12 嵐の前は穏やかすぎて、幸せすぎて。
新しい学年が始まり、翔馬は二年生になった。一学年下には、南大陸出身のザイド・アルアサドが入学してきた。彼はカリム・アルアサドの弟で、先祖返りでもある。彼の使う聖遺物は、真実眼、つまり真実を見極めるものらしい。目の前のものが偽装されていればその正しい姿を見抜き、目の前の人物が嘘を言えばそれを見抜く。もっと力を得たら、遠方の隠されたものや、地中深くに眠っているものも探し当てることが出来るそうだ。
弟ザイドより、兄カリムの方が、ザイドの神力を増やす特訓に熱心だった。
「ザイド、がんばれば、新しいハイドロジェレウムの源泉を探し出せるぞ。がんばれ。」
「うん、分かったよ。」
少しばかり弟ザイドは、兄カリムの熱さが鬱陶しい様子だった。翔馬は少し笑って、自分の聖遺物を使ってザイドを確認する。その数値は289/302。入学したころの翔馬と同じくらいの数字だ。翔馬も今では神力7000を超え始めている。他の皆も大体同じくらいの値で、ユリウスは9000くらいあって、流石だ。翔馬はにっこりとザイドに微笑みかける。
「大丈夫だよ、ザイド君。僕も入学したての頃は、君と同じくらいの値だった。それが今では20倍くらいの値になってるからね。」
なんとなく皆は暗い顔になる。神力が6000を超えたあたりから、神力の増加の伸びが緩やかになってきている。それは先祖返りの限界かもしれないが、今の神聖物ではそこまで大きな神力を消費しないからだと思いたい。両足が動かなくなった璃凪は、神力が20000近くまでなっていた。そして東條はいつの間にか12000くらいになっている。いったいどれほどの苦痛を乗り越えているんだろうか。
そんなことを考えていると、ザイドはじっと翔馬を見つめ、にこりと笑う。ぴこりと数字が変わって、229/302。あ、こいつ今、聖遺物を使ったな?そして必要な神力は60程度。
「モチヅキ先輩、すごい眼鏡ですね。聖遺物のレプリカ?オルパパスタイト王金製?他にも聖遺物のレプリカがてんこ盛りだ。ここの全員が聖遺物を身に着けてるんですね。いいなあ、欲しいなあ。」
ゲイジ・スターリングが物理防御の聖遺物の仕込まれたネックレスを一つ持ってきた。璃凪が作ったネックレスは、まだ少し予備が残っていた。またピコンと数字が変わる。今度は神力7。使う神力はその対象や規模で異なるようだ。ザイドはつまらなさそうに笑う。
「物理防御の聖遺物。他の先輩たちは、神力補給の宝石付きなのに、僕のにはついてないんですか?残念だなあ。」
こいつもなかなか扱いにくい奴のようだ。ゲイジは苦笑した。
「お前の神力だとな、神力酔いしちまうんだよ。神力が3000超えたら、お前にも作ってやるよ。」
「別に先輩が作るわけではないですよね?」
「そりゃそうだ。」
神力増強の訓練の後、皆床にへたり込んで世界樹の実のエキスを飲んでいると、隣に座っているユリウスが、翔馬と出雲を見た。
「それで、東條の訪問はまだ続いているわけ?」
「うん、続いてる。」
「ホント、あいつ、どういうつもりなんだろうなあ?」
出雲が苦笑すると、ユリウスも小さく笑った。
「胃袋を掴まれて、絆されるなよ?」
痛いところを突かれて、翔馬と出雲は苦笑する。
*
前学年末に出雲が襲撃され、その発端となった十二支族と一般家門の対立を東條崇斗が収めるという約束で、その代償として東條崇斗が時々東大陸寄宿舎を訪問することを許す、ということになってしまった。東條崇斗の訪問頻度は月に一、二回程度だったが、約束通り、ピタリといざこざは収まった。そして、東條崇斗は訪問するたびに、アルカデメイア学術地区の美味しいと評判の店から、食べ物を買ってきては差し入れしていた。これでは、そもそも何が代償なのかわからない。
