第2話 21世紀の男
俺の名前は、百瀬平成。
名前は「ひらなり」と読む──が、あだ名はもちろん「へいせい」と決められてしまうのが、俺の昔からの恒例だった。
平成元年の、それこそ年号が変わったばかりの一月八日に生まれてしまった俺は、親が運命だとばかりに感じてそう名付けたのだ。
まったく、同じその日に生まれた男児の「平成くん」率は高かったに違いない。
そして今日俺は、やはりその名前をいじられながら、参加したくもない上司との飲み会に付き合っていたのだった。
「もう平成も終わりかー、早いなぁ。なっ、へいせい君」
「ひらなり、です」
バブル期を駆け抜けた昭和生まれのこの上司に、何度言っても無駄になる訂正を口する俺。
他には同じ部署に所属するメンバーが何人かいたが、皆この上司を敬遠して離れている。
まぬけな俺だけが捕まって、ありがたくもないご高説とやらを聞いていた。
上司の長話に適当に相槌を打つなか、会話の内容はいつのまにか「平成」を振り返る内容になっていく。
思い出したくもない事件や災害。
そういったものを並び立てつつ、上司は酒を口に運びながらつぶやいた。
「次は、明るい時代がいいよなぁ」
その言葉に、ぴくりと俺は反応してしまった。
「……平成は、明るくなかったですか?」
「あ? そりゃそうだろ。消費税導入に凶悪少年犯罪! 地下鉄サリン事件にいじめ問題だろー? 暗いことばっかりだったよなぁ」
上司はぐいっとビールをあおぐ。
「最近では虐待なんかも多くなってさぁ〜。近頃の若者は子どもも持ちたくないって言うし、愛情を知らないのかね? それどころか、結婚も恋愛も嫌なんだっけ。寂しいよなぁ」
「…………」
「今後を生きる若者たちは大変だよなぁ、可哀想に」
「…………」
まずい酒だ。
そう思った。
(これだから、こいつがいる飲み会は嫌なんだ)
今日が世話になった先輩の送別会じゃなかったら、こんな席、出たくもなかった。
舌打ちをしそうになった──そのとき。
「失礼しま……うわっとお!」
「わ!?」
ドリンクを運んできた若い店員が、上司のあぐらの上にビールをこぼしてしまった。
「す、すみませぇん、お客様!」
「わー! びっしょびしょじゃねえか!」
(…………早く帰りてぇ)
飲み会の終わりに、退職予定の主役である先輩が笑顔でいたことだけが、唯一の救いだった。
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第2話 21世紀の男
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そんなことがあって、無性にイライラしたような悲しくなったような俺は、帰るときに母校の前を通りがかったのだ。
懐かしの学び舎。
昔、遅刻しそうになったとき、裏門からよく忍び込んだっけ、なんて思い出した。
多少の酒が入っていたため、気が大きくなっていたのだろう。
夜で人目がなかったこともあり、俺は久しぶりの裏門超えを試みることにした。
(昔は裏門破りのへーちゃん、なんて呼ばれて人気者だったよなぁ。それが今じゃあ、しがない会社の営業マンってか)
平成なのに、あだ名は「へいせい君」「へーちゃん」となっていた俺。
でもそれも平成が終われば、廃れていくのかもしれない。
「よっと」
俺は暗闇の中、鉄製の裏門に手をかけた。
足も駆使してよじのぼり、頂上で上半身を上げる。
「ははっ、余裕じゃん。楽勝楽勝──……!?」
油断と酒が、失敗の原因だろう。
「うわあー!」
門の頂上でぐらついた俺は、道路側へと逆戻りし……。
「ぐはぁ!!」
ドンッ! と体を打ちつけて、気を失ったわけである。
・ ・ ・
「おばさん、たこ焼き十個入りひとつ」
「あいよ、四百円ね」
「はい」
「ありがとう、お釣りは……って、ちょっと何だいこの金! 偽札かい!?」
「え?」
あれ、ええと……千円札が野口英世に変わったのはいつだ!?
