5 運命が絡み合うのは偶然か必然か。
璃凪が七歳の誕生日に、望月翔馬との婚約が決まった。正直璃凪は、婚約とか結婚とかの意味を正確に理解はしていなかったが、大好きな翔馬と一緒にいれる、ということがすごく嬉しかった。そしてその日を境に、璃凪の訓練も教育も本格化し始めていた。
璃凪には目標がある。翔馬が使っていた聖遺物をオルパパスタイト王金で復元することだ。王金で復元したレプリカは、本来の能力に劣るけれど、金瞳でない翔馬は本物の聖遺物の能力を十分には引き出せないため、結果同等の能力を持つことになる。しかも本物と違って王金のレプリカは、翔馬の命を削ることがないのだ。遠方の学校に行く翔馬には、きっと大きな助けになるはずだ。
聖遺物を復元するのには、大量の神力を使う。そして神力を体に蓄積するために、世界樹の実を食べないといけない。体に神力が貯まると、その反動で璃凪は高熱を出し、体調を見ながらの作業は遅々として進まず、璃凪は少し焦りを感じる。だけどきっとそのうちに、翔馬の聖遺物を復元できると思いたい。
そのためには、もっと神力を身につけて、さらにそれを効率的に使うためにも、自然科学の知識は必須だった。璃凪は、貪欲に学んでいった。そして学ぶたびに、神力を無理なく無駄なく効率的に使えるようになっていった。
ただ、創世の権能、すなわち成長と増殖、退縮と崩壊の能力の習得は、遅々として進まなかった。本来の璃凪の持つ変容の権能とは大きく逸脱しているためだろう。世界樹の身を食べながら神力を蓄え、王金を用いた聖遺物の復元で神力の制御を覚えながら、じっくりとその能力を育てるしか方法はなかった。
だけど、きっと学びの中で、変容の権能を効率よく使えるようになってきているのと同じように、創世の権能も効率よく使えるようになるに違いない。璃凪はそう信じて、懸命に学んでいった。
まるでスポンジが水を吸収するように、璃凪がいろんな知識を身につけることに、教育担当の護衛、原田由依は感心していた。だが、璃凪の関心には酷く偏りがあった。自然科学の分野は実際権能を行使するのに役に立つので、とても喜んで学び、生きた知識が身についた。しかし、社会学、人の営みや社会のあり方などには、知識としては身につけるものの、全く関心を示さず、ただの知識の羅列で終わってしまう。それは、世間から隔離され、両親や護衛、神官しかいない世界で暮らす璃凪にとっては当然のことだった。
「璃凪様は、学校に行くべきですね。」
原田由依にそう指摘された璃凪は、こてんと首を傾げた。学校。知識としては存在するけれど、未知の世界だ。大好きなお兄さんは、来年、遠くの学校に行くって言っていた。だけど、璃凪にとっては恐怖の対象でしかない。璃凪の瞳の色は特別で、きっと嫌われるし、家の外に出たら、悪い人に狙われるだろう。
「私は行きたくない。怖いもの。」
「そうですね・・・。璃凪様にとっては危険ですね。」
世界樹の実を食べて訓練するようになってから、実を食べても璃凪の瞳の色は変わらなくなっていた。むしろ神力を得て、金の瞳が燦然と輝くようになったのだ。神官たちの話では、金瞳の神力を抑制し、瞳の色を変える聖遺物があるらしい。ただ、もらった図譜にはそのような聖遺物は載っていなかったし、神力を抑制することは、逆に危険に晒される気がして怖かった。
「璃凪様、五大陸の話をしましょう。翔馬様は、中央大陸のアルカデメイア学術地区の学校に行かれるのですよ。」
原田がそう言って地図を開くと、璃凪は目を輝かせた。
大好きなお兄さんの行くところ。知りたい。
その表情に、原田は微笑んで、学習ステップを飛ばして世界地理を学ばせようと方向転換をすることにした。
祝福、と呼ばれるこの豊かな水の惑星には、五つの大陸がある。中央に、旧大陸と呼ばれる中央大陸があり、科学技術や文化の中心地だ。中央大陸の周りにまるで四枚の花弁が開くように、東西南北に四つの大陸が取り囲んでいる。璃凪が暮らしているのは東大陸だ。
