表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/43

第4話 兄様の毒杯

 北の国境砦にいる兄へ、手紙を書く。


 たったそれだけのことに、私は一刻も費やしていた。


 書き損じが、もう五枚。


「……難しいですね」


 東屋の卓の向かいで、ルティアが呟いた。


「『兄様は毒を盛られています』と、そのまま書けば」


「狂人の手紙として、暖炉行きよ。前世の私たちが、身をもって知っているでしょう」


 誰にも聞いてもらえない、ということの重さを。


 前世。兄の訃報が届いた日のことを、私は覚えている。


 戦時下の陣中で病を得た、と使者は言った。棺は閉じられたまま王都へ帰り、私はついに、兄の顔を見られなかった。父は泣かなかった。継妃けいひグリゼルダは、それは美しく泣いた。喪の黒がよく映える人だと、ぼんやり思ったのを覚えている。


 あのときの私は、何も知らなかった。


 閉じられた棺の中で、兄の唇が毒の色をしていたことも。


 その色を見た少女が、誰にも打ち明けられない真実を抱えて、使用人たちの中でたったひとり、押し潰されそうになっていたことも。


「……ルティア。ベルガの今の動きは?」


「今朝、確認しました」


 妹は声を落とした。ベルガ。兄付きの侍従。物腰の柔らかい、誰からも信を置かれる古株。そして前世、病床の兄に毒の薬湯を運び続けた男。


「北へ発つ荷の中に、『強壮湯』の包みがあります。兄様が武練の後に召し上がる薬湯の材料だと。……前世と、同じです。あの毒は一度に効くものではありません。何ヶ月もかけて、少しずつ、体の底を腐らせていく――」


 だから「病死」になる。


 誰も疑わない、完璧な殺し方。


 そして恐ろしいのは、それが「もう始まっている」ということだった。巻き戻ったこの世界で、兄の体には既に、最初の数滴が落とされている。


 時間はない。けれど手紙一通で、兄を救えるだろうか。


「……お姉様。証拠を、向こうで出させましょう」


 ルティアが、書き損じの一枚を裏返して、拙い図を描き始めた。


「私たちが『毒がある』と言っても信じてもらえない。なら、兄様ご自身の手で毒を見つけていただくんです。手順だけをお伝えして」


 賢い子だ。前世、たったひとりで半年も調べ続けた子の、これが底力だった。


 ただし、毒の一文字も書いてはならない。


 手紙というものは、封をした瞬間から、どこで誰に開かれるか分からないものだから。ましてや相手は、王宮の奥で糸を引く継妃だ。「毒」「ベルガ」「疑い」――そんな言葉がひとつでも紛れていたら、手紙ごと、私たちの首が飛ぶ。


 だから私たちは、嫁入り前の妹から兄への、たわいもない近況の文を書いた。


『兄様へ。輿入れの支度の合間に、母様の香草湯の淹れ方を習い覚えました。秘訣は、飲む前に銀のさじで三度、ゆっくり掻き混ぜることだそうです。武練の後の一杯にも、きっとよく合いますから、兄様もぜひこの作法でお試しください。


 それから、料理番が申しますには、近頃の王都の乾物は品が落ちて、南方の胡桃などが平気で紛れ込んでいるとか。兄様は昔から胡桃がお体に合いませんでしたでしょう。王都から届いた包みは、口にする前に、砦の薬師様に中身を検めていただくと安心です。


 どうかお体を大切に。妹たちより』


 銀の匙は、ある種の油に触れると曇る。


 南方胡桃――それ自体は毒ですらない。けれど兄様の体だけが、あれを受けつけない。毒見役は倒れず、検分にも引っかからず、ただ兄様の体の底だけが、何ヶ月もかけて腐っていく。前世のルティアが半年かけて突き止めた、手口の核心だった。


