3話 コンビーフは焼くと化ける。
「それじゃ、そろそろ行くよ。」
俺はNo.7に向き直る。
『......そうですか。』
わずかな沈黙のあと、No.7は事務的な声音のまま続けた。
『進行方向に旧鉄道中継駅が存在します』
「駅?」
『当拠点より北東へ約六キロ。小規模補給設備、給水設備、簡易宿泊区画を併設』
赤い瞳が、こちらをまっすぐ捉える。
『外部電力網は停止済み。ですが、駅舎設備の一部は独立系統で維持されている可能性があります』
「……まだ使えるかもしれないってこと?」
『可能性はあります』
淡々とした、ただの情報共有。
それだけのはずなのに、少しだけ気遣われた気がした。
『移動先に迷う場合、選択肢の一つとして推奨します』
俺は一瞬だけ目を瞬く。
「……そっか。じゃあ次は、そこに行ってみるよ」
『了解』
「No.7、いろいろありがとう」
そう声をかけると、白い装甲の少女は変わらない無機質な赤い瞳でこちらを見る。
『当拠点は未だ稼働中です』
『生活維持に必要な範囲であれば、再訪を許可します』
「……それ、また来ていいってこと?」
『同義です』
少しだけ間を置いて、俺は笑った。
「じゃあ、また来るよ」
『了解』
それだけだった。
それだけなのに、不思議と悪くない別れだった。
後ろを振り向くと、白い装甲の少女はまだこちらに手を振っていた。
小さく手を振り返して、今度こそ前を向く。
しばらく歩いても、なんとなく胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
「……変な感じだな」
「何がですか?」
「別に。また会えるのに、ちょっと寂しい」
ロボは少しだけ黙る。
「それは、良い別れだったからではないでしょうか」
「......そうかもね。」
_____________
しばらく歩くうちに、空は赤く染まり、そろそろ日が落ちる時間になっていた。
「カノ、この辺りで休みましょう」
「そうだね。」
今日の拠点に選んだのは、屋根だけは残った廃墟だった。
壁はところどころ崩れ落ちているが、風を凌ぐには十分だ。
いつものように火を起こすロボを横目に、俺は今日あったことを日記に書き留めていく。
「カノ、ここの漢字も違います。」
「はいはい」
そう言いつつ、書き直す。
書き終えて日記を閉じ、少しだけぼんやりする。
夜は静かな時間が流れる。
だが、今夜は違う。
ロボのコーヒーミルを回す音が静かな街に響いていた。
俺は鞄から1つの缶ずめを取り出す。
「今日は、新しく手に入れたコンビーフだな。」
缶を開けると、独特の塩気のある匂いが広がる。
「これ、生で食べるやつですか?」
「いや、焼くと化けるらしい」
ロボが小さく首を傾げる。
「人類は、なぜわざわざ火を通すのでしょう」
「知らん。でもうまくなるんだよ」
焚き火にフライパンをセットし、コンビーフを落とす。
じゅっ、と音がして、脂が溶ける匂いが広がった。
「……なんか、これだけでうまそうだな」
.....チーズかけたいな
「チーズはダメですよ。」
「わかってるよ!」
コンビーフに焦げが着き始める。
脂がぱちりと跳ねる。
「……いい匂いだな」
「もういいかな?」
「もう少しじゃないですか?」
ロボが器用にコンビーフをひっくり返す。
その時背後からゴソッと物音がなる。
「何かいる。」
「少し見てきますね。」
ロボは護身用のお玉とフライ返しを手に音の方向へと進んで行く。
ロボの背中が暗がりに消える。
お玉とフライ返しが、焚き火の光から遠ざかっていく。
「……なんだろうな、今の」
俺はフライパンのコンビーフを見ながら呟いた。
じゅっ、と小さく脂が跳ねる音。
その瞬間だった。
「……ん?」
焚き火の横。
コンビーフの皿の端に、小さな何かがいた。
丸い。
羽毛みたいにふわふわしている。
ボタンみたいな目で、じっとコンビーフを見ている。
「お前、いたのかよ」
そいつは何も答えず、ふわ、と一歩近づいた。
そして――
コンビーフの脂を、ぺろ、と舐めた。
「……絶対に食うなよ。」
満足したのかどうかも分からないまま、そいつは小さく丸まる。
コンビーフの焼ける音に合わせて、そいつの丸い身体がわずかに膨らんだり縮んだりしている。
焚き火の熱を避けるように、ちょうどいい距離に落ち着いた。
「……まあ、いいか」
俺はそう呟いて、再びフライパンに視線を戻す。
コンビーフはちょうどいい焦げ色になっていた。
その頃、ロボが戻ってくる。
「なるほど。音の正体はそれでしたか。」
ロボは俺の横に丸まるそれを見て呟く。
そして視線は自然とコンビーフの方へ向く。
「コンビーフ、そろそろいいんじゃないですか?」
「お、ほんとだ」
俺はフライパンからこんがり焼けたコンビーフを皿へ移す。
表面はかりっと焦げていて、缶から出した時とは別物みたいだった。
箸で少し崩して口に運ぶ。
「……うま」
塩気は強いのに、脂が甘い。
噛むたびに肉の味がじわっと広がって、思っていたよりずっとちゃんと料理だった。
「これは確かに、火を通した方が正解ですね。匂いが香ばしくなりました。」
ロボも納得したように頷く。
その横で、丸いやつがじっとこちらを見ていた。
「お前はダメだぞ」
ぺそ、と少しだけ潰れる。
「……なんだその反応」
「食欲に反応して体表が変化していますね」
「生き物なんだよな、これ」
ロボは丸いそれを覗き込み、少しだけ目を細めた。
「おそらく《ミールモス》です」
「名前あるのかよ」
「旧生態記録に近い個体です。熱と油の匂いに寄ってくる、小型の浮遊生物ですね」
「めちゃくちゃ飯狙いじゃん」
「ですが無害です。食べかすと匂いに集まるだけで、襲うことはありません」
丸いやつ――ミールモスは、名前を呼ばれたのが分かったのか、ふるりと身体を揺らした。
「へえ……」
こうして見ると、妙に警戒心が薄い。
ボタンみたいな目でこっちを見て、丸まって、たまに膨らむ。
少し気持ち悪くて、少しだけ可愛い。
「こういうのもいるんだな」
「人類が減れば、生き残るものは変わります」
ロボはそう言って、俺の隣に腰を下ろした。
「駅周辺にもいるかもしれませんね」
「……増えるのか、こいつ」
「食堂があるなら高確率で」
「嫌すぎる情報だな」
そう言いながら、もう一口コンビーフを口に運ぶ。
うまい。
焚き火は静かに燃えている。
ミールモスは焚き火の横で、満足そうにふくらんだり縮んだりしていた。
明日は駅だ。
少しだけ楽しみで、少しだけ嫌な予感がした。




