第5話 俺を飛ばせ
「誰か……!」
折れた梁の下から、もう一度声がした。
「今行く!」
土煙の中へ飛び込む。
崩れた観客席は、屋根と座席が折り重なっていた。太い梁が斜めに倒れ、地面との間に小さな空間を作っている。
その奥に、六人の下級生がいた。
二人は自力で動ける。三人は座席の陰で身を寄せ合い、残る一人は足を押さえて倒れている。
治癒係の腕章をつけた少女が、倒れた生徒の足へ薄い水の膜を巻いていた。舞い込む砂を防ぎながら、腫れを冷やしているらしい。
「怪我は?」
「足を挟まれた子が一人。骨が折れてるかもしれません」
「他は」
「擦り傷だけです。でも、この梁が動いたら屋根が落ちます」
少女は答えながらも、治癒の水を切らさなかった。
「治癒科のミナ・フェルです。先輩は?」
「シオン・レイス」
「あの、魔法が飛ばない?」
「今はその説明をしてる場合じゃないな」
「同感です」
ミナはすぐ梁へ視線を戻した。
名前を知られる理由が、もう少し格好のいいものならよかった。
俺は訓練剣の柄で崩れた木を叩き、重なり方を確かめる。
頭上の屋根を支えているのは、右側に残った二本の柱だ。出口を塞いでいる梁は途中で折れ、片端が地面へ深くめり込んでいる。
その梁だけを中央で断てば、短くなった木を横へずらせる。
ただし、普通の訓練剣では傷ひとつつかない。
「ミナ。水で火を防げるか」
「この狭さで火を使うんですか?」
「使わない。確認しただけだ」
「驚かせないでください!」
火を込めれば、乾いた木や制服へ燃え移る危険がある。
必要なのは、刃を折れにくくする硬化。
それから、触れた場所へ力を押し込む衝撃だ。
硬化術式を作り、右腕から剣へ流す。
潰された刃を、透明な光が薄く包んだ。
次に、衝撃術式を組む。
本来は掌から短い風圧を出し、訓練用の盾を押すための基礎魔法だ。俺が使えば、風圧は手の内側を回って消える。
それを消さずに、剣へ送る。
二つ目の力が刃へ重なった。
剣が低く震える。
「全員、耳を塞いで伏せろ」
「先輩は?」
「剣を振る人間まで伏せたら、梁が切れない」
ミナが何か言い返しかけたが、すぐ負傷者へ水膜を広げた。
梁の亀裂へ狙いを定める。
一度で断つ。
外せば剣のほうが折れる。
息を吐き、踏み込んだ。
刃を振り下ろす。
訓練剣が梁へ触れた瞬間、硬化と衝撃が木の内側へ流れ込んだ。
大きな爆発はない。
鈍い音が一度した。
次いで、梁の内部から何本もの裂け目が走る。
太い木材が、斜めに断ち切られた。
「本当に切れた……」
ミナが目を丸くする。
「驚くのはあとだ。動ける二人は、そっちを押してくれ」
短くなった梁へ肩を入れる。
三人で押すと、地面へめり込んでいた木が少しずつ横へ動いた。
人一人が通れる隙間ができる。
俺は奥へ入り、動ける生徒から外へ出した。最後に負傷者を背負い、崩れた観客席から離れる。
全員が外へ出た直後、残っていた座席が音を立てて落ちた。
「間に合った……」
息をつく。
「シオン先輩」
ミナが俺の手元を指した。
訓練剣の刃には、鍔の近くから細い亀裂が伸びている。
硬化と衝撃の光は、まだ剣の中に残っていた。
「もう使わないほうがいいです」
「そうしたいところだ」
上空から咆哮が降ってきた。
鉄翼竜が翼を広げ、訓練場の上を旋回している。
教師たちの第一射を受けても、鱗には傷ひとつ見えない。
「負傷者を西門へ」
「先輩は?」
「あとから行く」
「そう言う人は、だいたい来ません」
ミナは真顔だった。
「絶対に来てください。治療対象を増やさないで」
返事を待たず、負傷者へ肩を貸して走り出す。
残る下級生たちも、そのあとに続いた。
俺は剣を握り、空を見上げる。
届かない。
梁を断つことはできた。