皆で袋を開けて、テーブルの上にずらりと並べ、ごくりと喉を鳴らす。皆は決して東條崇斗に警戒心を解いているわけではないが、食べ盛りの少年たちはすっかり胃袋を掴まれていた。乱暴な口をきくが、実は気配り上手な出雲が笑う。
「さすが、東條家だなあ。豪勢なこった。東條も食ってくだろ?」
「食う。」
皆で食事を囲んで、わいわいと食べ始める。
「すげ、すごく美味いです。東條先輩、ありがとうございます。」
「ああ。」
がつがつと食べ上げる翔馬たちは、まるで欠食児童だ。実際寄宿舎の食事は、不味くはないけれど、少年たちには物足りなかった。圧倒的に肉が足りない。翔馬たちは、美味い、それを寄越せ、こっちにもだ、などと戦いのようにがっつく。そこには先輩も身分も何も関係なかった。東條崇斗は寡黙な性質のようで、静かに黙々と食べているが、決して食べ負けてはいない。
綺麗に舐めるように完食して、出雲は不思議そうに東條を見た。
「なあ、東條、俺たちと飯食って、何か楽しいわけ?」
「楽しい。」
「どこが?」
「気取らなくて済む。」
翔馬と出雲は少しばかり同情的になる。家門の長子となれば求められることも多く、さらには完璧さも求められる。東條家ほどの規模があれば、その肩に載せられた期待は背骨を折るほど重いだろう。
翔馬の学友たちが尋ねた。
「東條先輩は、春川麗と付き合ってるんですか?」
「そうそう、婚約間近なんですよね?」
翔馬たちは思わず聞き耳を立てる。他人の色恋沙汰は、案外面白い。東條崇斗は不思議そうに首を傾げた。
「誰がそう言った?」
「春川麗本人ですよ。」
「なら、そう言うことだろう。」
「先輩、趣味悪いですね。あんな性悪、先輩の前では違うんですか?」
「多分違わない。まあ、あれでも俺のはとこだしな。」
そして小さく笑って付け加えた。
「それに、あれで案外役に立つ。」
「あんな女が役に立つんですか?どんな?」
少しばかり少年たちは、エロティックな妄想に走る。まあ、顔はそこそこ可愛いから、役には立つかもしれない。
「女除けだ。周りを全部薙ぎ払ってくれる。少し鬱陶しいのを我慢すれば、もっと鬱陶しい事態にはならない。」
やっぱり東條崇斗は乙女心を弄ぶ悪人だ。たとえそれが春川麗が相手でも、弄ぶことが出来るのは凄すぎる。春川には一切同情はしないが、春川を手玉に取る東條崇斗は、さらに上手の大悪人だ。敬意なのか嫌悪なのか、また東條崇斗に対する新たな感情が加わる。だけど、それでも、東條崇斗が持ってくるご馳走は、とても魅力的で抗えなかった。
そんなふうに翔馬たちは日々を過ごしている。大きな問題も起こらず、平和な日々だった。
***
璃凪の足は、入江と潤の懸命のマッサージと訓練で、少しずつ回復してきている。彼らがマッサージしてくれて、リハビリにと足の屈伸運動をしてくれると、冷たい足が少しずつ温まってくるのを感じる。それに伴い、体の中の失ったナルバスティブ神金が、ゆっくりゆっくりと伸びていくのを感じる。皆が至れり尽くせりで、璃凪をお世話してくれて、潤は週末ごとに望月家に行く予定をすべてキャンセルして、璃凪のマッサージをしたり、一緒に遊んでくれる。璃凪はとても穏やかに幸せだった。
夢の中で挑戦の女神は璃凪を労ってくれて、これからはしばらく課題はないから、ゆっくり体を癒すことが課題だと言ってくれた。だから璃凪は安心して、体の中の神金を成長させることに専念している。神金を成長させることはやはり神力をごっそり持っていき、酷く怠くて眠くなる。いつの間にか食べる世界樹の実の数も、十一個まで増えていた。
食べては眠り、マッサージをしてもらっては眠り、遊んでは眠る。そう過ごすうちに、少しずつ神金が育っていくのを感じる。翔馬の新年の休暇が近くなる頃には、神金が膝のあたりまで伸びているのを感じる。まだ歩けないけれど、つかまり立ちならできそうだ。翔馬を立って迎えたい。
