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第36話 飛距離零の一撃

『七秒!』


 力を叩き込めば、内鱗は割れる。


 その代わり、レイヴも砕ける。


 核には届かない。


『六秒!』


 中央塔の白い壁が、アルガディアの肩越しに迫っている。


 考える時間はない。


 けれど、力を入れる場所は分かる。


 触れている剣から、アルガディアの内側が伝わってくる。


 外鱗。


 青い内鱗。


 その奥にある、竜のものではない白い殻。


 三つをまとめて壊す必要はない。


 壊したい場所だけへ、力を届ければいい。


 俺はレイヴへ込めていた衝撃の層をほどいた。


 一度に放たず、糸より細く分ける。


 故郷の鍛冶場で、焼いた鉄を確かめるときに聞いた音を思い出した。


 強く叩けば、どんな鉄も鳴る。


 だが、小さく叩けば、ひびのある場所だけが違う音を返す。


 剣先から、ごく小さな震えを送った。


 胸鱗の中で、低い音が返る。


 もう一度。


 青い内鱗は震えを受け流した。


 その奥で、白い殻だけが甲高く鳴った。


「そこだ」


『五秒!』


 レイヴと胸鱗と誘竜核は、今、一つの回路になっている。


 俺の魔力は空を飛ばない。


 けれど、触れたものの中なら進める。


 細い震えを、白い殻が返した音へ重ねる。


 一度。


 二度。


 三度。


 内鱗を割るほどの力はない。


 それでも白い殻の同じ一点だけが、何度も内側から揺さぶられる。


 レイヴの亀裂が鍔へ伸びた。


 右腕の魔力路が焼ける。


『シオン、もう――』


 ミナの声が震える。


「まだだ!」


 ここで止めれば、全部が中央塔へ落ちる。


 リゼの最後の風も。


 ダリオの火鎖も。


 ミナが集めた王都中の水も。


 アルガディアが自分で選んだ進路も。


 届かなかったことになる。


『三秒!』


 震えを、もう一度だけ送る。


 大きくではない。


 最初に返ってきた、甲高い音と同じ速さで。


 白い殻が鳴った。


 音が途切れた。


 次の瞬間、アルガディアの胸から光が消えた。


     ◇


 竜の全身を、青い光が駆け抜ける。


 両翼と首に残る三つの穴から、白い魔力が噴き上がった。


 抜き取った杭が残した通り道だ。


 千条砲から吸い込まれていた魔力が、三本の光柱となって空へ戻っていく。


 雲が白く割れた。


 王都を覆っていた重い魔力が、一息に薄くなる。


 誘竜核の殻が、割れた。


『強制飛行、停止!』


 ミナの声が響く。


 アルガディアの翼から、不自然な震えが消えた。


 巨大な翼が一度、深く羽ばたく。


 落下は止まらない。


 けれど、首が南西へ向いた。


 右翼が空気を押し、左翼が畳まれる。


 巨体が傾いた。


 中央塔の壁が目の前を通り過ぎる。


 翼端が折れた尖塔をかすめ、白い石片を散らした。


『中央塔、回避!』


 歓声が通信晶を割れそうなほど響いた。


 アルガディアは王都の中心から離れ、自分で選んだ貯水湖へ落ちていく。


 その胸に張りついたまま、俺も一緒に運ばれる。


 レイヴの刃が崩れ始めた。


 先端から黒い欠片になり、風へ消えていく。


 魔力を止めようとした。


 右手が動かない。


 補修帯が割れ、残っていた刃がまとめて砕けた。


 手の中には、柄だけが残る。


 同時に、胸鱗から身体が離れた。


「シオン!」


 リゼの声が聞こえた。


 風は来ない。


 もう残っていないからだ。


 代わりに、腰の鋼索が俺を引いた。


 角につながった火鎖が張り、落下する身体をアルガディアの胸元へつなぎ止める。


 ダリオが届けたただの鉄が、最後まで俺を空へ残した。


『索を切らないで! そのまま竜と一緒に水へ!』


 ミナが叫ぶ。


 下では貯水湖が青く盛り上がっていた。


 湖面の上に、薄い水膜が何十層も重なっている。


     ◇


 アルガディアが、最後にもう一度羽ばたいた。


 墜落の向きがわずかに変わる。


 腹からではなく、動く右翼と脚を水面へ向けた。


 自分の身体を守る姿勢だ。


 同時に、胸元にぶら下がる俺を翼の陰へ入れている。


「俺まで守るのかよ」


 青い瞳が、一瞬だけこちらを見た。


 南西から、鉄色の影が飛んでくる。


 ネーヴァだ。


 若い竜はアルガディアの左翼の下へ入り、自分の背で翼端を押し上げた。


 落下角度が、もう少しだけ浅くなる。


『水膜、第一層展開!』


 ミナの合図。


 アルガディアの脚が水へ触れた。


 一枚目の膜が砕ける。


 湖を覆うほどの水しぶきが上がった。


 二枚目。


 三枚目。


 巨体が膜を突き破るたび、落下の勢いが削られる。


 それでも最後の衝撃は、山が崩れたようだった。


 水面がへこみ、貯水湖の水が周囲の堤防より高く持ち上がる。


『外周へ流して! 北と東の放水路を開放!』


 ミナの指示で、水の壁が二つに割れた。


 王都側へ向かう波だけが押し戻され、空の水路を通って北と東へ逃げていく。


 俺の身体も水へ叩き込まれた。


 息が消える。


 上下が分からなくなる。


 右腕は動かない。


 腰の鋼索が、まだ角へつながっている。


 沈む俺の背を、柔らかい流れが押した。


 ミナの水だ。


 気泡に包まれ、湖面へ運ばれる。


 顔が水から出た瞬間、肺へ空気が戻った。


「げほっ……!」


『生存確認!』


 泣いているのか怒っているのか分からない声が、通信晶から飛んでくる。


『そのまま動かないでください! 今度こそ本当に動かないで!』


「分かった」


『返事が早すぎます。信用できません!』


 いつものミナの声だった。


 笑おうとして、咳が出た。


     ◇


 水しぶきの向こうで、アルガディアが首を上げた。


 胸の白い光は消えている。


 三本の杭があった場所から立つ光も、細くなり、やがて空へ溶けた。


 ネーヴァが湖面へ降りる。


 鉄色の頭を、青い竜の鼻先へ寄せた。


 アルガディアは目を閉じ、短く息を吐く。


 苦しむ声ではない。


 第三杭が抜けたときに聞いた、静かな声だった。


『古竜の生命反応、安定しています』


 ミナが告げる。


『胸部魔力器官にも、大きな損傷はありません』


 湖岸と塔から、歓声が上がった。


『戦闘記録、確定しました』


 測定官の震える声が、通信晶から流れる。


『術者から魔力が離れた最大距離――零』


 一瞬の静寂。


 それを破ったのは、ガルド教官の大きな笑い声だった。


『それで、空の竜まで届いた』


 俺は水に浮かんだまま、動かない右手へ目を向ける。


 そこにあるのは、刃を失ったレイヴの柄だけだ。


 剣は、また壊した。


 けれど今度は、一人で限界まで振り回して壊したんじゃない。


 仲間が俺を届かせてくれた。


 だから最後の一撃を、壊すべきものだけへ使えた。


 俺の魔法は飛ばない。


 飛ばないまま剣に残り、触れた一点から竜の中へ届いた。


 そして、自由を奪う殻だけを砕いた。


 空を飛ぶ竜を、剣に込めた一撃で叩き落とした。


 殺すためではない。


 もう一度、自分の翼で飛ばせるようにするために。

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