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覆面ライナーのメディアハック、謎の風刺論客「サイレンス・ドゥグッド」の誕生に街中が大熱狂する件

ボストンの夜は相変わらず冷え込んでいたが、俺の頭脳はカンストした知識の処理によって、常に心地よい熱を帯びていた。

兄ジェームズの印刷所での日々は、表向きは過酷な徒弟奉公そのものだ。毎日、指先を真っ黒なインクで汚し、重い木製の印刷機を操作し、職人たちの雑用に追われる。だが、夜間の独学によって18世紀初頭のあらゆる学問を平らげた俺にとって、この印刷所はもはや、世界を裏側からハッキングするための完璧な「発信基地」へと変貌していた。


しかし、現在の俺にはまだ、自分自身の名前で意見を表明する資格がない。

この時代の頑固な社会通念において、学校を10歳で中退した丁稚の言葉など、誰もまともに聞きはしないからだ。どれほど革新的で合理的な経済論を唱えようとも、子供の戯言として握りつぶされるのがオチである。


「ならば、大衆がその正体を知りたがって狂うような、完璧な『仮面』を用意すればいいだけの話だ」


俺は作業台の引き出しから、深夜の静寂の中で書き進めていた数枚の原稿を取り出した。

ペンを握る手に力を込め、前世のWebマーケティングにおけるペルソナ設定の技術をフルに動員する。


大衆を引きつけ、同時に既存の特権階級をチクリと刺すためのキャラクター。

導き出した最適解は、実在しない架空の未亡人――名を「サイレンス・ドゥグッド(沈黙の善行)」といった。


彼女は田舎生まれの、世世俗の垢にまみれていない純粋な女性。それでいて、鋭い観察眼と卓越したユーモアを持ち、街の知識人たちの欺瞞や、教会の古臭い教条主義をチクリと風刺する。なろう小説の基本である「読者がスカッとする知的カタルシス」を、この時代の新聞というメディアを通じて提供するための特製のアバターだ。


文章の構造には、前世の洗練された文章構成フォーマットを徹底的に落とし込んだ。

イギリスの『スペクテイター』誌が持つ上品な洗練さをベースにしつつ、大衆が最も好む「分かりやすさ」と「少しの毒」を1対0.618の黄金比で配合する。難しいラテン語の引用など一切使わず、誰もが日常で感じる矛盾を、痛快なロジックで切り裂いていく。


「これでよし。既存の老害たちがどれほど怒り狂い、大衆がどれほど歓呼するか、今から楽しみだ」


俺は完成した原稿を丁寧に折りたたむと、誰もいない深夜の印刷所の扉を静かに開けた。

そして、兄のジェームズが発行している新聞『ニューイングランド・クーラント』のオフィス兼工房の扉の下にある、わずかな隙間へとその手紙を滑り込ませた。

これが、世界を揺るがすメディアハックの第1歩になるとは、まだ誰も気づいていない。


翌朝、印刷所にはいつにも増して大きな怒鳴り声が響いていた。

といっても、今回の怒声は俺に向けられたものではなかった。ジェームズが、手紙の受付口で見つけた1通の原稿を手に、目を見開いて叫んでいたのだ。


「おい、みんな聞いてくれ! とんでもない投稿が届いたぞ! サイレンス・ドゥグッドと名乗る匿名の人物からだ!」


作業の手を止めた職人たちや、新聞の寄稿者である街の知識人たちが、ジェームズの周りに集まってくる。俺は平然とした顔で、隅の方でインクの入った樽を運びながら、その様子を観察していた。


「どれどれ、読ませてみろ……。おお、これは凄い。ボストンの利権に胡坐をかいている特権階級の矛盾を、これほど見事なユーモアで風刺するとは! 文体も実にエレガントだ。一体どこの天才が書いたんだ?」


「この街に、これほどキレのある文章を書ける人間がいたか? ハーバードを出た高名な学者か、あるいは本国から流れてきた一流の文人か……」


集まった大人たちは、一様に興奮を隠せない様子で原稿を回し読みしている。

彼らの誰もが、その原稿を書いたのが、今まさに目の前で汗を流して樽を運んでいる、学校中退の丁稚であるなどとは夢にも思っていない。人間の先入観とは、実にコントロールしやすい脆弱なシステムだ。


「ジェームズ、これは次の号の一面に載せるべきだ! 絶対に街中で大評判になるぞ!」


「ああ、もちろんだ。すぐに活字を組め!」


ジェームズの指示が飛び、印刷所がにわかに活気づく。

俺は「かしこまりました、兄貴」と殊勝な声を出し、自ら書いたサイレンス・ドゥグッドの手紙を、自らの手で活字ケースから文字を拾って印刷機へとセットしていった。自分の仕掛けたトラップが、着実に社会へと拡散されていく感覚。これ以上の快感はなかった。


