第84話 純白の少女
モーゼス……。
あなたはいつも、そればっかりね。
ふふっ。
でも、いいの。
それが私の愛した、あなただから。
今でも覚えてるわ。
あなたと初めて出会った時のこと。
抱きしめたと思ったら、あなたの心が私に流れ込んできたわ。
少女の少女は……なんて。
何考えてるのよ、もう。
次の日の朝、私の痣を見たいと言ったあなたを本気で軽蔑しかけたわ。
せっかく可愛いカモメさんと仲良くなれたと思ったのに、
そんなヒトだったなんて、って。
でも、そうじゃなかったのね。
あの時の慌てふためくあなたの姿、可愛かったわよ。
思えば私の秘密をあなたに曝け出したとき、
私はもう恋に落ちてたのかもしれないわね。
でも、あれから何年かして呪いを解いてもらった日。
あの日、私は自分の気持ちに気付いたの。
モーゼス。
人の姿を取り戻したあなたは、まさに理想の王子様だったわ。
霞みがかった金色で、耳まで覆った柔らかな髪。
蒼い瞳を携えた、優しさを隠しきれない目つき。
小ぶりのお鼻と唇が可愛くて、ちょっと女の子みたい。
あの日のあなたに会いたくて、でもカモメのあなたも愛らしくて。
もう、私の心はすっかりあなたに埋め尽くされてしまったの。
だってもう、五年も一緒に過ごしてきたのよ、私たち。
今でも唇が、思い出すの。
あなたの温もりと、匂い。
まだ足りない。
もっと、ずっと――
だから、お願い。
モーゼス、頑張って……。
頭をモーゼスに包まれて、彼の魔力が私の髪へと沁みてくるのを感じた。
その心地良さに身を任せていると、今度は彼との思い出が、私の心にどっと流れ込んできた。
彼への想いとともに胸へと意識を集中し、彼の体に魔力を注ぎ込む。
そして、気が付けば全身から力が抜け、空へと浮かび上がるような感覚に包まれ――私は意識を手放した。
――――――
「シェリー、それは……?」
俺の腕の中には、雪を纏った――いや、違う。
純白の糸を纏った少女がいた。
「え? なに?」
俺はシェリーを抱く腕をほどき、
肩に手を当て彼女をゆっくりと押し戻した。
シェリーも目を開け、何やら瞳を右へ左へとせわしなく動かしている。
そして、肩の後ろから髪の毛を掬うと目を丸くし、呟いた。
「うそ……?」
シェリーの象徴、全てを吸い込むかのような黒髪は、純白へと反転していた。
ついに世界を見守る女神へと昇華したのか。
そう思わせられるほどに、目の前の女性は神々しく、
まばゆい輝きを放っていた。
だが、しかし。
先ほどまで腕の中にいたのは間違いなくシェリー。
「いったい、なにが……?」
空いたまま、塞がらないまま俺の口から零れ落ちたのは、
思わず沸いた、困惑の声だった。
――――――
シェリーの黒髪は、神域から魔力を組み上げ現世からは魔力を吸い取る、謎の力を秘めていた。
それが今ここにあって、色を反転した。
その意味するところは……。
ふと、気付いた。
なぜここは、こんなに明るい?
さっきまで俺達は、雪壁に囲まれ極光に照らされていたはずだ。
だがそれらは姿を消し、彼方には草原が見える。
アレス、エリュナ、母さん。
誰も、いない。
俺とシェリー、二人、だけ。
ここは……神域、なのか?
エンシェルムで見つけた文献には、
神域は空蝉の世界だと書いてあった。
そしてティシアが導いた、ラプラス方程式との対比。
これはつまり、神域とは虚軸の世界を能わしているのでは。
それならシェリーの髪色の変化も納得がいく。
位相が、変わったのだ。
だがしかし、だとすると。
俺は、成功したのか。
神域からの声は、『道は扉の先に』。
つまり、俺は扉を開いたのだ。
「—―ゼス。ねぇ、モーゼス?」
シェリーの声が、聞こえる。
途端に、俺の意識は思考の宇宙から帰還した。
目前には、純白のシェリーが居る。
美しい……。
見惚れていると、シェリーは目線を横へ滑らし、呟いた。
「ここ、どこ?」
ちょこんと首を傾げる仕草がまた可愛らしく――って、そうじゃない。
「たぶん……神域だ」
そう言うと、即座にシェリーの目線が俺に向き、再び目が合った。
長い睫毛も純白へと変わったか。
蒼い瞳を彩って、その美しさを一層引き上げている。
「え……? どういうこと?」
シェリーの口から声が漏れた。
言葉とは裏腹に、困惑の色は伺えない。
彼女にも、察するものがあるのだろう。
俺は目線を上にやり、考えをまとめながら答えることにした。
「恐らく俺達は………転生神の世界に乗り込んでしまったか?
まさかこんなことになるとは……。
問題は、ここから――」
「ねえ、モーゼス」
シェリーの呼びかけに遮られて、目線を戻すとそこには――
俺を真っ直ぐ見つめる二つの青水晶があった。
青水晶は、微かに潤いを帯びている。
視界の端では、シェリーの唇がそわそわと動くのが見える。
可愛い……。
見つめていると、不意に瞼が閉じられた。
そうだな。
せっかく人の姿で二人きりになれたんだ。
俺も目を閉じ、唇を重ねた。