翔馬が新年休暇に帰省した時は、何とか璃凪はつかまり立ちで翔馬を迎えることが出来た。訪問してきた翔馬は、また少し背が伸びて、逞しくなったように見える。神力は限界値に達しかけているようだが、それでも少しずつ伸びていた。
そして訪れた翔馬も一瞬立ち止まった。璃凪もまた少し成長して、そしてますます美しくなっていた。印象的な金の瞳は艶やかに輝き、全身から沸き立つような神力が淡い光のベールになって揺らめいている。翔馬の胸はドキリとして、すぐにズキズキと痛み始める。璃凪にとって必要なこととはわかっているが、神聖地区に行かせたくない。ユリウスの目にも誰の目にも触れさせたくない。本音ではこの少女を隠しておきたいが、彼の力では璃凪を守れないことも分かっている。
璃凪はうっとりと微笑んで、翔馬に手を伸ばした。
「お兄さん、お帰りなさい。」
翔馬は璃凪に走り寄り、きつく抱きしめて、その髪の毛に顔を埋める。
「璃凪、ただいま。」
翔馬にはわかっていた。こんな風に璃凪と過ごすのは、この休暇が最後になるだろう。
アウグスツ家は、璃凪の現状を重く受け止めていた。璃凪の能力が桁外れに強く、もはや東大陸の神官では指導できない。一般教育も璃凪の学習能力に追い付けず行き詰まっている。結果、幼い少女が自分で判断し、歩けなくなるほど深刻なダメージを受けた。このままでは金瞳が早逝してしまう。一刻も早く、アウグスツ家に金瞳を引き渡すように再三の要求が来ている。
きっと次の学年末休暇の前には、引き渡しすることになるだろう。もちろん、それは璃凪の回復の具合も考慮される。だから、このまま歩けなければいい、そんな邪念すら浮かんでしまう。
だから翔馬は璃凪を喜ばせることに専念した。流石に同衾や一緒に入浴することは拒否したが、新年の三日間を除いて連日璃凪の家に泊まり、朝から晩まで、璃凪と一緒に過ごした。璃凪のダーツの腕前に感心し、一緒に演奏を楽しみ、いろんなゲームに付き合う。璃凪のマッサージやリハビリ運動は、入江に教わりながら自ら施した。璃凪は朗らかに笑っていた。
それは璃凪にとって夢のように楽しくて、穏やかな休暇だった。両親や、大好きな翔馬、たった一人の友達の潤、優しい神官たちや入江率いる護衛たちに囲まれ、とても賑やかで、幸せな時間だった。後に璃凪はこの時のことを、人生で一番幸せな時と、思い出しては感傷に浸ることになる。そして翔馬にとっても、後にこの時の璃凪の透き通った笑顔が、時に挫けそうな心の支えになり、無謀で無茶な試みを確実で安定した結果に変えるほどの不屈の努力の源になった。
*
夢のような新年休暇の後、璃凪の中のナルバスティブ神金はゆっくりと成長していき、足全体に行き渡っていた。ナルバスティブ神金を成長させるコツを覚えてきて、璃凪の神力はあまり削られなくなり、結果、璃凪の神力の器の成長も緩やかになってきている。それはもしかしたら、器が育つ限界に来ているのかもしれないし、今までが急に成長しすぎたのかもしれない。
璃凪がようやく普通に歩けるようになったのは、十歳の誕生日の目前だった。誕生日を迎えれば、その後は翔馬の学年末休暇だ。翔馬はまたきっと背が高くなって、逞しくなって帰ってくるだろう。会えるのがとても楽しみだ。
しかし、両親は少し悲しそうな顔で言った。
「璃凪、もうすぐハロウド神聖地区に行きましょうね。」
「え、お母さん?もう行くの?休暇になったら、お兄さん、帰ってくるんだよ。」
「ええ、準備が整ったの。お母さんたちも後からすぐに行くわ。」
「神聖地区に行ったら、翔馬様にもしょっちゅう会えるよ。同じ中央大陸だからね。」