中央大陸とその周囲の四つの大陸は、ドーム状の隔壁で覆われた長い橋脚で結ばれている。その橋は中央大陸を環状に囲む二層建のドーム状の移動路と繋がり、その環状線移動路は各大陸を結んで、人の移動だけでなく、物流の大きな役割を果たしている。
中央大陸の中央には、標高の高い山があり、これが霊峰ユグドラシルで、その山全体が禁足地になっている。きっと、この山のてっぺんに世界樹があるのだろう。そして神様たちもいるに違いない。
山の麓は東西南北の地域に分けられ、このうちの西の地区は、翔馬が留学予定の学術院のあるアルカデメイア学術地区だ。大陸間の大橋を渡ってすぐのところで、中央大陸の中で一番近くて、璃凪はホッとした。きっと翔馬はちょくちょく璃凪に会いに帰ってきてくれるだろう。
璃凪の母親の故郷であるハロウド神聖地区は、東の地域にあり、東大陸から最も遠い場所になる。璃凪が十歳になった時に、無事に行けるのだろうかと、少しばかり不安になる。
また、大陸間の橋の中央に境界エリアがあり、ここで人や荷物の出入国管理が行われる。またそれぞれの大陸の橋の繋がる地区にも、出入国を管理する関門機構がある。これらの目をかいくぐって、璃凪は中央大陸に渡る必要がある。東大陸では、その地を治めているのは、望月家の一門である防人家だという話だ。
そして東大陸は四つの地区に分かれる。璃凪の住むのは東大陸の北西部、安曇京府だ。そしてこの地を治め、かつこの地区で最大の経済力を持つ有力者の家門は十二支族の望月家。
「え。」
そこまで話を聞いて、璃凪は慌てた。確かに両親は望月のおじさんに頭が上がらない様子だった。とても偉い人だとは思っていたけれど、そんな偉い人だったなんて。
「璃凪がお兄さんと結婚していいのかな・・・。」
「何をおっしゃいます。望月家御当主様も若様も、璃凪様を是非にと望まれているのですよ。」
本当にそうならいいのだけれど。
そして安曇京府のすぐ南側に隣接する地区は、東條家の治める地区だった。璃凪は眉を顰める。東條家って、悪い人ではなかった?そして不意に璃凪の意識が空高く舞い上がり、東大陸全体を俯瞰する視点に変わる。東條家の治める南西地区は、真っ黒に見える。璃凪の知る摂理とは全く異なる摂理が働いていて、璃凪の神力が全く通用しない場所だ。そして東大陸の南東部、北東部にも、点々とその黒い摂理が飛び火した場所がある。特に北東部は真っ黒だった。
さらに意識が高く舞い上がり、五大陸全体が見渡せた。南大陸、西大陸にも、点々と染みのように黒い場所が広がっている。無事なのは中央大陸と北大陸だけだった。
璃凪は猛烈な吐き気に襲われた。このままでは世界が違う摂理に塗り替えられて、壊れてしまう。世界は世界樹によって生まれ、維持されているのだ。これを別の摂理で塗り替えようとしたら、壊れてしまうのが当たり前じゃないだろうか。
そうして璃凪は自分に課せられた使命を理解した。この真っ黒な土地の浸食を止めて、さらには元に戻すことだ。だけど、こんなに小さく幼い璃凪が、これほど広大に広がる真っ黒な土地をどうしたらいいと言うのだろう?
原田が何か言っているのが、ひどく遠く小さく聞こえたけれど、璃凪の意識はそのまま途切れた。
璃凪はまた挑戦の女神と夢の中で会っていた。挑戦の女神は少し悲しそうに微笑んでいた。
『璃凪、あなたに新たな課題を与えます。この神聖画を解析して、復元しなさい。もちろんあなたの中のナルバスティブ神金で。あなたはしばらく守りが薄くなるでしょうが、しっかりと創世の権能を得たら、きっと取り戻すはずです。』
挑戦の女神が見せてくれた神聖画は、恐ろしく複雑だった。璃凪の拓跋な記憶力を持ってしても、何度か細部を確認する必要があった。そして、その聖遺物の機能を理解して、不安に襲われる。自分にできるだろうか?神力が足りるだろうか?
