4話 野菜スープは優しい味。
人間と機械の境界は、思っているより曖昧だ。
少なくとも、俺の隣にいるロボを見ているとそう思う。
水の音が、静かに耳の奥に残っている。
「痛くないですか?カノ」
「うん、ちょうどいいよ。ロボ」
俺は今、駅に行く前にロボに全身を洗われている。
「もう3日は水浴びしてませんでしたからね。」
「……そんなに?」
「はい。少し汚いです」
「その言い方やめてくれない?」
ロボは一瞬だけ動きを止める。
「事実です」
反論の余地はなかった。
水浴びが終わると、ロボは俺の髪を拭き始める。
手つきだけはやけに丁寧だ。
「カノ、少し髪の毛が伸びてきましたね」
「ああ、この身体になってから尚更ね」
ロボはほんの少しだけ、口元を緩めた。
「私が切りましょうか?」
「いや、いい。」
俺は前に切ってもらった時の惨状を思い出す。
「……そうですか」
ロボは少しだけ残念そうに荷物をまとめる。
「では、行きましょうか」
俺も荷物を持ち立ち上がる。
「とりあえずは、線路沿いを歩けば着くだろ」
「流石です、カノ。いい判断です。」
俺たちは歩き始める。
遠くには、雲まで突き抜ける巨大なタワーが見える。今にも倒れてしまいそうだ。
「ロボーあとどれぐらい?」
「あと12キロくらいですね」
「遠いな……」
「歩けば着きます」
「それが一番きついんだよ」
駅に着いたのは太陽が頂上に差し掛かったぐらいだった。
「.....これが駅か」
駅はなかなかに大きい。
中に入ると、食堂があり、休憩スペースもある。
駅の中は、思っていたよりも綺麗だった。
埃は少ない。崩れもない。
まるで、今でも誰かが使っているみたいな雰囲気があった。
「……思ったより生きてるな、この駅」
「独立電源が維持されていた可能性があります」
ロボは壁際の端末に視線を向ける。
電光掲示板は止まっていない。
ただ、表示されている行き先はどれも意味をなしていなかった。
『■■■行き 発車済み』
『■■■行き 運休』
「誰もいない割にはちゃんとしてるな」
俺は休憩スペースの方へ歩いていく。
ベンチに、誰かが座っていた。
制服のような服を着た、女の子だった。
手には缶を持っている。
「……あれ?」
思わず足が止まる。
こんな場所に、人がいるわけがない。
それなのに、その子は普通にそこにいた。
こちらに気づいて、軽く手を振る。
「こんにちは」
普通の声だった。
でも、少しだけ変だった。
風が吹いているのに、彼女の髪は揺れていない。
ロボが、俺の一歩後ろで静かに止まる。
「カノ」
小さく、呼ばれる。
「……人、いるじゃん」
俺は思わずそう言った。
人だ、
ロボは答えない。
ただ、その少女を見ていた。
「珍しいですね。生存者ですか」
「だよな」
普通にそう思う。
でも、ロボの視線は違った。
「おーい、そこ使っていいやつ?」
声をかけると、女の子はゆっくりこちらを向いた。
「……うん。いいよ」
普通に返事が返ってくる。
「誰もいないと思ってたけど、先客いたか」
俺は隣のベンチに座る。
「君も旅?」
「うん。たぶん、旅」
曖昧な返事だった。
でも別に変じゃない。こういうやつもいるだろう。
ロボは少し離れた場所に立ったまま、こちらを見ている。
その視線が、妙に鋭い気がした。
「ロボ、どうした?」
「……いえ」
ロボは一瞬だけ女の子を見て、すぐ視線を外した。
「何もありません」
「?」
女の子は俺の方を見て、少し笑った。
「その子、すごいね」
「だろ?頼りになるんだ」
「うん。ちゃんとしてる」
その言い方に、少しだけ違和感があった。
名前をニカと言うらしい。
どうやら電車は1本だけ動いているようでニカはそれを待っているらしい。
「それ、缶コーヒー? まだ残ってるんだ」
「うん、最後の一本だけどね」
ニカは缶を軽く揺らして、小さく笑った。
「昔は、これ好きだったんだ」
「へえ。贅沢だな」
「そうでもないよ。昔はどこでも買えたし」
どこか懐かしそうに、ニカはホームの端へ視線を向ける。
「そうだ。時間あるなら、あとであそこ掘ってみなよ」
「ん?」
ニカが指差したのは、ホームの隅。
割れたタイルの脇、少しだけ土の盛り上がった場所だった。
「前に、いいもの埋めたんだ」
「いいもの?」
「食べ物とか、ちょっとした道具とか」
「なんで掘らないんだよ」
そう聞くと、ニカは少しだけ目を細めた。
「……私には、もう必要ないから」
「ふーん……じゃあ後で掘ってみる」
軽く返して、俺はホームの端を見た。
食べ物と道具。
本当にあるなら、かなり助かる。
その横で、ロボだけが小さく視線を伏せていた。
しばらくして、ぐう、と間の抜けた音が鳴る。
「……腹減った」
「カノ、さっき歩き通しでしたからね」
ニカが小さく笑う。
「ふたりとも、ちゃんと旅してるんだね」
「じゃあ、なんか作るか。スープでいい?」
俺はニカの方に目線を向ける。
「え?私もいいの?」
「1人分も2人分もたいしてかわらん。」
そう言うと、ニカは少しだけ目を丸くした。
それから、ほんの少しだけ嬉しそうに笑う。
「じゃあ、もらおうかな」
「今回は私が作ります。」
ロボは短く答えて、そのまま食堂の方へ向かっていく。
手際よく棚を開け、鍋と保存食を取り出していく背中は、
こういう時だけ妙に頼もしい。
「すごいね、あの子」
「だろ? ああ見えてかなり何でもできる」
「うん。見れば分かる」
ニカは少しだけ目を細めて、ロボの背中を見ていた。
「……羨ましいな」
「ん?」
「そうやって、一緒に旅できる相手がいるの」
少し意外で、俺はニカの横顔を見る。
ニカは笑っていた。
でも、その目だけは少し遠くを見ていた。
「君は一人なのか?」
「ずっと、ひとりだったよ」
その言い方が妙に引っかかった。
でも、ニカはそれ以上何も言わなかった。
少しして、食堂の方から湯気と匂いが流れてくる。
乾燥野菜と保存肉を煮た、簡単なスープだった。
「できました」
ロボが三つのカップを持って戻ってくる。
湯気の立つスープを受け取って、思わず息を吐く。
「あー……生き返る」
「まだ生きています」
「そういう話じゃない」
ロボはいつもの調子で言って、ニカにも一つ差し出した。
「どうぞ」
ニカは少しだけ驚いたように目を瞬いて、
それから両手でそっと受け取った。
「あったかい」
小さく、そう呟く。
でも、口はつけなかった。
両手でカップを包んだまま、
ただ立ちのぼる湯気をじっと見ている。
「飲まないのか?」
「……もう少し、冷ましてから」
「猫舌?」
「そんなところ」
ニカは少しだけ笑った。
「カノは優しいね。これからのカノの旅に、幸がありますように」
そう言って、ニカは小さく笑った。
湯気の向こうで揺れるその顔は、
もうどこか、手の届かない場所にいるように見えた。