「あ、ありました小銭! はい、これでいいでしょ、ね!」
「?」
いぶかしむおばさん店員からタコ焼きを引ったくり、俺は屋台からそそくさと逃げた。
公園の端っこのベンチに座る少年──塩崎真琴に近寄ると、彼はきょとんとした顔で俺を迎え入れた。
「なんか、おばちゃんとモメてなかった?」
「いや、大丈夫……」
ほら、と買ってきたタコ焼きを渡すと、上機嫌に受け取る。
この真琴という少年は、なぜか俺が話した「平成三十一年からタイムスリップしてきた未来人なんだ」という突拍子もない事実を、あっさりと受け止めてくれた。
当の本人である俺が、まだ信じられないでいるというのに。
(ここ、マジで二十年前なんだな)
さっきのおばさんとのやり取りで、ようやく実感した。
いま俺がここにいる世界には、野口英世の千円札なんてない。まだ夏目漱石がすまし顔で、レジに並んでいる世界なのだ。
(それにしても、財布とスマホだけはスーツポケットに入れておいて良かった。鞄に入れてたら、アウトだったな)
俺は身一つで飛ばされたらしい。
まったく何で、こんなことになったんだか……。
「うまいっ! あそこのタコ焼きって美味しいよね」
「ああ、そうだな……」
無邪気にタコ焼きをほおばる真琴。
今は春休みの真っ最中で、遊びの帰りにたまたま、あそこを通りかかったらしい。
さっきの女子高生たちはまだ春休みに入っていないか、部活か何かだったんだろう。
夕方の公園は閑散としていて、無駄話をするにはうってつけの場所のように思えた。
「……えーと、お兄さんさ。平成元年生まれなんだよね?」
「ああ」
「てことは、俺より二つ下だな。もしかしたらどっかで、会ってるかもなー」
「ははは……」
どうやら真琴は、となりの学区の子どもらしい。
確かに俺も、塩崎真琴という先輩は知らなかった。
いや、今は俺が大人でこいつはガキだから、先輩ってのも変だが……ええい、何だかややこしいな。
「お兄さん見つけたときはびっくりしたけど、まさか未来人だったとはねぇ」
真琴はハフハフと口を動かしながら、器用にしゃべりつつタコ焼きを食べている。
本気で言っているのか、何なのか。
まぁ、他人事だよな。のん気なもんだ。
「でもさー、安心したよ、俺」
「へ?」
何に安心だ?
「お兄さんが未来人なら、ノストラダムスの予言はハズレたってことだろ。今年の夏は無事、乗り越えられるわけだ」
「あ、ああー……なるほど」
ノストラダムスの大予言、か。
確かにそんなもんがあったな。一九九九年七月に、世界は滅亡するだとかなんだとか。
当時ガキだった俺は、本当に地球がなくなるんじゃないかと、怖くて仕方なかった気がする。
そんなこと、ついさっきまで忘れていたのに。
てことは今は、二十一世紀でもないのか。
まだ二十世紀。世紀をまたいで過去に来るなんて、まるでドラえもんだ。
「……フッ」
「あ、笑った」
「!」
「お兄さん、ずーっと眉間にしわあったよ。いま、初めて笑ったところ見たよ」
「そりゃお前。俺はいま、非常事態なんだぞ」
「あはは、そうだったね。タイムトリッパーさん」
……やっぱりこいつ、俺の言ったこと信じてないんじゃないのか。
まぁ、当たり前か。
俺だって急に「未来から来たんだ」なんて言うやつが現れたら、信じるわけないもんな。
それでもこの真琴という少年は、そんな懐疑的な気持ちよりは、どちらかというと好奇心と興味がいっぱいという視線で、俺を見ている。
子どもの目って、こんなにまぶしいもんだっけ。
普段子どもと接しない俺には、よくわからなかった。
「ねぇ、じゃあさお兄さん。未来のこと、お話してよ」
「お話って……」
俺はきらめく子どもの瞳を前に、何を話そうか言い淀む。
◇ つづく ◇