両親にそう言ってもらって、璃凪は嬉しそうに笑う。体も、金瞳の能力も随分育った璃凪にとっては、今の家は窮屈に感じるようになっていた。きっと、神聖地区では新たな出会いと、新たな経験が待っているだろう。同じ年頃の友達ができるだろうか、一緒に遊んでもらえるだろうか、期待と不安が入り混じっている。
移動の日の早朝、璃凪は、神官見習い服を着せられて、一粒の丸薬を渡された。本神殿から送られてきたものだそうだ。力を抑え、姿を変える効果のある丸薬らしい。璃凪はじっとその丸薬を見つめた。丸薬の中に、神聖画の書かれた溶ける紙のようなものが入っている。体には無害そうだ。そしてその神聖画を読み解く。抑制と変容の比較的単純な神聖画だった。立体を取らなくても、これなら発動しそうだ。自分だったら、もっと上手く構成できるのに、などと不遜な考えが浮かぶ。
その丸薬を飲むと、ぐわんと地面が揺れて、ひどく不快な感覚が襲ってきた。体中が締め付けられて、圧迫される感じだ。璃凪の神力は体の中央に集まり、あちこちに広がることができないでいた。体の芯がすごく熱くて、代わりに手足がひどく冷たく感じる。おそらく今の状態の璃凪は、神力の十分の一程度しか放出することができないだろう。小さい頃、庭の石を宝石に変えていた頃と同じ程度の神力の感覚だ。それはひどく不安なことに思える。
両親も神官たちもホッとした顔だった。
「璃凪、姿が変わったよ。」
鏡を見せられて、璃凪は微笑んだ。髪の毛は艶やかな赤っぽい茶色になり、瞳の色は、明るい琥珀色、両親と同じ色に変わっていた。
そして何台かの車に分乗して、皆で懐かしい家を後にする。璃凪は神官たちと同じ車に乗せられた。神官の話では、璃凪たち親子を神聖地区に送り出した後は、皆それぞれの場所に戻るのだそうだ。潤たち風間親子、護衛たちは望月家へ。神官たちは神殿へ。璃凪にとって一緒に暮らした仲間は、大事な家族だった。家を離れることは家族との別れを意味していた。でも、きっとまたいつか会える。
璃凪は振り返って、十歳になるまで暮らした家に別れを告げる。小さい頃はとても広くて世界の全てだった璃凪の家は、今では随分小さく見えた。カーブの続く山道を降り、市街地の外れの神殿に到着する。家を出たことのない璃凪には、感傷に耽るひまもない。見るもの全てが珍しく、ちょっとした旅行で大冒険だ。神殿で別の小型バスに乗るよう指示された。小型バスの中に入ると、中には璃凪と同じ年頃の少女が何人か、そして下は五歳くらい、上は十二歳くらいの女の子たちが乗っていた。璃凪は彼女たちに礼儀正しく礼をする。皆がびっくりしたような目で見ていたので、何か変なことをしたか不安になる。
璃凪は席について、ワクワクと窓の外を見ていた。バスはゆっくりと発進する。引率であろう神官が五人ほどついてきていて、そのうち三人は璃凪を育ててくれた女性神官だ。乗っているのは子供達を含めて、十五人だった。そのうちのリーダーらしき男性神官が、璃凪たちの方を見て、にこりと笑いかける。
「今日から君たちは、神聖地区の本神殿で修練を受ける。修練の終了後は、それぞれ、また別の神殿に行くことになるだろう。頑張ってきてほしい。」
はい、と少女たちは元気に返事する。この子たちと一緒に本神殿にまで行くことになるらしい。見回すと、みんなしっかりした表情だけれど、一番年長の女の子も潤に比べると幼い気がする。潤が格別にしっかりしているからだろう。潤は、小さい頃お父さんを亡くして、お母さんを助けて暮らしていたらしい。親戚の望月家が二人を招いてくれて、お母さんの方はハウスキーパーとして、潤は和馬の遊び相手として働いていたと聞いている。そんな生い立ちからか、潤は年齢以上にしっかりしている。だけど、甘やかされ、大事に傅かれて育った璃凪は、バスの中の他の少女たちより幼い気がして、随分不安な気持ちになる。果たして、家の中の甘やかされた環境と違って、本神殿ではちゃんとやっていけるだろうか?