触れさえすれば、俺の魔法は相手の内側へ入る。
だが竜は、学院の尖塔より高いところにいる。
「シオン!」
崩れた観客席の向こうから、リゼが駆けてきた。淡い金髪が頬へ張りつき、青い目は俺ではなく上空を追っている。
「下級生の避難は?」
「梁の下にいた子たちは全員出した。ミナが診てる」
「なら、あなたも下がって。次が来る」
鉄翼竜は訓練用魔導砲の上を一度回り、大きく高度を上げた。
傷ついているようには見えない。
それなのに飛び方は不自然だった。
首を振り、何かから逃れようとするように翼を乱す。次の瞬間には、金色の目を西門へ向けた。
避難中の生徒が集中している場所だ。
「総員退避!」
ガルド教官の声が響く。
「竜が旋回している間に西門を抜けろ! 上級生は下級生を守れ!」
正しい命令だ。
俺が地上に残っても、剣は空へ届かない。
それでも、西門前の列は詰まっている。百人以上が狭い出口へ集まり、全員が抜けるまでには時間がかかる。
鉄翼竜が西門へ向けて身体を傾けた。
急降下の構えだ。
「防衛班、第二射を用意!」
教師と上級生が訓練場の北側へ集まる。
火球、氷槍、雷の矢。
また魔法を撃つつもりだ。
「駄目だ」
第一射は一つも通じなかった。
同じ攻撃を重ねても、避難の時間は作れない。
俺は鉄翼竜の動きを追った。
高度を取る。
身体を傾ける。
進行方向を決める。
急降下の直前、速度を上げるために翼を一度だけ深く畳む。
対竜戦術の授業で、何度も習った動きだ。
あの瞬間なら、翼の付け根が下を向く。
地上へ最も近づく。
それでも剣の間合いには遠い。
俺は隣にいるリゼを見た。
「あいつが降りてくる角度を読めるか」
「読める。でも、また上空へ逃げられたら――」
「逃げる前に翼を落とす」
「どうやって?」
「俺を飛ばしてくれ」
リゼの目が大きく見開かれた。
「無理よ」
即答だった。
「人間をあの高さまで運ぶ風は作れる。でも、空中で姿勢を崩したら戻せない。竜に当たる前に振り落とされるかもしれない」
「三秒あればいい」
「何が?」
「竜が翼を畳んでから、俺と交差するまでだ。俺を飛ばすのは二秒目でいい」
リゼが空を見上げる。
鉄翼竜の高さと速度。
風向き。
俺の体重。
青い目が順番に確かめていく。
「……三秒」
「できるか?」
「飛ばすだけなら」
「帰りは?」
「それが無理だと言ってるの!」
「なら、戻す風を先に残してくれ」
リゼが俺を見る。
「外したら、地面に落ちるわよ」
「当てても落ちる」
「分かってるなら、そんな平然と言わないで」
「だから、帰りも頼みたい」
リゼの眉がつり上がった。
だが、怒鳴る代わりに目を閉じる。
足元の風が変わった。
訓練場を横切る風が細い輪になり、俺たちの周囲へ集まり始める。
「戻す風まで必ず残す」
リゼが目を開けた。
「だから、勝手に諦めないで」
「了解」
「待て」
ダリオが走ってきた。
手には、訓練場の支柱から外した救命索を持っている。
「飛ばすのは聞こえた。戻せなかった場合は、これを使う」
救命索の片端を太い支柱へ巻きつけ、反対側の鉄鉤へ火をまとわせる。
火槍の勢いで射出すれば、空中の俺へ届く。
「助かる」
「礼は戻ってからにしろ。一度しか拾えんぞ、シオン」
「一度で十分だ」
俺は訓練剣を握り直した。
梁を断った硬化と衝撃は、まだ刃に残っている。
そこへ火の術式を重ねる。
赤い光が、二つの力を乱すことなく刃の内側へ収まった。
火。
硬化。
衝撃。
三つの力を抱え、ひび割れた剣が低く鳴る。
鉄翼竜が翼を畳んだ。
「一秒!」
黒銀の巨体が、西門へ向かって落ちてくる。
「二秒!」
リゼが両手を振り上げた。
足元の風が爆発する。
俺の身体は、剣とともに地面を離れた。




