第6話『ヘーベ案件のガンマン』
※お酒は20歳になってから。
※お酒を飲んだら車や馬車などの運転はやめましょう。
※お酒は楽しく、ほどほどに。
同じ女神に導かれた者同士。
だが、ジャックの勢いはマサムネの想像を超えていた――。
「君……もしや」
ジャックは、ぐいと顔を寄せたまま目を見開いていた。
その目には、さっきまでの軽薄さとは違う熱が宿っている。
マサムネは半歩だけ身を引いた。
「……なんだよ」
「異世界転生者か?」
その言葉に、マサムネの表情がぴくりと動く。
この世界へ来てから、その単語を他人の口から聞くとは思ってもみなかった。
「……だったらどうする」
ジャックは数秒、黙ったままだった。
そして次の瞬間――
「ハーッハッハッハッハ!!」
突然、ギルド中に響き渡る大笑い。
また周囲の視線が集まる。
ジャックはマサムネの肩をばんばん叩いた。
「そうか! そうかそうか!」
「やはりそうだったか!」
「なんだ、急に」
「我が名はジャック!」
「ヘーベ様によりこの世界へ送られし男!」
「酒を広める使命を受けた者だ!」
その言葉に、今度はマサムネの方が目を見開いた。
「……ヘーベ?」
「おお!」
ジャックは得意げに胸を張る。
「酒と宴を愛する、麗しき女神!」
「君も知っているのだな!」
「知ってるも何も――」
マサムネは額を押さえた。
まさか、ここで同じ女神の名前が出るとは。
「……あの酔っ払い女神、本当に他にもやってやがったのか」
「酔っ払いとは失礼だぞ、新入り!」
「いや、酔ってただろ」
「あれは神々しい陶酔だ!」
「言い換えただけじゃねえか」
ジャックは何度も頷く。
「そうか……君もヘーベ案件か!」
「ヘーベ案件って言うな」
「では、酒の同志だな!」
「いや、まだそこまでは」
「遠慮するな!」
「してねえ!」
ジャックはぐい、とマサムネの肩を組んだ。
力が強い。
そしてやたら近い。
「聞け、新入り!」
「私はこの世界に来て三年!」
「ヘーベ様より仰せつかった使命はただ一つ!」
「この世界にバーボンの素晴らしさを広めることだ!」
「そんな使命だったのかよ……」
「そうだ!」
ジャックは胸をどんと叩く。
「この世界の酒も悪くない。葡萄酒も麦酒も果実酒もうまい」
「だが足りん!」
「蒸留酒への情熱が足りんのだ!」
周囲の冒険者たちが、また始まった、という顔をしている。
どうやら何度も聞かされているらしい。
ジャックは構わず続けた。
「そこで私は考えた!」
「美しい女性にまずバーボンを勧める!」
「女神の祝福たる琥珀の輝きを広める!」
「そして世界に酒文化を――」
「ナンパしたいだけだろ」
「文化普及だ!」
「ついでに口説いてるだけだ!」
「順番逆だろ」
マサムネの冷静な指摘にも、ジャックはまるで動じない。
むしろ誇らしげだった。
「とにかく!」
「同志と出会ったからには、祝杯を挙げねばならん!」
「だから朝だっての」
「問題ない!」
「問題しかねえよ」
「ならば昼にしよう!」
「勝手に時間ずらすな」
その時、ジャックの視線が、マサムネの腰の小瓶へと向いた。
「む?」
目ざとくそれを見つけ、指差す。
「君、それは何だ?」
「酒だよ」
「見ればわかる! 何の酒だ!」
「メウ酒だ」
「ほう?」
マサムネは少し迷ったが、諦めて答えた。
「……たぶん、梅酒みたいなもんだ」
その一言で、ジャックの目が見開かれる。
「ウメシュ!?」
「ああ」
「なんと……!」
ジャックは震える手で胸を押さえた。
「女神よ……!」
「新たなる酒が、この地に……!」
「大げさだな」
「大げさではない!」
ジャックは両手を天へ掲げた。
「酒とは歴史!」
「酒とは文化!」
「酒とは女神の愛そのもの!」
「お前ほんと暑苦しいな」
「褒め言葉として受け取ろう!」
まるで会話が噛み合っているようで噛み合っていない。
だが、不思議と不快ではなかった。
面倒な男なのは間違いない。
だが、酒への情熱だけは本物らしい。
ジャックは、にやりと口元を歪めた。
「よし。ますます祝杯が必要だな」
懐から小瓶を取り出し、マサムネへ差し出す。
琥珀色の酒が、朝の光を受けてゆらりと揺れた。
「今日は私の奢りだ!」
「いらねえよ」
「遠慮するな、同志!」
「同志でもなんでもねえし、朝から飲む気もねえ」
マサムネは低く言う。
「……それに、俺はあまり人前で飲まない」
ジャックが片眉を上げた。
「ほう? なぜだ」
「……体質だ」
「体質?」
「そういうことにしとけ」
ぶっきらぼうに言って、マサムネは視線を逸らした。
ジャックは数秒きょとんとしていたが、すぐに豪快に笑う。
「ハッハッハ!」
「ますます面白い!」
「体質だろうが何だろうが、酒を前にして飲まぬのはもったいない!」
「お前な……」
「一口でいい!」
「断る」
「香りだけでも!」
「断る」
「なら乾杯だけでも!」
「飲んでねえだろそれ」
押し問答がしばらく続く。
周囲の冒険者たちも、面白そうにこちらを見ていた。
