第4話 最後の再試験
学院の判断は、短い一文で届いた。
『当該現象は、現行規定における放出魔法とは認められない』
最初の試験から三日後。
俺は野外訓練場の控え室で、その通知を読み返していた。
剣に十二回分の魔力を残せても、石板の内側だけを焼けても、魔法を十メートル飛ばせなければ実技試験には合格できない。
予定どおり、これから最後の再試験が行われる。
「破りたければ、終わってからにして」
向かいの長椅子に座っていたリゼが言った。
「破るつもりはない」
「さっきから、同じところを握り潰してる」
見れば、通知の端が指の形に曲がっていた。
慌てて力を緩める。
「リゼの報告まで否定されたみたいで、悪い」
「私が提出したのは観測結果よ。結果は否定されていない」
「でも、魔法とは認められなかった」
「正確には、放出魔法とは認められなかった。似ているようで違うわ」
リゼは自分の控えを開き、判断文の下を指でなぞった。
『再試験後、実用性および安全性に関する追加検討を行う』
「学院も、剣の中に何が起きているか分からないの。分からないものを、その場で合格にできないという判断なら理解はできる」
「納得は?」
「していない」
即答だった。
俺は思わず笑った。
「笑うところ?」
「首席でも納得できないことがあるんだな」
「私を何だと思ってるの」
「五十メートル先の標的を外さない人」
「今は関係ないでしょう」
控え室の扉が開いた。
ガルド教官が入ってくる。
右手には、昨日ひび割れた訓練剣を包んだ布を持っていた。
「話は終わったか」
「再試験の前に、余計な緊張をさせないでください」
リゼが立ち上がる。
「俺のせいか?」
「半分は学院のせいです」
「残り半分は?」
「シオンが通知を握り潰しているせいです」
ガルド教官は俺の手元を見た。
「その程度で破れる紙なら、規則も苦労しない」
慰めているのか、からかっているのか分からない。
教官は布包みを机へ置いた。
「今日の再試験では剣を使えない。課題は、あくまで移動標的への放出魔法だ」
「分かっています」
「だが昨日の結果が消えたわけではない。お前の力が実戦で役に立つと示せれば、再審議はさせられる」
「床をもう一枚割りますか?」
「修繕費を二倍払いたいならな」
左腕を革帯に預けたまま、ガルド教官が扉を顎で示す。
「時間だ。行ってこい」
◇
野外訓練場は、普段より騒がしかった。
俺の再試験が注目されているわけではない。
午後から、全学年合同の対空防衛訓練が予定されている。そのため観客席には下級生が並び、上級生たちは訓練場の外周で班ごとに待機していた。
東側には、結界研究室が開発した訓練用魔導砲も設置されている。人の背丈を越える銀色の砲身が、空へ向けられていた。
俺の再試験は、その訓練が始まる前の空き時間に組み込まれている。
与えられた時間は五分。
外周の軌道には、五つの円形標的が浮いていた。開始の合図とともに、風の術式で不規則に動く。
「シオン・レイス」
測定官が名前を確認する。
「課題は、十メートル以上離れた移動標的への放出魔法の命中。属性は問わない。一度でも有効打を記録すれば合格とする」
「はい」
「武器および術具の使用は禁止。質問は?」
「ありません」
測定線へ立つ。
観客席のざわめきが耳に入った。
昨日までなら、背中へ突き刺さっていた声だ。
今は、不思議と気にならない。
俺の魔力は、なくなっているわけではない。
身体へ戻り、握った剣へ残せる。
そのことを知っただけで、零という数字の見え方が少し変わった。
「始め!」
五つの標的が一斉に動き出す。
一番近い標的へ狙いを定める。
右斜めへ進み、急に高さを変えた。距離は十一メートル。
火球を作る。
標的の半歩先へ照準を置き、腕を振る。
「行け!」
火球は飛ばなかった。
赤い火の粉が手の甲を一周し、身体へ戻る。
『飛距離 ゼロ』
記録板へ、見慣れた数字が浮かんだ。
観客席から小さなどよめきが起きる。
まだ時間はある。
次は風。
標的の速度を読み、半月形の刃を――。
そのとき、青い光が視界の端で揺れた。
顔を上げる。
王立セイン魔術学院の北側には、結界塔から伸びる光が薄い壁となって空を覆っている。
昼間は見落としそうなほど淡い光だ。
その光が、一度消えた。
瞬きをするより短い時間だった。
すぐに青い壁は戻る。
だが、北の空に黒い点が残っていた。
「測定を止めろ!」
ガルド教官の怒声が飛ぶ。
同時に、学院の警鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
間を置かず、七度まで打ち鳴らされる。
竜の接近を告げる警報だった。
黒い点が急速に大きくなる。
翼が見えた。
鳥ではない。
黒銀の鱗に覆われた巨体が、北の空から学院へ向かってくる。
「鉄翼竜だ!」
ガルド教官の声に、訓練場が凍りついた。
鉄翼竜は竜嶺の奥に棲む飛竜だ。翼の骨まで金属質の鱗で覆われ、成体は小さな砦なら一頭で壊す。
なぜ、ここにいる。
五本の結界塔は、竜を近づけないためにある。
疑問を考える時間はなかった。
「全員、訓練どおりに動け!」
教官たちが走る。
「下級生は西門から退避! 上級生は各班の防壁を展開! 押すな、走るな!」
観客席にいた生徒たちが立ち上がった。
防衛訓練のために集まっていたことが幸いした。誘導役も、治癒係も、避難経路も決まっている。
それでも、本物の竜を前にすれば訓練どおりにはいかない。
悲鳴が上がる。
西門へ向かう列が、急に細くなる。
「防衛班、第一射用意!」
教師たちが訓練場の北側へ並ぶ。
火球と氷槍が形を作り、十を超える光が一斉に空へ放たれた。
鉄翼竜の肩と翼へ命中する。
爆発するはずだった。
だが、火球は鱗の上で赤い霧になった。
氷槍も砕けたのではない。青白い光へほどけ、翼の後ろへ流されていく。
竜は速度を落とさない。
「魔法が……効いてない」
誰かの声が聞こえた。
鉄翼竜は観客席へ向かっていなかった。
金色の目が、訓練場の東側を見ている。
銀色の魔導砲だ。
竜が低く咆哮する。
翼を一度打っただけで、訓練場へ暴風が叩きつけられた。
浮遊標的が吹き飛び、記録板が支柱ごと倒れる。
俺も腕で顔を覆い、数歩後ろへ押された。
木の裂ける音がした。
観客席の端が持ち上がる。
屋根を支えていた梁が折れ、避難途中の下級生たちの上へ崩れ落ちた。
「防壁を!」
近くにいた上級生が魔法を放つ。
透明な壁が一瞬だけ梁を受け止めたが、竜の風にあおられて砕けた。
土煙が上がる。
視界が白く染まった。
「シオン、下がれ!」
ガルド教官の声がする。
俺は答えず、倒れた武器棚から訓練剣を引き抜いた。
ひび割れた剣ではない。
どこにでもある、刃を潰した安物だ。
それでも、今の俺にできることはある。
崩れた観客席へ走る。
土煙の向こうから、細い声が聞こえた。
「誰か……!」
折れた梁と石の隙間から、小さな手が伸びていた。