 この文面なら、途中で誰に読まれても、妹の他愛ない気遣いにしか見えない。


 伝わるかどうかは、兄様の察しの良さに賭けるしかない。


「あとは……この手紙を、兄様が『妹たちからだ』と信じてくださるかどうか」


 署名は書けない。奪われたとき、差出人が割れれば終わりだから。


 私は少し考えて、便箋の隅に、小さな絵を描いた。


 木彫りの、不格好な小鳥。


 昔、兄が彫刻刀で指を三度切りながら作った、世界にふたつだけの小鳥の像。ひとつは私に。もうひとつは――使用人棟の隅にいた、亜麻色の髪の幼い妹に。


「っ……」


 ルティアが息を呑んだ。お仕着せの胸元を、ぎゅっと握る。今もそこに、あの小鳥を提げているのだと、前世の最後の夜に私は知った。


「これで伝わるわ。……この絵を知っているのは、世界に三人だけよ」


 手紙は、洗濯物に紛れて屋敷を出た。使用人棟で育ったルティアには、貴族の誰も知らない伝手が張り巡らされている。荷馬車の御者の妹の、嫁ぎ先の兄が、北へ行く商隊にいる。手紙は名も知られぬ人々の手から手へと渡って、誰にも足取りを掴まれないまま、北の兄のもとへ運ばれていく。


 *


 返書は、五日後に届いた。


 夜会を明日に控えた、慌ただしい昼だった。洗濯物の籠の底から出てきたそれを、私とルティアは東屋で開いた。


 几帳面な、懐かしい兄の字。


 それは、どこからどう読んでも、無骨な武人の他愛ない返事だった。


『文と、懐かしい絵をありがとう。


 教わった作法で、さっそく香草湯を試した。銀の匙で三度――なるほど、良い作法だ。匙は、砦の冬空よりもよく曇った。


 薬師にも湯の味を見てもらったところ、南方の香りがすると褒められた。おまえの言う通り、俺の体には少々贅沢すぎる香りだ。


 とはいえ、武練の後の一杯は欠かせん。ベルガが毎朝良い加減に淹れてくれるのでな。あれは本当によく気のつく従者だ。これからも変わらず、ありがたく「いただく」ことにする。


 白状すると、湯が熱かったせいか、飲んだ後しばらく手が震えた。歳かもしれん。怒っているのか怖がっているのか分からんような、妙な震え方だった。


 ときに、母上の淹れ方をどこで習った? 兄の知る限り、おまえたちがそれを教わる機会はなかったはずだ。今度会ったら、湯の話を最初から最後まで、ゆっくり聞かせてくれ。急かしはせん。だが、一滴もこぼさず話せ。


 妹たちの言うことを、兄は信じると決めた。体を大切にな。おまえたちもだ』


 便箋の最後に、下手くそな小鳥の絵が、描き足されていた。


 *


 読み終えて、私とルティアは顔を見合わせた。


 ――匙は、曇った。


 毒は、あった。薬師も裏を取った。それでいて兄様は、明日からも何も知らない顔で毒の湯を「いただく」という。飲むふりで捨てるくらい、あの人なら造作もない。ベルガを疑っているとは、文のどこにも書いていない。書いていないことが、答えだった。泳がせて、糸の先を辿る気だ。


 手の震えのくだりだけは、暗号ではないのだろう。自分の体の中で殺しが進んでいたと知った人間の、それは正直な震えだ。それすら兄様は、湯の熱のせいだと書いてみせた。


 そして最後の一文。


 湯の話を、最初から最後まで。一滴も、こぼさず。


「……『全部話せ』、ですね」


 ルティアが小さく笑って、それから、声を殺して泣いた。


 前世、たったひとりで見送った兄の棺を、この子はきっと今も夢に見る。その兄の字が「妹たちを信じる」と書いている。それだけで、この巻き戻りには意味があったのだと、私は思った。


 ――味方が、三人になった。


 毒杯は止めた。次は、この家からの出口だ。


 窓の外では、明日の夜会の準備で、庭師たちが薔薇のアーチを組み上げていた。


 あの夜会で、私は捨てられる。


 そして私は、この国を捨てる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
南方胡桃。毒でさえない。となるとアレルギーですか?しかし、アレルギーを銀の匙は毒判定は出来ないのでは?まして、通常は普通に食されているのであれば。どうなのでしょうか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