第5話 真琴
真琴は俺の腕を振り払うと、背を向けた。
「いじめ……か?」
「違うよ!」
「違わなくないだろ! それ、誰にやられた?」
「……母さん」
「なっ……! 何が理由でそうなるんだよ?」
「いろいろだよ。テストで悪い点取ったり、弟の面倒を見ずに遊んでると、こうなるんだ」
何だよそれ?
そんなの理由になってない!
「立派な虐待じゃないか!」
「虐待だなんて、大げさだよ」
「……!!」
「仕方ないんだ。父さんが死んで……母さんだけだし。手伝わなきゃいけないのに、遊んでたりしたから」
違う。
違うよ真琴。
俺は真琴の腕を掴むと、ベンチから立ち上がった。
つられて真琴も立ち上がってしまう。
「え? お兄さん、どこ行くの?」
「……」
「ちょ、ちょっと!?」
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第5話 真琴
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俺は手のひらが痛くなるくらいに、右手を冷たいデスクに叩きつけた。
「なんで取り合ってくれないんですか!」
「だから、民事不介入。わかる? お家のことはこっちだって立ち入れないのよ」
むかつくことに目の前の警察官は、ため息を吐いてそう言ってくれた。
嫌がる真琴を交番にまで連れてきて訴えたのに、警察官はまともに取り合ってはくれなかった。
「だいたいねぇ、家庭のケンカまで警察沙汰にされちゃあ、困るんだよ。しつけの一環でしょうに」
「しつけでこんな怪我、させますか!?」
「や、やめてよ、お兄さん!」
真琴の腕を見せようとしたが、彼自身に制されてできなかった。
目の前の警察官は、のんきに茶なんかすすってやがる。
「怪我くらいするでしょう。僕だって昔は親父にゲンコツの一発や二発食らって、たんこぶ作ってましたよ」
「それとこれとは……!」
「なぁ坊主。きみは虐待されたって、思ってるのかい?」
「……思ってないよ」
「!」
「ほらごらん。本人も思ってないことを、他人のあんたが勝手に騒ぎ立てているだけでしょう。さぁ、もう帰りなさい。迷惑だ」
(そんな……!)
しつけなんかで、煙草を押しつけるか?
あんなに酷い痕を、子どもに残すか?
真琴の痕をこのボンクラ刑事に見せてやりたかったが、本人が嫌がるのでそれもできない。
なぜ真琴が見せたくないのか。
それはもちろん、人に見せたくないというプライドや羞恥心があるからだろうが……でもきっと、それだけじゃない。
わかっているからだ。
この世界では、これが警察に取り合ってもらえることではないと、わかっているから。
「…………」
本当に異世界にいるような気分になり、俺は愕然とした。
・ ・ ・
結局、俺の身元まで疑い始めた警察官から逃げるように、俺たちは交番を後にした。
夜道を真琴と歩き、またあの公園へ向かっている。
真琴は何も話さなかった。
俺も、何も話せなかった。
しかし、あと少しで公園というところで、真琴が立ち止まったので振り返る。
「真琴?」
「……お兄さんみたいな大人は、初めてだったよ」
少し離れた位置で、真琴はつぶやいた。
「これがしつけじゃないって。虐待だって」
「あ……当たり前だろ! これが未来だったらな、問題視されてるんだぞ」
「……そうなんだ」
そうだ──そうなんだよ。
やっとだけど。
やっと最近、声が上がってきたところだけど。
着実に、確実に──世論は動いている。
……未来では。
「そっか。なら……未来は明るいね」
「!」
「じゃあ、帰るよ。あ、これ渡しておくね」
真琴は、一枚の紙切れを渡してくれた。
「なんだこれ?」
「うちの電話番号。何かあったら、電話してよ。公衆電話代くらいはあるんでしょ?」
「はは……家の電話番号、か」
今……いや、未来だとほとんど使われなくなった固定電話。
それが何だか懐かしくて笑ったら、真琴は怪訝な顔をした。
「何で笑うの?」
「いや……何でもない」
そこで俺と真琴は別れ、再び俺は一人になった。
もう、すっかり夜だ。
俺は、勝手に寝床と決めた象のすべり台下に入り、尻を地面につけた。
風もここでなら、防ぐことができる。
一晩くらいなら大丈夫だろう。
風邪はひくかもしれないが。
「……はぁ」
まったく、何て一日だよ。
タイムスリップなんてものが、自分に降りかかってくるなんて、思ってもみなかった。
(ただ酔って、気絶しただけなのに……)
目を閉じる。
タイムスリップしたときのことを、思い出そうとした。
門から落ちて、体を強打して──気絶した。
(ん……?)
気絶するまでの間。
俺は何か、声を聞いていなかったか?
うっすら、記憶の向こうから聞こえたあれは、何だった──?
「…………」
(駄目だ、集中できない)
目を閉じていると、どうしてもいろいろなことがごちゃ混ぜになって、浮かんでくる。
さっきの真琴のことだとか。
タイムスリップしてしまった非現実さとか。
真琴の痣や痕のことだとか。
直前に聞いていた、あの上司のバカなご高説とか──。
「最近では虐待なんかも多くなってさぁ〜」
「今後を生きる若者たちは大変だよなぁ。可哀想に」
思い出されるバカ上司の声。
「……知ったかぶりやがって」
最近多くなった?
違う。
ようやく、表沙汰になっただけだ。
それがしつけでなく虐待だと、ようやく気づいただけだ。
世間もみんなも俺も──やっと目を向けた。
被害はずっとそこに、あったのに。
ズボンのポケットをまさぐって、紙切れを一枚取り出した。
真琴からもらった、自宅の電話番号が書かれた小さなメモ用紙だ。
「……あの日に戻って、あの野郎に、言い返してえなぁ……」
安全圏から見下ろして、関係ないくせに「可哀想」の烙印を勝手に押したあいつに、優しい真琴の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
今ならあのバカ上司に、歯向かって言ってやるんだ。
お前に、お前なんかに────
「……いめ」
「……え?」
なにか、声が聞こえた。
顔を上げ、すべり台の外を見ればそこには、いつの間にいたのか和服姿の少女が一人佇んでいる。
(ゆ、幽霊……?)
直感的に、なぜかそう思った。
人成らざらぬ気配を少女に感じて、体が固まる。
白い肌に、黒檀のような長い艶髪。
何もかもを見透かすような不思議な瞳で、少女はこちらを見て、片手をあげた。
手のひらを俺の顔にかざし、また何かをつぶやく。
「……二回目」
「え?」
「残りは一回だ。よく、考えろ」
(何を言って……?)
しかし。
そこで急に睡魔が襲いかかり、俺は気を失うように、眠ってしまった。
◇ つづく ◇




