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第16話 保管棟襲撃

 ネーヴァが低く喉を鳴らした。


 隔離厩舎の窓から見える空は、真っ暗だった。


 日付が変わるまで、あと少し。


 俺たちは四人とも、厩舎に残っていた。


「異常なし、と」


 ミナが治療記録へ時刻を書き込む。


 ガルド教官が用意してくれた《夜間治療監視》の許可証が、机の端に置かれていた。


 ヴァイス教授の処分命令を止めるには、明朝の学院会議で異議が認められなければならない。


 教官はそのための証言を集めに行っている。


 俺たちにできるのは、朝までネーヴァを守ることだった。


「シオン、少し寝たら?」


 リゼが壁際の長椅子を指す。


「その言葉、そっくり返す。ずっと風を張ってるだろ」


「外周だけよ。誰かが近づけば分かる程度」


 細い風が、扉や窓の隙間を巡っている。


 ダリオは入口脇で火槍を磨きながら、何も言わなかった。


 結界研究棟を出てから、ほとんど口を開いていない。


 そのとき、天井の魔導灯が消えた。


 一本だけではない。


 厩舎の内側も、窓の向こうの通路も、同時に闇へ沈む。


「停電?」


「違う」


 リゼが立ち上がった。


「外周の風が切られた」


 直後、扉に押された学院印が青く光った。


 施錠術式が、侵入者を拒むことなく外れる。


 扉が開いた。


 黒い仮面が三つ、闇の中へ滑り込んでくる。


「ネーヴァを守れ!」


 俺はレイヴを抜いた。


 何も見えない。


 足音を頼りに踏み込めば、味方まで斬る。


 リゼの風も、ダリオの火も飛ばせるが、この狭い厩舎ではネーヴァへ当たる危険がある。


 だったら、飛ばさなければいい。


 剣へ、ほんの少しだけ光を込める。


 白い明かりが刃に沿って伸びた。


 火球のように遠くを照らすことはできない。


 俺の魔力は、レイヴから一歩も離れない。


 けれど消えもしない。


 剣の周囲だけが、淡い光に浮かび上がった。


「右に二人、梁の上に一人!」


 見えた影を叫ぶ。


「十分よ」


 リゼが短く風を放った。


 攻撃ではない。


 梁の上の侵入者が着地しようとした場所から、空気だけを横へずらす。


 足を踏み外した黒衣が落ちた。


 俺は刃を返し、峰で手首を打つ。


 床へ転がった短剣には、眠り薬らしい紫の液が塗られていた。


「殺すつもりではないみたいですね」


 ミナがネーヴァの前へ水膜を張る。


「竜はな」


 ダリオの火鎖が走った。


 赤熱した鎖が二人目の足へ巻きつき、入口から引き戻す。


「俺たちは別だろう」


 敵の杖から、黒い雷が放たれた。


 ミナの水膜へ触れた瞬間、雷が表面を走る。


 膜は破れない。


 その代わり、彼女の膝が床についた。


「ミナ!」


「大丈夫です。ネーヴァには届いていません」


 黒衣の一人が、拘束鎖の留め具へ銀色の札を押し当てた。


 学院の解除印。


 竜用の鎖まで、音もなく外れていく。


 ネーヴァが身を起こした。


 翼を広げかけ、傷んだ左翼が震える。


「飛ぶな!」


 俺の声が通じたのかは分からない。


 ネーヴァは動きを止め、代わりに長い尾を床へ叩きつけた。


 石片が跳ねる。


 黒衣たちの足が止まった。


「今!」


 リゼの風が三人を壁際へ押し、ダリオの火鎖がまとめて絡みつく。


 俺は一番近い男の杖へレイヴを当てた。


 弱い魔力を流す。


 杖の内側だけが赤くなり、刻まれた術式が焼き切れた。


 爆発させない。


 握っている手も傷つけない。


 武器として使えなくするだけだ。


「三人、拘束!」