その聖遺物は大量のナルバスティブ神金を要した。今まで璃凪が復元した聖遺物は結局は璃凪の体に吸収されて、体内にあるナルバスティブ神金の総量は変化がない。だか、これだけの神金を体外に出したら、足一本分の守りがなくなってしまうだろう。
『それから、璃凪。宝石や金と白金を使って、宝飾品を作りなさい。それが翔馬の守りになります。』
あ、と、璃凪は女神の言うことを理解する。この課題をクリアすれば、翔馬がいつも聖遺物を身につけておくことが出来る。
「わかりました。」
夢を見ていたのは僅かな時間だったようだ。突然意識を失った璃凪を、原田が心配そうに揺り起こしていた。璃凪はにこりと笑う。
「先生、夢を見てました。」
「夢を?璃凪さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。夢で挑戦の女神様とお話ししました。」
その後、璃凪はすぐに女神の課題に取り掛かった。聖遺物の復元はすぐには出来ない。何度も試行錯誤が必要だろう。並行して庭の石を掘り出し、家中の金属を使って金や白金に変容し、宝飾品を作り始める。金属のターゲットになったのは、スプーンやフォーク、鍋類だった。日頃の生活に支障をきたすレベルだった。
両親や、神官たち、護衛たちは苦笑しながら、璃凪のためにたくさんの金属を用意してくれた。
その作業と並行して、両親、神官たちや入江が、璃凪が望月家の保護下に入った経緯を少しずつ話してくれた。璃凪も今は少し成長して、その話がきちんと理解できる。
最初に話してくれたのは神官たちだった。
璃凪が五歳になって神聖地区に聖遺物として偽って渡ろうとした時、各大陸は厳しい検問を敷いていた。璃凪が母親のお腹に宿った時、聖玉や聖遺物を持つ十二支族は、金瞳がこの世に現れることを知ったのだ。それぞれの保管する聖玉や聖遺物が光を帯び始め、璃凪が成長していくにつれ、嬉しそうにくるくると回転を始めていた。そして翔馬のように、金瞳の誕生に合わせて、後天的に先祖返りを起こしたものもいた。ただ、金瞳がどこの大陸のどの家門に生まれたのかは、どの支族も把握できなかった。
かつて金瞳は十二支族の家門に頻繁に生まれていたが、代を重ねるにつれ、生まれる頻度が少なくなってきていた。各大陸に生まれていた金瞳が、一つの大陸にランダムに生まれるようになり、そして各世代ではなく、隔世的に生まれるようになり、さらにその頻度は減った。先代の金瞳が生誕してから、璃凪が誕生するまで、実に百年近く経っていた。
金瞳が十二支族の末端の家門や、全く無関係の市井の家系から生まれた歴史は過去にもあり、その誕生は一族の破滅を意味していた。十二支族は金瞳を自らの家門に取り入れようとして、これを拒否した一族を皆殺しにしてまで手に入れていた。従順に金瞳を差し出しても、末端や市井の家系が権力を得ることを危惧して、やはり血縁の一族を絶やしている。時代が変わったとはいえ、もし十二支族の末端、あるいは無関係の市井の家系に生まれていれば、歴史上の教訓から金瞳をなんとしても隠そうとするのが道理だった。そして、金瞳が世間に現れないのは、まさしくそうした家系に生まれている証拠でもあった。
十二支族は血眼になって金瞳を探し求めていた。その理由はある家門にあった。その家門は十二支族以外の家系で、金瞳の誕生を同時期に把握して探し求めていた。東條家だ。東條家は十二支族とは全く無関係の、さらには世界樹教徒ですらない家系の、先代の金瞳が現れた家門だった。そして、過去の歴史の中で、十二支族以外に金瞳が生まれても、生き延びた家門でもあった。先代の金瞳は現当主の祖父にあたる。そして何故そのような家門に金瞳が生まれたのかは、神の悪戯だとしか言いようがなかった。
