第38話 合同法廷(三)銀の光の少女
第三の訴因の立証には、この国の側が立った。
リンドヴェール外務卿が、封蝋つきの書類の束を、証拠卓に並べていく。
「ザイデルン帝国外郭商会――通称グラウ商会の裏帳簿。当法廷のために、帝国周辺三カ国の協力を得て裏付けを取った、正式な写しにございます」
一枚、一枚が、置かれるたびに音を立てた。
被告の実家の負債を、十一年前に肩代わりした帝国系金融の記録。「行儀見習いの客人」が王宮に入った時期との、完全な一致。毒殺、入宮、王太子の呪詛、偽装死――十年間の出来事すべてに、金と伝令の糸が並走していた。
「さらに、当国内で捕縛したザイデルン工作員七名の供述。大公妃暗殺未遂の実行犯への支払い記録。……そして、これが要にございます」
最後に置かれたのは、鷲の封蝋の書簡だった。
「国境で押収した、被告発の密書。宛先はザイデルン帝国参謀本部。内容は――『調印式の当日、大公妃は死ぬ。開戦の準備を進められたし』」
法廷が、凍りついた。
戦争。
その二文字の重さだけは、両国の誰もが、等しく骨身で知っていた。国境のこの砦も、傍聴席の重臣たちの半分も、かつての戦で家族や部下を失っている。
「……つまり、被告の狙いは、初めから王家の乗っ取りに留まらぬ、ということにございます。王太子を除き、傀儡の王配を立て、ヴァルデンツを内側から帝国に差し出す。それでも足りねば、両国を戦わせて共倒れさせる。……被告グリゼルダは十一年間、一貫して、ザイデルン帝国の手としてこの王宮に座っておりました」
*
「――ひとつ、よろしいでしょうか」
私は、立ち上がった。
法廷の目が、いっせいにこちらを向く。
「反逆の立証は、いま並んだ通りです。ですが諸卿の胸には、まだひとつ、繋がらない糸が残っているはずですわ。……なぜ、私だったのか。九年前、この母娘はなぜ、当時ただの九歳の王女を、あれほど執拗に壊しにかかったのか」
私は、証拠卓の前へ歩いた。
「その答えが、この反逆の根の、いちばん深いところにあります。――お聞きください。九年前の、ある春の日の話を」
そして私は、語った。
狩猟の集いを。炎を吐く魔獣を。銀の結界を。消えかけた少年の命に、意味も知らず初魔力を注いだ、九歳の娘のことを。
法廷は、水を打ったように静かだった。祖国側の傍聴席で、幾人かの顔色が変わり始める。九年前の「銀の光の美談」を、誰もが知っている。その主が誰とされてきたかも。
「立証いたします。第一の物証――先の王妃エルヴィーネの日記」
青い革の手帳が、証拠卓に置かれた。
「母は、私の肩から紋様が消えたことに気づいた唯一の人でした。日記には、あの春の日の一部始終と、娘の消えた紋様のこと、そして――紋様を薬草のインクで描き直す配合が、母の手で記されています。検分官の照合をお願いします。日付、筆跡、インクの配合式」
「第二の物証。――グランハルト卿」
私は、護衛騎士の列へ向き直った。
ヴィンセルが、弾かれたように顔を上げた。
「あなたが九年間、肌身離さず持っておられるお守りを、法廷に提出していただけますか。……焼け焦げた跡のある、銀の髪飾りを」
法廷中の目が、彼に集まった。
彼は、震える手で胸元の布包みを解いた。もう調べはついているのだろう、抵抗はなかった。ただその顔は、答え合わせの最後の頁をめくる直前の、受験者の顔をしていた。
髪飾りが、証拠卓の日記の隣に、置かれた。
「検分官。その意匠と、日記に描かれた挿絵、および先の王妃の御生家の家紋簿との照合を」
三人の検分官が、卓を囲んだ。長い、長い数分だった。
「――照合、一致。この髪飾りは、先の王妃エルヴィーネ様の御生家に伝わる細工。日記の記述によれば、九年前の春、王女リディエンヌ様が魔獣の森で紛失されたものと認められます」
「第三の物証。三年前の、私の検分の記録」
神殿の記録官が、羊皮紙を広げた。
「王女リディエンヌ、十五歳。検分の結果――初魔力、消失。ただし消失の時期は特定できず、と」
「以上、三点を繋ぎます」
私は、法廷の中央に立った。
九年ぶんの、息を吸った。
「魔獣の森で少年を救い、髪飾りを落とし、初魔力を失った少女がいました。その事実を知るのは、日記を書いた母だけ。……母が毒殺されたあと、この日記は遺品ごと、誰の手に渡ったでしょうか」
視線が、被告席へ流れた。
「日記を読んだ者だけが、知り得たことが三つあります。私が銀の光の少女であること。私の紋様が偽りであること。そして――聖水をかければ、インクは流れること。……三年前、『清浄の祈り』と偽って私を検分台に立たせ、聖水の柄杓を要求した涙ながらの訴えを、この法廷の祖国の諸卿は、覚えておいででしょう」
覚えていない者は、いなかった。
あの日、大聖堂にいた顔ぶれの半分が、今この法廷にいる。
「あの検分は、偶然の露見ではありません。日記で答えを知っていた者による、答えを知らなければ組めない罠でした。目的は、王女の社会的な抹殺。理由は――王太子の次に、ザイデルンの筋書きの邪魔になる駒だったから。それだけのことです」
そして私は、最後の一枚を、静かに置いた。
「……ですから諸卿。九年前から今日まで、皆さまが『銀の光の少女』と呼んで讃えてきた物語の主と、皆さまが『欠けた器』と呼んで唾を吐いてきた女は――最初から、同じひとりです」
法廷が、割れた。
どよめきというより、それは呻きに近かった。祖国側の傍聴席で、老貴族が顔を覆った。フェルゼン侯爵未亡人が、ハンカチを握りしめて何度も頷いていた。誰かが「ああ」と声を漏らした。九年間、社交界の全員が加担してきた冤罪の全体像が、いま初めて、一枚の絵になって彼らの前に吊るされたのだ。
父王が、立ち上がりかけて、椅子に崩れた。
そして――ヴィンセル。
彼は、立ち尽くしていた。証拠卓の髪飾りと、私とを、交互に見て。口が何度か動いて、声にならなくて。九年ぶんの何かが、彼の中で音を立てて崩れ落ちていくのが、離れていても分かった。彼が愛した銀の光も、彼が憎んだ不貞の女も、彼が信じた可憐な恩人も――全部が、いっぺんに。
哀れとは、思わなかった。
これは、あなたが九年前に確かめなかった、ただの答えです。
「――静粛に。静粛に!」
大法官の槌が、何度も鳴った。
ざわめきがようやく引いたとき、私は、まだ立っていた。
言うべきことが、あとひとつだけ、残っていたから。
「大法官様。訴因の立証は、以上です。ですが最後に――個人として、ひとつだけ要求がございます」
「……述べられよ」
私は、被告席の継妃と、その隣に引き出されてきた枷の義妹を、順に見た。
三年前、大聖堂の壇上で震えていた十五歳の私が、ようやく、この台詞を言う日が来た。
「――検分を、要求します」




