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第7話 二十年前

 目の前で、真琴が笑っている。


 黒い額縁に囲われた彼女は、昨日会ったばかりの優しい笑顔を浮かべていて──それはやっぱり、勝ち気な男の子っぽい、やんちゃなもので。


 そんな彼女の前で、俺は正座し、両手を合わせていた。



(真琴……。俺、こんな再会だなんて思ってなかったぞ)



 嘘だろ。

 嘘だって、言ってくれよ。



 それでも、笑ったままの変わらない真琴の表情が、彼女だけあの過去で時が止まっていたことを俺に知らしめた。



 二十年前。

 昨日、俺が見たばかりの、あの笑顔で。



■□■□■□■□■□■□


第7話 二十年前


■□■□■□■□■□■□



「……どうぞ」


「あ、ありがとう」


 真琴の弟の涼くんが、慣れていなさそうな手つきでお茶を持ってきてくれた。丸いちゃぶ台に、並べてくれる。


 座敷で真琴の遺影と向き合っていた俺は、そちらに身を向けると、座った彼に頭を下げた。


「突然お邪魔して、すみませんでした」


「大丈夫ですよ。今日はたまたま、仕事休みだったんで」


 近くのレストランで働いているという涼くんは、小さく笑う。


 電話で、家に行ってもいいかと突然言い出した俺を、彼は優しく迎え入れてくれた。


 彼から聞いた住所へ向かえば、そこには少しだけくたびれた一軒家があった。涼くんはここに、現在一人で住んでいるという。


 彼はまだ戸惑っている俺に、真琴の最期について教えてくれた。


「ひき逃げだったんです。冬休みのあの日、姉はいつものようにおつかいに行っていて、その帰りに車に……。脇見運転だったそうです。犯人はすぐに、捕まりました」


 それは悲しすぎる、現実だった。


(俺と会ったその年の冬に、真琴は……)


 ……そうか。

 だから、俺は真琴を知らなかったんだ。


 大体、真琴が大人の俺と会っていたのなら、過去の俺にも接触しようとするもんじゃないのか?


 俺が今、真琴と会おうとしたように。


 でも、それがなかったということは……できなかった、ということは。


 腑に落ちる。


 けれど、納得できるものでもなかった。


「…………」


 押し黙ってしまう俺。


 そんなこちらにつき合うかのように、涼くんは黙ってただお茶を飲んでいた。


 しばしの沈黙のあと、俺は気になっていたことを聞いた。


「……母親は」


「え?」


「親御さんは、どうしたんです? 真琴は確か、母と弟がいると……」


「ああ。母も亡くなりましたよ。二年前ですが」


「!」


 家族をすべて失った彼は、虚空を見上げ、つぶやく。


「癌で、気づいたときには末期で手遅れでした。若いので進行も早かった」


「そう……ですか」


 なんと言って良いのかわからず、俺もお茶をすすった。


 天涯孤独となったのだ。この、目の前にいる若者は。


 涼くんはちゃぶ台の上で両手を組み、ひとり言のように言った。


「……自業自得だ」


「…………」


 真琴に、あれだけの傷と痕を負わせた母親。


 そんな母親と、真琴の死後二人きりだった彼が、どんな生活を続けていたのか。


 予想できるであろうそれを、俺はあえて途中でやめた。


 終わったことだ──何もかも。


 俺は彼のつぶやきに気づかなかったふりをして、また額縁におさまる真琴を見た。


 夢みたいだ。


 タイムスリップしたことも、お前がもう──いないことも。


「あの、百瀬さん」


 涼くんに呼ばれ、またそちらを向く。

 彼はおもむろに、床に置いていた冊子をちゃぶ台に乗せた。


 お茶とともに持ってきていたそれには『卒業アルバム』と書かれている。


「姉の卒業アルバムです」


「!」


「ここ、読んでみてください。面白いことが書いてあるんですよ」


「え?」


 彼に促されるまま、めくられたページに目を通す。

 そこには、真琴が書いた作文が掲載されていた。


 亡くなる前に書かれたのであろうその作文のタイトルは『私の未来』。


 俺は幼い真琴の文字を、食い入るように見つめた。





────────────


[ 私の未来 ]


 六年二組 塩崎 真琴



 私はもうすぐ小学校を卒業して、中学生になります。そのことが、とてもうれしいです。

 中学生の次は高校生。高校生の次は大学生。そんなふうに大人に近づいていくことが、私は楽しみなのです。


 なぜなら私は、知っているからです。

 遠くない未来、日本には世界で通用するスポーツ選手が、続々出てきます。世界に羽ばたいて、その中には女性もたくさんいて、私たちに勇気を与えてくれます。

 東京タワーより大きい建物も、増えます。

 宇宙にだって、どんどん行きます。

 不治の病だって、どんどん減ります。

 世界中とすぐにつながることができて、きっと一人で何かに悩んでいる人も、同じような境遇の人と出会って、一人じゃないよって、言えるんです。


 そんな未来が来ることを、私は知っています。

 そんな、明るい未来を、私は楽しみにしています。

 早く大人になって、私は、大好きな弟と、宇宙旅行へ行きたいです。



 おわり



────────────






「…………」


「不思議ですよね。まるで、本当に未来のことを知っていたみたいで」


「……ええ。……ええ、本当に」



 俺は、塩崎家をあとにした。

 涼くんと会うことも、今後きっともうないだろう。


 そうして俺は、何食わぬ顔をして会社へ戻り、通常への日常へとけこむのだ。


 変わらない一日。


 真琴がいない、未来という今日。


 予定通りに飲み会は行われ、俺はまたそれに参加をする。


 ボーッとしていた俺は結局、あんなに避けようと心に固く誓っていた上司の近くの席に、また腰を下ろしていた。


 本当に俺はバカか。



「もう平成も終わりかー、早いなぁ。なっ、へいせい君」


「ひらなり、です」


 変わらない上司との会話。


 そう。


 この後に、彼が「平成は暗かった」と嘆くことを、俺は知っている。


「次は、明るい時代がいいよなぁ」


「……平成は、明るくなかったですか?」


「あ? そりゃそうだろ。消費税導入に凶悪少年犯罪! 地下鉄サリン事件にいじめ問題だろー? 暗いことばっかりだったよなぁ」


 そう。暗い事件も多かった。


 目をつむりたくなるような、惨事も、天災も。




 でも。


 それだけだったか?


「最近では虐待なんかも多くなってさぁ〜」


 本当に多くなったのか?


 隠れていただけじゃないのか?


 ましてや、されている本人さえ気づかなかった──あの頃は。


 でも、長い年月をかけて、やっと世間にもその問題に気づいてもらえるようになったんだ。


 平成という時代で、やっと。

 少しずつ少しずつ、変化をして。


「近頃の若者は子どもも持ちたくないって言うし、愛情を知らないのかね?」


「…………」


「それどころか、結婚も恋愛も嫌なんだっけ。寂しいよなぁ」


「…………よ」


「今後を生きる若者たちは、大変だよなぁ。可哀想に」


「…………ぇよ」


「ん?」

 

「何も知らずに、勝手に決めつけてんじゃねーよ!!」


 よせばいいのに──ああ。

 気づけば俺は、そう叫んでいた。






◇ つづく ◇

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