東條家は、世界樹の摂理から世界を塗り替えようとしていた。その家門の経験したであろう苦難の経緯からか、十二支族を憎んで敵対し、世界樹の教えをただの童話と一笑し、世界樹教を真っ向から否定した。人間によって科学技術を開発し、新たな文明社会を築くと明言して、これを実行していた。東條家と同じように世界樹教徒でもなく、十二支族と無関係な市井の無辜な市民たちは、これを熱狂して歓迎していた。彼らの目には、世界樹教はただのおとぎ話で、十二支族が世界を支配する権力者階級に映っていたのだ。
先代金瞳が生まれた当時の十二支族は、時代の流れを受け入れて科学技術の発展を支え、民主主義を否定せず、金瞳が他の家系に生まれても、これを積極的に排除するものではなかったが、東條家の考えは急進的すぎて危険すぎた。世界樹を否定することは、世界そのものを否定することと等しかったのだ。そして東條家は世界樹の摂理と異なるものを生み出した。オルパパスタイト王金に似て非なるアブセンタイド黒銀。新たなるエネルギー源としてのフォルトレウム。世界樹の産物とは全く異なるが、その性質はよく似ていて、しかも廉価だった。あらゆる産業に浸透し、世界樹の産物の流通に侵食し、排除していった。しかもそれらは、世界樹の摂理を受け付けず、すなわち、世界樹の産物とは全く相互作用せず、世界樹のシステムとは独自のシステムを作り上げることとなった。十二支族はこれに激しく対抗し、世界樹教もこれらの使用を禁止したが、瞬く間に東大陸を中心に広がっていった。
現在、東條家は金瞳が没して六十年近く経過し、その力の効果は残っているものの、少しずつ減衰して採掘量も減少していた。先代金瞳の次の代は、先代金瞳が一代で築いた産業を、拓跋な先見性と商才でさらに発展させ、勢力を伸ばしていった。そして当代当主は、更なる野望を抱いていた。すなわち、新たな産業や科学技術で世界を塗り替え、世界樹に代わって世界を自分の支配下に置きたいと目論んでいた。故に新たなる産業を起こす能力を求め、血眼になって金瞳を探し求めていたのだ。
十二支族は東條家を恐れていた。もし新たに誕生した金瞳を東條家に渡したら、世界が世界樹の摂理と異なるものに塗り替えられ、いずれ世界は破滅するだろう。もし自国に金瞳が生まれていたら、決して出国させてはいけないと、幼い子供の出国を厳しく制限していたのだ。
話を聞いていた璃凪は東條家の考えが全く理解できず、不思議そうに首を傾げた。金瞳の神力は、大地や空などの自分を取り巻く世界を通して、世界樹から分け与えられている。世界樹を否定することはすなわち、自分を否定することに他ならない。
「どうして先代様は、世界樹を否定するんだろう?世界樹は自分の神力そのものなのに。」
神官は悲しそうに話してくれた。
「先代金瞳様は不遇な境遇の生まれでした。十二支族を憎んで、世界樹を憎んで、世界を憎んでいました。先代金瞳様の住む地区を治めていた十二支族の出雲家を真っ先に攻撃したのです。当時の東大陸は、南北の二つの地区に分かれていました。それを四つの地区に分離させたのが、先代金瞳様だったのです。」
憎んだと言っても、世界が崩壊したら、自分だけでなく家族も死んでしまうのに。先代金瞳様は、家族すら憎んでいたのだろうか?よく分からない。
「先代金瞳様のお話は、璃凪様がもう少し大きくなってからしましょうね。」
なんだかよく分からない大人の事情があるのだろう。そして璃凪は不思議に思って尋ねた。
「璃凪が五歳の時に、望月のおじさんが来たよね?どうして璃凪は神聖地区に行けなかったの?」
「まだ私たちの準備が整っていなかったのです。もしあの時、神聖地区に行こうとしたら、きっと璃凪様は東條家に捕らわれていたでしょう。それを望月様が止めにこられたのです。そして、そのまま璃凪様を望月家の保護下に置かれたのです。」
