第17話 奪われた結界核
三度目の鐘が鳴り終わる前に、俺たちは保管棟を飛び出した。
北の空から、青白い光が消えている。
王都と竜嶺の間で夜通し輝いていた、第一結界塔の灯だ。
「一時的な停止じゃない」
リゼが空を見上げた。
「塔の周りを巡っていた風まで消えてる」
学院中央棟の窓という窓に明かりがつく。
眠っていた教師と職員が駆け出し、警備隊が門を封鎖していく。
俺たちは呼び止められるより先に、中央棟の観測室へ向かった。
円形の部屋の中央に、北境の立体地図が浮かんでいる。
地図を囲む五本の結界塔のうち、一つだけが黒かった。
「第一塔からの応答、ありません!」
「第二塔と中央塔の出力を一割上げろ。空いた範囲を重ねて塞げ!」
指示を飛ばしているのは、副学院長のセレス・オルディンだった。
ヴァイス教授と違い、結界の運用ではなく学院全体の管理を担う人だ。
「北境の各村へ退避警報。王都防衛局へ最上級の緊急伝書を送れ。第一塔への転送は禁止、通常門も封鎖しなさい」
「副学院長!」
ダリオが前へ出る。
「第一塔の転送鍵が奪われました。襲撃者の仮面には、ヴァイス教授の研究室番号が――」
「報告は受けています。カルダン教授の所在を確認中です」
答えは、すぐに来た。
結界研究棟から走ってきた職員が、青ざめた顔で記録板を差し出す。
「教授は研究室にも宿舎にもいません。保管棟が襲われた直後、旧転送室の術式が一度だけ作動しています。行き先は第一塔です」
「使われた鍵の番号は?」
「主任用の一番鍵。盗難品と一致します」
観測室が静まり返った。
転送鍵を起動できるのは、結界研究主任の認証を持つ者だけだった。
だからヴァイス教授は、自分の職権で何度も第一塔へ行けた。
そして疑いを向けられた今は、盗まれた鍵を使うことで、正式な出張記録を残さず塔へ入った。
「副学院長、こちらを」
机の上の通信結晶が、勝手に光り始めた。
空中に、白い研究衣を着た男の姿が映る。
ヴァイス教授だった。
『この記録を学院長、ならびに王国防衛評議会へ残す』
いつもの穏やかな声だった。
背後には、見覚えのない巨大な青い結晶が浮いている。
太い金属環に囲まれ、幾百もの光の筋を放っていた。
『私は北方第一結界塔の核を、固定座から外した』
地図上の黒い塔が、最後の弱い光まで失う。
『核は、竜嶺へ向けた誘導装置へ接続した。装置は新型魔導砲の実証に備え、以前から塔内へ設置していたものだ』
「誘導装置……」
ネーヴァの傷に残っていた樹脂を思い出す。
特定の魔力を探し、その方向を竜へ伝える術式。
あれと同じものを、さらに大きくした装置だ。
『近年の平和は、王国から竜への恐れを奪った。恐れを失った者たちは、結界研究を浪費と呼び、来年度の予算を半減させようとしている』
ヴァイス教授の目が、映像の向こうから俺たちを見た。
『ならば王国へ、本物の脅威を見せる。竜が再び空を覆えば、誰も防衛研究の価値を否定できない』
「人を危険にさらして、研究費を守るのか」
ダリオの声は映像へ届かない。
『すべては、いずれ訪れる大災害から王国を守るためだ』
その言葉を最後に、映像が消えた。
誰もすぐには口を開かなかった。
ヴァイス教授は、鉄翼竜へ針を刺したとは言っていない。
保管棟の襲撃を命じたとも認めていない。
けれど、結界核を奪い、竜を呼ぶ装置へつないだことは、自分の声で認めた。
◇
「北北西、竜嶺深部に大規模反応!」
観測員の声が上がる。
立体地図の端に、青い点が現れた。
点は一度脈打つ。
そのたびに周囲の小さな光が吸い寄せられ、少しずつ大きくなった。
