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第6話 一撃で竜を叩き落とす

 訓練場が、一気に遠ざかった。


 風に押し上げられた身体は、自分のものではないように軽い。


 けれど、腹の底だけが地上へ置き去りにされたように重かった。


 足場はない。


 一度姿勢を崩せば、踏み直す場所もない。


 俺は両手で剣を握り、切っ先を鉄翼竜へ向けた。


 黒銀の巨体が、こちらへ落ちてくる。


 向こうも俺に気づいた。


 金色の目が細まり、大きく開いた顎の奥に赤い光が集まる。


 炎を吐くつもりだ。


「まだだ……!」


 自分に言い聞かせる。


 今、剣を振っても届かない。


 火を飛ばしても、竜の鱗に散らされる。


 そもそも、俺の火は飛ばない。


 だから、触れるまで待つ。


 鉄翼竜の喉が赤く染まった。


 炎が放たれる寸前、身体の右側から強い風がぶつかった。


 リゼが残していた帰還用の風だ。


 俺の軌道が、わずかに左へずれる。


 直後、竜の口から炎が噴き出した。


 熱が頬を焼く。


 制服の肩が焦げた。


 それでも、炎の中心は避けた。


 俺と竜がすれ違うまで、あと一秒もない。


 狙うのは、左の翼の付け根。


 西門へ向かって飛ぶ竜の左側には、訓練場南の湖がある。


 左翼が止まれば、竜の身体は南へ傾く。


 外せない。


 急降下のために畳まれていた翼が、目の前で開き始めた。


 重なっていた黒銀の鱗に、一瞬だけ隙間ができる。


 そこへ、剣を振り下ろした。


 潰された刃が、翼の付け根へ触れる。


 火花は散らなかった。


 爆発もしなかった。


 剣に重ねていた三つの力が、一度に消えた。


 いや、消えたのではない。


 刃から鱗へ入った。


 剣を握る両手から、竜の翼の奥まで一本の道がつながったような感覚が走る。


 硬い鱗。


 その下の筋肉。


 太い骨のそばで、翼へ魔力を送っている熱い場所。


 そこへ、火と衝撃が流れ込む。


 俺の魔法は、空気の中を飛んでいない。


 剣からも離れていない。


 竜の鱗が散らせるのは、外から飛んでくる魔法だけだ。


 刃が触れた今、俺の魔法と竜の間に距離はなかった。


 飛距離、零。


 その零の場所で、すべてを叩き込む。


「落ちろ!」


 翼の内側から、巨大な鐘を打ったような音が響いた。


 鉄翼竜の左翼が止まる。


 骨を断った感触ではない。


 翼を動かしていた力だけが途切れ、開きかけた翼が半端な角度で折り畳まれた。


 竜が絶叫する。


 同時に、俺の訓練剣も限界を迎えた。


 鍔元から伸びていた亀裂が刃先まで走り、黒銀の鱗の上で砕け散る。


 手に残ったのは、柄と短い刃の欠片だけだった。


 片翼を失った鉄翼竜の身体が、左へ大きく傾く。


 西門へ向かっていた軌道が外れた。


 竜は地上すれすれで一度身体を起こそうとしたが、左翼が動かない。


 巨体が南へ流される。


「湖へ行くぞ!」


 地上から誰かが叫んだ。


 鉄翼竜は訓練場の柵を越え、その先に広がる湖へ落ちた。


 水面が砕ける。


 白い水柱が、観客席の屋根より高く上がった。


 一撃だった。


 俺の剣に込めた、飛距離零の一撃が、空を飛ぶ竜を叩き落とした。


 その光景を見届けたところで、身体が落ち始める。


「あ」


 当たり前だ。


 俺には翼がない。


 剣を当てた反動で、竜とは反対側へ弾かれている。下には石敷きの訓練場が広がっていた。


 今度こそ、地面へ落ちる。


 だが、背中へ風が回り込んだ。


 リゼの風が落下を横へそらし、速度をわずかに削る。


 それでも止まりきらない。


「シオン!」


 ダリオの声がした。


 下から赤い光が伸びてくる。


 火槍に押し出された救命索の鉄鉤が、俺の腰にある剣帯へ引っかかった。


 縄が張る。


 身体が空中で大きく振られ、腰へ痛みが走った。


 だが、地面へ真っすぐ落ちるよりはずっといい。