「どうして、望月のおじさんは、璃凪がここにいることを知ったの?」
「それは、私たちの不徳の致すところで。」
神官はそれ以上は教えてくれなかった。
璃凪はなんとも収まりの悪い気持ちで、庭のから石を掘り起こして、宝石に変えていた。傍で見守っていた入江が、璃凪に声を掛けた。
「璃凪様、そろそろ家に入りましょう。随分長いこと日に当たってます。美味しいお菓子で、おやつにしましょうか。」
璃凪は入江を見上げた。
「入江さんは、どうして望月のおじさんが、璃凪がここにいるってわかったか、知ってる?」
「神官たちに聞かなかったのですか?」
「聞いたけど、教えてくれなかった。不徳の致すところって、なあに?」
ああ、と入江は苦笑して、璃凪をひょいと抱き上げた。
「おやつをしながら、お話ししましょうか。」
入江は璃凪を抱き上げたまま家に入り、無骨な手つきで璃凪の手を丁寧に洗ってくれる。いかつい姿をしているけれど、一番璃凪を甘やかしてくれる。そして冷たい果実水とちょっとしょっぱいお菓子を準備してくれた。璃凪はそのお菓子が案外好きだ。
「神殿が、璃凪様の宝石をオークションで売っていたのです。」
「オークション?なんで?」
「神殿はあまり豊かではありませんから。璃凪様を匿う資金が欲しかったのです。少しずつ出品してはいましたが、最高の品質のものばかりで、望月様が不審に思って聖遺物で調べたら、金瞳の神力によるものと分かったのです。」
璃凪は思い出していた。
ああ、だから御寄進、って宝石を全部持っていっていたんだ。それに、璃凪を匿うために随分お金がかかって、無理させていたんだ。
璃凪は神殿に対して酷く申し訳ない気持ちになる。
「当主様はこれを放置して、宝石が東條の目にとまったら、璃凪様が見つかる危険があると判断されて、璃凪様を神殿の代わりに保護することにされたのです。」
「でも、どうして、神聖地区に行ってはダメなの?境界地区は望月家と関係のあるお家が管理してるんでしょ?こっそり行かせてくれたんじゃないの?」
「境界地区を治める防人家は、とっくに東條家の手のうちに落ちていますよ。あの時、神官たちだけが神聖地区に渡ったのもこのためです。神聖地区への聖遺物の返納の申請をしてましたから。返納を取りやめてしまったら、東條家が疑って、璃凪様の存在に辿り着くかもしれなかったからですね。辻褄合わせと、神聖地区の報告と、望月領神殿の大神官の交替を兼ねてました。そして大神官の交替によって、新たな聖遺物として、ナルバスティブ神金の聖杖を疑われず持ち込むことが出来たのです。」
ああ、これで話が繋がった。神官や翔馬が、まだ準備が整っていないって言った意味も。璃凪は女神様の課題は急がないといけないと思う。
夜寝かしつけてくれる母親に璃凪は尋ねた。
「ママ、璃凪は最初、神殿に匿われてたんでしょ?何故最初から望月のおじさんを頼らなかったの?」
母親はほんの少し悲しそうな顔で微笑んだ。
「それは申し訳なくて。神殿を頼るのも、本当は申し訳なかったのだけど。」
「え?それはどうして?」
「璃凪が大人になったら教えてあげる。」
何か大人の事情があったのだろう。璃凪はこの時もっと強く強請って聞き出しておけば良かったと、後で後悔することになる。この時の璃凪は素直にそれを受け入れた。そして母親は続けた。
「璃凪がお腹に宿った時にね、道標様のお告げがあったの。」
ある晩、母親の夢に白い光が現れ、柔らかな男性の声で道標と審判を司るものだと告げた。そして、お腹に宿った子は金瞳である、その子を健やかに真っ直ぐに育てるためには、神聖地区に行くように、と告げて消えた。