このままでは、余計に目立つ。
マサムネは小さく舌打ちした。
「……ちっ」
こんなところで騒がれる方が面倒だ。
なら、少し飲んで終わらせた方が早いかもしれない。
「……一口だけだぞ」
「それでいい!」
ジャックは満面の笑みを浮かべた。
マサムネは小瓶を受け取る。
香りは悪くない。
むしろ、かなりいい。
癪だが、酒としては上等だった。
「……ったく」
ぼやきながら、口をつける。
琥珀色の液体が、喉を滑り落ちた。
その瞬間――
身体が熱を帯びた。
髪がふわりと揺れる。
輪郭が変わる。
視線の高さがわずかに変わる。
次の瞬間、そこに立っていたのは――
桜色の髪をした女剣士、サクラだった。
ギルド内が一斉にどよめく。
「おおっ!?」
「また変わった!?」
「やっぱり酒でか!」
「初めて見たぞ!」
ざわめく周囲。
そしてジャックは――
数秒その場で固まっていた。
目を見開き、口も半開きのまま、ぴたりと動かない。
「……は?」
珍しく、間の抜けた声が漏れる。
サクラは眉をひそめた。
「だから言っただろ。体質だって」
その言葉で、ようやくジャックは我に返った。
次の瞬間。
両手を天へ突き上げる。
「オォォォォォ!!」
「素晴らしい!!」
「何だそれは!!」
「酒で女剣士に変わるのか!?」
「初見かよ!」
「当然だ!!」
ジャックは興奮そのままに叫ぶ。
「ハッハー! おごった甲斐があるってもんだ!」
「そういう問題じゃねえ!」
「そんな面白い体質、聞いていないぞヘーベ様ァ!!」
「俺に言うな!!」
ジャックは感動した顔のまま、サクラの周囲をぐるぐる回り始めた。
「なるほど、なるほど……!」
「男の姿では渋く!」
「酒を飲めば桜の剣士に!」
「実にヘーベ様らしい!」
「まったく嬉しくねえ感想だな……」
サクラは額に手を当てる。
周囲の視線も痛い。
見世物になるのは、やはり落ち着かなかった。
するとジャックは、感極まったように腰のポーチへ手を突っ込んだ。
次々と、酒瓶が出てくる。
一本。二本。三本。
受付台近くのテーブルに、どんどん並べていく。
「よし!」
「サクラ!」
「飲め!」
「今日は私の奢りだ!」
「なんで増えた!?」
「もっと見せてくれ!」
「その変身!」
「酒との相性!」
「ヘーベ様の芸術を!」
「芸術扱いすんな!!」
サクラは本気で嫌そうな顔になる。
受付嬢が、遠い目で呟いた。
「……また変なのが増えた気がします」
「増えてねえ、巻き込まれただけだ」
サクラが即答する。
だが、その言葉を聞いたジャックは、にやりと笑った。
「いや、違うな」
「君はもう、立派に巻き込まれている」
「だから何だよ」
「つまり――」
ジャックは帽子のつばを上げ、白い歯を見せた。
「今日から君も、我が酒文化普及活動の協力者だ!」
「断る」
「返事が早い!」
「当たり前だ!」
その後もしばらく、ジャックはサクラの前に酒を並べ続けた。
バーボン。
果実酒。
香草酒。
名前も知らない蒸留酒。
どこからそんなに出てくるのか不思議なくらいだった。
「だから飲まねえって言ってるだろ」
「一杯だけ!」
「断る」
「なら香りだけでも!」
「断る」
「せめて感想を!」
「断る」
「厳しい!」
ギルドの冒険者たちは、もはや半分見世物としてそのやり取りを眺めていた。
中には笑いをこらえている者もいる。
サクラは深々とため息をついた。
「……なんでこんなことになる」
異世界に来て。
酒で女になって。
ギルドで働くことになって。
そして今、女神ヘーベが過去に送り込んだという面倒くさい男に絡まれている。
どう考えても、まともな人生ではない。
けれど――
「ハッハッハ! 実にいい朝だ!」
と心底楽しそうに笑うジャックを見ていると、
少しだけ可笑しくなってくる。
面倒だ。
うるさい。
暑苦しい。
だが、悪人ではない。
少なくとも、さっきの騒ぎで受付嬢を助けたのは本心だったのだろう。
「……なあ、ジャック」
「なんだ、サクラ!」
「その“酒文化普及活動”っての、ほんとにヘーベに頼まれたのか?」
ジャックは胸を張る。
「もちろんだ!」
「この世界にバーボンを広めてこい、とな!」
「本当にそんなこと言いそうだから困るんだよな、あいつ……」
サクラは小さくぼやいた。
ジャックは大きく頷く。
「素晴らしい女神だ!」
「雑な女神だろ」
「豪快と言え!」
「言い換えただけだろ」
また、くすくすと笑いが起こる。
ギルドの朝は、いつの間にかいつもの喧騒を取り戻していた。
依頼を探す者。
受付へ向かう者。
酒瓶を並べて熱弁する男。
それを冷めた目で見る桜髪の女剣士。
新しい縁が、そこで生まれていた。
酒とともに生き、
酒とともに騒動へ巻き込まれる日々。
どうやらこの異世界は、思った以上に騒がしいらしい。
サクラ――いや、マサムネは、心の底からそう思った。
(第7話へつづく)
酒で変わる体質と、酒を広める男。
どうやら面倒な縁ができてしまったようです。
次回も、騒がしい異世界酒場ライフは続きます。