「魔獣ではありません。推定値が測定上限を越えます!」
窓の外で、遠雷が鳴る。
空は晴れていたはずなのに、北の地平だけへ青黒い雲が集まり始めている。
「北境第三中継所から緊急報告!」
別の通信結晶が声を放つ。
『竜嶺から暴風が南下中! 北谷村、灰尾村へ退避を――』
激しい雑音が入り、声が途切れた。
「通信路が切断されました」
「正規隊を出してください」
俺は副学院長へ言った。
「今すぐなら、村へ嵐が着く前に――」
「すでに教官十二名を招集しています。馬も物資も準備中です」
セレス副学院長は即答した。
「しかし第一塔は王国防衛局の管轄です。結界核が外された状態で武装隊を入れれば、残った防衛術式が反乱と判断する危険がある。介入には王命が必要です」
「許可はいつ来る」
ダリオが尋ねる。
「最速でも夜明け前。正規隊の到着は、その二時間後です」
「北谷村まで、嵐は?」
リゼが地図上へ風を流す。
青黒い雲の進路が細い線になる。
「この速さなら、一時間半」
待てば、正しい命令は来る。
そのころには、村が嵐の中だ。
副学院長も、それが分かっている。
唇を噛みながら、王都へ送る二通目の緊急書へ自ら署名していた。
「シオン」
観測室の入口から、ガルド教官に呼ばれた。
「お前たち四人、来い」
◇
廊下にはミナも来ていた。
肩へ治療具の鞄をかけ、すでに出発できる格好をしている。
「ネーヴァは?」
「固定具を外しました。長くは飛べませんが、歩くことと低く滑空することはできます」
ガルド教官が、四枚の銀札を差し出した。
表には学院印。
裏には《臨時北境任務証》と刻まれている。
「副学院長から取ってきた。学院の緊急野外実習規定を使った正式な任務証だ」
「正規隊は出せないんじゃ……」
「お前たちは討伐隊ではない」
教官は俺の胸へ銀札を押しつけた。
「任務は北境住民の避難誘導、結界異常の現地確認、証拠の確保。第一塔への侵入と、竜への攻撃は許可しない」
「それで間に合うんですか」
「少なくとも、助けを求める人間へ手を伸ばすのに王命はいらん」
ガルド教官は残った三枚を、リゼたちへ渡す。
「正規隊の許可が下り次第、俺も後を追う。それまで無理に敵を倒そうとするな。道を作れ。人を逃がせ。見たものを記録しろ」
「教官は、なぜ残るんですか?」
「捕らえた襲撃者と、守った実験記録がある。俺がここを離れれば、朝までにどちらも消えかねん」
黒い針のように。
同じ失敗を繰り返さないため、教官は学院に残る。
「それから、シオン」
低い声が続く。
「一撃で全部を解決しようとするな」
「……はい」
「返事が遅い」
「覚えておきます」
「覚えるだけなら落第だ。守れ」
教官の手が、俺の肩を一度だけ叩いた。
◇
北門の前で、ネーヴァが待っていた。
左翼にはミナが巻き直した細い補助帯だけが残っている。
門の向こうから吹く風に鼻先を上げ、竜嶺の方角を見つめていた。
「帰る場所が、危ないのね」
リゼが首元へ触れる。
ネーヴァは低く鳴き、前脚で地面をかいた。
「案内してくれるか」
俺が尋ねると、金色の目がこちらへ向く。
ネーヴァは北門をくぐり、数歩進んでから振り返った。
言葉はなくても、意味は分かった。
「行ける」
俺が言う。
「風は任せて」
「火が必要なら呼べ」
「怪我をする前にも呼んでください」
三人の声が続く。
胸元の任務証には、俺の名が刻まれていた。
魔術師資格の欄だけは、空白のままだ。
それでも今、北で俺たちを待つ人にとって、合格か落第かは関係ない。
夜明け前の道へ、四人と一頭で踏み出した。
遠くの竜嶺で、空そのものが目を覚ましたように雷が鳴った。