母親は戸惑った。母親は世界樹教の敬虔なる信者で、神官見習いだったが、先日破門されたばかりだった。天涯孤独の身で、夫も似たような境遇だった。唯一の縁者は夫の母親の両親と兄弟、すなわち璃凪の曽祖父母、大伯父たちだけだったが、これも疎遠にしていた。璃凪は驚いた。
「え、お母さんは破門されたの?璃凪には親戚がいたの?どうして会ったことがないの?」
「今は望月様のとりなしで和解してる。いつかは会えるわね。それも璃凪が大人になったら、話してあげる。」
璃凪の両親には複雑な大人の事情があった。実際、二代に渡る大ロマンスがあって、璃凪は後から、この話を両親から直接聞いておくべきだったと後悔した。そして親戚にはこの時はまだ会うことはなかった。淡々と母親は話を続ける。
母親は恥を忍んで神殿に相談した。最初、神官たちは一蹴したが、神殿を統括する大神官が、母親を引き留めた。聖遺物に、異変の兆しが見えたからだ。そしてそのまま、両親は神殿に保護されることになる。両親は神殿で、多少冷たくは扱われていたが、穏やかに過ごした。そして璃凪が生まれ、目を開いたときに、両親の環境は一変した。
神殿は大騒ぎだった。すぐにでも中央大陸の神聖地区に璃凪を送りたかったが、世界樹教を統括する十二支族の一つ、アウグスツ家から、少し待機せよと指示が入った。五大陸すべての十二支族が、金瞳の誕生を把握したようだ、最悪なことに東條家も把握して、国境の検問を強化していると伝えられた。そして、金瞳が五歳くらいになり、世界樹の実を摂取させて瞳の色を変え、神力を抑制し、その負担に耐えられるようになってから、神聖地区に来させるように、との指示だった。
ようやく璃凪にも、これまでの経緯の全貌が分かった。そして少し疑問が残る。神殿と望月家の関係だ。璃凪が望月家に見つかった時は、とても協力的とは思えず、むしろ敵対していると思った。
「神殿と望月のおじさんは仲がいいの?一緒に璃凪を守ってくれてる。」
「望月様は敬虔な世界樹教教徒よ。でも、最初は璃凪を望月家で保護して、東大陸に匿うつもりでいらっしゃったの。」
しかし望月冬馬は、璃凪の強い金瞳の神力を前にして、神殿の協力が必要だと悟った。璃凪を育て、その教育や育成には、神殿に勝るものはない。神殿には歴代の金瞳の記録があり、聖遺物の図譜を聖典としてすべて所蔵しているためだ。そして、璃凪自身がそう願ったことが一番の理由でもあった。
璃凪の能力をいかんなく発揮するためには、神聖地区の本神殿での教育が必要、それは望月家と神殿の共通の認識だった。少なくとも十歳くらいまでには、本神殿に移したい。今は急ぎ璃凪の移動路の確認と整備をしているところだった。境界地区の管理者には、東條家の関係者が多数入り込んでいる。これを排除して、璃凪を安全に移動させる手段を構築しているところだった。
「じゃあ、璃凪が十歳になるまでに、本神殿に行くことになるの?」
「ええ、そこで、アウグスツ家があなたを引き受けてくれることになってる。」
「望月のおじさんみたいに、璃凪の面倒を見てくれるの?璃凪、あんまり行きたくないな。望月の人たちが大好きだもの。」
「でも、璃凪には必要なことなの。正しく神力と権能を使うためにもね。」
「うん・・・。」
母親は、少ししょんぼりした璃凪を力づけるように、頭を撫でてくれた。
「アウグスツ家にはね、翔馬様と同じ年の御令息がいらっしゃるわ。璃凪の四歳年上の御息女も。きっと可愛がっていただけるわ。」
「お兄さんのほうが可愛がってくれるもん。」
「璃凪、あのね。神聖地区に行ったらすぐにわかることだけれど、璃凪が生まれてすぐ、アウグスツ家の御令息との婚約を打診されたの。」
「え?」
