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第32話 第二の翼

 西塔の屋上が近づく。


「脚を前へ出せ!」


 ダリオの声に従い、石床へ両足をついた。


 勢いを殺しきれず、靴底が長く滑る。


 火鎖を巻き取ったダリオが俺の背を受け止めた。


「一本目」


「ああ」


 右手を開く。


 五本の指は動く。


 レイヴにも亀裂はない。


「二本目へ行ける」


「まだだ。空を見ろ」


 ダリオが俺の肩を引いた。


 直後、中央塔の上を青白い光が通り過ぎた。


 石造りの尖塔が音もなく削られる。


 遅れて、切り取られた屋根が大通りへ落ちた。


「リゼ!」


 中央塔の屋上に彼女の姿はない。


 帰還風で下の回廊へ逃れたらしく、すぐに通信晶から咳き込む声がした。


『無事よ。直撃はしてない』


「今のは何だ」


『千条砲の魔力を、口から吐き出しました。次も来ます!』


 ミナの観測盤が警告音を鳴らす。


 アルガディアは俺を見ていなかった。


 青い瞳が追っているのは、中央塔の周りへ残った風だ。


「こいつ、分かったのか」


「シオンを運んでいるのがリゼだとな」


 第一杭を外すまでの動きを、一度で覚えた。


 俺へ剣を届かせた者から狙っている。


『作戦を中断しますか』


 北境軍司令官の声が入る。


『続けます』


 答えたのはリゼだった。


『ただし、同じ道は使えません。二本目は西から回します』


「右の杭は反対側だぞ」


『竜にこちらを向かせます』


 ダリオが火槍を構えた。


「その役は俺だ」


     ◇


 アルガディアの口元へ、再び青白い光が集まる。


 狙いは中央塔。


 リゼは回廊へ下がったまま、窓から杖だけを空へ向けている。


「今から火槍を撃つ」


 ダリオが火鎖の新しい鉄鉤を俺の腰へつける。


「古竜が食いついたら、吸収される直前に術式を切る」


「炎が消えたら、囮にならないんじゃないか」


「一度追わせればいい。消えた餌を探して、首がこちらへ向く」


 火槍の穂先が赤く燃えた。


 最初にネーヴァへ撃ったときより細い。


 威力ではなく、見つけてもらうための炎だ。


「ミナ、右の杭は見えるか」


『翼の陰です。今のままでは見えません』


「なら、見える向きにする」


 ダリオが火槍を投げた。


 赤い光が、中央塔とは逆の西側から空へ昇る。


 アルガディアの瞳が動いた。


 口元に集まっていた青い光が、火槍へ引かれる。


 巨大な首が西へ回った。


「まだ」


 火槍が古竜の前へ近づく。


 赤い炎が細長く伸び、鱗へ吸い込まれそうになる。


「切る!」


 ダリオが指を閉じた。


 術式が消え、火槍はただの鉄槍へ戻る。


 赤い光を失った槍が、アルガディアの鼻先を通り過ぎた。


 古竜は消えた魔力を追い、さらに首を巡らせる。


 身体が傾く。


 遠かった右翼が、俺たちの正面へ現れた。


『第二杭、確認しました!』


 ミナの観測光が、右翼の付け根に赤い輪を作る。


「リゼ!」


『足場を作る。でも、乱気流が強すぎる』


 アルガディアが首を動かしただけで、両翼の間に風が巻いている。


 空気は見えない。


 どこへ押され、どこへ落とされるのか分からない。


『見えないなら、映します』


 ミナの声が王都全域へ響いた。


『水術隊、水鏡を展開。魔力は水を上げたら切ってください!』


 西塔と中央塔、城壁の上から、薄い水の膜が空へ射出された。


 水を持ち上げた魔力はすぐに切れる。


 残った水だけが、細かな粒となって風に乗った。


 何千もの水滴が、青黒い空に線を描く。


 上へ巻く風。


 翼の下へ吸い込まれる風。


 一見穏やかに見えた場所にも、逆向きの流れが二つ重なっていた。


『水鏡の赤い場所を避けて。白い流れだけを使います』


 ミナの観測盤が水滴へ色を重ねる。


 空の中に、一本の曲がった道が浮かんだ。


「行ける?」


 リゼが通信晶越しに聞く。


 右手を開く。


 動く。


「行ける」


 西塔の縁を蹴った。


     ◇


「シオンの右上――踏んで!」


 一つ目の足場を蹴る。


 零・八秒も待たない。


「前、白い流れへ!」


 水滴で形を得た風の中へ飛び込む。


 背中を押された。


 次の瞬間、左から強い流れがぶつかる。


「赤へ入ります!」


 ミナの警告。


「火鎖、右へ!」


 ダリオが鋼索を引く。


 身体が横へずれ、渦の縁をかすめた。


 リゼの足場が、逃げた先へ生まれる。


「下へ――踏んで!」


 風を蹴る。


 右翼が迫る。


 鱗の隙間で、第二杭が明滅していた。


 第一杭より深い。


 三つの爪が、鱗の下へ半分隠れている。


『右側の爪から切ってください。左は血管に近いです!』


 レイヴへ二回目の魔力を通す。


 右腕の焼け跡が熱を持った。


 まだ指は動く。


 もっと込めれば、一度で三つとも外せる。


 その考えを、すぐに捨てた。


 右の爪へ刃先を触れさせる。


 必要な量だけ流し、樹脂を断つ。


 一つ。


 刃を返し、上の爪。


 二つ。


 最後に血管を避け、左の爪と鱗の間へ刃を滑らせる。


「外れろ!」


 三つ目の樹脂が切れた。


 第二杭が右翼から抜ける。


 赤黒い光が、翼の端から消えていった。


『第二杭、分離!』


 歓声が聞こえる。


 俺は鱗へ左手をつき、次の足場を探した。


 首の後ろにある第三杭まで、このまま進めそうに見える。


「リゼ、次を――」


 レイヴが右手から滑った。


 慌てて握り直す。


 握ったはずなのに、柄の感触がない。


 親指。


 人差し指。


 二本が動かなかった。


『シオン君、右手を開いて!』


 ミナの声。


 開こうとしても、指が柄へ貼りついたように動かない。


『中止です。今すぐ戻ってください』


 第三杭は見えている。


 あと一度、風を踏めば竜の背へ移れるかもしれない。


 レイヴにも亀裂はない。


 前の俺なら、行った。


 自分はまだ振れると決めて、仲間の声を置き去りにした。


「分かった。戻る!」


 俺は第三杭へ背を向けた。


 自分から右翼を蹴り、空へ落ちる。


「回収する!」


 火鎖が張る。


 乱気流の中で身体が大きく振られた。


「シオンの下、帰還風!」


 見えない風を信じ、左足を伸ばす。


 靴底へ一瞬だけ反発が返った。


 その一歩で翼から離れ、鋼索の引く方向へ身体を向ける。


 第三杭は、まだ残っている。


 それでも、失敗したとは思わなかった。


 今度は剣も、腕も、仲間との約束も壊していない。


『治療班、西塔へ!』


 ミナの指示が飛ぶ。


 火鎖に引かれながら、アルガディアを見上げた。


 二本の翼から、赤黒い光が消えている。


 残る光は、首の後ろと胸元。


 その二つをかばうように、古竜が大きく首を反らした。


 正面から、ネーヴァが近づいていた。

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