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第19話 灰の村

 灰尾村は、燃えていた。


 山道を上り切った先で、黒い煙が雨雲へ吸い込まれている。


 家々の屋根には火が移り、村の中央を灰色の魔獣が走り回っていた。


「灰牙狼」


 ダリオが火槍を握る。


「森の奥にいる群れだ。嵐で縄張りを追われたんだろう」


 狼と呼ばれているが、普通の狼より二回りは大きい。


 背中には岩のような毛が重なり、口から灰混じりの息を吐いている。


 数は、見えるだけで二十を超えていた。


 村の向こうには道が二つある。


 西へ進めば第一結界塔。


 東へ下れば灰尾村だ。


 ネーヴァは西の道へ鼻先を向け、低く鳴いた。


 結界核の魔力を感じている。


「塔へ急ぐなら、ここで分かれるしかない」


 ダリオが言った。


 村の建物はまだ半分以上残っている。


 だが、人の姿が見えない。


 すでに避難したのかもしれない。


 俺たちがここで時間を使えば、ヴァイス教授はさらに先の準備を進める。


 誘導された竜も、完全に目覚めるかもしれない。


「助けて!」


 小さな声が、迷いを切った。


 村の端にある納屋から、女の子が飛び出してくる。


 裸足で、片腕から血を流していた。


 その後ろを、二頭の灰牙狼が追っている。


 考えるより先に荷馬車を飛び降りた。


「シオン!」


「村へ行く!」


 俺はレイヴを抜いて斜面を駆け下りる。


 第一塔へ近づくことも任務だ。


 けれど、目の前で助けを求めた子を置いていく任務証なんて、持っている意味がない。


 一頭目の灰牙狼が跳んだ。


 女の子と牙の間へ滑り込み、レイヴの腹で顎を打ち上げる。


 刃から流した魔力が、岩のような毛の内側へ入った。


 首の筋肉だけが硬直し、巨体が横へ転がる。


 二頭目が背後から迫る。


「右へ!」


 リゼの声と同時に身体を沈めた。


 風の刃が頭上を通り、狼の目の前で土煙を巻き上げる。


 ひるんだ鼻先へ、ダリオの火鎖が巻きついた。


「追う相手が違うだろうが!」


 鎖が狼を地面へ引き倒す。


 ミナが女の子を抱き上げ、水膜の中へ入れた。


「家族はどこですか?」


「鐘の地下……みんな、いる。でも、お母さんが来てない」


 村の中央に、小さな鐘楼が見える。


 石造りの一階へ、灰牙狼の群れが集まっていた。


 内側に人がいる。


「リゼ、煙を東へ流せるか?」


「やる。狼の匂いも一緒に流すわ」


「ミナは鐘楼まで避難路を。ダリオ、群れを二つに割る」


「指図が早くなったな」


「嫌か?」


「今は悪くない」


 ダリオが火槍を地面へ突き立てた。


 炎の線が、家を避けながら村道を走る。


 狼を焼くためではない。


 群れの中央へ赤い壁を作り、進む方向を分けるためだ。


 リゼの風が燃える屋根から煙を奪い、村の外へ押し流した。


 視界が開く。


 鐘楼までの道へ、ミナの水が半円の膜を作った。


「今なら通れます!」


 鐘楼の扉が開き、村人たちが走り出す。


 老人が子どもを背負い、負傷した男を二人が支えていた。


 群れの奥で、一際大きな灰牙狼が吠えた。


 炎の壁を飛び越え、避難する村人へ向かう。


 俺からは遠い。


 剣では届かない。


「ネーヴァ!」


 黒銀の影が斜面から駆け下りた。


 翼は使わない。


 地面を蹴り、灰牙狼の進路へ身体ごと割り込む。


 若い竜の咆哮が、村を揺らした。


 灰牙狼の足が止まる。


 ネーヴァは噛みつかず、頭を低くして睨みつけた。


 群れの長が一歩下がる。


 俺はその隙に距離を詰め、前脚へレイヴを触れさせた。


 流すのは、立てなくする分だけ。


 筋肉の内側で力がほどけ、巨体が膝をつく。


「リゼ!」


「村の外へ道を開ける!」


 強い風が西から東へ抜けた。


 炎の切れ目と風の道が、森へ続く一本の出口を作る。


 長を失った灰牙狼たちは、仲間を追って村の外へ走り去った。


 追わない。


 あいつらも、異常な嵐に棲み処を奪われただけだ。


     ◇


「お母さんは、診療所にいました」


 女の子の傷へ包帯を巻きながら、ミナが笑う。


「煙を吸っていますが、命に別状はありません」


 母親に抱きしめられた女の子が、声を上げて泣いた。


 鐘楼の地下にいた四十七人。


 診療所に残されていた六人。


 女の子を合わせ、村に残っていた五十四人全員が生きていた。


 村人たちは消火を終えると、南へ避難する準備を始めた。


「あんたたち、第一塔へ行くんだろう」


 片脚を負傷した猟師が、古い布地図を広げる。


「西の街道は崖崩れで塞がってる。だが、昔、塔を建てる石を運んだ道が北の採石場に残ってる」


 地図には、現在の街道より細い線が描かれていた。


「この道なら、塔の西側へ出る。使われなくなった搬入口もあるはずだ」


「どうして知っているんですか?」


「祖父が石運びをしてた。今じゃ村の者しか入らない道だ」


 街道を迂回するより、半日は早い。


 ここへ寄らなければ、知ることのなかった道だった。


「もう一つ、見せたいものがある」


 猟師は村外れの小屋へ俺たちを案内した。


 扉には第一結界塔の印がついている。


「塔の管理詰所だ。先週まで、白い外套の連中が出入りしてた。嵐が来てからは誰もいない」


 中は荒らされていた。


 棚の書類は燃やされ、床には灰が積もっている。


 けれど机の下に、火を免れた金属箱が挟まっていた。


 ダリオが、火槍の柄に刻まれた第三研究室の解除印を当てる。


 錠が開いた。


「現地試験記録」


 リゼが一枚目を読み上げる。


 日付は、ネーヴァが学院を襲うより前だ。


 第一塔の結界核を誘導装置へつないだ場合の、嵐と魔獣の移動経路が記されている。


 灰尾村の名もあった。


 警報が遅れた場合の想定死者、四十三名。


 家屋の焼失、六割。


 その横へ、冷たい文字で注記されていた。


『実証計画全体における予測損失として許容範囲』


 末尾には、ヴァイス・カルダンの署名がある。


 俺は窓の外を見る。


 包帯を巻かれた女の子が、母親の手を握っていた。


 鐘楼から逃げた老人たちが、濡れた荷物を荷車へ載せている。


 四十三という数字の中に、全員が入っていた。


「守るための研究だって言っていた」


 俺の声に、ダリオが目を伏せる。


「でも教授には、この人たちが数字にしか見えていない」


 ヴァイス教授は、いつか起きる大災害を恐れていた。


 その恐れが間違いだとは思わない。


 けれど未来の誰かを守ると言いながら、今ここにいる人を失っていい理由にはならない。


 ミナが記録を防水布へ包む。


「証拠として持っていきます」


 小屋の外で、鳥の羽ばたきが聞こえた。


 赤い炎でできた小鳥が、雨を蒸発させながら窓辺へ降りる。


 その脚には、一通の封書が結ばれていた。


 封蝋に刻まれているのは、ヴァイス教授の印。


 宛名は一人だけだった。


 ダリオ・ベルン。

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