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第18話 落第者の遠征

 学院を出て半刻もしないうちに、雨が降り始めた。


 最初は頬へ当たる程度だった雫が、北へ進むほど太くなる。


 夜明け前の街道を、借りた二頭立ての荷馬車で走る。


 俺とダリオが御者台に座り、リゼとミナは荷台で道具を確かめていた。


 ネーヴァは街道の脇を走っている。


 ときどき翼を広げ、低い丘を滑るように越えるが、左翼を長く使うことはできない。


「速すぎるな」


 ダリオが北の空を見る。


 青黒い雲は、俺たちの頭上まで広がりかけていた。


「第一結界塔まで、普通なら馬車で一日。今夜のうちに着くのは無理だ」


「分かってる。先に村だ」


 胸元の任務証へ触れる。


 任務は避難誘導、現地確認、証拠確保。


 ヴァイス教授を捕らえることでも、目覚めた竜を倒すことでもない。


 そう書かれている。


「少し変な気分だ」


「何がだ」


「遠征の任務証を持ってるのに、俺はまだ魔術師でもない」


 資格欄は空白だ。


 卒業試験に落ちた扱いも、特別実証課程にいる立場も変わっていない。


「だったら俺たちは、落第者に荷馬車を任せていることになるな」


「嫌なら代わるぞ」


「前を見ろ。曲がる」


 ダリオが手綱を引き、馬車を右へ寄せる。


 直後、道の脇へ雷が落ちた。


 地面が揺れ、二頭の馬がいななく。


 ネーヴァが馬車の前へ出て翼を広げた。


 飛んできた小石が黒銀の鱗へ当たり、細かな音を立てて落ちる。


「助かった!」


 声をかけると、ネーヴァは一度だけ尾を振った。


 リゼが荷台から身を乗り出す。


「この先に人がいる。風に声が混じってる!」


「北谷村か?」


「もっと手前。川の方よ」


 馬車を走らせる。


 木立を抜けると、濁流と化した川が見えた。


 その上に架かっていた石橋は、中央から大きく沈んでいる。


 南側の橋柱へ流木が何本もぶつかり、石組みの一部が崩れていた。


 対岸には十数台の荷車と、大勢の村人が立ち往生している。


「学院から来たのか!」


 橋の向こうで男が叫ぶ。


「北谷村の避難民だ! 橋が落ちる前に子どもだけでも渡したい!」


 俺たちは馬車を降りた。


 橋板は傾き、中央の継ぎ目が今にも外れそうだ。


 このまま一人ずつ渡らせても、途中で崩れる。


「別の道は?」


「下流の渡し場は水の中だ。次の橋まで二刻はかかる!」


 北から雷鳴が近づいている。


 二刻も待てない。


「直すぞ」


 俺が言うと、ダリオが橋柱を見た。


「全部を作り直す時間はない」


「壊れてないところまで直す必要はない」


 レイヴを抜き、橋の南端へ降りる。


 石柱の表面には細い亀裂しか見えない。


 だが、剣の腹を当てて魔力を流すと、内側の状態が手へ返ってくる。


 砕けた石。


 流木に押され、ずれた芯。


 その奥には、まだ荷重を支えられる硬い部分が残っている。


「この外側だけを落とす。ダリオ、流木を止めてくれ」


「任せろ」


 火鎖が二本、川へ伸びた。


 橋柱へぶつかり続けていた太い流木へ巻きつき、岸の大木へ固定する。


「長くは持たないぞ!」


「十分だ」


 レイヴへ力を込める。


 最大ではない。


 亀裂の中へ届く分だけ。


 刃から入った魔力が、傷んだ石の境目を走る。


 鈍い音とともに、柱の外側だけが剥がれ落ちた。


 奥から平らな石面が現れる。


 橋全体は揺れたが、倒れない。


「接合面を作った! 次は?」


「梁が要るわ」


 リゼが周囲を見渡す。


 川岸には、嵐で倒れた杉が二本あった。


「ネーヴァ、あれを運べる?」


 竜が首を傾ける。


 リゼは倒木を指し、それから橋まで風の道を引いた。


 意味を理解したネーヴァが、杉の幹へ牙をかける。


 太い倒木が、泥の上を引きずられてきた。


「竜を使うのかよ……」


 対岸から、驚いた声が聞こえる。


「手伝ってもらってるんです!」


 俺は答えた。


「敵じゃありません!」


 ネーヴァが鼻を鳴らす。


 リゼの風が杉を軽くし、一本目の梁を川へ渡す。


 南端は俺が削った石面へ、北端は無事な橋台へ載った。


 二本目も隣へ並べる。


「板材を!」


 村人たちが荷車から戸板や棚板を外し、こちらへ投げる。


 リゼの風が一枚ずつ受け止め、二本の梁の上へ並べていく。


「固定します!」


 ミナが濁流から水だけを細く引き上げた。


 透明な帯が梁と板の間を何重にも巡る。


 彼女が杖を振ると、水は白く凍り、板材を固く締めつけた。


「長くても朝までです。大勢が同時に乗れば壊れます!」


「一台ずつ渡す!」


 対岸の男が叫んだ。


 最初に子どもと老人が渡ってくる。


 リゼが横風を抑え、俺は接合部へレイヴを当てたまま、内部の揺れを確かめる。


 ミナは渡り終えた者の中から負傷者を選び、すぐに治療した。


 ダリオの火鎖は、流木と濁流の力に耐え続けている。


 最後の荷車が橋を渡った直後、鎖につながれていた大木が根元から軋んだ。


「全員、離れろ!」


 ダリオが火鎖を解く。


 流木が橋柱の脇をかすめ、下流へ消えていった。


 仮橋は残っている。


 北谷村の全員が、南岸へ渡り終えていた。


     ◇


「これが任務証か」


 村長だという白髭の男が、俺の銀札を確かめた。


 裏返し、空白の欄で手を止める。


「魔術師資格が書かれていないぞ」


「まだ落第扱いなんです」


 隠しても仕方がない。


「特別課程の途中で来ました」


 村長は俺の顔と、後ろの橋を交互に見た。


「では、あの橋は合格した魔術師が直したのか?」


「いえ。俺たちと、ネーヴァで」


「なら、わしらにとってはそれが答えだ」


 村長は銀札を返した。


「立派な肩書を持った者が夜明けに来るとしても、溺れる前に来てくれた者の方が頼りになる」


 胸の奥が熱くなる。


 試験の採点板に何度ゼロと書かれても、目の前の橋まで消えるわけではない。


「北谷村は全員いますか?」


 ミナが人数表を確認する。


「うちはな。だが、灰尾村から来るはずの者が一人もいない」


 村長が北東の山道を指した。


「避難鐘も、途中で聞こえなくなった」


 風向きが変わった。


 雨の匂いへ、焦げた木の匂いが混じる。


 リゼが目を閉じ、遠くへ観測風を伸ばした。


「煙がある。村の方角から」


 ネーヴァも同じ方向を見て、低く唸った。


 泥の上には、北東へ続く大きな足跡が残っている。


 竜のものではない。


 四本脚の魔獣が、何十頭も通った跡だった。


「橋を渡った人たちを、南へお願いします」


 俺は村長へ言った。


「俺たちは灰尾村へ向かいます」


 落第者の遠征は、まだ始まったばかりだった。

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