第7話 二十年前
目の前で、真琴が笑っている。
黒い額縁に囲われた彼女は、昨日会ったばかりの優しい笑顔を浮かべていて──それはやっぱり、勝ち気な男の子っぽい、やんちゃなもので。
そんな彼女の前で、俺は正座し、両手を合わせていた。
(真琴……。俺、こんな再会だなんて思ってなかったぞ)
嘘だろ。
嘘だって、言ってくれよ。
それでも、笑ったままの変わらない真琴の表情が、彼女だけあの過去で時が止まっていたことを俺に知らしめた。
二十年前。
昨日、俺が見たばかりの、あの笑顔で。
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第7話 二十年前
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「……どうぞ」
「あ、ありがとう」
真琴の弟の涼くんが、慣れていなさそうな手つきでお茶を持ってきてくれた。丸いちゃぶ台に、並べてくれる。
座敷で真琴の遺影と向き合っていた俺は、そちらに身を向けると、座った彼に頭を下げた。
「突然お邪魔して、すみませんでした」
「大丈夫ですよ。今日はたまたま、仕事休みだったんで」
近くのレストランで働いているという涼くんは、小さく笑う。
電話で、家に行ってもいいかと突然言い出した俺を、彼は優しく迎え入れてくれた。
彼から聞いた住所へ向かえば、そこには少しだけくたびれた一軒家があった。涼くんはここに、現在一人で住んでいるという。
彼はまだ戸惑っている俺に、真琴の最期について教えてくれた。
「ひき逃げだったんです。冬休みのあの日、姉はいつものようにおつかいに行っていて、その帰りに車に……。脇見運転だったそうです。犯人はすぐに、捕まりました」
それは悲しすぎる、現実だった。
(俺と会ったその年の冬に、真琴は……)
……そうか。
だから、俺は真琴を知らなかったんだ。
大体、真琴が大人の俺と会っていたのなら、過去の俺にも接触しようとするもんじゃないのか?
俺が今、真琴と会おうとしたように。
でも、それがなかったということは……できなかった、ということは。
腑に落ちる。
けれど、納得できるものでもなかった。
「…………」
押し黙ってしまう俺。
そんなこちらにつき合うかのように、涼くんは黙ってただお茶を飲んでいた。
しばしの沈黙のあと、俺は気になっていたことを聞いた。
「……母親は」
「え?」
「親御さんは、どうしたんです? 真琴は確か、母と弟がいると……」
「ああ。母も亡くなりましたよ。二年前ですが」
「!」
家族をすべて失った彼は、虚空を見上げ、つぶやく。
「癌で、気づいたときには末期で手遅れでした。若いので進行も早かった」
「そう……ですか」
なんと言って良いのかわからず、俺もお茶をすすった。
天涯孤独となったのだ。この、目の前にいる若者は。
涼くんはちゃぶ台の上で両手を組み、ひとり言のように言った。
「……自業自得だ」
「…………」
真琴に、あれだけの傷と痕を負わせた母親。
そんな母親と、真琴の死後二人きりだった彼が、どんな生活を続けていたのか。
予想できるであろうそれを、俺はあえて途中でやめた。
終わったことだ──何もかも。
俺は彼のつぶやきに気づかなかったふりをして、また額縁におさまる真琴を見た。
夢みたいだ。
タイムスリップしたことも、お前がもう──いないことも。
「あの、百瀬さん」
涼くんに呼ばれ、またそちらを向く。
彼はおもむろに、床に置いていた冊子をちゃぶ台に乗せた。
お茶とともに持ってきていたそれには『卒業アルバム』と書かれている。
「姉の卒業アルバムです」
「!」
「ここ、読んでみてください。面白いことが書いてあるんですよ」
「え?」
彼に促されるまま、めくられたページに目を通す。
そこには、真琴が書いた作文が掲載されていた。
亡くなる前に書かれたのであろうその作文のタイトルは『私の未来』。
俺は幼い真琴の文字を、食い入るように見つめた。
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[ 私の未来 ]
六年二組 塩崎 真琴
私はもうすぐ小学校を卒業して、中学生になります。そのことが、とてもうれしいです。
中学生の次は高校生。高校生の次は大学生。そんなふうに大人に近づいていくことが、私は楽しみなのです。
なぜなら私は、知っているからです。
遠くない未来、日本には世界で通用するスポーツ選手が、続々出てきます。世界に羽ばたいて、その中には女性もたくさんいて、私たちに勇気を与えてくれます。
東京タワーより大きい建物も、増えます。
宇宙にだって、どんどん行きます。
不治の病だって、どんどん減ります。
世界中とすぐにつながることができて、きっと一人で何かに悩んでいる人も、同じような境遇の人と出会って、一人じゃないよって、言えるんです。
そんな未来が来ることを、私は知っています。
そんな、明るい未来を、私は楽しみにしています。
早く大人になって、私は、大好きな弟と、宇宙旅行へ行きたいです。
おわり
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「…………」
「不思議ですよね。まるで、本当に未来のことを知っていたみたいで」
「……ええ。……ええ、本当に」
俺は、塩崎家をあとにした。
涼くんと会うことも、今後きっともうないだろう。
そうして俺は、何食わぬ顔をして会社へ戻り、通常への日常へとけこむのだ。
変わらない一日。
真琴がいない、未来という今日。
予定通りに飲み会は行われ、俺はまたそれに参加をする。
ボーッとしていた俺は結局、あんなに避けようと心に固く誓っていた上司の近くの席に、また腰を下ろしていた。
本当に俺はバカか。
「もう平成も終わりかー、早いなぁ。なっ、へいせい君」
「ひらなり、です」
変わらない上司との会話。
そう。
この後に、彼が「平成は暗かった」と嘆くことを、俺は知っている。
「次は、明るい時代がいいよなぁ」
「……平成は、明るくなかったですか?」
「あ? そりゃそうだろ。消費税導入に凶悪少年犯罪! 地下鉄サリン事件にいじめ問題だろー? 暗いことばっかりだったよなぁ」
そう。暗い事件も多かった。
目をつむりたくなるような、惨事も、天災も。
でも。
それだけだったか?
「最近では虐待なんかも多くなってさぁ〜」
本当に多くなったのか?
隠れていただけじゃないのか?
ましてや、されている本人さえ気づかなかった──あの頃は。
でも、長い年月をかけて、やっと世間にもその問題に気づいてもらえるようになったんだ。
平成という時代で、やっと。
少しずつ少しずつ、変化をして。
「近頃の若者は子どもも持ちたくないって言うし、愛情を知らないのかね?」
「…………」
「それどころか、結婚も恋愛も嫌なんだっけ。寂しいよなぁ」
「…………よ」
「今後を生きる若者たちは、大変だよなぁ。可哀想に」
「…………ぇよ」
「ん?」
「何も知らずに、勝手に決めつけてんじゃねーよ!!」
よせばいいのに──ああ。
気づけば俺は、そう叫んでいた。
◇ つづく ◇