バスは市街地を抜け、また別の地区に入ったようだった。中央大陸を結ぶ大橋の境界管理地区だ。意外と山道でカーブが続いている。道の片方は山肌の斜面、もう片方は、木の生い茂った斜面だった。突然、がこんと音がして、激しくバスが上下に揺れた。運転手が慌てた様子だった。
「落石か何かを踏んで、パンクしたようです。」
「まずいな、あまり時間がない。タイヤ交換できるか?」
「予備タイヤ入れてます。」
「少しみんな外に出てくれ。」
璃凪は周囲に不穏な気配を感じていた。それはひどく撹乱されていてうまく掴めない。神力が抑制されているからというのもあるが、璃凪の神力の通用しない、黒い気配が濃厚に辺りを包んでいる。璃凪はあまり外に出たくはなかったが、神官に促されて外に出る。外の方が反撃しやすいかもしれない。
「神官様、何か変です。」
「え、璃凪様?」
グオンと、空気が澱むような重い音がした。物理防御の聖遺物が自動発動したのだ。バチバチと何かを跳ね除ける音が響き、次の瞬間、璃凪の傍に立っていた神官が張り倒された。神官は頭から血を流して倒れ伏す。山道の斜面の茂みの中から、黒い服の男が襲いかかってきたのだ。男が手にしているのは、禍々しいほど黒い棒だった。それは璃凪の知る摂理とは異なる物体で出来ている。それが聖遺物の防御を破ってしまったのだ。
大人たちはみんな張り倒され、少女たちは、小さい子は泣き喚きながら、それを年長の子が守るように抱きしめ、固まってぶるぶると震えている。
「見つけたぞ、金瞳だ。」
男の一人が、真っ直ぐに璃凪の方に近寄ってきた。
「お嬢さん、乱暴はしません。大人しくこっちに来てください。」
狙いは璃凪だったようだ。神官たちを張り倒しておいて、乱暴はしないという言い草はないだろう。山の斜面から、パラパラと石が落ちてくる。璃凪は咄嗟に手を挙げた。石がゴロゴロと崩れ落ち、璃凪の手の中で長い石の棒に変わる。足はようやく回復したばかりで、まだうまく走ることはできないけれど、腕のナルバスティブ神金は健在だ。ブンとその棒を振ると、先端から石飛礫がばらばらと正確に男の顔を直撃した。男が一瞬怯む。取り敢えず、神官たちや他の子供から、男たちを引き離さないといけない。
璃凪は走り出した。亀の歩みのようなスピードだけれど、歩くよりは少しは早い。男たちはジリジリと追い詰めてくる。璃凪はブンブン石の棒を振り回しながら、男たちに石飛礫をぶつける。しかし、前方からも男たちが現れて、璃凪を取り囲んでしまった。石の棒は、すっかり短くなって、もう石飛礫は飛ばせない。そして今の璃凪は、神力を封じられている。山肌を崩して石で反撃したいが、今は神力が足りない。
「璃凪!」
猛スピードで車が三台突っ込んできた。車から一斉に璃凪の護衛たちが降りて来て、男たちと交戦が始まる。その隙に先頭の車に璃凪は引っ張り込まれた。乗っていたのは両親で、運転しているのは入江だった。後部席の母親が璃凪を抱きしめる。
「しっかり捕まっていていください!」
入江がそう叫び、璃凪と母親は抱き合って体を伏せる。何かが車にぶつかる音がする。物理防御の聖遺物は発動しているのにぶつかってくるのは、世界樹の摂理に反する物体だろう。チッと、入江が舌打ちする。
「東條が拳銃を開発しているという噂は本当だった。」
きっとその弾丸は、あの禍々しい物体に違いない。バリンと音がして、助手席の父親の肩から血が吹き出してきた。そして、何かが破裂する音がして、車が大きくスピンする。入江はすんでのところで車を止めて、璃凪を引っ張り出した。
