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敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


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第7話 三日間(二)可哀想なわたくし

 継妃けいひグリゼルダの茶会は、王宮の薔薇園で開かれた。


 招かれたのは、社交界の顔役たる夫人がた十二名と、私と、リュシオラ。表向きは「輿入れ話で揺れる王家の、姉妹の仲睦まじさを世に示す」ためのお茶会である。


 実際は、処刑台だ。


 前世の私は、ここで社交的に殺された。


 仕組みは、あとになれば分かる。まずリュシオラが「姉を庇う」。庇われた瞬間、私は「妹に庇われるような姉」になる。反論すれば「妹を虐げる姉」に、黙れば「後ろ暗い姉」になる。どう動いても負ける盤面を、あの母娘は茶菓子と一緒に並べてくるのだ。


 だから今世は、盤面ごと利用する。


「――皆さま、本日はようこそ」


 継妃の挨拶で、茶会は始まった。私の斜め後ろには、昨日ルティアが手配した速記の女官が「王家の記録係」の顔をして控えている。敵国からの打診への対応は、些事まで記録に残すのが慣例――父の許しは、こういうふうに使う。


 口火を切ったのは、案の定リュシオラだった。


「あの、皆さま……今日は、お願いがあるのです」


 空色の瞳を潤ませて、義妹は言った。


「お姉様のことを、どうか、悪く仰らないでください。輿入れのお話で、心無い噂が飛び交っておりますけれど……お姉様は、その、あの検分のことだって、きっと何か事情が……」


「リュシオラ」


 継妃が、窘める声を出した。完璧な間合いで。


「その話は」


「あっ……ご、ごめんなさい、わたくし……お姉様、ごめんなさい……」


 義妹が、両手で口を覆う。


 見事なものだ、と私は他人事のように感心した。


 禁句を「うっかり」口にする。慌てて謝る。それだけで、この場の全員の頭に「検分」の一語から――烙印、密通と、連想だけが撒かれた。義妹は何も断言していない。ただ姉を庇おうとして、失敗した優しい妹。責める者は誰もいない。


 前世の私は、ここで青ざめ、震える声で「事情などありません」と言った。その一言が「開き直り」として、翌日には社交界を一周した。


 ――さあ、今世の手番だ。


「まあ。謝ることなんて、なくってよ」


 私は、穏やかに微笑んだ。


「あなたが皆さまの前で庇ってくださるの、初めてですものね。嬉しいわ。……ではせっかくですから、私からも皆さまに、妹の自慢をさせてくださいな」


 リュシオラの睫毛が、ぴくりと揺れた。


「妹は、幼い頃から本当に特別な子ですの。ほら、あの有名な――銀の光の御伽噺」


 夫人がたが、ぱっと華やいだ。魔獣の炎からグランハルト家の令息を救った、銀の光の少女。この国の社交界が大好きな、美談中の美談。


「わたくしたち、いつも断片しか伺えませんでしょう? リュシオラ、今日はぜひ皆さまに、あの日のことを詳しく聞かせてさしあげて。……ね?」


「え……」


「まあまあ、ぜひ!」「わたくし、ずっと伺いたかったのよ」「グランハルト様との馴れ初めですものね」


 夫人がたが身を乗り出す。断れる空気ではない。継妃の扇が一瞬止まったのを、私は視界の端で確かめた。読めているだろうか。読めていても、止められまい。愛娘の栄光の物語を、母親が遮る理由がない。


「……ええ、あの。あれは、わたくしが八つのときで」


 リュシオラは語り始めた。


 語るしか、なかった。


「秋の、狩猟の集いでした。紅葉がそれは見事で……わたくし、木苺を摘みに森へ入って、道に迷ってしまって。そうしたら悲鳴が聞こえて、炎が見えて――気づいたらわたくし、夢中で、光の中に……」


 秋。紅葉。木苺。


 ――違う。


 あれは春だ。山桜の森だった。木苺の季節でもない。九歳の私は雪解けでぬかるんだ斜面を駆け上がって、泥だらけで彼の前に飛び出した。


 彼は深手を負い、四ヶ月のあいだ目を覚まさなかった。目覚めたのは、季節が巡った九月。そのとき、たまたま見舞いに来ていたのがリュシオラだった。目覚めて最初に見た顔を、彼は命の恩人だと思い込んだ。


 当然だ。彼女はあの場の「目撃者」ですらない。目を覚ました少年の前に、たまたま立っていただけ。本物の記憶など、あるはずがないのだから。


「それで、その、無我夢中でしたから、細かいことはあまり……怖くて、ほとんど覚えていませんの」


「まあ、それはそうよねえ」「なんて健気な」


 夫人がたは、うっとりと頷いている。


 いい。それでいい。曖昧さも含めて、今この庭で語られた「秋の紅葉の木苺の物語」は、一言一句、私の後ろの女官の帳面に記されている。日付と、列席の夫人がた十二名の名前つきで。


 いつか、母の日記と並べる日のために。


 嘘というものはね、リュシオラ。


 吐いた瞬間ではなく、記録された瞬間に、罪になるのよ。


「……ふふ。素敵なお話。ありがとう、リュシオラ」


 私が拍手をすると、庭に和やかな拍手が広がった。


 ただひとり、最年長のフェルゼン侯爵こうしゃく未亡人だけが、拍手をせずに首を傾げていた。


「おかしいわねえ。あの年の狩猟の集いは、春でしたでしょう。わたくし、孫の初陣猟でしたから、よおく覚えていること」


「あら、やだわ、お義母様ったら」隣の嫁が笑う。「お歳ですもの」


「そうかしらねえ……」


 老婦人の呟きは、笑いさざめきに紛れて消えた。


 *


 茶会がお開きになり、庭園の出口で、リュシオラが追いついてきた。


「お姉様」


 ふたりきりの薔薇のアーチの下で、義妹は先ほどまでの潤んだ瞳を、すっと乾かした。


「……何か、変わられました?」


「あら。何が?」


「分かりません。分からないから、気持ちが悪いんです」


 初めて聞く、素の声だった。可哀想なわたくしの衣装を脱いだ、作り物でない、警戒する獣の声。


 私は扇を閉じて、妹によく似た角度で、小首を傾げてみせた。


「ふふ。強いて言うなら――ええ、少し」


「少し?」


「目が覚めましたの」


 リュシオラの瞳孔が、針のように細くなった。

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