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第21話 剣が届かない

 旧運搬路は、採石場の先で峡谷へ入った。


 左右には切り立った岩壁。


 道幅は荷車一台分しかなく、その外は深い谷だ。


 頭上では、青黒い雲が渦を巻いている。


「風がぶつかってる」


 リゼが前髪を押さえた。


「峡谷を下る風と、竜嶺から吹き出す風。流れが何度も逆になるわ」


 目の前で雨粒が上へ昇った。


 次の瞬間には横殴りに飛び、岩壁へ叩きつけられる。


 ネーヴァは翼を畳み、身体を低くして歩いていた。


 こんな場所で煽られれば、傷の治りかけた左翼がまた裂ける。


「第一塔は、この先だ」


 ダリオが布地図を確かめる。


「峡谷を抜ければ西側の採石場跡へ出る。あと一刻――」


 甲高い鳴き声が、言葉を遮った。


 岩壁の上から影が落ちる。


 一頭。


 二頭。


 雲の中から、次々と細長い翼が現れた。


「岩羽飛竜です!」


 ミナが杖を構える。


 灰色の鱗と、鳥のように細い脚を持つ小型飛竜。


 大きさは馬ほどだが、七頭もいる。


 普段は人を避ける魔獣が、嵐の魔力に追われて群れになっていた。


「荷馬車を岩陰へ!」


 ダリオが火槍を振る。


 細い炎が飛び、先頭の飛竜の進路を曲げた。


 リゼの風が続き、炎を避けた二頭を上空へ押し戻す。


 ミナは馬と荷台を水膜で包んだ。


 俺はレイヴを抜き、ネーヴァの前へ立つ。


 飛竜が降りてくれば戦える。


 爪でも牙でも、触れる距離まで来ればいい。


 だが、岩羽飛竜は頭上を旋回するだけだった。


 一頭が口を開き、石の礫を吐く。


 リゼの風が逸らし、ダリオの炎が砕く。


 別の一頭が背後から降りる。


 ミナの水膜が爪を受け止めた。


 俺の剣は、どこにも届かない。


「ここでは風の足場を作れない!」


 リゼが叫ぶ。


「奥に横穴がある。陣形を保ったまま下がるわ!」


 峡谷の先、岩壁に黒い穴が見えた。


 採石夫が使っていた退避洞だ。


「待て!」


 合図が飛ぶ。


 一人でも《待て》と言ったら動かない。


 第十一話の訓練で、俺たちが決めたことだ。


「聞こえたな、シオン!」


 ダリオが火鎖の鉄鉤を構えたまま叫ぶ。


「分かってる!」


 返事をしながら、空を見る。


 ダリオの炎が一頭の翼をかすめた。


 体勢を崩した飛竜が、峡谷の中ほどまで下がってくる。


 岩壁から突き出た足場。


 そこへ跳べば、剣が届く。


 あの一頭を落とせば、群れの動きが乱れる。


 ネーヴァを叩き落としたときも、俺は空へ飛び込んだ。


 地下水路では、飛ばせない魔法で勝った。


 橋も直した。


 灰尾村では、目の前の人を救えた。


 今度も俺が一撃を当てれば、状況を変えられる。


「シオン、戻れ!」


 リゼの声がした。


 俺は岩の足場へ走った。


「届く!」


 踏み切る。


 飛竜まで、剣二本分。


 レイヴへ魔力を込め、両手で振り上げる。


 その瞬間、風向きが逆になった。


 身体が横へ流される。


 刃先は飛竜の尾をかすめることもなく、空を切った。


 足元には何もない。


「くそっ!」


 峡谷へ落ちる。


 腰へ鋭い衝撃が走った。


 ダリオの火鎖が剣帯を捉え、身体を宙づりにする。


 鉄鉤はかかっている。


 だが、準備前に飛び出したせいで、鋼索の端が岩へ固定されていない。


 ダリオごと崖際へ引きずられる。


「止まれえっ!」


 火槍を地面へ突き刺し、片膝で耐える。


 リゼが俺の下へ風を集めた。


 乱気流の中で、足裏に一瞬だけ硬い空気が触れる。


 すぐに崩れたが、落下がわずかに止まった。


「引いて!」


 リゼがダリオの背を風で押す。


 二人がかりで、俺の身体が崖上へ戻されていく。


 その間、上空を押さえていた風が消えた。


「ミナ、上だ!」


 三頭の飛竜が、荷馬車へ急降下する。


 ミナが水膜を広げた。


 一頭目の爪を弾く。


 二頭目の礫を受け止める。


 三頭目が、薄くなった膜を突き破った。


「ミナ!」


 灰色の爪が彼女の左肩を裂く。


 血が飛び、身体が岩壁へ叩きつけられた。


 ネーヴァが咆哮する。


 長い尾が飛竜の横腹を打ち、峡谷の反対側へ弾き飛ばした。


 俺はようやく地面へ引き上げられる。


「ミナのところへ!」


 叫んで立とうとした足を、リゼが風で払った。


「今度こそ待って!」


 怒りに震えた声だった。


 ダリオが火鎖を退避洞の岩へ打ち込み、荷馬車を引く。


 リゼはミナの身体を風で浮かせた。


 俺はネーヴァと並び、洞窟の入口まで後退する。


 降りてきた一頭だけを、レイヴの峰で打ち払った。


 四人と一頭、荷馬車と二頭の馬。


 全員が退避洞へ入ると、ダリオが火槍で入口の古い支柱を焼き切った。


 岩と木材が崩れ、飛竜が入れない狭さまで穴を塞ぐ。


     ◇


「骨は折れていません」


 ミナは自分の肩へ治療水を流しながら言った。


 三本の傷は深く、制服が赤く染まっている。


「筋肉まで裂けています。今日いっぱい左腕は動かせません」


「俺のせいだ」


「はい」


 即答だった。


 優しく否定されるより、胸に刺さる。


「リゼが《待て》と言いました。ダリオ先輩の火鎖は固定前でした。私は退路を守っていました」


 ミナが一つずつ数える。


「それでも、シオン君は跳びました」


「届くと思った」


「届かなかったわ」


 リゼが言う。


 声はもう大きくない。


 だからこそ、逃げられなかった。


「あなたを助けるために、私は上空の風を解いた。ダリオも陣形を離れた。その結果、ミナが一人で三頭を止めた」


「俺が一頭を落とせば、楽になると思ったんだ」


「俺たちが待てと言ってもか?」


 ダリオが火鎖の擦れた部分を確かめている。


「それは勇敢じゃない。独断だ」


 反論できない。


 俺はいつの間にか、一撃が強くなったことを、何にでも届くようになったことと取り違えていた。


 飛ばせない弱点は消えていない。


 空の敵には、今も一人では何もできない。


 それを認めたくなくて跳び、仲間を危険にした。


「ごめん」


 ミナへ頭を下げる。


「次は、必ず《待て》で止まる」


「次があるように治します」


 ミナが息を吐いた。


「ただし治療が終わるまで、荷物持ちはシオン君です」


「全部持つ」


「私の鞄、見た目より重いですよ」


「それでも持つ」


 退避洞の外では、飛竜の鳴き声が続いている。


 レイヴは壊れていない。


 剣に込めた魔力も残っている。


 けれど、届かなければ一撃はゼロと同じだ。


 リゼは洞窟の入口にしゃがみ、舞い込む砂の動きを見つめていた。


 乱れた風の中で、砂粒が一瞬だけ空中へ留まる。


 彼女はその場所へ指を伸ばし、小さくつぶやいた。


「一瞬じゃ、足りない」

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