第71話 ほどけた糸
シェリーとティシアは風呂に向かった。
以前の滞在でも度々一緒に入ってたし、
そう驚くこともない。
女同士で積もる話もあるのだろう。
そして、リビングに残った俺と母アストリッド。
俺達は今、ローテーブルを挟んで差し向かい、
ソファに座ってワインを嗜んでいた。
母の手にはワイングラス。
俺の目前には木製のマグカップ。
ワイングラスは高価だし、
俺が突いて割ったら勿体ないからな。
さて。
女どもの声も聞こえなくなったし良い頃合いだ。
聞いてみるか。
「なあ、母さん。
ちょっと聞きたいんだが」
「何だい?」
「ティシアのこと、良いのか?」
俺の問いに母は小さく頷くと、
少しばかり考え込む仕草を見せた。
「……そうさね。
良いも悪いもない、というのが答えだよ」
一寸してから母の口から出た言葉は、
何とも煮え切らないものだった。
「うーむ。
もう少し詳しく教えてくれないか」
すると母は小さく息を吸い、一段低い声で語り始めた。
「そりゃあ、私の気持ちだけで言えばね。
まだ引っかかってるものもあるさ。
でも、アンタはこうやって会いに来るくらいだ。
もう何も気にしてないんだろう?」
「そうだな。
実際、前回会うまでは、
俺も色々思うところがあった。
だから、避けてたんだ」
エンシェルムで転生法を学び、
夜な夜なレフカンとバカ騒ぎをしていた頃。
あの頃は、ティシアのことを考えないために必死だった。
カモメになってからは吹っ切れたのかもしないが、
それでもまた会いたいとは思えなかった。
「でも、シェリーと出会って、
人に戻りたいと思ったから。
でもそれには誰かの助けが必要で。
思いついたのがティシアだったんだ」
あの頃の俺は、何を考えてたのだろう。
シェリーの気持ちに応えたい一心で……。
違うな。
あの頃にはもう、俺の心はシェリーだけを見ていた。
だからか。
「それで実際会ってみて、
過去の話もして。
もう今更引っかかるものはないな」
そう言い切ると、母が目を伏せた。
その眼が再び開かれ、今度は俺を真っ直ぐ見つめてくる。
そして、母の口が開かれた。
「だろう?
それならここで私が不満な顔をして、
場の空気を乱しても仕様がないだろう。
それに長い人生、
アンタらみたいなすれ違いだってあるさ。
私らは完璧じゃないんだ」
母の顔には微笑が浮かんでいる。
その眼差しからは、心の棘は感じられない。
もちろん、ウニの棘もだ。
「そう言ってくれると、助かるよ」
俺の言葉に、母はニカっと笑って応えた。
「それに、逆転生のことでも彼女がきっと助けになる。
そう思ってきたんだろう?」
逆転生、そうだな。
ティシアはああ見えて理論派だ。
実際、神界の構造についても仮説を立ててるみたいだし。
頼りになるのは間違いない。
「ああ。俺はそう思ってる」
俺はコクコクと首を振り、答えた。
「それは、アンタが一人の男としてそう判断したってことだ。
これまた私が文句を言っても仕様がないだろう?」
真剣な眼差しだ。
もっとも、俺はと言えば……。
「まだ鳥だけどな。
でも、なるほど。
感情と理解は別物ってわけか」
俺の軽口に、母は鼻で嗤ってみせた。
そして目線を外し、静かに呟いた。
「そこまで割り切れてるわけでもないさ。
混ざりあってる、というのが正しいかもね」
「ふーん。
そういうもんか。
複雑だよな、人の心ってやつは」
「はっはっ。
アンタにもそのうち理解できる日が来るさ」
「だと良いんだが……」
その後も俺は母と二人、他愛もない話を続けていた。
どれくらいの時間、話していただろう。
やがて、風呂場の方から声が二つ聞こえてきた。
シェリーとティシア。
ようやく上がったか。
――――――
居間の扉が開き、ティシアが入って来た。
その後ろには、シェリーの姿が見える。
「上がったわよ。お待たせ」
そう言ったティシアに目をやると、細身でも曲線美の目立つ姿にしっとりと濡れた青銀色の髪が相まって、奥ゆかしさと艶めかしさを醸し出している。
……。
いや、俺の心はシェリーと共に在る。
シェリーだ、シェリー。
シェリーは……。
重力を感じさせない凛とした佇まい。
水気を帯びた黒髪が、光を反射し艶を際立たせる。
最近特に大人びてきた顔は、ほのかに赤みを帯びて爽やかな色気を放っている。
うん。
こっちだ、こっち。
やっぱシェリーだよな。
あ痛!
