第34話 自由になった竜
胸の光が、アルガディアの全身を内側から照らした。
青い鱗の一枚一枚が白く透ける。
その下を走る魔力の筋まで見えた。
「何が起きてる!」
俺は鱗の縁へしがみつく。
『三本の杭へ流れていた魔力が、全部、胸へ戻っています!』
ミナの声が通信晶から響く。
『杭がなくなって出口を失ったんです。誘竜核の内圧が上がっています!』
強制飛行の経路は断てた。だが、千条砲から吸い込んだ量が多すぎて、核を壊すまでのわずかな時間さえ耐えられない。
アルガディアが背を反らした。
山のような身体が急上昇する。
足元の鱗が傾き、俺は首の付け根から背の中央へ滑った。
レイヴを鱗の隙間へ差し込み、落下を止める。
斬ってはいない。
刃の腹を引っかけただけだ。
腰の火鎖が伸びきった。
『鋼索がもたない!』
ダリオの声。
アルガディアと西塔の間で、継ぎ足した鋼索が弓の弦のように張っている。
このままなら俺が塔へ引き戻されるか、接合部が弾ける。
「外してくれ!」
『落ちるぞ!』
「今は背中にいる。次に必要になったら、もう一度撃ってくれ!」
一瞬の沈黙。
『分かった。切る!』
ダリオが腰側の緊急留め具を外した。
鋼索が離れ、西塔の滑車へ巻き戻されていく。
俺と地上をつなぐものがなくなった。
けれど今度は、勝手に安全策を捨てたわけではない。
ダリオと話して、次に必要な形へ変えた。
◇
アルガディアは雲の上まで上がった。
眼下に王都が広がる。
中央塔は、折れた尖塔を白く光らせていた。
南西には貯水湖がある。
何層もの水膜が湖面から持ち上がり、青い円を作っている。
ネーヴァがその上を旋回していた。
鉄色の竜が、もう一度呼ぶ。
アルガディアが応えた。
静かな、長い声。
巨大な首が南西へ向く。
右翼を上げ、左翼を下げる。
王都中央塔を追い続けていた古竜が、自分の意思で進路を変えようとしている。
「そうだ。あっちへ行こう」
届くはずのない声を、背中へかけた。
アルガディアの左翼が水膜の方角を捉える。
巨体が、少しずつ南西へ傾いた。
『進路変更を確認!』
指揮室から歓声が聞こえる。
三本の杭はもうない。
アルガディアは自由になった。
だが、胸の光が再び強くなった。
翼が意思に逆らうように跳ね上がる。
「違う、そっちじゃない!」
左へ向いていた巨体が、正面へ押し戻される。
翼の付け根を、青白い魔力が何度も爆発するように走った。
一度。
二度。
決まった間隔ではない。
アルガディアが羽ばたこうとするより先に、誘竜核が翼を動かしている。
『自分の翼を制御できていません!』
ミナの観測盤に、二つの波が映る。
一つはアルガディア自身の青い魔力。
もう一つは、千条砲から吸収した白い魔力。
重ならず、ぶつかり合っている。
『核が吸収魔力を翼へ押し込んでいます。誘導は止まっても、飛行の強制が止まっていない!』
アルガディアが苦しげに鳴く。
それでも首だけは、貯水湖へ向けていた。
行きたい方向は分かっている。
身体が言うことを聞かないだけだ。
「まだ終わってない」
俺はレイヴを引き抜き、背の上を前へ走った。
◇
白い魔力が三度目の脈動を起こした。
両翼が限界まで開く。
アルガディアの上昇が止まった。
一瞬、王都の空で巨体が静止する。
次に、落ち始めた。
南西へ向ききる前に上昇速度を失った巨体が、さっき通り過ぎた中央塔の上へ押し戻されるように沈んでいく。
風が下から上へ吹き抜ける。
俺は鱗へ伏せ、両手で縁を掴んだ。
アルガディアは羽ばたこうとする。
だが翼の筋肉へ、誘竜核から逆向きの魔力が流れた。
開いた翼が震えるだけで、空気を押せない。
『落下を確認! 予測軌道を表示します!』
空中の水滴が赤い線を描く。
アルガディアから地上へ。
線の先は貯水湖ではなかった。
中央塔の上部を通り、王都の中心区へ伸びている。
「あとどれくらいだ!」
『中央塔への接触まで、推定四十秒!』
北境軍司令官の声が割り込む。
『物理弩砲を準備。古竜の翼を打ち、落下軌道を東へずらす』
『待ってください! 翼を壊せば貯水湖まで動かせません!』
リゼが止める。
『では代案を!』
「胸の核を壊します」
俺は答えた。
「核が翼を勝手に動かしているなら、壊せばアルガディア自身の力だけになる」
『位置は胸骨の中央です』
ミナが竜の像を空へ映す。
背中にいる俺からは見えない。
核は腹側。
最も厚い胸鱗の下に埋まっている。
『ただし、核の圧力は限界です。殻だけを割れば魔力は空へ逃げます。でも深く斬れば、胸の魔力器官まで傷つけます』
「届けば、分かる」
触れれば、剣を通して内側を読める。
問題は、どうやって届くかだ。
俺は背の縁まで走り、下を覗いた。
青い鱗が垂直な崖のように腹側へ続いている。
手をかけられる隙間はある。
だが落下中の竜へ張りついたまま、胸まで回り込む時間はない。
「風の足場は?」
『あと一度だけ』
リゼが答える。
ネーヴァの左翼を支え、何十もの足場と帰還風を作った。
声がかすれている。
『残った風を全部集めれば、一度だけあなたを送れる。でも、戻す風は作れない』
「火鎖は?」
『新しい鉤を用意している』
ダリオの声がする。
『だが今のお前へ直接撃てば、竜の陰で届かない。角へ打ち込み、そこから鋼索を垂らす』
角を支点に、背から腹へ振り子のように回る。
最後にリゼの風で、胸へ押し込む。
それしかない。
「レイヴは、あと何回使えますか」
ミナが尋ねる。
短い刃を見る。
三度の接触を終え、黒銀の補修帯には細い白線が浮かんでいた。
まだ亀裂ではない。
けれど、次に魔力を満たせば戻らないだろう。
「一回」
俺は答えた。
「剣も、俺の腕も、次が最後だ」
『中央塔への接触まで、三十秒!』
アルガディアが首を動かす。
落ちながらも、ネーヴァのいる貯水湖を見ていた。
自由になった竜が、自分で選んだ場所へ行こうとしている。
なら、そこへ届かせる。
残る風は一度。
残る一撃も一度。
その両方を、外すことはできない。




