第60話 少女はお年頃
カモメが朝帰りした日の翌朝。
カモメ一行はレフカンの住居を訪れていた。
カモメは少女の肩に乗り、傍らには老婆が並ぶ。
少女が扉をノックすると、扉の向こうから男の声がする。
「あいよー」
少し遅れて鍵が開き扉が開かれる。
扉の隙間から現れたのは、銀髪の大男。
レフカンだ。
「よう、レフカン」
「おう、モーゼス」
レフカンは少女に目をやり、次いで隣の老婆に目を向ける。
「これは、貴女がかの叡者サメロス様でしょうか。
私はレフカン・ボロ―シェフ。
律法府の慧導を勤めております」
レフカンは恭しい態度で頭を下げる。
ここエンシェルムの知の象徴は、律法府と呼ばれる。
アステロン魔法大学、ノエリア学術院と並び立つ存在だ。
そして、慧導の称号は、彼が導く立場に居ることを示す。
「アストリッドだ。
サメロスの名は置いてきた。
今のあたしは唯の叡者だよ」
そう言ってアストリッドは右手を差し出す。
レフカンもまた右手を差し出し、二人は握手する。
二人を横目に見つつ、シェリーが小声でモーゼスに尋ねる。
「慧導って何?」
「賢者みたいなもんさ。
ここは他とは体系が違うから、呼び方もまた変わる。
ただそれだけのことだ」
カモメの解説にレフカンも相槌を打ち、同意を示す。
「そういうこった」
――――――
レフカンを先頭に、少女と老婆が続く。
十分ほど歩くと厳かな建物が見えてきた。
その姿は、造形だけでなく金の縁取りなど、ここエンシェルムにあって一際煌びやかに見える。
エンシェルム律法府だ。
律法府は、アステロン魔法大学、ノエリア学術院と並ぶ、エンシェルムの知の象徴。
他との違いは、「慧眼」に代表される、「観る」力に重きを置いていることだ。
精巧な彫刻が施された門柱が聳え立つ、律法府の正門。
レフカンは右手を軽く上げ、門番へと合図を送る。
「これはレフカン様。
おはようございます。」
「おお、おはよう。
後ろの二人は俺の客人だ。
いいな?」
「承知しました。
レフカン様、そして後ろのご婦人方もお通り下さい」
門番はそう言うと、門脇に下がって慇懃に礼をする。
その横を、レフカン率いる一行は通り抜け、敷地の奥へと歩みを進めた。
「ここだ」
レフカンは一つの建物の前で立ち止まり、そう告げた。
建物の、入口横の看板には『図書館』の文字がある。
レフカンが入口の扉を開け、一行は中へと進んだ。
「これは、レフカン様。
おはようございます」
爽やかな声が入り口周囲に響き渡る。
入口の傍らに置かれたカウンター。
声の主は、その奥に立つ白髪の男。
司書だ。
「おお、おはよう。
早速だが、今日は禁書室に入りたいんだ。
客人もつれて、な。」
レフカンは片手を上げ、幾分控えめな声量で司書へと告げる。
「お客人、ですか」
「おお、この方はノエリアの叡者アストリッド・トレイン様だ」
そう言ってレフカンは振り返り、アストリッドに手を向ける。
「アストリッドだよ」
名乗りとともにアストリッドは首元に手を運ぶ。
首から下げた叡者の証をつまみ、司書へと向けた。
「そしてもう一人、そこのカモメ。
叡者モーゼスだ」
レフカンの指先は、シェリーの左肩に座るカモメへと向かう。
「カモメ……ですか?」
眉間を寄せて困惑の表情を浮かべる司書。
そのとき、おもむろにカモメが言葉を発した。
「ああ。カモメ姿だが、れっきとした叡者だ」
そう言うと、カモメは胸元の証を咥えて司書の前にかざしてみせる。
司書はカモメを指さし、その口元からは力が抜ける。
そして、小さく呟いた。
「……カモメが、喋った」
カモメを除く三人は、互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
――――――
レフカンが禁書庫の鍵を開け、扉を開く。
先にと促されてアストリッドは中へと進む。
その胸にはカモメが抱かれている。
アストリッドに続いてレフカンが入室し、扉は再び閉じられた。
シェリーはここにはいない。
叡者でも、賢者でもないシェリーの入室は認められなかったからだ。
禁書室の中央には通路、両側には書棚が立ち並ぶ。
奥行きを持った空間だった。
通路の中ほどを少し過ぎた頃、レフカンが立ち止まって振り返る。
老婆とカモメの姿を認めると、手を上げ書棚へと向けた。
「転生法がらみなら、この辺りの書棚だな。
まあ、モーゼスなら知ってるとは思うが」
「そうだな。どこかに見落としが無いか。
俺の記憶も曖昧だしな」
カモメは老婆の胸から飛び降りると、トトトと歩いて立ち止まり、首を回す。
「まずは、あれにするか」
カモメの見つめる先には一冊の本。
その本の背に緑の光点が現れる。
カモメの新魔法、光点だ。
「おお、モーゼス。
魔法か。面白いな。
しかも便利そうだ。
今度教えてくれよ、っと」
レフカンが本を抜き取ると、続いてカモメは他の本に光点を当てる。
傍らでは、アストリッドもまた食い入るような眼差しで本の背を睨む。
叡者たちの静かなる戦いが、ここ禁書庫にて始まった。
――――――
そのころ、シェリーもまた図書館の中にいた。
一般図書の、書棚の間をゆっくりと練り歩く。
時折り頭を振り、蔵書の背へと目を向ける。
鴎との別れを機に、肩口で切り揃えられた黒髪。
あれから二ヶ月近く経ち、ふたたび肩へとかかり始めた。
頭を振るたび、黒髪が揺れる。
「う~ん……。
どれも難しそうな本ばっかりね。
民族伝承とかは無いのかしら」
シェリーは顔を上げ、書棚の間の通路に向かう。
通路に出ると、目を細めて書棚の分類標識を見渡しはじめた。
そして、一つの標識に目が留まる。
「……あっ、あれは。恋愛?」
シェリーは、どこかバツの悪そうな顔を浮かべると、
左右に目を振り周囲の様子を伺った。
周囲には誰もいない。
「ちょっとくらい、いいわよね?」
そう口にして、シェリーはそろりと足を進めた。
向かう先には、「恋愛」の標識がある。
書棚の前に辿り着くと、シェリーの表情は一変した。
眼は開き、瞳の奥は爛々と輝き始める。
本の背を覗くたびに、微かなため息が漏れ、その頬はほのかな赤みを帯びてゆく。
「あっ、この本……素適ね」
そう呟くと、シェリーは手を伸ばし、一冊の本を書棚から抜き出した。
本の名は『運命と赤い糸』。
シェリーはその場で本を開き、パラパラと頁をめくり始めた。
そして、ある頁で手を止め、声を漏らす。
「これって、私の呪いの……」
シェリーの目線のその先には、『幻戯獣ミルコロン』の文字があった。