 支柱を中心に振り子のように回り、今度は西門側へ投げ出される。


「下です!」


 聞き覚えのある声がした。


 見下ろすと、ミナが両手を広げている。


 空中に何枚もの薄い水膜が重なっていた。


 一枚目を突き破る。


 二枚目で勢いが落ちる。


 三枚目に身体を受け止められ、そのまま濡れた地面へ転がった。


「痛っ……」


「声が出るなら生きてますね」


 ミナが駆け寄ってくる。


「来ましたよ、ちゃんと」


「約束を守ったことにしておきます。動かないでください」


「竜は?」


「先輩の心配をしてください!」


 上半身を起こす。


 右肩と腰が痛む。手の甲には細かな切り傷があり、制服は焦げて水浸しだ。


 それでも、骨は折れていない。


 リゼが風を残し、ダリオが救命索を飛ばし、ミナが水で受け止めてくれたからだ。


 俺一人なら、竜を落とした直後に自分も石床へ落ちていた。


「落ちたぞ……」


 観客席から声が上がる。


「鉄翼竜が落ちた!」


 驚きの声は、やがて大きな歓声へ変わった。


 西門へ向かっていた生徒たちが振り返り、上級生たちが拳を上げる。


 けれど、ガルド教官の声が歓声を切った。


「気を抜くな! 竜は生きている!」


 湖の水面が大きく揺れた。


 黒銀の頭が持ち上がる。


 鉄翼竜は浅瀬へ爪を立て、身体を起こそうとしていた。左翼は水へ沈んだままだが、右の翼と四本の脚は動いている。


 教師たちが湖岸へ展開する。


 杖の先に、火と雷が集まった。


「討伐班、止めを――」


「待ってください!」


 俺は立ち上がった。


 ミナに肩を押さえられたが、その手を外して湖へ向かう。


「待ちなさい、まだ治療が!」


「あいつ、様子がおかしい」


 墜落前からそうだった。


 魔導砲へ向かったかと思えば、突然首を振り、西門へ狙いを変えた。


 今も竜は俺たちへ牙を向けていない。


 右の前脚で、何度も首の付け根を引っかいている。


 黒銀の鱗の隙間に、別の色が見えた。


 黒い金属だ。


 指ほどの太さの針が、首の付け根へ深く刺さっている。


 針の表面を赤い光が走るたび、鉄翼竜の全身が苦しそうに震えた。


「あれが、こいつを……」


 俺は湖の浅瀬へ入った。


「シオン、戻れ!」


 ガルド教官の声が飛ぶ。


 鉄翼竜が金色の目をこちらへ向けた。


 噛みつかれれば、ひとたまりもない。


 それでも、その目にあるのは獲物を見る色ではなかった。


 痛みと、怯えだ。


「今、抜くからな」


 言葉が通じるかは分からない。


 竜は低く唸ったが、首を引かなかった。


 手に残っていた剣の欠片を、黒い針と鱗の隙間へ差し込む。


 梃子のように柄へ力をかけた。


 針が少しずつ浮き上がる。


 赤い光が激しく明滅した。


 鉄翼竜が水を蹴り、苦鳴を上げる。


「もう少しだ!」


 最後に柄を引く。


 黒い針が抜けた。


 同時に、赤い光が消える。


 鉄翼竜の身体から力が抜け、浅瀬へ大きな水音を立てて伏せた。


 金色の目から、先ほどまでの荒れた光が薄れていく。


 俺は黒い針を見た。


 自然に刺さったものではない。


 表面には細かな術式が刻まれ、根元には人工物らしい留め具まである。


「それを渡しなさい」


 背後から、低い声がした。


 振り返る。


 白い研究衣の上から銀縁の外套を羽織った男が、湖岸に立っている。


 結界研究主任、ヴァイス・カルダン教授。


 本来なら今日、訓練用魔導砲の説明をする予定だった人物だ。


「未知の術具には、何が仕込まれているか分からない。学生が持ってよいものではない」


 ヴァイス教授が右手を差し出す。


「証拠品として、私が保管する」


 教授の視線は、倒れた竜にも、負傷した生徒たちにも向いていなかった。


 俺の手にある黒い針だけを見ていた。

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