第12話 近すぎる戦場
地下水路の入口から、熱い風が吹き上がっていた。
「火事じゃないんですか?」
ミナが石段の下をのぞき込む。
「熱気に警報術式が反応しただけだ」
ガルド教官が答えた。
「甲殻サラマンダーは火を吐かない。身体そのものが炉のように熱い。水路へ入り込み、周囲の水を沸かしている」
入口の前には、三人の教師と水路管理員が集まっていた。
全員、杖を持っているが、中へ入ろうとはしない。
「討伐班は?」
「到着まで二十分かかります」
警備教師が答える。
「水路の内径は二メートル。あの中で火球を撃てば、熱と煙が逃げません。強い風をぶつけても、熱気を奥へ押し込むだけです」
「氷槍は」
リゼが尋ねる。
「急に冷やせば、煉瓦か甲殻が破裂する恐れがあります」
狭すぎるのだ。
普段なら強力な魔法ほど、ここでは味方まで巻き込む。
「中に人は?」
「点検員が一人、第二水門の先に残されています」
水路の見取り図が広げられる。
入口から第二水門まで、およそ六十メートル。
甲殻サラマンダーは、その手前にいるらしい。
「目的は点検員の救出だ」
ガルド教官が俺たちを見る。
「魔獣を倒すことではない。通れなければ戻る。誰か一人でも《待て》と言ったら、全員止まれ」
さっき決めたばかりの合図だ。
模擬戦ではなく、今度は本物の魔獣が待っている。
それでも、不思議と一人で走り出したいとは思わなかった。
「ミナ」
「水膜を全員へ。熱を遮りながら、壁の温度も下げます」
「ダリオ」
「火鎖を入口へ固定する。後方と帰り道は俺が見る」
「リゼ」
「外の空気を細く送り続ける。攻撃には使えないけれど、呼吸は守れるわ」
三人が俺を見る。
「俺は、道を塞いでいるものに触る」
「斬る、ではないんですね」
ミナに言われ、レイヴの柄へ手を置く。
「必要なら斬る。でも、必要な分だけだ」
ガルド教官がうなずいた。
「行けるか」
「行ける」
四人の声が重なった。
「俺は最後尾につく。記録と撤退判断だけだ」
ガルド教官が俺たちの後ろへ立つ。
「動けなくなった者が出たら、その時点で実証を打ち切る。引きずってでも全員戻す」
◇
地下水路は、立って歩くのがやっとの高さだった。
両側の壁は濡れ、足首まで水が流れている。
十歩進んだだけで、額に汗が浮いた。
ミナが薄い水膜を制服の上へ重ねる。
冷たい膜が首筋まで覆い、熱を和らげた。
「水は足元から取れます。でも、温度が上がり続けています」
「空気を入れるわ」
リゼが後ろへ片手を向ける。
入口から、細い風が水路の天井に沿って流れてきた。
熱気を奥へ押し込まないよう、足元から戻る別の流れも作っている。
新しい空気が頬へ触れた。
「二つの風を同時に?」
「話しかけないで。少し難しいから」
「分かった」
「返事もしなくていい」
リゼの額にも汗がにじんでいる。
後ろでは、ダリオの腰から銀色の鋼索が伸びていた。
火鎖の端は入口の鉄柱へ固定されている。
視界を失っても、鋼索をたどれば外へ戻れる。
四十メートルほど進むと、水が熱湯に変わり始めた。
ミナが足元へ厚い水膜を敷き、沸いた水と俺たちの靴を隔てる。
曲がり角の向こうから、硬いものを擦る音がした。
「待て」
ダリオが短く言う。
全員が止まった。
彼は後方を振り返り、天井へ火槍の柄を当てる。
熱で緩んだ煉瓦が一つ、俺たちの後ろへ落ちた。
「天井が崩れ始めている。長居はできない」
「戻る?」
俺が尋ねる。
ダリオは鋼索と天井を確かめた。
「今は行ける。ただし、帰りは走るぞ」
勝手に進めとは言わない。
全員の顔を見る。
ミナが水膜を張り直し、リゼが空気の流れを安定させる。
「行ける」
三人の返事を聞いてから、角を曲がった。
赤黒い巨体が、水路を塞いでいた。
甲殻サラマンダー。
四本の脚で煉瓦をつかみ、丸い背中を天井へ擦りつけている。