数日後、新聞が街に配られると、俺の予測を遥かに超える大爆発が起きた。


ボストンの下町から港の酒場、果ては総督の官邸に至るまで、あらゆる場所で「サイレンス・ドゥグッド」の名前が囁かれた。

彼女の書いた、既存の権威を小気味よく論破する記事は、日頃から特権階級の押し付けに不満を抱いていた一般民衆の心を完全に掌握したのだ。


「おい、見たか? 今週のドゥグッド夫人の記事! あの傲慢な役人の態度を『空っぽの樽ほどよく響く』って一刀両断にしてたぜ!」


「全くだ、胸がすっとしたよ! 一体、この若き天才論客は誰なんだ? ぜひ一度お目にかかりたいものだ」


街のいたるところで、そんな会話が飛び交っていた。

新聞の売れ行きは前週の2.5倍に跳ね上がり、ジェームズの印刷所には「ぜひ彼女に我が社の広告を載せてほしい」「彼女へのファンレターを届けてくれ」という市民からの依頼が殺到した。中には、独身の資産家から「この素晴らしい知性を持つ女性と結婚したい」という、的外れな求婚の手紙まで届く始末だった。


印刷所のオフィスで、ジェームズは集まった山のような手紙を前に、嬉しさと困惑が入り混じった顔で頭を抱えていた。


「信じられん……。たった1通の投書が、ボストンの街をここまで狂わせるとは。ベンジャミン、お前もこの手紙の仕分けを手伝え。サイレンス・ドゥグッドが誰なのか、何か手がかりがあるかもしれないからな」


「分かりました、兄貴。本当に不思議な方ですね。もしかしたら、僕たちのすぐ近くにいる人なのかもしれませんよ?」


俺は仕立ての良い作業着の襟を軽く正しながら、常に余裕のある笑みを浮かべて見せた。

ジェームズは「バカを言うな、こんな一流の文章を書ける人間が、その辺に転がっているはずがないだろう」と鼻で笑った。


それからというもの、俺は2週間に1度のペースで、深夜の扉の下からサイレンス・ドゥグッドとしての新作を投入し続けた。

第2回、第3回と記事が重なるたびに、その知名度は不動のものとなり、『ニューイングランド・クーラント』紙はボストンで最も影響力のあるメディアへと急成長していった。


彼女が記事の中で「街の夜道が暗く、防犯上よろしくない。合理的な配置で街灯を増やすべきだ」と一言呟けば、翌週には議会で街灯設置の予算が検討される。

彼女が「若者の教育には、古い神学だけでなく、実用的な商業数学や科学を取り入れるべきだ」と提唱すれば、街の私塾に申し込みが殺到する。


名前も顔も出さない「匿名」のペルソナでありながら、俺の紡ぐ言葉は、完全にこの街の政治、経済、そして文化の基準をハッキングし、コントロールしていた。


だが、この完璧な無双劇の裏側で、兄ジェームズの心の中には、徐々にドゥグッド夫人に対する強烈な「劣等感」と「嫉妬」が蓄積されているのを、俺は冷徹に見抜いていた。

彼は自分が新聞の主宰者であり、この街のトレンドセッターであるべきだと信じている。それなのに、世間の注目はすべて、正体不明の寄稿者に奪われているのだから。


「フン、どこの誰だか知らんが、顔も出せない臆病者が、偉そうにこのボストンを批評しおって……」


夜、誰もいなくなった工房で、ジェームズが酒瓶を片手に、サイレンス・ドゥグッド宛てに届いた大量の賛辞の手紙を睨みつけながら、不機嫌に毒づいているのを目撃した。


俺は暗闇に身を潜めながら、その哀れな兄の背中を静かに見つめていた。

自分のすぐ足元にいる弟が、その「世界の中心」にいる天才の正体だとは露ほども知らず、虚栄心と嫉妬に身を焦がす男。


「踊れ、踊れ、兄貴。お前がその小さな新聞社の利権にしがみついている間に、俺の言葉はすでにこの新大陸の枠を超えて、未来の常識を作り始めているんだ」


知識ステータスを完全にカンストさせ、ペン1本で世論を意のままに動かす絶対的な力を手に入れた俺にとって、このボストンという街、そしてジェームズの印刷所という器は、すでにあまりにも狭すぎるものになりつつあった。

次なるステージへの転換期が、すぐそこまで迫っているのを、俺の合理的な脳内シミュレーションは正確に弾き出していた。

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