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敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


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第36話 合同法廷(一)毒

 法廷は、国境の砦に設けられた。


 どちらの国の土でもあり、どちらの国の土でもない場所。砦の大広間に両国の旗が並び、頭上には、空を渡る大結界『盾』の銀がうっすらと透けて見えた。


 裁くのは、両国の大法官による合議。傍聴の席には、祖国の重臣と、この国の廷臣が、通路を挟んで向かい合う。祖国側の最前列には、玉座ぎょくざから降ろした椅子に、父王ヴァルテールが座っていた。九年ぶりに間近で見る父は、記憶より、ずっと老いていた。


 その斜め後ろ、護衛騎士の列に、ヴィンセルがいる。


 そして中央の被告席に――枷をつけた、継妃けいひグリゼルダ。


 鎖に繋がれてなお、あの人の背筋は完璧だった。喪服のように黒いドレスを、まるで自分で選んだ礼装のように着こなして、法廷を覆う視線の全部を、無言で受け流している。


 この女の仮面を、今日、一枚ずつ剥がす。


「――両国合意に基づく特別法廷を、開廷する」


 大法官の声が、砦の石壁に響いた。


「被告グリゼルダ。訴因は三つ。第一に、先の王妃エルヴィーネ殺害。第二に、王太子オーレリアンへの呪詛じゅそおよび毒殺未遂。第三に――ザイデルン帝国への内通、すなわち国家反逆」


 訴因が読み上げられるたび、祖国側の傍聴席が、ざわ、ざわ、と揺れた。彼らのほとんどは、今日この場で初めて知らされたのだ。完璧な王妃の、九年ぶんの正体を。


「被告。訴因を認めるか」


「――いいえ」


 グリゼルダは、微笑みさえした。


「すべて、身に覚えのないことでございます。亡き先の王妃様は、わたくしの恩人。王太子殿下は、わたくしの息子も同然。……どなたが、このような残酷な絵をお描きになったのかしら」


 完璧な声だった。傍聴席の幾人かが、早くも揺らぐのが分かった。九年、社交界を支配した声だ。言葉に魔力などなくても、この女の声は人の輪郭を溶かす。


 いいでしょう。


 声には、記録を。仮面には、物証を。


 それが、二つの人生で私たちが学んだ、唯一の戦い方だから。


 *


「第一の訴因。先の王妃エルヴィーネ殺害について――検察側、立証を」


 立ったのは、兄だった。


 王太子オーレリアン。この法廷では、訴追人のひとりとして。


「まず、これを」


 兄が示したのは、色褪せた帳面の束だった。


「八年前、王妃エルヴィーネの病没当時の、王宮薬局の払い出し記録。および、当時の厨房の献立記録。……母の『病』は、三月かけてゆっくり進んだ。食が細り、指先が痺れ、眠りが深くなり――医師団は流行り病と診断した」


 兄は、一拍おいて、続けた。


「この経過を、諸卿はどこかで聞いたことがおありのはずだ。……半年前まで、湯治場で療養していた男の『病』と、寸分違わず同じだからだ」


 法廷が、ざわめいた。


 王太子の長患い。誰もが知っている。そして誰もが、目の前の壮健な男を見ている。


「俺の『病』の正体は、強壮湯に混ぜられた南方胡桃の油だった。俺の体質だけを狙い撃つ、毒ですらない毒。……母の記録を洗い直したところ、病没前の三月間、王宮の食材庫に、それまで一度も仕入れのなかった品が現れる。――南方胡桃。発注者の署名は、当時『行儀見習いの客人』として王宮に出入りしていた、被告グリゼルダ」


 帳面が、証拠卓に置かれた。


 八年前の、黄ばんだ紙の署名と。半年前の、兄の毒杯の検分記録が。ふたつ並んで、同じ手口を指していた。


「母と俺は、同じ手口の、同じ毒で殺されかけた。母は、殺された。……以上」


「――被告。反論は」


「まあ……恐ろしい偶然もあるものですこと」


 グリゼルダの声は、まだ揺れなかった。


「胡桃の発注が、殺害の証拠になりますの? わたくしはただ、お菓子造りが好きなだけの客人でしたのに」


「では、次の証人を」


 大法官が頷き、廷吏が扉を開けた。


 入ってきたのは、痩せた、白髪の混じり始めた女だった。粗末な、けれど精一杯繕った外套。落ち窪んだ目が、法廷を怯えたように見回して――車椅子の少女の上で、止まった。


 ルティアが、両手で口を覆った。


「……かあ、さん……?」


 証人席の女が、くしゃりと泣き崩れた。


 ルティアの母。王の子を産んでなお、身分ひとつ上がらなかった女。八年前、王宮を追われた元メイド。死んだとも生きたとも知れなかった人を、兄が半年かけて、国境近くの寒村から捜し出していた。


「証人。八年前、あなたが王宮を追われた理由を、この法廷で」


「……申し上げます」


 女は、震える声で、けれど最後まで淀まずに語った。


「わたくしは、王宮の厨房のメイドでした。八年前のあの秋、夜半に厨房へ忘れ物を取りに戻り……見たのです。グリゼルダ様が、王妃様の夜食の粥に、小瓶の油を垂らしておられるのを」


「それを、誰かに?」


「料理長に申し上げました。翌朝には……わたくしのほうが、盗みの咎で追われておりました。娘を置いて出るなら訴えは取り下げてやると……わたくしは、娘の命と引き換えに、口を、噤みました」


 女の目が、もう一度、車椅子の娘を見た。


「ルティア。……ごめんね。母さんは、あんたを守る方法が、あれしか」


「かあさん……っ」


 法廷の空気が、変わった。


 八年前の告発が、八年前に握り潰された経緯ごと、白日の下に並んだ。傍聴席の祖国貴族たちが、隣同士で顔を見合わせる。彼らの記憶の中の「手癖の悪いメイドの追放劇」が、今、まったく別の絵に塗り替わっていく。


 グリゼルダの扇が――初めて、止まった。


「……罪もない下女に、罪を着せて追った」


 地を這うような声で、彼女はそれだけを呟いた。


 私は、被告席の女を見た。


「あなたの九年は、そうやってできているのよ、お義母様。誰かの口を塞いだ石の上に、一段ずつ。……今日はその石を、下から全部、数えさせていただきますわ」


 大法官の槌が、鳴った。


「第一の訴因、証拠および証言を採用する。――続いて」


 法廷の目が、次の書類へ移る。


「次の訴因に移る。王太子殿下への、呪詛について」

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