全身を覆う甲殻は、焼いた瓦のように重なっていた。隙間から赤い光が漏れるたび、周囲の水が泡立つ。
その奥に、鉄格子の水門が見えた。
「誰かいるのか!」
俺が呼ぶ。
「ここだ!」
格子の向こうから男の声が返った。
「足を挟まれて動けない!」
点検員は生きている。
だが、サラマンダーの身体を越えなければ助けられない。
魔獣がこちらへ顔を向けた。
黄色い目が開き、喉の奥から熱気が噴き出す。
「ミナ!」
「張ります!」
水膜が通路いっぱいに広がった。
熱気がぶつかり、白い蒸気へ変わる。
視界が消えた。
「このままでは水膜がもちません!」
「蒸気を上へ逃がす!」
リゼの風が天井を走り、白い蒸気を俺たちの頭上から入口側へ引き抜く。
魔獣の輪郭が戻った。
「シオン、火鎖をつけろ!」
ダリオが鉄鉤を投げる。
剣帯の金具へかけ、鋼索を一度引いて確かめた。
「行ける!」
ミナの水膜が、俺の正面へ細い道を作る。
「行ける!」
リゼの風が背中へ回る。
「後ろは任せろ。行ける!」
ダリオが火槍を構えた。
「行ける。頼む!」
風に押され、水路を駆ける。
サラマンダーが前脚を振り上げた。
「待て!」
リゼの声で踏み込みを止める。
爪が目の前の煉瓦をえぐった。
止まらなければ、頭を砕かれていた。
前脚が床へついた瞬間、今度は俺が動く。
レイヴを抜き、甲殻の横へ滑り込んだ。
斬りつけても、厚い殻には浅い傷しかつかない。
だから、斬らない。
刃の腹を、前脚の付け根にある甲殻へ押し当てた。
触れた。
その瞬間、俺とレイヴとサラマンダーが一つの回路になる。
甲殻の内側に、太い筋肉がある。
その奥で、全身の熱を巡らせる器官が脈打っていた。
火の術式を作る。
水路全体を焼く火ではない。
豆粒ほどに絞った熱を、刃が触れている場所から内側だけへ流す。
サラマンダーの身体が跳ねた。
甲殻は砕けない。
炎も上がらない。
水路の空気を焼かず、周囲の温度も変わらない。
熱を巡らせていた器官だけが一瞬働きを乱し、四本の脚から力が抜ける。
魔獣の巨体が、水の中へ沈んだ。
「止まった……?」
「気を失っているだけです!」
ミナが観測水を魔獣へ流し、すぐに答えた。
「呼吸あり。体温も下がり始めています!」
「なら、今のうちに助ける!」
サラマンダーの背を越え、水門へ向かう。
点検員の足には、外れた鉄枠が乗っていた。
レイヴへ硬化だけを通し、鉄枠の曲がった部分へ差し込む。
今度は壊さず、持ち上げる。
隙間から点検員が足を抜いた。
「戻せ!」
俺が叫ぶ。
ダリオが火鎖を巻き取り、負傷した点検員を中央にして引き返す。
リゼの風が新しい空気を送り、ミナの水膜が熱湯と落ちてくる煉瓦を防いだ。
後ろでサラマンダーが小さく身じろぎしたが、追ってはこない。
入口の光が見える。
六人で石段を駆け上がり、外へ転がり出た。
◇
「水路内の温度上昇、なし。酸素量の低下、なし」
救助された点検員の治療が始まる横で、警備教師が記録を読み上げる。
「甲殻の破損は表面に一筋のみ。魔獣は生存。術者の魔力路と武器にも異常なし」
最後の一文を聞き、俺はレイヴの刃を確かめた。
黒い刃には、亀裂一つ入っていない。
「竜だけではなかったな」
ガルド教官が言う。
「近すぎて普通の魔法を撃てない場所ほど、お前の纏式は役に立つ」
飛距離が零だから、落第した。
その零が、ここでは誰も巻き込まない距離になった。
「俺一人の実証ではありません」
自然に言葉が出た。
「空気も、水膜も、帰り道もなかったら、触れるところまで行けませんでした」
ガルド教官は何も言わず、記録用紙の班名を指で叩いた。
そこには《零距離班》と書かれている。
地下水路の入口には、いつの間にか生徒が集まっていた。
訓練場の警鐘を聞き、様子を見に来たらしい。
その中の一人が、俺の剣へ目を向ける。
「今の魔法……俺たちにも使えるのか?」




