↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/38

第22話 風の足場

「三秒」


 リゼが洞窟の砂地へ数字を書く。


「今の私が、圧縮した風を同じ場所へ留められる限界よ」


 退避洞の入口は、飛竜が通れない幅まで岩で塞いである。


 その隙間から入り込む風が、床の砂を複雑に舞い上げていた。


 リゼは一刻近く、その動きを見続けている。


「一瞬だった風を、三秒まで伸ばしたのか?」


「壁にぶつかる二つの風を、反対側から押さえたの。飛ばす風じゃなく、動かさない風ね」


 彼女が手を上げる。


 俺の膝ほどの高さで、砂粒が円盤状に広がった。


 下から風を吹き上げているようには見えない。


 薄い空気を何層も重ね、靴一足分だけ固くした足場だ。


「一、二、三」


 リゼが指を閉じる。


 砂の円盤は形を失い、床へ落ちた。


「三秒間だけなら、これに乗れる」


「乗るって、俺が?」


「ほかに空へ剣を持っていきたい人がいる?」


 ダリオが火槍を上げかけた。


「あなたは炎を飛ばせるでしょう」


「冗談だ」


 ミナは毛布へくるまり、岩壁に背を預けている。


 左肩の傷は治療水で塞がったが、腕は布で胸元へ固定していた。


「私は賛成できません」


「ミナ」


「安全策を全部決めるまでは、です」


 右手だけで記録板を持ち上げる。


「落下防止の火鎖。足場は最初、地面から半歩以内。シオン君が《行ける》を待つこと。それから、一度失敗したら原因を確認するまで次を試さない」


「全部守る」


「さっきも聞きました」


「今度は守る」


 ミナはしばらく俺を見てから、記録板へ条件を書き込んだ。


「では、治療担当として許可します。私は見ているだけですからね」


     ◇


 洞窟の奥に、二段の岩棚があった。


 地面から一段目まで半歩。


 一段目から二段目まで、一歩半。


 まずは風の足場を踏み、二段目へ着地する。


 ダリオが火鎖の鉄鉤を俺の剣帯へかけた。


 今度は鋼索の端も、洞窟の太い石柱へ巻いてある。


「固定した。落ちても床まで届かない」


「行ける」


 俺は答えた。


「まだよ」


 リゼに止められる。


「足場の位置を目で探さないで」


「見ないで踏めるか?」


「見つけてから足を出したら、一秒以上遅れる。乱気流の中では、視線を下げた瞬間に敵も見失うわ」


 リゼは俺の右足の前を指した。


「私が位置を言う。右へ半歩、前へ一歩。《踏んで》で足を出して」


「何もないところへ?」


「私を信じて」


 簡単な言葉だった。


 けれど、さっきまでの俺は、仲間の《待て》より自分の判断を信じた。


 今度は逆だ。


 風の足場が見えなくても、リゼの声を信じる。


「分かった」


 前を向く。


 二段目の岩棚だけを見る。


「作るわ」


 足元で空気が低く鳴る。


「右へ半歩。前へ一歩――踏んで!」


 跳ぶ。


 右足を出した場所に、硬い感触はなかった。


「え?」


 身体が沈み、火鎖が腰へ食い込む。


 床から拳一つ分の高さで止まった。


「右へ行きすぎ!」


「リゼの右かと思った!」


「あなたの右に決まってるでしょう!」


「決まってはいませんよ」


 ミナが記録板へ書き加える。


「次から《シオン君の右》と明示しましょう」


 ダリオが鋼索を巻きながら、顔を背けている。


「笑うな」


「笑っていない」


「肩が揺れてるぞ」


     ◇


 一度目の失敗は、左右の基準を決めていなかったこと。


 二度目は、それを直して試した。


「シオンの右へ半歩。前へ一歩。踏んで!」


 言われた場所へ右足を出す。


 今度は、靴底へ確かな反発が返った。


 石でも木でもない。


 強い風に押されているのに、足場そのものは動かない。


 一。


 身体を持ち上げる。


 二。


 左足で風を蹴る。


 三になる前に、二段目の岩棚へ着地した。


「届いた」


 振り返る。


 足場はもう消え、砂だけが舞っていた。


 リゼが笑う。


「二秒と少し。余裕は半秒ね」


「十分だ」


「本番でその台詞を言った人は、だいたい落ちます」


 ミナから注意が飛んだ。


「十分じゃない。もっと早く踏み抜く」


 風の位置は俺には分からない。


 分からないまま、迷わず足を出す。


 俺一人では成立しない技だった。


     ◇


 三度目は、洞窟の外だった。


 傷つけた飛竜を追い払えなければ、峡谷を進めない。


 群れは今も岩壁の上を旋回している。


 俺たちは入口の岩を人一人分だけ除けた。


 ミナと馬車は洞窟に残る。


 ネーヴァが入口に立ち、翼を広げず低く唸った。


「狙うのは群れの先頭だけ」


 リゼが空を見る。


「傷つけすぎないで。ここはあの子たちの縄張りでもある」


「角へ一撃。当てたらすぐ戻る」


 ダリオが火鎖を俺の腰へ固定する。


「今度は端を二重に留めた。勝手に跳んでも外れない」


「勝手には跳ばない」


「それを確認している」


 火槍から細い炎が上がった。


 ダリオが谷の中央へ放つ。


 先頭の岩羽飛竜が炎を避け、岩棚の近くまで高度を下げる。


「まだ」


 レイヴを抜く。


 飛竜が旋回し、こちらへ頭を向けた。


「待て」


 翼が風を切る。


 石礫を吐くため、口が開く。


「行ける!」


 リゼの声で、岩棚を蹴った。


「シオンの左前――踏んで!」


 足場を見ない。


 空中へ左足を出す。


 硬い風が、確かにそこにあった。


 一。


 膝を伸ばす。


 二。


 風を蹴り、飛竜の頭上へ跳ぶ。


 レイヴを両手で振り下ろした。


 刃は使わない。


 平らな腹が、岩のような角を叩く。


 甲高い音が峡谷へ響いた。


 角の先がわずかに欠ける。


 驚いた飛竜が翼を乱し、谷の反対側へ逃れた。


 俺の身体は再び空へ投げ出される。


「戻れ!」


 リゼの風が背中を押す。


 火鎖が張り、ダリオが鋼索を巻き取る。


 岩棚へ両足で着地した。


 群れの先頭は、こちらを一度振り返った。


 角を打たれたことと、ネーヴァの低い咆哮で戦意を失ったらしい。


 鳴き声を上げ、竜嶺の反対側へ飛び去る。


 残りの六頭も後を追った。


「全員、無事か?」


 俺から確認する。


「行ける」


 ダリオが答えた。


「私は怪我人なので、行けません」


 洞窟の奥からミナが言う。


「でも、今の連携は合格です」


 最後に、リゼを見る。


「行けるわ」


 彼女が近づき、俺の左足を指した。


「足場、見なかったでしょう」


「見えなくても、そこにあると分かった」


「私の風を信じたから?」


「リゼを信じたからだ」


 言ってから、少し近すぎる距離に気づいた。


 リゼも一瞬だけ黙る。


 峡谷を抜ける風が、彼女の銀髪を揺らした。


「あなたを飛ばすのではなく、二人で道を作る」


 リゼは空になった場所を見上げる。


「三秒しかないけれど、今はそれで十分よ」


 峡谷の先では、雨雲を貫く第一結界塔の影が見えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。