 ダリオが叫ぶ。


 その声へ重なるように、遠くで警鐘が鳴った。


 厩舎ではない。


 学院の東側。


「保管棟よ」


 リゼの顔色が変わる。


「こいつらは囮だ!」


     ◇


 厩舎の侵入者は、駆けつけた治療科の教師へ引き渡した。


 ネーヴァのそばにはミナが残る。


「一人で大丈夫か?」


「警備教師も来ました。行ってください」


 俺とリゼとダリオは、保管棟へ走った。


 学院の東端にある石造りの建物から、灰色の煙が上がっている。


 正面扉に破壊された跡はなかった。


 ここも学院印で開けられている。


「地下二階!」


 階段を駆け下りる。


 明かりは消えたままだ。


 俺はレイヴの光を先頭に立てた。


 地下二階の廊下には、倒れた警備員が二人いた。


 息はある。


 首元に、厩舎で見たものと同じ紫の薬が付着している。


「先に行って。命に別状はないわ」


 リゼが風で呼吸を確かめる。


 封印庫の奥から、木の割れる音がした。


 踏み込むと、黒い仮面の男が灰色の封印箱を抱えていた。


 俺たちの実験記録だ。


「それを置け!」


 男が杖を振る。


 床に刻まれた迎撃術式が青く光った。


 学院の保管庫を守るはずの魔法が、こちらへ向く。


「伏せろ!」


 氷の矢が何十本も飛ぶ。


 ダリオの炎が正面で弾け、氷を蒸気へ変えた。


 白い霧が視界を奪う。


 その中へ、リゼの風が一本の道を開けた。


 男まで、六歩。


 飛ばせないなら、走る。


 一歩。


 床から飛び出した石の槍をかわす。


 二歩。


 三歩。


 肩を狙った雷を、レイヴの腹で受け流す。


 剣の光が激しく明滅したが、消えない。


 四歩。


 五歩。


 男が封印箱を床へ投げ、奥の鉄棚へ手を伸ばした。


 そこには、青い結晶をはめた環状の鍵が収められている。


 札には《北方第一結界塔・主任用転送鍵》と刻まれていた。


「ダリオ!」


「分かってる!」


 火鎖が男の右腕へ伸びる。


 男は外套を脱ぎ捨て、鎖だけを絡め取らせた。


 俺の剣先が仮面へ届く。


 黒い面が割れ、半分が床へ落ちた。


 だが、その下にも顔を隠す布が巻かれている。


 男は転送鍵をつかみ、床へ銀の筒を叩きつけた。


 光ではなく、濃い煙が弾ける。


「逃がすな!」


 風が煙を吹き払ったとき、奥の搬入口が開いていた。


 男の姿はない。


 俺たちの実験記録は、床に残されている。


 けれど、鉄棚の中から転送鍵が消えていた。


     ◇


 床へ落ちた仮面の半分を、ダリオが拾い上げた。


「学院の工房で作られたものだ」


 裏側へ、火槍の明かりを近づける。


 縁に小さな数字が刻まれていた。


 俺にも見覚えがある。


 実習用の杖や測定器についている、研究室ごとの管理番号だ。


「結界研究棟、第三研究室」


 リゼが読み上げる。


「ヴァイス教授の直属研究室ね」


 ダリオは答えなかった。


 仮面を握る指に、力が入る。


 研究室の備品が盗まれた可能性はある。


 学院印を持つ別の誰かが、すべてを仕組んだ可能性も消えてはいない。


 だが、奪われたのは第一結界塔へ直接移動するための鍵だ。


 誘竜針が示していた場所。


 ヴァイス教授が、長年管理してきた塔。


 偶然と呼ぶには、もう多すぎた。


 地上から鐘の音が響く。


 一度。


 二度。


 そして三度。


 北方結界の重大な異常を知らせる鳴らし方だった。


 窓のない地下で、北から来た冷たい風が頬を撫でた気がした。

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