第26話 竜は魔法を食らう
千本の光が、アルガディアの全身へ突き刺さった。
雲が白く焼ける。
あまりの眩しさに、俺は腕で目を覆った。
遅れて爆音が来る。
そう思った。
けれど、いつまで待っても空は爆発しなかった。
「……なんで」
ミナの声が震える。
光は消えていない。
青い鱗の表面を、千本の光が川のように流れていた。頭から首へ。翼から胸へ。細い流れが集まり、鱗の隙間へ吸い込まれていく。
アルガディアの体内で、青白い脈動が一つ、二つと増えた。
岩山ほどだった胸が膨らむ。
痩せて骨の浮いていた翼へ光が満ち、翼膜が夜を塗り広げるように伸びていく。欠けていた角さえ、青い魔力をまとって長さを取り戻した。
「千条砲は、命中したはずだ」
拘束されたヴァイス教授が呟く。
「直撃だぞ。これだけの出力なら――」
「だからです」
リゼが青ざめた顔で空を見上げる。
「飛んできた魔法を、鱗で散らして吸収している。ネーヴァと同じ……いえ、規模が違いすぎます」
俺たちは知っていた。
竜へ遠くから魔法を撃てば、威力が散ることを。
散った魔力の一部を、竜が取り込むことを。
千条砲は、千の槍ではなかった。
眠りから覚めたばかりの古竜へ差し出した、千人分の餌だった。
「竜は……魔法を食らう」
ミナが絞り出すように言った。
教授の顔から、初めて確信が消えた。
外された結界核が、固定台から転がり落ちる。
それでも黒い導管には、残った光が脈打っていた。
千条砲から逆流した魔力が導管を走り、空のアルガディアへ伸びる赤黒い線を一瞬だけ浮かび上がらせる。
首の付け根に一つ。
胸元にも、脈打つ黒い光。
アルガディアが口を開いた。
咆哮ではない。
大地の底から響くような、苦鳴だった。
「誘竜装置が、吸収した魔力まで取り込んでる」
ミナが右手を観測盤へ当てる。
「痛みが強くなってる。シオン、この竜、怒ってるんじゃない。痛くて、どこを壊せば止まるのか分からないんです!」
巨大な尾が振られた。
「全員、伏せろ!」
第一結界塔の上半分が、横から消えた。
石壁も、千本の砲台も、まとめて粉々になる。
床が大きく傾いた。
俺たちは崩れた制御台ごと、塔の外へ滑り始める。
「火鎖!」
ダリオが槍を床へ突き立て、鋼索を柱へ巻きつけた。もう一本の鎖は、拘束した教授を離さない。
リゼの風が俺とミナの背中を押し、傾いた床の縁から引き戻す。
けれど、塔はもたない。
石床の亀裂が、俺たちの足元まで走ってくる。
「下の外廊へ移ります!」
リゼが風の道を作った。
「待ってくれ」
俺は空を指す。
青い巨体の首元で、赤黒い核が明滅している。
鱗に埋もれているが、今なら見える。
「あれを壊せば、痛みを止められる」
「遠すぎます!」
「足場があれば届く」
アルガディアは塔から離れようとしている。
次の一瞬を逃せば、もう剣の届く距離には来ない。
リゼは唇を噛み、それでも頷いた。
「三つ作ります。竜の周りは魔力が乱れています。三秒もつ保証はありません」
「分かった」
「帰りの風も残します。無理なら必ず離れて」
ダリオが教授を柱へ縛り、俺の腰へ火鎖を回した。
「落ちたら引く。俺が引けと言ったら、剣を捨ててでも戻れ」
「頼む」
「私が合図します」
ミナが傷めた左腕を胸元へ固定したまま、右手で観測盤を掲げる。
「核の光が弱くなる瞬間を狙ってください」
四人で決めた。
今度は、一人で飛び出してはいない。
だから、行けると思った。
「一つ目!」
