自分にもできると思うかもしれない。
「だから、聞きたい。首席生リゼ・アルヴェインへ、君は命令したのか」
「頼みました」
「断れば見捨てることになる状況で、か?」
言葉に詰まる。
俺にそのつもりがなくても、リゼは断りにくかったかもしれない。
「違います」
扉の外から声がした。
リゼが審問室へ入ってくる。左手首には薄い包帯が巻かれていた。
「発言の許可は出していない」
「でしたら、今ください。私の判断について、本人の証言なしで決めるおつもりですか」
学院長が眉間を押さえた。
「……許可する」
「シオンは危険と着地点を説明しました。私は風量を計算し、帰還用の風を残す条件を出したうえで協力しました。命令されたのではありません」
「しかし、君を危険へ巻き込んだ」
「私の風がなければ、西門前にいた百三十二人が危険にさらされました」
人数まで数えていたらしい。
「首席だから守られるべきだとおっしゃるなら、反対です。首席は、最も必要な場所で力を使うためにいるはずです」
室内が静かになった。
「損傷記録を提出します」
今度はミナが入ってきた。腕いっぱいに記録板を抱えている。
「鉄翼竜の左翼に、切断と骨折はありません。損傷したのは翼へ魔力を送る部位だけです。シオン先輩の魔法は鱗の表面で爆発せず、接触点から内部へ作用しています」
記録板を机へ置く。
「竜を生かしたことが問題だそうですが、死なせる必要があったという医学的根拠はありますか?」
「治癒科の一年生が、審問の方針へ口を出すものではない」
「負傷の有無を聞かれなかったので、必要だと思って来ました」
ミナは真顔だった。
学院長の隣にいた教師が咳払いをする。
「だが、生徒三名を危険にさらした事実は変わらない」
「四名だ」
最後に入ってきたダリオが訂正した。
「俺も救命索を射出した。支柱へ火槍を打ち込んだのも俺だ」
「ベルン。君まで命令に背いたと認めるのか」
「認める」
ダリオは一歩も引かなかった。
「撤退命令に従っていれば、俺たち四人は安全だった。その代わり、西門前で死者が出た。処分するなら、その事実も記録へ残してくれ」
俺は三人を見る。
助けを頼んだ覚えはない。
それなのに、全員がここへ来ていた。
竜へ跳んだときより、胸の奥が落ち着かなかった。
「規則の話が終わったなら、次は竜が来た理由だ」
壁際にいたガルド教官が、封印された革袋を机へ置いた。
「この針には見覚えがある」
ヴァイス教授の指が、机の下でわずかに動いた。
「三十年前、北境で使われた《誘竜針》に似ている。音と魔力で竜の感覚を狂わせ、特定の場所へ追い立てる術具だ」
「記録上、誘竜針はすべて廃棄されたはずだ」
学院長が言う。
「だから調べる。あの竜は自然に結界を越えたんじゃない。誰かに向かう先を決められていた可能性がある」
ヴァイス教授が静かに口を開く。
「外見が似ているだけで断定は危険だ。まずは専門設備で術式を解析すべきだろう」
「同感だ。ただし、誰がいつ封を開けたか、全部記録に残す」
「当然だとも」
二人の視線がぶつかった。
学院長はしばらく考え、手元の書類を閉じた。
「本日の結論は保留とする。シオン・レイスは寮で待機。関係した三名も、正式な許可が出るまで学院外へ出ることを禁じる」
「退学ですか」
「まだ決めていない」
学院長は俺をまっすぐ見た。
「君を英雄として称えるのも、規則違反者として切り捨てるのも、今は早い」
少なくとも、話を聞く気はあるらしい。
俺たちは審問室を出た。
廊下へ出た途端、ミナが俺の包帯を指でつつく。
「痛っ」
「英雄でも規則違反者でも、治療中なのは確定です。勝手に歩き回らないでください」
「寮へ戻れって言われたんだけど」
「私が送ります」
「私も行くわ」
リゼが言う。
「俺は救命索を片づける」
ダリオはそう言ってから、俺へ顔を向けた。
「勘違いするな。お前を認めたわけじゃない」
「さっき、ずいぶん助けてもらった気がする」
「記録を訂正しただけだ。竜を落としたのが落第生一人では、俺まで何もしていなかったように見える」
「そこが大事なんだな」
「大事だ」
少しだけ、笑いそうになった。
その夜。
治癒水の冷たさで肩の痛みが引き、ようやく眠りかけたころ、寮の鐘が三度鳴った。
火災でも竜襲来でもない。
学院内で、重要物が盗まれたときの警鐘だった。
廊下を走る足音が近づく。
扉が強く叩かれた。
「シオン・レイス、起きろ!」
外にいたのは、昼間の審問室で革袋を封じた教師だった。
青ざめた顔で、息を切らしている。
「保管庫の封印が破られた」
嫌な予感がした。
「盗まれたのは?」
「鉄翼竜から抜いた黒い針だ」




