5話 冷えたスープはちょっぴり寂しい。
スープを飲み終える頃には、
駅の中はすっかり夕暮れに染まっていた。
西日がガラス越しに差し込み、
古びた床の上に長い影を落としている。
さっきまで明るかった駅の中も、
夕方になるだけで急に別の場所みたいに見えた。
「今日はここで泊まるの?」
ニカは缶コーヒーを両手で包んだまま、そう聞いた。
「そのつもり。列車もいつ来るか分からんし」
「賛成です。暗くなってからの移動は推奨できません」
ニカがくすっと笑った。
「なんか、いいね」
「何が?」
「そういうの」
ニカは少しだけ目を細める。
「ちゃんと誰かと話して、ちゃんと返ってくる感じ」
「……そんな大層なもんか?」
「うん。たぶん、そういうのって、思ってるより大事だよ」
言い方が妙に静かで、俺は少しだけ返事に困る。
ロボは何も言わなかった。
ただ、ニカの方を一度だけ見て、それ以上は何も挟まなかった。
「で、ニカは?」
「ん?」
「ずっとここで列車待ってるのか?」
そう聞くと、ニカはホームの方へ視線を向けた。
夕陽の差し込む線路は、
どこまでも赤く伸びている。
「……待ってるよ」
小さく、そう言う。
「来るかどうかは、分かんないけど」
「それでも?」
「うん」
ニカは迷いなく頷いた。
「待ってれば、いつか来るかもしれないから」
その言い方は、
どこか自分に言い聞かせているみたいだった。
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「ほんとに休憩スペースで寝なくて大丈夫なのか?」
「うん、こっちの方が落ち着くから。」
ニカはそう言って、
ホーム脇のベンチに座り直す。
缶コーヒーを両手で抱えたまま、
線路の先をぼんやり見ていた。
「変なやつ」
思わずそう呟くと、
ニカは少しだけ笑った。
「よく言われる」
「誰にだよ」
「……昔の人に」
妙な答えだった。
でも、ニカはそれ以上何も言わなかった。
夜はゆっくり降りてきた。
駅の照明は半分ほど死んでいたが、
天井の端に残った古い灯りが、かろうじて足元を照らしている。
俺とロボは休憩スペースの長椅子を借りることにした。
少し硬いが、屋根があるだけ十分だ。
「おやすみ、ニカ」
声をかけると、
ホームのベンチに座ったままニカが小さく手を振る。
「うん。おやすみ」
その声は昼より柔らかく、
夜の静けさに溶けるみたいに小さかった。
目を閉じる前、
一度だけホームの方を見る。
ニカはまだそこにいた。
暗いホームの端、ひとりで線路の先を見ていた。
ロボは何も言わなかった。
ただ一度だけ、
その背中を静かに見ていた。
翌日、目が覚めた時。
最初に気づいたのは、妙に静かなことだった。
「……ん」
身体を起こす。
薄い朝日が駅の窓から差し込んで、昨夜より少しだけ白く見えた。
隣では、ロボが静かに空を見つめていた。
「おはようございます、カノ」
「……おはよ」
欠伸を噛み殺しながら、なんとなくホームの方を見る。
「……あれ」
ニカがいなかった。
昨夜までホームのベンチに座っていたはずなのに、そこには誰もいない。
代わりに、ベンチの上に紙コップがひとつ置かれていた。
昨日、ロボが渡したスープだ。
中身はほとんど減っていない。
表面には薄く膜が張っていて、もうとっくに冷えきっていた。
「……あいつ、先に行ったのか?」
そう言いながら立ち上がる。
でも、妙だった。
昨日あんなに話していたのに、
足跡も、物音も、何も残っていない。
ロボは静かにホームの方を見ていた。
「ロボ?」
「……カノ」
その声は、少しだけ低かった。
ロボが何か言いかけて、やめる。
なんとなくホームの方を見る。
昨日までニカが座っていた場所。
誰もいないベンチ。
その隣。
割れたタイルの脇、
少しだけ土が盛り上がった場所。
――あとであそこ掘ってみなよ。
「……あ」
昨日の言葉を思い出して、
俺はしゃがみ込む。
「カノ?」
「いや、ちょっとだけ」
近くに落ちていた金属片を拾って、
土を掘る。
浅い場所だった。
少し掘るだけで、
すぐに硬い感触が返ってくる。
「……あった」
出てきたのは、小さな缶だった。
錆びた蓋をこじ開けると、
中には保存食、乾電池、簡単な工具。
それと、
透明な袋に包まれた一枚の写真。
「……写真?」
土で汚れた表面を指で拭う。
そこに写っていたのは、
まだ人がいた頃の駅だった。
明るいホーム。
動いている列車。
笑っている人たち。
その前で、
制服姿の女の子が缶コーヒーを片手に笑っていた。
「……ニカ」
昨日会ったままの顔だった。
写真の端には、
薄れた文字で日付が残っていた。
西暦2126年。
今から、200年以上前。
朝の駅は静かだった。
まるで最初から、
誰もいなかったみたいに。
その時、遠くの方から警笛の音が響く。
「――え」
思わず顔を上げる。
朝の静けさを裂くように、
長く、低い音が線路の向こうから伸びてくる。
ホームの先。
遠くの地平の向こうに、
小さな光が見えた。
「……列車?」
思わずそう呟く。
ロボが静かに線路の先を見る。
「稼働車両を確認。接近中です」
鉄の軋む音が、
少しずつ近づいてくる。
止まっていた世界が、
今になってようやく動き出したみたいだった。
俺は思わず、
さっきまで誰もいなかったホームのベンチを見る。
そこにはもう、
冷えた紙コップしか残っていない。
「......いくか!ロボ」
「ですね。」
列車のホームに向かって歩き出す。
「いってらっしゃい。」
背中越しに、そんな声がした。
振り返ったホームには、
もう誰もいなかった。