「先に、望月家の護衛が待っています。璃凪様、失礼します。」
入江は璃凪を担いだ。璃凪は慌てた。
「お父さんとお母さんは?」
「後から追いかけてきます。」
車を降りた両親は、それぞれの武器を持って背後に立ちはだかっている。両親も武術を学んでいたようだ。だけど、相手は拳銃を使う。父親は肩に傷を負っていて、母親は女性だ。あんな屈強な男たちに敵うわけがない。璃凪の目から涙が溢れ出して来る。何故こんなことに。
入江は璃凪を担いだまま、大股で駆け抜ける。駆け抜けた先に、黒い車が道を塞ぐようにずらりと止まっていた。だけどそれは望月家の護衛ではなかった。拳銃を構えた男たちが、一列に並んでいる。入江はぴたりと立ち止まった。リーダーらしき男が叫ぶ。
「撃つな。金瞳に当たる。」
「璃凪様、走れますか?」
入江は小さく語りかけて、そして璃凪を勢い良く宙に放り投げた。斜面の茂みに転がり落ちる寸前で、物理防御の聖遺物が働いて、ふわりと地面に着地する。ガサガサと音がして、入江が斜面を滑り落ちてきた。そして璃凪を担ぎ上げて、また斜面を滑り降りる。
「このまま下の道に出ます。」
鬱蒼と茂った木が邪魔して、敵も拳銃が使えない。だけど、それは甘かった。ばあんと音が轟き、うっと声を殺して、入江がうずくまる。膝から血を流していた。璃凪をそっと降ろして、立ち上がる。
「璃凪様、一人で下の道まで走れますか?」
「入江さんは?」
「私はここで賊を食い止めます。」
璃凪が走り出そうとしたその瞬間、またばあんと音が轟いて、入江の左腕が激しく血を吹き出して飛んでいった。その瞬間、璃凪の中で何かが弾けた。
「いやあああああ!」
地面が激しく揺れ、入江を守るように土の壁が盛り上がる。そして、璃凪は意識を失った。
***
パリン。何かが割れる音がして、翔馬は自分の胸元を押さえた。そっと前ボタンを開くと、翔馬の首の鎖に通していた指輪が真っ二つに割れていた。S&Rのアルファベットのちょうど真ん中、&の部分だ。璃凪が初めて翔馬のために作ってくれた聖遺物のレプリカで、婚約した時にくれた指輪だった。オルパパスタイト王金が割れた?ありえないことが起きて、何か酷く胸騒ぎがする。
ジリジリしながら授業が終わるのを待ち、ユリウスを訪ねようと立ち上がったその時、ユリウスが教室に入ってきた。いつも冷静なユリウスが、酷く焦った様子だった。
「翔馬。話がある。」
ユリウスはぐいぐい翔馬の腕を引っ張って、廊下の隅に連れて行く。すかさず結界を張って翔馬を振り返った時、ユリウスは泣き出しそうな顔だった。
「リナが襲撃された。」
どくん。翔馬の心臓が跳ね上がる。
「神殿から連絡が来た。襲撃地点は望月の地区と大陸間橋管理地区の境界。負傷者多数。今のところ死者はいない。そして、リナと、柏木夫妻が行方不明だ。」
そして、つうっとユリウスの頬に涙が落ちた。
「ごめん。東大陸の神殿に間者が紛れ込んでいた。リナの移送計画は筒抜けだったんだ。」
立ちすくむ翔馬の前で、ユリウスは崩れるようにしゃがみ込んだ。
翔馬はその後、何をどうしたか、記憶が定かではない。気がつくと、東大陸寄宿舎の自室のベッドに、ぼんやりと腰掛けていた。ノックの音がして、出雲が顔を出した。酷く困惑した顔だった。
「望月、東條が来てる。」
「は!」
翔馬は笑い声とも泣き声ともつかない声を上げ、玄関まで走り出す。一体何をしに来たんだ?嘲笑いに来たのか?
