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敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


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第37話 合同法廷(二)呪詛

「第二の訴因。王太子オーレリアンへの呪詛じゅそ、および毒殺未遂について――」


 立証の口火を切ったのは、モルデン翁だった。


 老学士は水晶の小箱を証拠卓に置き、法廷に向かって、講義でもするように語り始めた。


「まず諸卿に、呪詛というものをご覧いただきましょうかの。……これは、王太子殿下のお体から儂らが抜き取った『うとみの呪い』の残滓。認識を侵す系統の呪詛でございます。かけられた者は、周囲から――とりわけ血縁から、理由なき嫌悪を向けられ続ける」


 小箱の封が、解かれた。


 中で揺れる黒い糸を見て、傍聴席から小さな悲鳴が上がった。肉眼で見る他人の悪意とは、それほどに厭なものだった。煤のような、蜘蛛の糸のような、見ているだけで胸の奥が冷える何か。


「呪詛の織りには、術者の魔力の癖が残りまする。指紋と同じ。偽れませぬ。……そこで、これより照合の儀を行いまする。この糸を、法廷内のどなたかの魔力に近づけたとき――糸は、己の主に向かって靡く」


 廷吏が水晶箱を掲げ、法廷の中をゆっくりと歩いた。


 大法官の前。糸は、動かない。


 祖国の外務卿の前。動かない。


 兄の前。動かない――かけられた側には、靡かない。


 父王の前。動かない。


 そして。


 被告席の、三歩手前。


 黒い糸が、ざわり、と逆立った。


 箱の中で、九年ぶんの悪意が、鎖に繋がれた飼い主に向かって、いっせいに手を伸ばした。まるで長い留守を詫びる犬のように。法廷中が見ている前で、糸は被告席のほうへ、靡いて、靡いて、水晶の壁を掻いた。


 静寂。


 それから、堰を切ったようなどよめき。


「――照合、成立にございますな」


 モルデン翁は、静かに箱を閉じた。


「王族への呪詛。貴国の法で、大逆たいぎゃくと心得まするが」


 *


 続いて、侍従ベルガが引き出された。


 半年、泳がされていたことすら知らずに毒の湯を運び続けた男は、獄で一晩過ごしただけで、面白いように歌った。毒の包みの受け取り場所。質屋の符丁ふちょう。報酬の出所。指示の主。すべての糸が、被告席の一点へ集まっていく――誰の目にも見える形で。


「わ、わたくしは、ただ命じられただけで……! 継妃けいひ様が、王妃様が、あの方が全部……!」


「ベルガ」


 被告席から、氷の声がした。


「見苦しくてよ」


 鎖に繋がれた女は、崩れた侍従を一瞥もしなかった。この期に及んで、まだ、この女の背筋は折れていない。むしろ証拠が積まれるほどに、仮面の下から本物の顔が――何もかもを見下ろす、支配者の顔が、透け始めていた。


「……ひとつ、伺ってもよろしいかしら、大法官様」


 グリゼルダは、優雅に首を傾げた。


「仮に。仮に、の話でございますけれど。王太子殿下が呪われていたのだとして――九年間、誰ひとつ気づかなかったのでしょう? 医師も、学士も、神官も。……国王陛下ですら」


 その視線が、ゆっくりと、祖国側の最前列へ向いた。


「陛下。あなた様は九年間、実のご子息を、ご自分の意志で疎んじておられたのでは? 呪いなどという便利な言い訳に、今さらすがっておられるだけでは? ……ねえ、陛下。あなたの九年は、本当に、全部わたくしのせい?」


 毒だった。


 法廷という舞台で放てる、最後で最大の毒。証拠で追い詰められた女は、道連れを選んだのだ。国王の権威ごと、この法廷を汚してしまえば、判決の重みも汚れる。


 父王は、青ざめたまま、動かなかった。


 動けないのだろう、と私は思った。あの毒は、半分、本物だから。呪いは嫌悪を植える。けれど水をやり、育てたのは――九年、確かめもしなかった、父自身だから。


 誰も、何も言えない数秒が流れて。


「――発言を、求めます」


 立ち上がったのは、兄だった。


 法廷中の目が集まる中、兄は父の前まで歩き、その場に、騎士の礼で膝をついた。


「父上。……俺は九年間、あなたに嫌われているのは、俺の出来が悪いせいだと思っていました。剣を磨いても、戦功を立てても、あなたの目は変わらなかった。だから国境で、何度も考えました。生まれてこなければよかったのかと」


「オーレリアン……」


「ですが――解呪の朝、俺は生まれて初めて、鏡の中の自分をまともに見られた。呪いは、確かにあったのです。俺の卑屈も、あなたの嫌悪も、全部が偽物だったとは言いません。……それでも、その始まりに、確かに毒を仕込んだ者がいた」


 兄は顔を上げ、父ではなく、被告席を見た。


「グリゼルダ。あなたの問いに、俺が答える。――父の九年が全部あなたのせいか? 違うだろうな。人の弱さにつけ込むのが呪詛だ。弱さそのものは、俺たちが元から抱えていたものだ」


 それから兄は、静かに言い切った。


「だが、あなたはその弱さの火に、この八年、毎日、油を注いだ。それが訴因だ。父の弱さは、父がこれから死ぬまでかけて償う。あなたの油は、今日この法廷で量る。……話を、逸らすな」


 どよめきが、今度は敬意の色をしていた。


 祖国の重臣たちが見ているのは、もう「疎まれた王太子」ではなかった。呪いを抜かれ、毒を生き延び、玉座ぎょくざの前で父の罪と敵の罪を切り分けてみせた、次の王の顔だった。


 グリゼルダの頬から、初めて、微笑が消えた。


 *


「第二の訴因、証拠および証言を採用する」


 大法官の槌が鳴り、書記の羽根ペンが走る。


 私は、被告席の女から、傍聴席の父へ、視線を移した。父は両手で顔を覆っていた。その姿に、九年前の私なら、何かを感じたかもしれない。今は、静かな距離だけがあった。あなたの償いは、あなたのもの。私たちの裁きは、止まらない。


 大法官が、次の書類を手に取った。


 法廷が、息を呑むのが分かった。ここまでの二つは、王家の内側の罪。けれど次の一枚から先は――国の外に繋がる、戦争の罪。


「最後の訴因。――国家反逆罪」

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