「璃凪が五歳になって中央大陸に渡ったら、正式に婚約を結ぶ予定だったの。翔馬様はそれに割り込んできた形ね。」
「ええ?」
「望月様も翔馬様も、璃凪を一人で中央大陸に行かせるのが心配だったのでしょうね。本当は西大陸に留学予定だったそうだけど、中央大陸に留学なさることを決められたの。」
「えええ?」
金色の瞳に生まれてきたばかりに、璃凪は生まれた時から様々な駆け引きの中心にいたようだった。生まれてすぐ婚約の打診って、まるで血統を残すためだけの家畜扱いだ。そして、翔馬と婚約できて良かったと思う。少なくとも翔馬のことは、その人となりは十分知っている。会ったこともないアウグスツ家の人より、金瞳だからと望んだ人より、はるかに良いに決まっている。
週末に望月父子が訪問してきたとき、璃凪は大きな木箱いっぱいの宝飾品を、望月冬馬に手渡した。ここしばらく、せっせと作りためていた金や白金と宝石の宝飾品だ。ネックレスにイヤリングに指環。ブローチにブレスレット。それらが無造作に箱に放り込んでいる。いくら内側を布張りにして仕切りを入れた箱とはいえ、乱暴すぎる扱いだ。受け取った冬馬は、目をぱちくりさせていた。
「おじさん、これをおじさんの会社で売ってください。」
「これを?全部?」
「はい。挑戦様がそうしなさいって。」
「なるほど?わかった。」
冬馬は真顔になり、神官たちを呼んで、ダイニングテーブルに一つ一つ並べ、確認を取っていた。出来が良かったのか、時々感嘆の声が聞こえる。それを横目に見ながら、翔馬が苦笑していた。
「あんなにたくさん。璃凪ちゃん、宝石商になるつもり?」
「うん、しばらく宝石商になるの。お庭の石もスプーンもたくさんあるし。」
翔馬はぷっと吹き出した。素晴らしい宝飾品が元はスプーンと庭の石だなんて、聖遺物を使わない限り誰も分からないだろう。それでも十二支族の先祖返りたちは、宝飾品に残る金瞳の神力を感じ取るかもしれない。
そして璃凪は真剣な目で翔馬をみつめた。
「お兄さん、璃凪ね、これから大きなものを作るの。しばらくたくさん熱を出すかもしれないけれど、それは絶対に必要なことなの。だから、心配しないでね。」
翔馬に宣言した通り、璃凪は聖遺物の復元を本格的にとりかかった。世界樹の実を食べ、神力を蓄え、熱を出して、回復したら、また世界樹の実を食べる。その頃では、最大四粒、一度に食べることが出来るようになり、熱の出方も減った。
そして十分に神力を補充すると、璃凪は手の平から体内のナルバスティブ神金を取り出していく。細い糸のような神金がまっすぐに上に伸び、宙でくるくると複雑な立体画を描き始める。途中で失敗したらまた糸に戻す。繊細な回路図のような立体画は、正しい手順で描かないと、行き詰ってしまう。
見守る両親も、神官たちも、週末になると訪問する望月父子も、その神秘的な光景に、ただ息を潜めるばかりだった。
何度か試行錯誤して、ようやく璃凪は聖遺物を完成させた。やり直しをした分、神力は想定以上に消費して、頭がズキズキ痛み、体が怠くなってきた。体の中の神金は、足一本分無くなった感じで、何だか体が寒々として、酷く体のバランスを取りづらい。そして頭の痛みがどんどん増していって、割れるように痛くなり、体がぶるぶると震えだしていた。
璃凪は最期の力を振り絞って、東大陸の地図に、大きく赤くばってんをつけ、その上に聖遺物を置いた。その場所は望月家が所有する鉄鉱石の採掘場だった。
「璃凪ちゃん、これは?」
望月冬馬が璃凪に話しかけている。璃凪は既に頭が朦朧とし始めていた。
「おじさん、そこに穴を掘って、うんと深いところに、この聖遺物を埋めてね。そして一週間くらいしてから、周りを掘ってみて。」
そう言うのがやっとで、言い終わると璃凪は糸が切れたように意識を失った。




