第3話 落第者を測り直す
午後の魔術測定室には、見覚えのある数字が浮かんでいた。
『飛距離 ゼロ』
「故障ではないな」
測定官が装置を確認しながら言った。
その声に悪意はない。
分かっていても、昨日と同じ赤い零を見れば、胸の奥が重くなる。
「装置は今朝、校正したばかりです。標準火球、標準風刃ともに誤差なし。生徒の魔力形成も確認できています」
測定官が記録用紙へ線を引く。
「したがって、シオン・レイスの放出距離は零。昨日の結果と一致します」
「武器へ込めた魔力は測定上限を超えた」
俺の隣で、ガルド教官が口を開いた。
「飛ばせるかどうかの話ではありません」
「だから別の測り方をしろと言っている」
「ここは放出魔法の測定室です」
「知っている。入口にそう書いてあった」
「でしたら――」
「観測結果を全部見せろ。飛距離の数字だけではなく、形成から消失までだ」
測定官が露骨にため息をついた。
剣術教官が魔術測定へ口を出すのが、気に入らないらしい。
俺としても、これ以上零を確認しても仕方がないと思う。
それでもガルド教官は動かなかった。
片腕を革帯に預けたまま、右手の指で記録台を二度叩く。
「床の石板は、表面を焼かずに内部だけが割れた。武器検査用の水晶には、ひとかけらも魔力が漏れなかった。その魔力がどこを通ったのか知りたい」
「放出されなかった。それだけでしょう」
「なら、形成した火球の魔力はどこへ消えた」
測定官が答えに詰まった。
俺も、その答えを知らない。
飛ばせなかった魔法は失敗して消えるものだと、ずっと思ってきた。
「記録を出します」
窓際から声がした。
振り向くと、リゼ・アルヴェインが机の前に座っていた。
学院の制服の上から、測定補助員用の白い上着を羽織っている。机には水晶板や重りが並び、細い指が記録紙を押さえていた。
「どうしてここに?」
「今週は測定器の校正当番なの。昨日も言ったでしょう。今朝、校正したばかりだって」
「言ったのは測定官だ」
「校正したのは私」
リゼは紙束から一枚を抜き、測定官へ渡した。
「シオンの測定中、観測風に異常が出ています」
「異常?」
「正確には、異常が出ていないことが異常です」
話が分からず、俺はガルド教官を見る。
「俺を見るな」
「教官も分からないんですね」
「剣の話なら分かる」
リゼが小さく息を吐いた。
「もう一度測ります。今度は私が観測風を置くから、勝手に動かないで」
◇
測定線の内側へ立つ。
右手首には、残存魔力を測る銀の輪をつけられた。
俺を中心に、リゼが細い風を張り巡らせていく。
頬にも制服にも触れないほど弱い風だ。
目を凝らすと、空気中の埃が俺の周囲でゆっくり回っているのが分かる。
「この風は、体外へ出た魔力に触れると乱れる」
リゼは記録台の横へ立った。
「弱い火の粉でも、風刃の欠片でも、何かが外へ出れば場所と方向が分かる。まず火球を作って」
「飛ばすのか?」
「いつもどおりでいい」
左の掌へ火を集める。
赤い炎が林檎ほどの球になると、手首の銀輪に刻まれた光が一目盛り減った。
魔力は使われている。
そこまでは、昨日の測定でも分かっていた。
「放って」
腕を前へ出す。
「行け!」
火球が指先で崩れた。
細かな火の粉が手の甲を回り、消える。
前方の標的は白いまま。
記録板にも、三度目の零が浮かぶ。
けれど、リゼは標的を見ていなかった。
俺の手首を見ている。
「やっぱり」
「何がだ?」
「銀輪を見て」
火球を作ったときに減った一目盛りが、元へ戻っていた。
「回復した?」
「こんな一瞬で魔力は回復しない。少なくとも、普通は」
リゼが俺の周囲を回る埃へ指を伸ばす。
観測用の風は、測定前と同じ形を保っている。
「外へ出た魔力は一つもない。火球を作るために使った分が、指先から手の甲を通って、そのまま身体へ戻っている」
「戻る?」
「あなたの火は消えたんじゃない。術式の形を失って、あなたの中へ帰ってる」
三年間、失敗だと思ってきた光景が頭に浮かぶ。
指先で散る火の粉。
手首を一周する風。
何度撃っても減らない魔力。
すべて、そこに残っていたのか。
「昨日、私が見た風も同じだった」
リゼが続ける。
「放つ方向へ流れず、袖の中へ戻っていた。あのときは測定前だったから、断定できなかったけれど」
「それで、痛くないのかと聞いたのか」
「ええ。普通の魔術師が同じ逆流を起こしたら、魔力路を傷める。でも、あなたの身体は最初からそれを当たり前にしているみたい」
測定官が記録紙を受け取り、何度も銀輪と見比べる。
「しかし、これでは放出魔法として成立しない」
「その話はあとだ」
ガルド教官が、壁際に立てかけていた剣を俺へ投げた。
慌てて両手で受け取る。
武具庫で貸し出されている、刃を潰した普通の訓練剣だ。今朝使った検査用の鉄剣より軽いが、鉄の厚みも魔力を通す補強も少ない。
「実際に振れる剣で試す。まず火を入れろ」
「ここで床には触れませんよ」
「当然だ」
俺は火球一つ分の魔力を剣へ流した。
赤い光が柄から刃先へ走り、炎が薄くまとわりつく。
リゼがすぐに観測風を近づけた。
「漏れなし。次は風」
「火が入ったままだぞ」
「だから試すの。普通なら風が火を煽るか、術式同士が崩れる。危険を感じたら手を離して」
左手へ小さな風刃を作る。
飛ばそうとせず、肩から右腕へ回し、剣へ送った。
青白い光が刃を走る。
赤い炎は大きくならなかった。
消えもしない。
火は刃の内側へ、風はその外側へ、二枚の薄布を重ねたように別々の形で留まった。
「混ざっていない……」
リゼの声から、初めて冷静さが消えた。
「シオン、剣を動かさないで。そのまま硬化術式を作れる?」
「初等術式なら」
「刃へ流して」
硬化は、身体や物の表面を魔力で補強する基礎術式だ。
本来なら剣へ直接かけるものだが、今は火と風が入っている。
俺は呼吸を整え、透明な硬化の力を柄へ送った。
三つ目の光が、刃の輪郭をなぞる。
火。
風。
硬化。
三つの術式はぶつからず、押し出し合わず、別々の層になって一本の剣へ収まった。
その瞬間。
ぴしり、と乾いた音がした。
「手を離せ!」
ガルド教官の声に、俺は柄から指を放した。
剣が床へ落ちるより先に、三色の光が刃から消える。
熱と風と硬化の感覚が、右腕を駆け上がって身体へ戻ってきた。
ガルド教官が剣を受け止め、鍔の近くを確かめる。
刃の根元から中央へ向かって、髪の毛ほどの亀裂が走っていた。
「魔力切れではない」
教官が言う。
「剣のほうが先に耐えられなくなった」
手首の銀輪を見る。
三つの術式を作る前と、同じ位置まで光が戻っている。
俺の魔力は減っていない。
壊れかけたのは、俺ではなく剣だった。
測定官は何も言わず、記録紙を見つめている。
ガルド教官も、亀裂へ指を当てたまま黙っていた。
静かな測定室で、リゼだけが俺を見ていた。
「ずっと、逆に考えていたのね」
「逆?」
「あなた、魔力を出せないんじゃない」
リゼは少しも乱れていない観測風と、ひび割れた剣を順に示した。
「ひとかけらも無駄にできないのよ」




