第20話 燃やした推薦状
封書を受け取っても、ダリオはすぐには開かなかった。
窓辺に降りた炎の小鳥は、役目を終えても消えない。
赤い目で、ダリオの返事を待っている。
「宛名を間違えたわけではなさそうね」
リゼが言う。
「教授の伝書は、登録した魔力を追う。俺がどこにいても届く」
ダリオは封書を裏返した。
封蝋には、ヴァイス教授の個人印。
学院や研究室の正式な通信ではない。
「読まないのか?」
「読めば、無視できなくなる」
「もう無視できてないだろ」
「分かっている」
短く答え、封蝋を割る。
中には、二枚の紙が入っていた。
一枚目は、ヴァイス教授の直筆だった。
『ダリオ・ベルンへ。
君が灰尾村の管理詰所へ到達したことは、伝書の反応で把握している。
そこで発見した試験記録を、未完成の計算として封印しなさい。灰尾村の被害は、私が起こしたものではない。目覚めた竜の魔力によって生じた不可避の災害だ。
第三研究室の解除印を持ち、誘導樹脂と結界塔の研究に関わっていた君は、学院から共犯を疑われる立場にある。
今すぐ学院へ戻り、零距離班の調査が推測にすぎないと証言すれば、君は何も知らなかったと私が保証する。共犯として扱わせない。
実証の成功後には、卒業首席として王国防衛局へ推薦しよう。
君には、遠くから人を守れる魔術師になる責任がある』
ダリオの手が、最後の一文で止まった。
二枚目は推薦状だった。
学院長宛ての書式に、ダリオの名と成績が記されている。
推薦理由の欄だけが空白で、ヴァイス教授の署名はすでに入っていた。
学院へ戻れば、ダリオ自身と家族の名は守られる。
代わりに俺たちの実験記録は信用を失い、灰尾村で見つけた証拠も、未完成の計算として片づけられるだろう。
安全な帰り道と引き換えに、教授が用意した筋書きへ最後の署名を求めている。
「用意がいいですね」
ミナの声に、いつもの明るさはない。
「第三研究室の解除印を与えたのは教授でしょう。それを共犯の根拠に使うなんて」
「嘘は書いていない」
ダリオが推薦状を見つめる。
「誘導樹脂の基礎配合を手伝ったことがある。方向を示す術式だとは知らなかった。火槍の耐熱材に使うと聞いていた」
「だから、あなたは共犯じゃないわ」
リゼが言う。
「俺たちは知っている。だが、学院の記録には俺の名が残っている」
火槍の柄に刻まれた解除印が、鈍く光った。
保管棟を襲った仮面も、第三研究室の備品。
ネーヴァの傷から出た樹脂も、同じ研究室の配合。
事情を知らない者が見れば、ダリオまで計画に関わっていたと思うかもしれない。
「教授のところへ戻るのか?」
尋ねると、ダリオは俺を睨んだ。
「簡単に聞くな」
「悪い」
「戻らないと言ってほしい顔だ」
「そう思ってる。でも、俺が決めることじゃない」
炎の小鳥が、窓枠の上で羽を揺らした。
雨の音だけが小屋へ入る。
◇
「ベルン家は、名だけなら子爵家だ」
長い沈黙のあと、ダリオが話し始めた。
「本家には領地も屋敷もある。俺の家は、そこから三代前に分かれた末端だ。父は北の炭焼き場を管理して、母は帳簿をつけていた」
学院へ入る前のダリオを、俺は知らない。
いつも上等な制服を着て、誰より高い得点を取る男だと思っていた。
「十二のとき、領内の選抜試験を受けた。支給された杖を買い取る金もなかったから、炭焼き用の鉄棒へ自分で術式を刻んだ」
「それが火槍の最初?」
「ひどい出来だった。火を一発飛ばしたら、柄が裂けて手の皮が焼けた」
ダリオが右手を開く。
掌には、古い火傷の跡が残っていた。
「見物していた貴族は笑った。カルダン教授だけが、壊れた鉄棒を拾った」
教授は、飛んだ火の大きさではなく、壊れる直前まで炎を細く保った術式を褒めた。
学院の授業料を保証し、研究室へ席を作り、火槍の材料を与えた。
ダリオの両親へも、息子には才能があると手紙を書いた。
「あの人がいなければ、俺は学院にいない。火槍もない。家族は今も、教授の名前を出すたび頭を下げる」
「本当に、助けてもらったんですね」
ミナが静かに言う。
「だから困っている」
ダリオは笑おうとして、失敗した。
「最初から悪人だったなら、簡単だった」
俺は返す言葉を探した。
ヴァイス教授を疑ったのは、ネーヴァが怯えたときからだ。
俺には、教授から受けた恩がない。
研究を認めてもらったことも、家族を喜ばせてもらったこともない。
「俺が先に疑えたのは、正しかったからじゃない」
ダリオが顔を上げる。
「お前より、失うものが少なかっただけだ」
リゼもミナも、何も急かさなかった。
選ぶまでの時間ごと、ダリオのものだった。
◇
小屋の外で、灰尾村の人々が出発し始めた。
包帯を巻いた女の子が、母親と一緒に荷車へ乗る。
猟師たちは最後まで残り、消火した家に火種がないか確かめていた。
ヴァイス教授の記録では、予測損失と書かれていた人たちだ。
ダリオが窓を開ける。
炎の小鳥が腕へ移った。
「教授からもらったものは多い」
火槍を握る。
「学費も、場所も、最初の材料もだ」
穂先に小さな炎が灯った。
「だから、研究が必要だという考えまで間違いだとは言わない」
推薦状の端へ火を触れさせる。
紙が赤く縮み、首席という文字が黒く崩れた。
炎の小鳥が激しく羽ばたく。
ダリオは手を離さない。
「恩を返すことと、間違いを見逃すことは同じじゃない」
一枚目の手紙も炎へ入れる。
「助けてもらった恩は、いつか正しい形で返す。だが、灰尾村の人たちを数字に戻す手伝いはしない」
最後の一片が灰になる。
炎の小鳥も、小さな火の粉となって消えた。
教授へ返事は届いただろう。
「首席推薦を燃やすなんて、もったいないわね」
リゼがわずかに笑う。
「安心しろ。推薦がなくても取る」
「卒業できれば、ですけどね」
ミナの一言に、ダリオが詰まった。
「先に落第した俺が言うのも何だけど、試験は大事だぞ」
「お前だけには言われたくない!」
久しぶりに、いつもの声が戻った。
ダリオは火槍を肩へ担ぎ、古い布地図を広げる。
「北の採石場まで二刻。そこから旧運搬路へ入る。休んだ分は取り戻すぞ」
「もう仲間に指図するのか?」
「違う。競争相手が遅すぎるから引っ張ってやる」
小屋を出る。
雲の奥で、大きな翼の影が一瞬だけ動いた。
俺たちは旧運搬路へ向け、雨の山道を再び走り始めた。