塔から走り、何もない空へ踏み出す。
靴底に風が生まれた。
二歩。
三歩。
「二つ目、右上!」
崩れ落ちる石材を蹴り、次の風へ移る。
アルガディアの翼が空気を叩いた。
暴風に体を持っていかれそうになる。
腰の火鎖が張り、ダリオが俺の軌道を支えた。
「三つ目、今!」
最後の足場を蹴る。
竜の首元が目の前へ迫った。
赤黒い核は、俺の胴より大きい。
レイヴへ魔力を込める。
いつもの一撃では足りない。
ネーヴァに刺さっていた誘竜針とは違う。千条砲の魔力を吸い、脈打つ核を見た瞬間、そう思った。
もっとだ。
これを壊せるだけの、最大の一撃を。
「シオン、充填が速すぎます!」
ミナの声が風に届く。
レイヴの銀色の刃が白熱する。
柄が軋んだ。
分かっていた。
この剣が耐えられる量には限界がある。
それでも、ここで壊せなければ王都へ向かう。
俺が一番強い一撃を当てれば、全部終わる。
その考えを、捨てられなかった。
「今です!」
核の明滅が止まる。
俺はレイヴを振り下ろした。
あと一歩。
あと半歩。
刃が核へ触れる、その直前。
乾いた音がした。
レイヴの中央に走った亀裂が、白い光を吐き出す。
「――折れるな!」
願いは間に合わなかった。
剣身が二つに折れた。
行き場を失った魔力が、柄から右腕へ逆流する。
指が焼けた。
手首から肘まで、骨の内側を炎で削られる。
声も出なかった。
折れた刃先は核をかすめることさえなく、青い風の中へ弾かれた。
「シオン!」
アルガディアが身を捩る。
翼が火鎖を打ち払った。
鋼索が途中で切れ、俺の体は空へ放り出される。
帰りの風へ腕を伸ばす。
右手は動かない。
風の帯が指先を抜けていった。
空と地面が何度も入れ替わる。
崩れる塔が遠ざかる。
その下から、鉄色の影が跳んだ。
「ネーヴァ……!」
古い採石場の斜面を駆け上がり、ネーヴァが残った片翼で風を掴んでいた。
飛んだというより、落ちながら俺の下へ滑り込んだ。
俺の体が、硬い背中へ叩きつけられる。
折れたレイヴの刃先も、風に押されて鉄色の背鱗の隙間へ突き刺さった。
ネーヴァは苦しげに鳴き、斜面へ腹を擦りながら着地する。
治りかけていた左翼の包帯に、赤い色が広がった。
「ごめん……助かった」
返事の代わりに、低い振動が背中へ伝わる。
俺は折れた柄を握ったまま、空を見上げた。
アルガディアは第一結界塔の残骸を一度だけ振り返った。
首元の核は、まだ赤黒く光っている。
そして巨体が、南へ向きを変えた。
「王都の方角です!」
外廊へ退避したリゼの声がする。
ミナが観測盤を見て、息を呑んだ。
「結界核の波長を探してる……違う。この核が覚えた波長と同じ魔力を、追いかけてるんです」
「同じ波長……?」
瓦礫の中で、ヴァイス教授が答えた。
「王都中央塔だ。王都全域の結界を束ねるため、すべての結界核は中央塔の基準波に合わせてある」
ダリオの拳が教授の頬を打った。
「知っていて撃ったのか!」
「こうなるとは……」
その先を、誰も聞かなかった。
アルガディアが羽ばたく。
千条砲から奪った青い光が翼を包み、雲を巨大な輪にして吹き飛ばした。
一度の羽ばたきで、古竜は山を越える。
追いつけない。
呼び止めることもできない。
俺たちはヴァイス教授を捕らえた。
盗まれた結界核も取り戻した。
それでも、竜を止められなかった。
右腕に残る焼けるような痛みより、折れたレイヴの軽さが苦しかった。
青黒い雲を引き連れ、アルガディアは王都へ飛び去った。