羽引っ張られた!
ティシアか?
「モーゼス。
貴方って、ほんと懲りないわよね」
え?
また心の声、バレてる?
なんで?
「……まあいいわ。
シェリーちゃんに免じて許してあげる」
むう。
見逃してやる、ということか。
とは言え気まずいな。
ここは一旦姿を消して、誤魔化すか。
「よし。
それじゃあ俺も、ちょっと水浴びして来るぜ」
そう言うと、俺はソファから飛び降りトトトと歩いて風呂場へ向かった。
「あ、ちょっと。
モーゼス?
待ちなさい。
貴方が居ないと場が持たない――」
ティシアの声が聞こえたが、気のせいだ。
俺には何も聞こえない。
叡者の魔法障壁、恐れ入ったか。
――――――
かくして居間には三人の女性たちが残された。
ティシアにアストリッド、そしてシェリー。
三人とも、どこか気まずそうな表情を浮かべている。
静寂を打ち破ったのは、アストリッドだった。
「ティシアちゃん。
そう畏まらないでおくれ。
ルカのこともあったけど、
過ぎた話だ。
今はこうしてモーゼスとシェリーに力を貸してくれる。
それが全てだと、私は思っておるよ」
アストリッドがそう言った瞬間、
ティシアの両目が大きく開かれた。
そして、続いて口から出た言葉は弱々しいものだった。
「アストリッド様……。
ありがとう、ございます」
その時、ティシアの肩にそっと手が置かれた。
アストリッドだ。
彼女は小さく首を横に振り、
目尻を下げてティシアを見つめている。
場が和んだところに、シェリーが鼻息を荒らげ声を上げた。
「それにしても、相変わらずモーゼスは無責任ですよね。
お母さんとティシアさんのこと放り出して、
一人で姿を消して。
初めてティシアさんに会ったときもそうでしたよね
今度こそとっちめてやらないと」
「ふふっ。そうね」
そう言ったティシアの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「まあいいさ。
あのバカのことは放っておいて、
私らは私らで楽しくやろうじゃないか。
今更だが、よろしくね、ティシアちゃん」
「はい、こちらこそ。
アストリッド様」
――――――
風呂場で散々水浴びをして、すっきりした気分で居間に向かうと、
扉の向こうからティシアと母の話し声が聞こえた。
「—―『扉』がシェリーちゃんの黒髪だって仮説、
一理ある話だと私は思います」
「そうさね。
ただ、色々試したけど全く魔力が通る気配もなく、
どうにも決め手に欠けるのも事実かね」
この二人、いずれも名だたる賢人だけに、
ウマが合うのかわだかまりは感じられない。
この様子ならこっそり会話に混じっても違和感はないだろう。
風魔法でそろりとドアを押し、居間に滑り込むと俺も会話に加わった。
「だから、ティシアのところで精密計測を頼もうと思ってな。
頼りにしてるぜ、ティシア」
その途端、女どもの顔が一斉に俺へと向けられた。
ティシアと母さん、それにシェリーも居るな。
シェリーはきっと、隣でずっと頷いていたのだろう。
って、あれ?
なんかみんなの顔が険しいような。
……。
逃げるか。
上体はそのままに後ろへ歩き、扉を抜けると全力で廊下を駆けた。
後ろで扉がバンと開き、ティシアが鬼の形相でこちらに向かってくる。
まずい……飛ぶか。
翼を広げたその時、後ろで声がした。
「水噴!」
「ぶっ!
グェェ……」
――――――
かくして鬼に捕まった俺は、
女どもに囲まれて説教の雨あられを浴びることになった。
シェリーまで……なんで?
いや、それより、足が……。
もう、限界です。
そろそろ、ゆるして?




