第13話 勝てる距離
「今の魔法……俺たちにも使えるのか?」
地下水路の入口で尋ねたのは、同学年のテオだった。
実技試験の順位は、俺より三つ上。
風魔法を二メートルほど飛ばせるが、十メートル先の標的には届かない。
「分からない」
俺は正直に答えた。
「《纏式》は俺だけの魔法じゃない。でも、俺の《閉環》は珍しい体質らしい。同じやり方が、そのまま使えるとは限らない」
「少しでもいい。教えてくれないか」
テオの後ろにも、何人かの生徒がいた。
飛距離が足りない者。
威力はあるが、狙った場所へ当てられない者。
実技試験で低い点を取り、進級を諦めかけていた者たちだ。
少し前まで、俺も同じ場所にいた。
「勝手には教えられない。まだ実証中だ」
「なら、見せてもらうだけでも――」
「駄目だ」
ガルド教官が会話を切った。
「今日のところは全員帰れ。希望者の名前だけ記録係へ出しておけ」
生徒たちは不満そうだったが、逆らわずに離れていく。
テオだけが、最後まで俺のレイヴを見ていた。
◇
翌日から、旧訓練場の入口に人が集まり始めた。
地下水路の実証記録が、生徒用掲示板に公開されたからだ。
『接触点からの内部作用を確認』
『周辺温度および酸素量に変化なし』
『魔獣、術者、使用武器、いずれも生存』
その下には、零距離班四名の名前が並んでいる。
三日で、見学希望者は四十人を超えた。
「落第生だったころより人気者ね」
観測板を抱えたリゼが言う。
「今も合格したわけじゃない」
「だから、だったころ、と言ったの。今のあなたは実証課程の生徒よ」
「どっちが上なんだ?」
「少なくとも、ただの落第生より説明が長いわ」
喜んでいいのか分からない。
ガルド教官は、希望者のうち十人だけを訓練場へ入れた。
条件は、魔力を武器へ流した経験があること。
事前にロッカの武器検査を受けること。
ミナの防壁から外へ出ないこと。
「最初に言っておく」
ガルド教官が見学者を見回す。
「今日は斬らせない。燃やさせない。魔力を一呼吸だけ武器へ留め、すぐに消す。それだけだ」
期待に満ちていた顔が、一斉に曇った。
「シオンは竜を落としたじゃないですか」
誰かが言う。
「その前に剣を何本壊したと思う?」
「四本です」
ミナが即答した。
「腕の魔力路も傷めかけました」
「そこまで言わなくても」
「言うための見学会です」
まず、俺が訓練台の前へ立った。
レイヴへ、糸一本ほどの魔力を通す。
黒い刃の銀筋が、淡く光った。
一呼吸。
術式を解き、魔力を身体へ戻す。
光が消えた。
「これだけです」
見学者の反応は薄かった。
竜を落とした一撃や、甲殻サラマンダーを止めた火を期待していたのだろう。
「止めるところまでが纏式だ」
俺は続けた。
「強くするのは、そのあとでいい」
一人ずつ、刃を潰した短剣を握る。
全員の周囲へ、リゼが観測風を流した。
普通の魔術師は、俺と違って魔力の一部が刃から空気へ漏れる。
それでも、十人のうち三人は、一呼吸だけ魔力を留めることができた。
「できた……」
テオの短剣を、薄い風が覆っている。
飛ばせば二メートルで消える風が、刃の上には残っていた。
「一呼吸だ。消して」
「もう少しだけ」
「テオ、消せ」
ガルド教官の声で、テオは術式を解いた。
刃の風が散る。
嬉しそうな顔を見て、俺まで胸が軽くなった。
俺以外にも使える。
飛距離が足りず、何度も低い点をつけられた生徒が、別の方法で魔法を残せた。
「次は、標的へ触れた状態で――」
「もう一度やらせてください」
テオが短剣を構え直した。
「今日の上限は一回だ」
「今のはできました。もっと強くしても制御できます」
「待て」
俺が言ったときには、テオの刃へ風が集まり始めていた。
一呼吸分ではない。
俺が竜へ重ねた魔力を想像し、一度に近づこうとしている。
「止めろ!」
「俺だって、この距離なら――!」
短剣が高く鳴った。
俺の訓練剣が壊れる前と同じ音だ。
刃の中央が膨らむ。
「ミナ!」
「伏せて!」
水膜がテオと見学者の間へ広がった。
直後、短剣が破裂した。
刃の欠片が水膜へ突き刺さる。
何枚かは一枚目を破ったが、二枚目で止まった。
テオは地面へ尻もちをついている。
剣を握っていた右手から、血が落ちた。
「手を開いて!」
ミナが駆け寄る。
掌には細かな傷がある。指は動き、深く刺さった破片もない。
「軽傷です。魔力路にも傷はありません」
その言葉で、訓練場の全員が息を吐いた。
「見学終了だ」
ガルド教官が告げる。
誰も不満を口にしなかった。
◇
「俺が止めるべきでした」
見学者が帰ったあと、砕けた短剣を拾い集めた。
「止めた」
ガルド教官が答える。
「あいつが聞かなかった」
「でも、最初に竜を落とした一撃を見せたのは俺です。小さい魔法より、強い一撃のほうが正しいと思わせた」
「それで全部お前の責任にするつもりか?」
顔を上げる。
「違う。テオには、命令を守らなかった責任がある。俺には訓練を止める責任がある。学院には、未知の術式を管理する責任がある」
ガルド教官は、砕けた刃を俺の掌から取った。
「責任を一人で奪うな」
「奪う?」
「何でも自分のせいにすれば、他の人間は何も直さなくてよくなる」
教官は作業台へ、白紙の記録帳を置いた。
「だが、お前にしかできない仕事もある」
「何ですか」
「失敗したとき、どんな音がした。腕に何を感じた。どうすれば止められた。お前が知っていることを、次の人間が死なない形で残せ」
纏式の古い記録には、怪我をした者の名前と結果だけが並んでいた。
どう始めれば安全だったのか。
どこで止めれば剣が壊れなかったのか。
その手順は残っていない。
「才能を見せるだけなら、一度勝てばいい」
ガルド教官が言う。
「技術にするなら、誰かが失敗する前に止まれる道を作れ」
俺は記録帳の最初のページを開いた。
筆を取る。
最初に書いたのは、威力の上げ方ではなかった。
『開始前に、武器の傷を確認する』
『最初は一つの術式だけを、一呼吸』
『異音、振動、腕の熱を感じたら中止する』
そこで手が止まる。
「俺なら、術式を解いて魔力を身体へ戻せます。でも、他の人は空気へ逃がす」
リゼが隣へ椅子を運んできた。
「体質によって、中止の方法を分ける必要があるわね。観測風で漏れ方を確かめてから始めましょう」
ミナも反対側へ座る。
「怪我がなくても、開始前と終了後に魔力路を確認します」
ダリオは、砕けた短剣を見ながら言った。
「最大出力の記録は最後だ。先に、同じ弱さを何回続けられるかを測る」
記録帳の空白が、少しずつ埋まっていく。
俺が合格するためだけの記録ではない。
次に飛距離不足の数字を突きつけられた誰かが、それでも剣を握れるようにするための記録だ。
テオが勝てる距離は、二メートルだけではない。
俺が勝てる距離も、零だけではない。
安全に届く方法を作れば、誰にでも別の距離が見つかるかもしれない。
新しい項目を書こうとしたとき、資料室の扉が勢いよく開いた。
「皆さん、隔離厩舎へ来てください!」
治療科の生徒が、息を切らして立っている。
「鉄翼竜が、目を覚ましました」




