第90話 成就の刻
空気は未だ冷たく、冬の名残を感じさせる。
だが、その匂いは草花の、生命の美しさを宿す。
春の日差しに照らされて、体の奥からじんわりと熱が沸き立つのがわかる。
俺はいま、白色のローブに身を包んで直立していた。
傍らには、薄紫のドレスを纏ったシェリーが並ぶ。
今日、俺達は夫婦になる。
俺は目を伏せ、ここまでの道程を振り返った。
――――――
神域から帰還して以降、俺の姿はカモメに戻ることはなかった。
また、シェリーの黒髪からも魔力が失われた。
結局、カモメ姿も黒髪も、転生神が関与していたということか。
すべては俺達を結び付けるために。
でも、ここから先、喧嘩別れとかしたらどうするんだろう。
まあ、神と言えどもそこまでは面倒見きれないか。
それに、俺とシェリーならきっと大丈夫だろう。
カモメと少女の旅で育んだ、心の絆があるからな。
剣聖の庵は北の果て。
厳冬期には雪に阻まれ、外ではほとんど身動きは取れなくなる。
冬の間はシェリーの生家に篭もって過ごすことになった。
アレス、エリュナの二人に加えて育ての母アストリッドもいる。
俺とシェリーは家族との時間を噛みしめるように、ゆっくりとした毎日を過ごしていた。
だが、シェリーは18歳。
俺も20歳頃の体を取り戻した。
俺たち二人は、エルナヴへの買い出しを口実に、時折り出かけてはこっそり愛を育んでいた。
まあ、親どもにはバレバレだっただろうし、見て見ぬ振りをしてくれたのだろう。
春の訪れを待って、俺達は五人で交易船に乗り込み、南へと向かった。
目的地は、魔法都市アステロン。
俺とシェリーの結婚式を挙げるのだ。
冬のうちに手紙を出し、客人も招いた。
心の友、レフカンは、会うなり俺に抱きついてきた。
小柄な俺とは対照的に大柄なレフカン。
クマの様な大男の抱擁は力強く、温かいものだった。
だが……
「なあ、レフカン。
そろそろ放してくれないか?」
「何を言う。
お前がこうして体を取り戻したんだ。
こんなに嬉しいことはない」
そうだった。
あっちの男は距離が近い。
が、こういうのも悪くない。
シェリーの師、ゆるふわお母さんことマリアとも再会した。
「ふふっ。モーゼス君は、そんな見た目をしてたのですね。
カモメ姿しか見てませんでしたから見違えましたよ、お姉さんは☆」
自らを「お姉さん」と呼び、ウインクで締める。
相変わらずのマリア節だ。
アレスは気まずそうな顔をしていたが、知ったことではない。
そして、ティシアはというと……
「おめでとう、モーゼス。
神域ってどんなとこだったの?
転生神は――」
会うなりこれだった。
未知への興味が溢れ出てきて、とてもじゃないが、かつて愛し合った男女の会話とは思えない。
だが――これで良いのだろう。
俺にはシェリーが居る。
ティシアの心も解放された。
もはや、何の憂いもない。
――――――
ゆっくりと、瞼を上げた。
ティシアの邸宅の、手入れの行き届いた庭が目に映る。
目前に、大男がやって来た。
レフカンだ。
レフカンもまた白装束に身を包み、厳かな雰囲気を醸し出している。
立会人をかって出てくれたのだ。
家族と友人たちの見守る中、儀式は滞りなく進む。
そして、レフカンに促され、シェリーが右手を俺に差し出した。
その手を取り、銀の指輪を薬指に通してそっと押し込んだ。
続いてシェリーも俺の手を取り、指輪をはめてくる。
右手は誓いの手。
俺たち二人は、これから共に歩むことを互いに誓うのだ。
まあ今更な気もするが、こういうのは大事な事だ。
ふとシェリーに目をやると、ほのかに頬を赤らめて、瞳は潤んで見える。
シェリーの呪いを解き、互いの想いを確かめ合ったあの日から、もう二年は過ぎた。
思えば長い旅だった。
決して楽な道のりではなかった。
絶望したこともあった。
全てを乗り越えてここまで漕ぎ着けたんだ。
感極まるのも無理なからぬことだ。
気付けば式は終わりに近づいていた。
この後は祝福の言葉を受け取り、俺達は晴れて夫婦と認められる。
「転生神に愛されし二人よ。
カモメと少女はともに歩み、心を通わせてきた。
そして今、一組の男女としてともに歩む時が来たのだ。
二人の新たなる旅路に幸あらんことを」
これで終わりだ。
一礼し、シェリーとともに後ろへと身体を向けた。
皆が笑顔で、そして拍手をもって迎えてくれた。
その時、ふいに左手が握られた。
シェリーの、いや、妻の手だ。
柔らかく、か細く、繊細な手。
その手に触れているだけで、心は落ち着き愛情が沸き上がる。
俺は、幸せ者だ。
彼女はどうだろう。
いや、きっと彼女も同じ思いのはずだ。
俺が指を絡ませると、彼女もまた握り返してきた。
カモメと少女の旅は終わり。
ここからは、男女の旅の始まりだ。
――――――
これにて本編終了です。
このあとは、エピローグへと続きます。
これにて本編終了です。
残り三話、エピローグを予定しています。




