第89話 ただいま
俺たち二人は手を繋ぎ、転生神の掲げた両手の下へと歩みを進めた。
「モーゼス、そしてシェリサンドリカ。
お主らに我の祝福を授けよう」
転生神がそう言うや否や、俺達の体は光に包まれた。
身体の奥から広がるような、暖かな熱を感じる。
やがて光は収まり、俺は視界を取り戻した。
「さて、これで終わりじゃ。
しばらくすれば、お主らは元いた世界に戻る。
次に我らが会うのはどれだけ先になるか……。
それは分からんが、そう近くも遠くも無い未来になるじゃろう」
近くも遠くも無い未来—―
そもそも神域は時間の流れが違うって話だったが、
そんな世界の未来とは、一体何なんだ?
「これこれ。
そうやってすぐ問いを抱えるのはお主の悪いところじゃぞ、モーゼスよ。
そんなことより隣の伴侶に目を向けるのじゃ」
ん?
何言ってんだ、コイツ。
俺はいつでもシェリーを見てるじゃないか。
今だって――うおっ!?
シェリーが……髪色が、黒に戻ってる!?
いや、なんか違う。
以前はもっと漆黒って感じだったはずだ。
でも今はむしろ艶があって、輝いて見える。
これは!?
あっ。
目が合った。
素面のはずなのに、どこか丸みを帯びて見える。
気のせいか?
いつにも増して可愛い気がするんだが……。
「モーゼスよ。
そういうことは、口に出すものじゃ」
え!?
いや、その。
「まあよい。
お主らの望みは叶ったのじゃ。
元の世界で仲良く暮らすがよい」
……なんかコイツ、言うことがいちいち説教臭いんだよな。
近所のババアかよ、まったく。
「聞こえておるぞ」
わわ!
ウソです!
ごめんなさい、もうしません。
サイラ=コロニアさま、どうかご慈悲を!
って、何か視線を感じるような――
「モーゼス?」
「な、なんでしょう。
シェリーさん?」
「(あなた、今度は何やったのよ?)」
俺の袖を小さく引っ張り、シェリーが小声で問い詰めてくる。
「え? そんな。何も――」
「(ほら、私も一緒に謝ってあげるから)」
「フハハハハ。
苦しゅうない。
そなたの雑言もまた愉快な物じゃ」
……はぁ、よかった。
さすが神だけあって心が広い。
そう思った刹那、目の前の転生神—―未だ純白の髪を纏ったシェリーにしか見えないが――が口角を上げた。
「さて、我の役目はここまでじゃ。
名残惜しいが、いずれまた会える。
さらばじゃ」
そう言うや否や、転生神の全身から閃光がほとばしり、思わず目を瞑った。
少しして、瞼の向こうで光が収まってきたのが分かる。
恐る恐る眼を開けると、転生神の姿はそこにはなかった。
――――――
「ふふふ……」
「ははは……」
「やったわね、モーゼス」
「ああ」
「でも、偽物とは言え私に向かって何てことしてくれるのよ。
服を脱がすなんて、もう」
「いや、その……ごめん。
別に、狙ったわけじゃないんだ。
ただその、威力を押さえたらああなって――」
「まったく、しょうがないわね。このカモメさんは」
そう言ってシェリーは俺の頭を抱きしめてきた。
シェリーの中では、俺は未だにカモメなのだろうか?
不意にシェリーが顔を寄せ、軽く唇を当ててきた。
唇に残る柔らかな余韻の向こうでシェリーが笑顔を浮かべている。
「愛してるわ、モーゼス」
そう言うと、今度は頭に両腕が絡んできた。
同時に俺も、シェリーの背に両腕を回す。
俺達は全身を重ね、眼を閉じた。
そして、唇を重ねた。
――――――
いつまでそうしていただろう。
心地良さに身をまかせていると、ふいに浮遊感が襲ってきた。
この感覚は知っている。
ようやく、還る時が来たのだ。
意識が、薄れてゆく。
再び意識を取り戻したとき、俺の腕の中にはシェリーが居て――
そして口内には、ほのかな甘みを感じていた。
!!!
痛った! 頭叩かれた!
誰だ!?
眼を開け振り向くと、そこには薄笑いを浮かべたアレスが居た。
「いつまでやってんだよ、モーゼス。
俺の目の前で……いい度胸だ」
「アレス……」「おとうさん……」
俺達の口から、同時に声が漏れた。
目の前の男は間違いない。
アレスだ。
つまりここは元いた世界。
帰って来たか。
だがうっかりしていた。
まさか俺達のキスを見られるとは。
アレスからは微かに怒気を感じるし、どう言ってこの場を収めるか。
などと考えていると、不意に頭に腕が回り、横に引っ張られた。
シェリーが胸元に、抱え込んできたのだ。
「ダメよ。モーゼスのこと、いじめちゃ」
女神だ……。
いや、どことは言わないが、俺は女神に守られている。
同時にアレスの眉が力を失い、徐々に下方へと向かうのが見える。
その後ろには、二つの影。
エリュナと、母さんだ。
二人の笑顔が見える。
俺は――俺達は、帰ってきた。
人間として。
――――――
いま、俺達はソファに座り、暖炉の放つ温かさに身を任せていた。
シェリーと母二人は、さっきからずっと話に花を咲かせている。
片や、俺とアレス――男二人は話に聞き入り、
時折無言で頷いていた。
「へぇ。じゃあ、アンタら二人はずっと前から因縁を抱えてたのかい」
「でも、よかったわね。
モーゼスも人間に戻れて。
これで私もおばあちゃんになれるのかしら」
おばあちゃん……と言うことは、孫。
つまり、俺とシェリーの――
「もう! 何言ってるのよ」
シェリーの頬が、赤みを増してゆく。
端正な顔立ちは相変わらずだが、それでも端々が緩んで見える。
可愛い……。
見惚れていると、エリュナの声が室内に響き渡った。
「さあ、そろそろ話は終わりよ。
準備を始めましょうか。
今晩は、ご馳走よ!」
その掛け声と共に女どもは立ち上がり、台所へ向かった。
居間に残るは男二人。
「なぁ、モーゼス」
沈黙を破ったのは、アレスだった。
俺は目をやり、続きを促した。
「お前は、シェリーを。
シェリーを幸せに出来るのか?」
……今更かよ。
でもまあ、アレスの気持ちも分からんでもない。
だが、もちろん俺の答えは決まってる。
「ああ、任せてくれ」