玄関ホールでは、アルカデメイア学術地区でも有名なレストランの印字のある、大きな紙袋を下げた東條崇斗が立っていた。その顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「飯を食おう。」
「それは、勝利のお祝いですか?」
「いや、話が聞きたいだけだ。」
怒りに震える翔馬を無視して、東條崇斗はテーブルにご馳走を並べ始める。翔馬は強張った顔で席につき、出雲も学友たちも険しい目で東條を睨みつけていた。東條崇斗は何食わぬ顔で、席につく。
「何か食っておけ。」
「そんな気分になれないんですけれどね。」
「話を聞きたいだけだ。小さな女の子はどう扱えばいいのかわからない。」
翔馬は、東條崇斗を睨みつけた。その女の子が誰なのか、はっきりしている。
「その子は怪我なんかしてませんか?」
「ああ、かすり傷ひとつない。親父が小さな女の子をどこからか連れてきた。俺はその女の子を大事に扱いたい。だが、どう扱えばいいのかわからない。望月に意見を聞きたい。」
ああ、と、翔馬はやっと気がついた。東條崇斗が何故翔馬と接触したかったのか。それは璃凪を捕らえるための情報を得るためではなかった。璃凪の所在など最初からわかっていた。捕らえた後に璃凪をどう扱えば良いのか、聞くためだったのだ。
「その子はきっと泣いてるでしょうね。」
「泣いてるだろうか?どうしたら良いだろうか?」
「その子の行きたいところに行かせてあげれば良いんです。」
「ああ、そうしてやりたいが、親父がうるさい。」
「その子はきっと甘えん坊で寂しがり屋でしょうね。」
翔馬は鼻の奥がツンとしてきた。
「ああ。そうだろうな。」
「頑張り屋で、すぐ無理をして、体を壊すでしょうね。」
「ああ、どうしたら良いだろうか。」
「大事にして、美味しいものをたくさん食べさせたら、きっと元気になるでしょう。」
「どんなものが好きだろうか?」
「甘いパン粥。果実水。甘いプディング。」
言いながら、翔馬の目から涙が零れ落ちてきた。
「望月。」
東條崇斗は声をかけた。存外に優しい声だった。
「俺は小さな子を、大人の汚い思惑に利用するのは好まない。その子を大事にしてやりたい。危害を加えるなどもっての他だ。」
「その小さい子は、他の誰かにとって、とても大切な子なんです。大事にしてやってください。」
「ああ、分かってる。」
「その子の会いたい人に会わせてあげて下さい。」
「すぐには無理だが、俺が卒業したら。少し立場は変わるだろうが。」
次に璃凪に会う時は、どんな立場になっているのだろうか。互いに敵対する立場に変わっているのだろうか。
「望月、これからも話しに来て構わないだろうか?」
翔馬は流れ落ちる涙を手で拭った。
「先輩さえ良ければ。」




